第1話 抜錨

<1>

 帝都ラクファカール・レスポー建艦厰の移動廊下を、飛翔科十翔長の位階章をつけた青年が足早に歩いていた。
 その美貌はアーヴにあっても類稀なほどであり、長く伸ばした淡い紺の髪を後頭でひとつにまとめ、アーヴ男性としてはそう高くない一七三ダージュ(=センチ)の身長と相まって、女性と思われる事も多い。
 左眼は碧、右眼が蒼という異相の瞳は、彼の美貌をさらに神秘的に見せている。
 しかし、今の彼の瞳はやや危険な色合いを帯び、その表情には雷雲の気配が漂っていた。

 彼はつい先ほど、人事局よりの辞令を拝命した所であった。
 新造突撃艦<ガーヴロイル>の艦長職。その点においては不満は全くなかった。問題は、その艦を構成する人員である。
 しかし、彼らの個々の能力においては、特に不満に思う事はない。
 つまり、職務、部下の能力、ついでに部下達の人格にも大して不満はない。

 ならば、彼はなにが不満なのか。
 それは、ひとえに彼の性格と、<ガーブロイル>を構成する乗組員の男女比率によるものだった。
 男性対女性比率、一対三。
 つまり、突撃艦乗組員二〇名のうち、十五名が女性なのだ。ついでに艦橋要員は、彼以外の翔士は全て女性。

 そして、彼――新任十翔長イリューシュ・ボルジュ=イルク・ラシュバージュ子爵公子・アークは、翔士修技館時代から、女性が苦手で有名なのであった。

◆◇◆

 アークは人の少ない休憩施設を見つけるとそこに飛び込み、端末腕環(クリューノ)に一連の番号を吹き込んだ。ほどなくして、呼び出した人物の立体映像が現れる。
 現れた立体映像の主も、アークと同じく左右の瞳の色が異なって――アークの瞳の色とは異なるが――いた。それもそのはず、その人物はアークの父、イリューシュ・ボルジュ=イルク・ラシュバージュ子爵・イシェーニのものなのだから。

「ふむ、お前の方から通話してくるとは、珍しいこともあったものだ」
 イシェーニは口ほど驚いた風もなく、そう言ってのけた。
「どうせ予想していたんでしょう?」
「なんの事だ、我が息子よ?」
「呆けないで下さい!どうせ父さんでしょう、僕の部下の人事に細工したのは!?」
 立体映像のイシェーニは、満足そうに何度か肯いた。
「うむ、大した推理能力だ。立派に育ってくれて、父は嬉しいぞ」

 アークは、自分の理性が感情に絞めあげられて、悲鳴を上げる声を聴いた気がした。
「その程度の事、子供でも分かります!なんで余計な真似をするんですか!?」
「それは違うな、我が愛しき頑固者。異性と愛を育むことはアーヴのみならず、人類至高の義務であり、喜びでもある。しかし、お前は折角麗しく生まれたにも関わらず、その資源を死蔵させてしまっている。父として、それを心配するのは当然であろうが?」
「それが『余計なこと』だと言っているんです!!」
 怒りに任せて、アークは壁を殴りつけた。近くを通りかかった従士が、ぎょっとして振り返り、壁をみて30ダージュほど飛び上がった。
 壁には見事に、拳の形に窪みができていた。
 イシェーニの立体映像も壁を見やったが、眉を一瞬微妙な角度に歪めただけで、口に出してはこう告げたにとどまった。
「公共物を破損するのは感心しないな、短気者」
 誰の所為だ、と口にするのを危ういところで思いとどまり、アークは別の懸念を口にした。
「……まさか、僕の部下を女性で固めたのは、新しい女性に手を付けるためではないでしょうね……?」

 イシェーニには、息子と逆の方向で有名なことがあった。つまり、良く言えば恋多き男、悪く言えば好色という事であり――父の素行が、息子の人格形成に大いなる影響を与えたことは言うまでもない。
 イシェーニは息子の詰問に、むしろ味わいを発見したかのように腕を組んで黙考すると、不意に破顔した。
「ふむ、それも悪くないな。息子よ、この軍務が終わったら、部下を饗宴に招くがよい。父も喜んで参加してやるぞ」
 イシェーニの予想に反して、息子の反応はごく穏やかだった。
「父さん」
 微笑すら浮かべて、アークは父を呼んだ。その反応に、呼ばれた父は心理的に身構える。彼の息子が必要以上に優しく装う時は、良くない事の兆候であることを、彼は経験によって知っていたのだ。
「どうした?」
 父の反問に、アークは女性の心なら確実に蕩かせるであろう微笑を浮かべたまま宣告した。
「僕の部下に手を出したら、今度は容赦なく、去勢しますからね……?」

