幻想世界譚 02

〈2〉転校生

〈1〉

 六月一日。そろそろ『誰々が付き合っている』などという噂や現象が周囲でちらほらと見聞できる頃である。
 しかし司は、その手の話を出来るだけ聞かないようにしていた。未だ、周囲の人間が入れ替わる現象は続いていたからである。
 昨日A君とBさんが付き合っていたのに、A君がC君に入れ替わってBさんと付き合っていた、などというのは考えただけで気が滅入る。Bさんのせいではないにせよ、どうしても司だけは「とっかえひっかえ」という印象を拭えなくなってしまうからだ。
 高等部に上がって以来人付き合いが悪くなった、と級友に非難されながらも、曖昧な笑顔で司は、放課後は逃げるように教室を飛び出すようになっていた。下手に親しい人間を作ってしまえば、その人物が変容してしまった時、戸惑いを隠しきれる自信が司には持てない。
 それでも、人懐っこい人物はクラスに一人は存在するもので、今は小林という名を持つ男子生徒が、教室を逃げ出そうとする司を捕まえて告げた。
「知ってるか斎乃?明日、転校生が来るんだってよ」
「転校生?」
 口に出したのは単語一つだけだが、司の驚きは新鮮なものだった。転校生だって?こいつは新機軸という奴だ。
 クラスの人数を増減させるのに、これまでそのようなイベントは一度もなかった。予兆すらなく突然それは起こり、司は干渉する事はできず、結果だけを押しつけられてきた。
 しかし、転校生が来るというイベントならば、少なくともクラスに変容が起こる、という覚悟をするだけの余裕が司にも与えられる。これは思っていた以上に、司を安心させた。
 だが、と司は思う。なぜ今になって、転校生なんだ?
 時期的な事ではない。クラスの人数も人間さえも操作されているような状況で、なぜ『転校』という手順が必要なのか、分からない。分からないという一点においては、これまでと同様であった。
 しかしそれでも、これまでよりは『常識的』なだけマシだ、そう思考停止して司は帰路についた。

〈2〉

 学校から徒歩で二十分弱。他の生徒に比べて司は恵まれた通学環境を持っている。元より司の両親が、「エスカレーター式で家から近いから」という理由でこの学校に司を放り込んだのだから、当然といえば当然であった。
 司の自宅は一軒家だが、母はジャーナリスト、父はカメラマンという職の持ち主故、普段から家を空けがちであった。というより一年の半分以上は日本にすらいない。ほとんど鉄砲玉だな、と司はその件に関しては達観してしまっていた。どだい隔絶の時代でもあるのであろうが、親はなくとも子はそれなりに育っている。家事一般は司もそれなりにこなせるようになってしまっていた。
 学校帰りに寄ったスーパーの袋から食材を取り出し、冷蔵庫と収納庫に放り込む。インスタント食品も購入してはいるが、自分で調理した方が手間はかかるが自分好みの味に仕上がるし、上手くいけば安く仕上がる。仕送りは充分な額をもらってはいるが、節約するに越したことはない。その分だけ自分の懐に入るとなればなおさらである。尤も、最近は例の《異常》のせいで精神的余裕を欠き、調理をするという手間をかける意欲を失いがちであったが。
 そんな司が、久々に調理の意欲を取り戻したのは、『転校生』という言葉であった。
 単語そのものに意味はない。だが確かな力をその言葉は持っていた。『日常性』という司が忘れかけていた事柄を、思い出させる程には。
 挽き肉とつなぎをこね合わせながら、司は『転校生』に思いを馳せていた。男だろうか、女の子だろうか。どんな子だろう。女の子だと良いな、と思うのは司も健康な男子であるから仕方のない所であろう。つれづれと益体もないことを考えながら、そういった事を考えるという事自体が、けっこう心弾むものであることを司は久々に思い出していた。
 ――その子が、一体何日の間『その子』でいるかという事は、考えない事にした。

