五月。黄金週間(ゴールデンウィーク)後の、悲喜こもごもであった中間試験が終わり、そろそろ梅雨が忍び寄ってこようとしていた頃の一日である。青い空が広がり、まだ新緑の息吹を感じられるような清清しい朝であった。
心臓やぶりの坂、などといういささか大仰な、しかし確かに遅刻間際の生徒にとってはその名は決して大げさでない愛称で呼ばれるわりと急勾配の坂を斎乃司(いつきの つかさ)は登りつめ、エスカレーター式の私立学校、河淋(かりん)学園の校門をくぐった。
司の所属は高等部一年二組。故に高等部一年生の下足室で上履きに履き替える。高等部の敷地内のうち、東端に位置する三階建てが一年生校舎と俗称され、当然ながら一年生の教室は全てそこに収まっているが、その最上階に、司が所属する二組はあった。
中等部の頃から河淋学園に所属していた司は既知の事柄であったが、この学園では、朝教室に入るときは、必ず級友に向かって挨拶するのが慣わしである。司も慣習を遵守して、「おはよう」と声をかけながら教室内に足を踏み入れた。
中背だがまるで女の子の様な顔立ちの司は、クラスの男子だけでなく女子からも「おはよう、斎乃くん」と返答がくる。
自分の机に鞄を置きながら、司はもう一つの、彼だけの慣習を実行した。
それは、教室内に配置された、机の数を数えることである。
相当に奇妙な慣習だ。机の帳尻合わせなど毎朝する必要などない。常識で考えるなら。
しかしその常識とやらは、現在はどこか旅にでも出ているようであった。
――昨日三十あった机が、今日は、ひとつ、減っていた。だが一昨日、先日には二十八あった机が、ふたつ増えていたのだ。
常識で考えたならば、絶対に起こりえないその現象は、司が高等部に進んで以来、断続的に起こっていた。
そしてその事実が指し示す、もう一つの事実。それは、机を使う生徒もまた、増減している、という事である。一個人が登校して来たりこなかったり、というレヴェルの話ではない。級友の顔ぶれも、机の増減に合わせて、変化するのだ。
つまり、机がひとつ無くなればひとりが消え、机がひとつ増えればひとりが増える、という具合である。机の数が同じで顔ぶれが変化している、という事態は今のところ起こってはいなかったが、司にとって大して慰めにはならなかった。
さらにもうひとつ、常識を嘲笑するかのような現実があった。
それは、この異常な現象を、司以外の誰も認識していない、という事実である。
彼以外の誰も、つい昨日まで机を並べていた級友の事を、その存在すらも覚えていない。逆に、昨日までいなかったはずの者を、旧知の者として扱う。そしてその流れに、司はただ独り、ついて行くことが出来ないのだった。
最初は、勘違いかとも思っていた。次に、自分の頭がおかしくなったのか、と考えた。実際、一定の視覚情報を受け取りながらもそれを脳が認識できない、つまりそこにあるはずのものが見えない、という精神病は実在する。これもまた、その類であろうか、と考えたこともあった。しかし名前まで変化することは有り得ない。聞き違いというものでも無論無い。昨日は田中、明日は鈴木と聞き違えるのか、同じ人間を?そんな馬鹿な。
ならば、と司は考えていた。おかしいのは自分ではなく、周囲の方なのだ、と。しかしその真偽を確認する術を司は持っていなかった。
この時は。