 極上の微笑で恐ろしく物騒な脅迫を受けた父は、内心激しく狼狽した。やはり過去の経験より、自分の息子がこの手のことを告げるとき、確実に約定を果たすことを知っていた。
 背中を冷汗で濡らしながら、父は息子に教訓をたれた。
「下品な脅迫だな、我が息子。もう少し優雅にできないかね?」
 息子は猫のひげの先ほども動揺しなかった。
「ご心配なく、我が父よ。これは脅迫ではなく最終宣告ですので」
 知識が言動によって補完され、予感は確定となった。イシェーニは頭を二・三度左右に振ると、諸手を挙げて降伏した。
「分かった。お前の部下には絶対に愛を告げない。宣誓しよう」
「それはなによりです……お互いにとって。それでは僕はこれより出港準備がありますので」
「うむ。しっかりやるといい」

 普通の人間の主観では、戦地に赴く息子と父の会話ではないが、これがラシュバージュ子爵家での一般的な会話であった。
 父の魔の手から部下を守ったアークだが、さりとて自分の部下は圧倒的に女性である、という事実は変わることはないのだった。
 アークはため息を一つつくと、やや重い足取りで、自分の新しい艦に向かった。

◆◇◆

 ラシュバージュ子爵家は、そう長い伝統を誇る家系ではない。第一、長い伝統を誇るなら、もうとっくに子爵家から伯爵家に格上げされているはずである。
 もともと、五代前はアーヴですらなく、とある地上世界の領民であった。その人物が、国民経由で官僚界に入り、首尾よく帝国宰相までのし上がった。そしてめでたく、イリューシュ王国内に一つの所領を拝領した、という経緯であった。
 名前に『イリューシュ』とつくのは、単にこの先祖の名であって、別段イリューシュ王国や皇族とのつながりは存在しない。

 五代前の子爵家が、未だにその称号を格上げしていないのは、一つには資金不足という問題があった。尤も、新しい所領への融資は極めて堅実な投資であるので、貸し手にはさほど困る事はない。それゆえ、三代目の時分から第二及び第三惑星の惑星改造が開始され、アークの父であるイシェーニの時代には惑星改造は完了していた。
 しかし、そこで第五惑星である大型気体惑星の状態が不安定になり、なんと五〇年もしないうちに崩壊してしまったのだ。
 そこに設置してあった物質燃料・推進剤採取基地はなんとか待避を終えていたので、損害は大したことはなかったが、さすがに入植は延期せざるを得なかった。
 可住化惑星の環境の再整備と、第六惑星への採取基地の再設置などを行っているうち、いつしか時は過ぎ――それは起こった。

 <人類統合体>とその仲間達――当事者達は<三カ国連合>と称しているが――が、<アーヴによる人類帝国>への侵攻を開始したのだ。
 侵攻はイリューシュ王国に開けられた二つの<門>から行われた。
 そして、ラシュバージュ子爵領は、その<門>に隔てられた、向こう側に存在したのだ。



<2>

 アークがさして広くもない発着甲板に入ると、号笛が響いた。
 艦長就任と、翔士の顔合わせの儀式である。
 全員――といっても、そこにいるのは翔士である四人だけだが――の視線を受けながら、アークは星界軍の形式に沿った敬礼を行った。
「本艦の艦長を拝命しました、イリューシュ・ボルジュ=イルク・ラシュバージュ子爵公子・アーク十翔長です。よろしくお願いします」
 艦長にしてはいやに腰の低い挨拶だが、これが彼の持ち味というものであった。まだ二三歳の若造でもある事だし、第一、権高に振る舞うのは彼の趣味に合わない。
 ……実のところ、そういう所は彼の父とそっくりなのだが、万一指摘されたら烈火のごとく怒り狂う事、疑いない所である。