〈3〉

 六月二日。転校生がやってくるという事で、一年二組の朝は、その話題でもちきりだった。
 気の短い男子など、わざわざ職員室まで偵察に出かけている。尤も、職員室は二階にある上、廊下側には窓などないため、入り口のドアを開けてみる以外に策はなく、そんな方法で見つからぬはずがない。早々に退散してきた偵察部隊は、それでもそれなりに戦果を上げてきた。
「すごい美人だったぜ」
 開口一番、偵察部隊の一人が告げた言葉はクラス内に大きな反響を呼んだ。男子は歓声を、女子は「なあんだ」と落胆の声をあげる。
 そんな中、司独りは良く言えば冷静、悪く言えば冷淡であった。実の所、司も興味が無いわけではないが、しかしその『美人』とやらがいつ別人になるか、と考えてしまうと、騒ぐ気になどなれないのだった。
 お祭り騒ぎの中で独り冷静さを保っていると、白い羊の中の黒い羊のごとく、周囲から浮き上がって見えるものだ。黒い羊を目ざとく見つけた男子の一人が声をかけてきた。
「斎乃、お前嬉しくないのかよ?折角美人がこのクラスに潤いをもたらしてくれるっていうのにさ!」
 この失言に司は苦笑し、周囲の女子からはブーイングの嵐が巻き起こった。
 今更調子に乗った挙げ句の失言に気付いて狼狽するその生徒に向かって、司は穏やかに言をついだ。
「まあ自分の目で見た訳じゃないからね。美人って言っても色々いる訳だし。実物に逢ってから騒ぐかどうか、判断させてもらう事にしてるんだ」
「えー、それじゃ斎乃くんも『このクラスには美人はいない』って思ってる訳?」
「あ、斎乃くんは女子の味方だと思ってたのにー!」
 穏当なはずの司の言にも、とばっちりで罵声が浴びせられる。どうしたものか、と困じている所に、救いの鐘が鳴り響いた。詰め寄ってきた女子の一群も、しぶしぶといった体で席に戻り、司への攻撃で矛先から逃れた裏切者も、ちゃっかり自席へ待避を済ませている。
 そこへ計ったようなタイミングで、担任教師が入ってきた。

〈4〉

 転校生は、確かに美人だった。
 可愛い、というよりやはり美人、というタイプだな、と司はその転校生を評した。まあクラスの男子が騒ぐのも分かる。
 身長は中背の司より僅かに低い程度であろうか。手入れの行き届いた艶やかな長い髪、切れ長の瞳、整った鼻梁などと、大抵の人間――特に男――が『美しい』と思うであろうパーツを丁寧に理想の位置に並べたような感がある。スタイルも、出るべき所は出て締まるべき所は締まる、と非の打ち所がない。
 要するに、容色については完璧、といった所かな、と司は考え、だが性格はどうかな、と意地の悪い事を思い、自分の方こそ性格が歪んでいるな、と心密かに苦笑した。
 司の心象世界における独り芝居など無論知る由もなく、現実世界では転校生の自己紹介が始まっていた。
「桂木皐(かつらぎ さつき)です。皆さん、これからよろしくお願いしますね」
 定型通りの挨拶を述べて一礼、そして礼節上の微笑を浮かべる、その一連の動作が絵に描いたように決まっていて、司はかえって違和感を感じた。転校し慣れているのだろうか、と訝しげたが、担任の話からはそうでもなさそうだ、という事くらいしか分からない。だとすると礼儀正しいだけなのだろうか、それにしても決まりすぎていた、と思って何気なく転校生、桂木皐の方を見やる。と。
 目が合った。
 偶然顔を合わせただけのはずだった。少なくとも、司は彼女に含む所はない。にもかかわらず、転校生が向けてきた微笑は真物だった。まるで、ずっと探していたものを見つけたような、そんな笑みだったように司には思えた。
 幼い頃に別れた幼なじみ、なんてのには心当たりはないんだけどな、などと馬鹿な事を司は考えたが、その間に事態は思わぬ方向に転がっていた。
「斎乃、お前後で桂木を案内してやれ」
 担任直々のご指名であった。案内してやれ、とは要するに校内の案内の事であろう。だがクラス委員でもない司がなぜそんな指名を受けたのか。しかし疑問を舌に乗せる前に答えは返ってきた。
「狼の前にみすみす餌を放り出す訳にはいかんからなあ。斎乃、お前なら適任だ」
 信頼されているのか変人扱いされているのか、判断に迷う理由である。結論としては別に異論はない。異論があるのは、結論に至るその過程においてである。
「……先生、僕だって別に異性に興味がない訳じゃないんですが?」
「そうか?その割に、こないだ四組の吉田を振ったそうじゃないか」
 なぜ教師がそんな事を知っているのか。まあ偶然小耳に挟んだだけかもしれないが、どちらにしろ司にとっては余計なお世話である。
「よく知りもしない相手と交際する気になれないだけですよ。相手が可愛いからとかいう理由だけの交際なんて、長続きするものじゃないですから」
「若者らしくない奴だなあ。若い頃ってのはもう少し羽目を外しておく方がいいぞ斎乃」
 重ね重ね余計なお世話であった。
 司としても、可愛いな、と思う相手の事はもっと知りたい、と思わないでもない。それをしないのは、できないからだ。無論、例の《異常》の責である。いつ交際相手が他人に変化するか、びくびくしながら付き合ってなどいられるものか。担任の忠告は本来ならば的を射ているのだろうが、司にとってはいい迷惑でしかなかった。
 我ながら荒んだものだな、と司は苦笑し、その曖昧な笑みで、場を適当に誤魔化したのだった。
 尤も、転校生・桂木皐嬢の案内役は引き受けざるを得なかったのだが。

