幻想世界譚 10

〈6〉終章

 皐に「もう目を開けていいよ」と促されて目を開いたそこは、元の理事長室だった。夕日はまだ沈みきっておらず。ほとんど時間が経っていない事を示していた。
「これから、どうしようか?」
 皐に問うてみる。尤も、皐にも展望があるとは思えない。案の定、皐は肩をすくめた。
「どうしようもないんじゃないかな。理事長先生は行方不明。捜索願が出されて、学園には新しい理事長が就任してお終い、ってところかな」
「フム……」
 それでいいのかもしれない。無理にこれ以上、干渉する必要も無い事だった。幸い、部屋は元の様に綺麗になっていた。ここで戦いがあったなど、信じられない。騒動自体、外に漏れる事はなかったのだから、これで当然なのかもしれなかったが、やはり不思議ではある。皐に問うと、応じて曰く、
「これも、世界の修復作用の一種だよ」
 という事だった。皐によれば、世界という概念的存在にも、自然治癒という物があるらしい。意志やそれに近い物があるのならば、永らえようとする意識作用が働くというのだった。故に世は事も無し、理事長だけが神隠しにあったかのように姿を消す。それで確かに、決着が付きそうであった。
「それじゃそろそろ、隣の強面のおじさん達を呼びに行こうよ」
 皐はソファを迂回すると、そのまま隣室のドアへと歩み寄っていった。司も後を追う。と、不意に皐がくるりと身を翻し、司と正対した。
「っと、その前に。司くんに聞きたい事があるんだった」
「聞きたい事?」
 なんだろう、想像もつかない。司は皐の言葉を待った。
「どうして、司くんが私の銃を撃てたのか。その答え、私も聞きたいな」
 司はきょとん、として皐を見つめ返した。
「本当に、分からないのかい?」
 皐は虚勢を張らず、素直に頷いた。
「フム。弱ったな……」
 司が反応に困じている様なので、皐も少し不安になる。そんなに難しい事なのか、或いは逆に、簡単すぎて説明が困難なのか。しかし戦術戦闘知性体である自分に分からず、こういう事態には自分より疎いはずの司が理解しているというのは面白くない。有り体に言えば、皐のプライドに関わる問題なのである。
「ねえ、教えてよ。分からないって事ないんでしょ?」
 司の手を引いて、少し甘えた声を出してみる。皐としてはこんな時に女である事を武器にしたくはないのだが、しかし知りたいものは知りたいのである。やむを得ない仕儀ということで、自分を納得させる。
 問われた司の方としても、しかし万全の確信がある訳でもなかった。だから「これは、僕の想像だけど」と前置きをして、話す事に決めた。
「細かい理由とか、原因とかは僕にも分からない。ただ言えるのは、僕が君を愛しているからだ、と思うんだ」
「愛してるからって……それだけ?」
 皐の反問に、司は苦笑した。
「それだけって言い方はないじゃないか」
「ごめん。だけど、それって関係ある事なのかな?」
 司は頷いた。
「大いにあると思うよ。それこそが重要だったと、僕は思う」
「どうして?」
「君自身が言ったじゃないか。愛するとは他者と他者と認めつつ、自分と同等の存在だと相手を認める事だって。愛するという相互関係。それが、僕に銃の引き金を引かせた原因なんだよ」
 皐は眉根を寄せて腕を組んだ。
「分かった様な、納得行かない様な……」
「こう考えればいいさ。僕と君は、互いに相手を自分と同等、つまり同じような物だと認めていた。相手を他者だと認めつつ、だけどね。つまり僕は、君でもあるんだ。完全に君ではない、だけど銃の引き金を引けるくらいには、君という存在に近しい存在になっていた、という訳だよ」
「なんだか、インチキくさいなあ」
 皐の率直な反応に、司はしかし真面目くさって答えた。
「インチキでもペテンでも構うもんか。勝てば官軍負ければ賊軍、さ。結果としてそれで勝てたんだから、何だっていいんじゃないかな」
「そうかもしれないけどさ……」
 皐はやはり納得いかない様だった。「それじゃあね、」と重ねて問うてくる。
「それじゃ、私の銃に、目標を、目標だけを撃ち抜く能力がある、って見抜いたのも偶然なの?」
「まあそれに近いかな。偶然と言うよりは推測だけど」
「同じような物だよ!まったくあんなに格好つけておきながら、その行動原理が単なる勘だなんて、信じられない」
 司は肩をすくめた。
「言ったろう?勝てば官軍って」
「その言葉を万能の免罪符にするつもり?」
 皐はジト目で睨んできた。
「まったくもう、こっちの気持ちも知らないで、勝手な事ばっかり言ってくれるんだから。ホントにもう、信じられないっ」
「そんなに怒らなくても……」
 司の取りなしに、しかし皐は耳を貸さなかった。
「怒るよっ!私があの時どれだけ不安だったか分かるの?分からないでしょ。もし万一、司くんに当たったらどうしようって、本当は不安で不安で仕方なかったのに、当の相手は無責任に信じてくれてるし!」
 これ程激しい感情を見せる皐も珍しい。というより、ここまで取り乱す彼女は初めて見た様な気がする。しかし唖然として見守るとか、そういう悠長な事をする余裕も鷹揚さも或いは鈍感さも、司は持ち合わせていなかったので、司はどうにか取りなそうと口を開いた。
「それじゃ、僕は一体どうしたらいいんだろう?」
 司の言葉に、皐はジロリ、と上目遣いに睨み付けてきた。司は心理的に数歩下がってしまう。
「司くん、それじゃそこに立ったまま、目を瞑って」
「え?」
「いいから早くっ!」
 逆らったらもっと酷い事になりそうだった。司は逆らわず、立ちつくしたまま目を閉じた。
「それじゃ、仕返し、いくからね」
 皐の死刑宣告に、しかし司は「どうぞ」としか言えない。諦めて、皐の次のアクションを待った。
 不意に、唇に柔らかい感触。それは一瞬に過ぎなかったが、その感触にある予感を覚えて、司は目を開いてしまった。
 眼前に迫っている皐の顔。
 間違いなく、司は皐の接吻を受けているのだった。司は慌てる。
「さ、皐ちゃん!?」
 司の狼狽に、皐はすっかり溜飲を下げた表情で笑った。
「これで、許してあげる」
 言い置いて、皐はくるりと身を翻した。そのまま隣室へ続く扉を開ける。
 それを眺めやりながら、司は心中で、これは僕の負けだな、と呟いた。
 この後に待っている質問攻めとか、事後処理とか、色々やらねばならぬ事はあったが、しかしそんな物は、今はどうでもいい気がした。
 この世で最高のご褒美をもらった身としては。
 ――曰く、終わり良ければ全て良し。


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