 彼のその態度は、これから部下になる女性達には好意的に受け入れられたようだった。

 儀礼以上の微笑を浮かべ、背中に届くほどの濃紺の髪の、後衛翔士の頭環(アルファ)をつけた女性が最初に言葉を発した。
「本艦の先任翔士を務めさせて頂きます、リュージュ後衛翔士です。よろしくお願いいたしますね、艦長」

 そのリュージュに穏やかならざる視線を投げて、明るい緑色の髪を肩ほどでそろえた、同じ後衛翔士の頭環の人物が、噛みつくような早口で言った。
「次席翔士のイーディア後衛翔士です。騙されちゃ駄目ですよ艦長!大人しい顔してこの女ってば――」
「あら、それはひどい誤解だわネイ。私は別に――」
「五月蝿い黙れ!ロイはいっつもそうやって人の恋路を邪魔して――」

 途端に始まってしまった口喧嘩に、アークは閉口しつつも、妥協を求めた。
「あのさ……」
「「なんですか!?」」
 二対の視線を受け止めて、内心いささかたじろきながらアークは続けた。
「先、続けていいかな……?」
 二人は我に返った。顔を真っ赤に染めて、イーディアがブン!と音がしそうなほど勢いよく頭を下げる。
「し、失礼しました!!」
 リュージュもいささか頬を染め、咳払いなどしてから謝罪した。
「お見苦しい所をお見せしました。申し訳ございません」
「まぁ、戦闘中でもなければ、別に構わないんだけどね……それじゃ、書記の方、どうぞ」
 何故いつのまにか、僕が司会しているんだろうな――アークは悩みつつ、二人の飛翔科翔士に圧倒されていた書記を促した。

「あ……は、はいぃっ!」
 妙にうわずった声をあげて、主計翔士は慌ててもう一度敬礼した。
「ほ、本艦の書記を拝命いたしました、アリョーシャ列翼翔士です!よよよろしくお願いします!!」
 かちこちに固まったまま、アリョーシャはどうにか挨拶の言葉を絞り出した。
「いや、そんなに緊張しなくていいからさ……とりあえず深呼吸でもして落ち着こう。はい息を大きく吸って――」
 アークの間が抜けた台詞に、律儀に従って深呼吸したアリョーシャは、先程よりはたしかに落ち着いたようだった。
「先ほどはどうも失礼致しました。改めてよろしくお願いいたしますね、艦長」
 そう言って愛らしい笑みを浮かべたアリョーシャに、何故かムッとするリュージュとイーディアの視線に気付くことなく、アークは残る軍匠翔士を促した。

 列翼翔士の頭環をいただく軍匠翔士は、先ほどまでの大騒ぎなどなかったかのように、淡々と挨拶の口上を述べた。
「本艦の監督を拝命致しました、アベリア軍匠列翼翔士です。よろしくお願いいたします、閣下(ローニュ)」
 アベリアの最後の言葉に、アークの眉が下がった。
「あの……できれば『閣下』は止めて欲しいんだけれど……?」
「何故でしょう?」
 アークの控えめすぎる抗議に、アベリアはほんの僅か、怪訝な顔をした。
「いや……その称号(トライガ)で呼ばれると、何となく翔士として半人前扱いされてる気がするんだ」
 アベリアは理解した、とばかりに軽く肯くと、深々と頭を下げた。
「それなら、ご心配は無用です。私は、最大級の敬意をもって、『閣下』と呼ばせて頂きます」
「いや、そうじゃなくて……」

 アークの制止も耳に入らぬ様子で、アベリアは語りつづける。その言葉と表情には、段々と熱がこもっていった。
「誰にも閣下を半人前などと呼ばせたりは致しません。<スィーヴロス>での閣下のご活躍を耳にして以来、閣下にお会いできる日を、一日千秋とお待ち申しておりました」
「あの……」
 アークは再度制止しようと試みたが、無益だった。アベリアの無表情めいた表情はほぼ動かないが、瞳は恍惚とした光を帯びていた。
「私はあの時、<グリューヴェル・ナータ>に乗船しておりました。私が今ここにいられるのは、閣下のお陰です。どうか――」
「いや、だからさ……できればせめて『艦長(マノワス)』って呼んで欲しいんだ。『閣下』でなくて」
 ようやく制止に成功したアークの言葉に、アベリアは軽く首肯した。
「分かりました。閣下がそうおっしゃるなら、謹んで従わせて頂きます」
「そう……どうもありがとう」
 そう言いつつも、アークの表情は今ひとつ冴えなかった。