〈5〉

 結論として。
 やはり桂木皐は、挨拶の時は猫を被っていたらしい。
 昼休み。司は隣にいる少女を見やりながら、心密かにそんな事を考えた。
 彼女はその瞳を生気と好奇心で輝かせて、周囲を珍しそうに眺め回しながら歩いている。その様子は転校の挨拶の時に見せた彫像めいた完璧さはなく、むしろ幼い子供が初めて遊園地に来た時のようにすら見える。試しに司は声をかけてみた。
「どこか珍しい?別に、他の学校と大して違いはないと思うんだけど」
「え?」
 きょとんとして転校生が見つめ返してくる、その様子が妙に可愛らしくて、司は笑みを堪える努力をしなければならなかった。
「さっきからずっと、熱心に見て回ってるから。どこか変わった所があるのかなって」
「変わった所とかは分からないけど、なかなか面白いよ。私、学校って初めてだから」
 桂木皐は実にさらりとのたまったので、司は危うく聞き逃す所だった。
「初めてだって?学校が?」
「そうよ」
 またしても、あっさりと即答された。
 黙然として相手を見返しながら、司は少し悩む。どうやら特殊な環境に育ったらしい相手に対し、どう対応すべきか。しかし当の本人は、あっけらかんとしたものだった。
「私、帰国子女ってことになってるから。だから学校って行った事ないの」
 微妙な表現が気になったものの、突っ込んで聞く気にはなれなかった。「そうなんだ」と当たり障りのない返事をして再び歩き出そうとした。すると。
「ふーん」
 と、品定めするように両手を後ろに回し目を細めながら、桂木皐は感心したような声をあげた。
「聞かないんだ?」
 何故か、当人がそう問いかけてくる。司は一歩踏み出した足を止めて答えた。
「安易に聞いていい事じゃないと思ったからね。無理に聞こうとは思わないよ」
 行こうか、と声をかけたが、桂木皐は何故か動こうとしない。振り返った司の瞳を凝と見つめたまま、
「他人と関わるのは、怖い?」
 一瞬、司の瞳に雷光が走ったかもしれない。その問いは確かに、司の心、その一部を貫く言葉であったから。
 しかし司は表面上、平静を保った。少なくともそのつもりのまま、冷たく答えた。
「君には関係ない」
 転校生から目を逸らせて、行こう、と再び誘ったが、先と比べてその声には霜が降りていた。だが。
「関係あるよ。だって私は、君の事もっと知らないといけないから」
 思いもよらない言葉で、呆然と立ちすくんでしまった。司が心に着せようとした鎧が、がらがらと崩れ落ちる。何せ相手は女の子で、しかも美人だ。呆気にとられるのも仕方ない。
 それでも何とか体勢を立て直し、
「どうしてだか分からないな。君が関心を寄せるほど、僕と君は親しくないはずだけど」
 冷たい声を出す事に成功した。
「気付いてないのかわざとなのか知らないけど、思わせぶりな態度は取らない方がいい。女の子なんだから、誤解されたら厄介な事になる」
「親切なんだね、斎乃くん」
 だがまるでこたえた風もなく、桂木皐は答えた。それどころか、何を思ったか唐突にくすくすと笑いだした。訝しがる司をさておいて、桂木皐はぼやいた。
「あーあ、最初の予測とは大外れ。でもこれは当たりを引いちゃったかな」
「……何の話さ?」
 不審な態度をとる転校生に、司は問うてみたが、結局、
「もう昼休みは残り少ないから。続きは放課後にしようよ。案内の続き、よろしくね」
 タイムリミットと共にはぐらかされてしまった。スカートを翻して駆け足で教室へ向かっていく彼女の背を見つめながら、まあ、向こうから続きをほのめかしてきたのだから、放課後になればわかるだろう、そう諦観して、司も転校生の背を追った。

〈6〉

 放課後、昼の続き。しかし、ぎこちなさは昼の比ではなかった。尤もそれは司だけで、桂木皐は昼間と同じ態度であったが。
 そして特別教室を周り終わった時。
「それで、昼間の話だけど」
 ついに堪えきれなくなって、司は話を持ち出した。
「そうだね。ここなら他人もいないから、ちょうどいいかな」
 桂木皐は頷いた。途端。
 彼女の雰囲気が一変した。
 口調は今までと変わらない。だがその身に纏う「何か」が、確かに変わったのだ。思わず身構える司に向かって、「そんなに怖がらないでほしいな」と微笑を向けたが、それにもどこか凄味があった。
「君は……何者だ?」
 反射的にそう訊ねた司に、桂木皐は答えた。
「転校生だよ。そして今日から君の同級生。それ以外に何があるのかな」
「君自身が、それ以外の何かをほのめかしたんだ。いい加減、はぐらかすのは止めてくれないか」
「はぐらかしてなんかいないよ。私が言いたいのはね、君は元から『転校生』である私に対して特別に意識してたって事。違う?」
 確かに違わなかった。しかしなぜそれを簡単に看破できたのか。それは元からこの『転校生』が『ただの転校生』ではないからではないのか。その点について言及していないのは、やはりはぐらかしているのではないのか。
 司はその考えを、小細工無しにぶつけた。
「確かに、僕は『転校生』という存在に対して警戒、というか不審を感じていた。でも、今は君自身に対して警戒心を懐いている。分かるかい?転校生かどうか、今は関係ない。君自身が、今の僕にとっては脅威なんだ。君が一体何者なのか、分からないからね。最初の質問に戻る。君は、何者だ?」
 司の詰問に対し、桂木皐は些か不服そうに黙り込み、しばらく口を閉ざしたままだった。そのままこの対話は打ち切られるかと司は危惧したが、杞憂だった。桂木皐は再び口を開いたが、拒否の言葉ではなかったからだ。だが、司の質問に対する答えでもなかった。
「まだ答えを聞いてないよ。私は、どうして『転校生』に対してそんな警戒心を持っていたのか、それを聞きたいの」
 今度は司が黙り込む番だった。
 確かに理由はある。だが、到底まともな理由とは言えない。警戒している相手とはいえど、変人扱いされるのは避けたかった。