◆◇◆

 アークは、気を取り直してもう一度、自分の部下となる女性達を見回した。

 リュージュ先任翔士は、濃紺の髪を綺麗に背中に流している。瞳の色は髪とほぼ同色。平均よりやや高めの身長で、白磁の肌、柔和な顔の造形など、しっとりとした落ち着きを感じさせる。尤も、イーディアとの会話から察するに、見かけによらぬ性質も持ち合わせているようである。

 イーディア次席翔士は、明るい緑の髪を肩口でそろえているが、癖があるのか、先端が外にはねている。瞳も髪と同色。言動やよく変わる表情、顔の造形など、どこを見ても活発な少女のようだ。どうやらリュージュと同期の様だが、やや小柄な体格も手伝って、彼女の方がかなり年下に見える。しかし、翔士修技館は試験に受かりさえすれば、年齢に関係なく入学を許可されるので、実際に彼女の方が年下なのかもしれなかった。

 アリョーシャ書記翔士は、すみれ色の髪と紫水晶のような瞳を持っている。肩口ほどまでの髪を、二つに分けて、それぞれの房を髪締めでまとめている。イーディアと同じく、成熟期(フェーロス)に入っていくらかも経っていないような童顔で、挙措や言動などを含め、初々しい印象をアークは受けた。実際、彼女にとってはこれが初めての正式配属であるから当然とも思えたのだが。

 最後にアベリア軍匠翔士。彼女は原色に近い青の髪と、銀色の瞳を持っている。軍匠科(スケーフ)という軍課の性質上、作業の邪魔にならないように髪は短く、それでも女性の洒落っ毛を感じさせるシャギーをいれている。一見能面のようなかんばせや、感情の掴み難い口調から、最初は冷たい印象すらあったが、どうやら情感自体は豊かなようだ。自分の関心のない所には冷淡だが、関心事には異常なまでに熱中するようである。

 資料を見る限りでは気にもならなかったが、こうして顔を合わせてみると、何とも癖のある面子が揃ったものだった。
 アークは心中で天を仰いだが、だからといって彼女らの能力に問題があるわけではない。彼女らの能力を巧く使いこなしてこそ、立派な翔士だ、と自分を鼓舞したのだった。



<3>

 部下と共に艦橋に入ると、アークは艦長席についた。四人の翔士達も、各々の席につく。
 補給物資は既に従士(サーシュ)達が運び込み、アリョーシャとアベリアが確認しているはずだ。
 アークは制御籠手(グーヘーク)を左手に装着すると、深呼吸をひとつして、艦橋内に声を響かせた。

「出港準備、開始」

 その言葉で、艦橋に活気と緊張感が生まれた。
「全艚口閉鎖」
「閉鎖完了」
「接続通路の切り離し、及び収納の準備」
「準備完了しました」
「前方姿勢制御機関、最微推力」
「噴射開始……噴射中」
 アークはもう一度深呼吸すると、厳かな声で宣言した。

「抜錨(ダイセーレ)!」

 その言葉と共に、連絡通路が切り離され、<ガーヴロイル>は虚空に解き放たれた。
 アークの制御籠手の挙動に従い、<ガーヴロイル>は軽快に飛翔し、その針路を<イリューシュ門>に向けた。

「<門(ソード)>通過、三分前です」
 イーディアが報告を上げる。
「時空泡(フラサス)発生!」
 アークが号令を発し、リュージュが即座に応じる。
「時空泡、発生します」
 アベリアとアリョーシャが、続けて報告を上げる。
「時空泡発生機関(フラサティア)異常なし」
「艦内環境、異常ありません!」
 再びリュージュが、時空泡を確認する。
「時空泡発生、確認しました」
「<門>通過三十秒前から、秒読み開始」
「はい」
 アークの指示に、リュージュが応じる。

 やがて、秒読みが開始される。その数字が段々と減じていき――
「五秒前。四・三・二・一……通過!」

 その声と共に、<ガーヴロイル>は平面宇宙(ファーズ)へと飛び込んだ。


 そしてこの時、アークと、その周りを取り巻く翔士達の、喜怒哀楽様々な物語も始まったのだった。


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