「理由は……話せない。と言うより、話した所で信じてはもらえないと思う」
 内心を正直に口にしたのだが、返ってきたのは不服そうな沈黙だけであった。そのまま、気まずい雰囲気がしばしの間、二人を覆った。
 沈黙を破ったのは、桂木皐だった。
「実を言うとね……私の方こそ、君には信じてもらえないと思うの。だから、交換条件」
「交換条件?」
「そう。お互いに秘密にしてた事を話す。代わりに、相手の話を馬鹿にしない。これでどうかな?」
 司は素早くその提案を吟味した。悪くない。少なくともお互い、自分の内にため込んでいた分、気晴らし程度にはなるだろう。恐らくは問題の解決にはならないであろうが、それを望む事こそ間違いだ。
「OK、それで手打ちといこう。それで、どちらから話す?」
 不当な質問ではなかったはずだが、最後の言葉を聞いて、桂木皐の機嫌が悪くなった。むー、と唸って拗ねたような表情で、
「こういうのってさ、男の子の方から率先して話すものじゃないかなあ?」
 などと口にした。
 司の脳裏に『レディファースト』という単語が一瞬ちらついたが、桂木皐の可愛らしいふくれっ面を見ると、苦笑して負けを認める事にした。司もやはり男である。可愛い女の子には弱いのかもしれなかった。
「わかった。僕から話す。その代わり、笑わないと約束してほしい」
 桂木皐は妙に神妙な顔つきで、
「うん。笑わない。約束する」
 と確約した。
 司は約束通り、正直に話した。つまり、例の《異常》の事を。それがいつ頃から始まったのかという事も、未だ現在進行形である事も含め、全てを話した。
 自分の声を他人の物のように聞いていると、全くもって嘘臭いことこの上ない。話している自分がそう感じているのだから、聞いている方は呆れかえっているだろう。そう思って司は桂木皐の表情を観察したが、意外にも彼女は真剣に聞いていた。
「信じるのかい、この話を?」
 試しに訊ねてみた。すると桂木皐は屹然として答えた。
「君は嘘を話しているの?」
 何故か怒りすら感じるその口調に、内心で司はたじろく。
「……いいや、嘘じゃない。少なくとも、僕はそう信じている」
「そう。ならいいじゃない。自分を信じていれば。どうしてそんな事聞くの?」
「何故って……」司は苦笑しかけてやめた。少なくとも、冗談に済ませられる話ではなくなっているのだ。
「常識からいって、信じがたい話だろう?だから、正直そんなに真剣に聞いてもらえるとは思っていなかった」
「『常識』というものに、どのくらいの価値があると思う?」
 唐突にとんでもないことを、桂木皐は口にした。
「常識なんて、現実の定義次第でいくらでも変化する不確かな物よ。その現実すら、理想に敗北した人間の負け犬の遠吠えである事すら珍しくない。どの道、君が確かに現実だと感じているのだとしたら、他者の見解とは関係なく、それは君の中では確かな『常識』である、という事なのよ。常識とは集団の中のみで形成されるものではない。個人で形成されるそれでもあるのだから。それに――」
 不意に桂木皐は優しく微笑した。
「笑ったりしないって、約束したからね」
 くそ、と司は思った。あんな綺麗な微笑を見せられたら、疑ってかかるのが難しくなるじゃないか。やっぱり男というのは根本的に阿呆なんだな、と司は内心赤面した。
 それはともかく、次こそは転校生の番である。今度こそ、彼女からきちんと話が聞けるはずだった。それを考えると司は緊張を覚え、自然と表情が硬くなる。そんな司の顔を一瞥して桂木皐は笑ったが、幸い嫌な笑いではなかった。
「そんなに緊張しないでほしいな。私の話だって、君の話と比べたら突飛さじゃ似たような物だよ」
「……なるほどね」
 確かにその通りかもしれない。司自身の話が異常であったのだから、相手の話が多少突飛であったとしても、それはお互い様として聞くべきなのかもしれぬ。そして、自分の話を受け入れられたのだから、彼女の話も受け入れるべきなのだろう。限度というものはあるにせよ。
「それじゃ、聞こうか」
 司が促すと、桂木皐は頷いた。
「いいよ。でも、どこから話そうか?」
「そうだね……」司はしばし黙考して答えた。
「まずは、君の正体から」
「正体って……」桂木皐は苦笑した。「それじゃ、私がまるで人間じゃないみたいな言い方じゃない」
「違うのかい?僕には、君がただの転校生、というより、ただの人間であるとは思えなくなっているんだけど」
 司は冗談で訊ねているのではなかった。
 朝の挨拶での笑み。昼間の会話。そして今。時間が経つにつれ、目の前の少女が尋常な存在ではないという予感が高まっている。
「ん……まあ、そういう事、なんだけどね」
 案外簡単に、桂木皐は白状した。髪をかき上げるふりをして目を逸らしているが、嘘を吐いている訳ではないようだった。
「だっておかしいでしょ?いきなり『私は普通の人間じゃありません』だなんて」
 だから言いだしにくかったんだよ、と桂木皐は言を継いだ。どうやら、気まずくて目を逸らしているらしい。司は思わず笑っていた。別に相手の話がおかしくて笑った訳ではない。彼女の仕草が可愛くて、つい笑ってしまったのだ。だが桂木皐は勘違いしたらしい。
「あーっ、笑った!嘘つきっ!」
 そう叫ぶと、赤面してふて腐れてしまったので、慌てて司はフォローしなければならなかった。
 それはともかく、桂木皐は何者なのか。
 騒ぎが一段落すると、あらためてその疑問が、司の中で浮上してきた。だが人気のない特別教室棟といえど、人が全く来ない訳ではない。いつまでも立ち話をしている訳にはいかないだろう。司は場所の移動を提案した。
「都合がよければだけど、僕の家に場所を移さないか。学校から近いし、今は両親もいないから、他に話が漏れる心配もないと思う」
 司の提案は妥当な物であった、ただ一点を除いては。その一点を突くために、桂木皐は意地の悪い笑みを浮かべた。
「斎乃くんって、奥手かと思ってたけど、意外と大胆なんだね。会って一日の女の子を、家に連れ込むなんて」
 悪い冗談だ、と司はうんざりしたが、これは確かに司の気回しが足りなかったかも知れない。一応相手は、転校生で女の子、しかも美人なのだ。『そういう風』に見られても弁明が困難であろうことは想像に難くない。ではどうしようか、と司が悩みかけたところで、桂木皐が不意に笑い声を発した。何事かと振り返る司に向かって、笑顔のまま手を振った。
「ごめん、冗談。私は別に構わないよ。特に用事もないし、帰る場所も今の所ないし」
 からかわれたと知った司はいささか不機嫌になったが、だがこれで面倒の一つは片づいた訳だ。表面上は不機嫌さを保ったまま、しかし実際はいささかなりと心軽く、司は桂木皐と同じ帰路を通る事になった。


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