剣を抜く。
剣、と言うより小剣と言っても差し支えないだろう程の刃渡りしかない剣だ。しかし柄は長い。大人が両手で握っても、まだ余る。 斎乃司は抜きはなったその剣に『幻力』を流し込んでいく。青白い光が、剣を包み込んでいく。刃渡りに達しても、まだ光は伸びていく。 そうして、一本の輝く両手剣が現出した。 『十握剣』と呼ばれる形式の剣だ。古い、古い型の剣だ。それこそ、神代まで起源は遡る。しかし司の扱うこの剣は、そんな由緒正しい代物ではない。ただ、目の前の『獲物』を斬る為に、あるものだ。 司の今日の『獲物』は、目の前にいた。土蜘蛛、と呼ばれる型の、異形だ。司は正に、この異形を狩る為に、ここにいた。 彼の後ろには、子狐を抱いた一人の少女がたたずんでいた。二人とも、若い。それこそ、中学生くらいであろうか。しかし、眼前の異形に怯えた風はない。むしろ凛とした雰囲気をまとい、異形を圧倒している。異形はその雰囲気に飲まれ、自ら動く事を躊躇しているのだ。 睨み合いが続く。しかしその時間は司達が思っているほどに長くはなかった。 しびれを切らした土蜘蛛が、その口から火炎弾を撃ち放ったのだ。充分に司を飲み込むに足る劫火が、司に迫る。しかし司には毛ほども動揺した風はなかった。 剣光一閃。火炎弾は、司の十握剣によって真っ二つに切り散らされていた。 そこで初めて、司が言葉を発した。 「この程度なのか?お前の力は。……ならば、滅ぼすまで」 司が、動いた。疾風のごとく。そして次の瞬間、土蜘蛛は正面から真っ二つにされていた。 土蜘蛛の体長は、無論の事十握剣の全長より長い。だが、『幻力』で構成された十握剣の刃に、長さによる限度はない。司の思うまま伸び、縮む。 司は跳躍した。そして土蜘蛛の胴体を、横薙ぎに一閃する。上から見れば、土蜘蛛の胴体に十字の傷が出来た格好になった。 その一撃がとどめとなって、土蜘蛛は呆気なく、地に還った。否。とどめなど刺さずとも、土蜘蛛は既に、息絶えていた。とどめを刺したのは、司の慎重さ故である。 「『喰らう』までもない奴だったな……終わりましたよ、皐さん」 司の言葉の後半は、背後の少女にかけられた物である。その声に呼応する様に、子狐を抱いた少女が司の元へ駆けてきた。 「お疲れさま、司くん」 「ありがとうございます。それで早速ですが、『浄化』を」 「あ、うん」 子狐を抱いた少女、皐は司の言葉に一つ頷くと、子狐を足下に下ろした。そして『幻力』をその身にまとい、言葉を発した。 「汝、怨より生まれ出しモノ、汝の杭、ここに断つ!」 言い放つと同時に皐の式服が翻った。その手には小刀がある。皐は小刀の鞘を抜いた。溢れんばかりの『幻力』が、周囲を青白く照らし出す。皐はその小刀を、横薙ぎにふるった。同時にピシリ、と空間が悲鳴を上げる音がした。と、子狐が反応した。尻尾の数が増えていく。神獣・『九尾の狐』だったのだ、この子狐は。 九尾の狐が、雷を発する。空間に発したひび割れは、雷によって広がり、空間は粉砕された――偽りの、空間が。 今まで司達が居たのは、異形の怪物を閉じこめ、そこで始末する為の結界内だったのだ。異形を倒し、結界を粉砕する事で怨念をも断つ。これが、〈斎乃月光流〉の、基本形だった。 ともあれ、今日も事は成った。たいした手間も取らず、異形を退治する事が出来たのだ。だが、と司は思う。異形の現れた、その根元が消えぬ限り、異形はまた、現れるであろう。それを、言い聞かせねばならない。司と皐は、静まりかえった母屋に、上がり込んだ。そのまましばし進むと、この屋敷の主達が息を潜めて彼らを待っていた。 「ど、どうでしたかな?」 恐れと期待をないまぜにして、この屋敷の主である、恰幅の良い中年男が司にすがりつく様にして聞いてきた。 「払いましたよ」 司は素っ気なく、事実だけを言った。 途端。周囲にいた人々はわっ、と沸いた。 「どうもありがとうございます。これで安心して暮らせます」 そう言って丁寧にお辞儀する老婦人に、司はややひるみを覚えながらも、冷たい声を出した。 「まだ終わっていませんよ。この家の相続に関するもめ事が終息するまでは、何度でも異形が現れる可能性は残っています。今度はもっと、力のある異形かも知れない。そうなれば、今回の様に犠牲者ゼロ、では済まないかも知れない。穏便な所で、相続をさっさと済ませてしまってください。それが、一番安全です」 そう一気に言うと、司は玄関へ向かった。慌てて使用人が、道を開ける。必要ない、と言いたかったが、司はこらえた。皐も、司に続いて玄関へ向かった。 「司くん。これで終わると思う?」 司はどこまでも冷たい口調で言い放った。 「知るもんか。たかだか何十億の相続で、ここまで陰気を溜め込める奴らの事なんか」 皐はそんな司をなだめる様に言った。 「それはうちが、裕福だから言える事だよ。普通の家の人たちは、億単位のお金なんて、普段滅多に目にしない物なんだから」 「それでも、ですよ。僕は彼らを軽蔑する。仲良く平等に分ければそれで済む物を、自分が得をする為にあれこれ言い合いをする、それは醜い事だ。そう分かっているはずなのに、何故人は平気でそれを行えるんでしょうね」 「それが人の業、なんだろうね。他人事だと醜く映る物でも、いざ自分の事になったら、そうは見なくなる。自分以外、見えなくなるんだね」 外に出て、しばらく歩く。表玄関までは、少し距離があった。 司が、ぽつりとこぼした。 「僕たちは、何をやっているんでしょうね」 隣に並んで、皐が優しく言った。 「異形退治、でしょう?人間を守る、大事な仕事だわ」 司は前を向いたまま、言葉を返した。 「しかし、その異形を生んでいるのも、人間ですよ」 「そうだね。だから、そう言う人たちは今後、異形が出ない様に反省しなければならない。それが出来る人は少数なのが残念だけれど、だからと言ってそれが守るに値しない人間、だとは司くんも思ってはいないでしょう?」 少しの沈黙の後、司はぽつり、と言った。 「……ええ」 皐はそんな司に微笑を見せて、言を継いだ。 「だから私達は、異形と戦う。この身を賭して。そうだよね、司くん」 「……そうかも、しれませんね」 司は、星の少ない夜空を仰いだ。 星も夜空も、そして月も、ただそこにあるだけで、司の微妙に揺れる心には、答えを示してはくれなかった。 いつの時代からであっただろうか。 正確な記録は残されてはいないが、この世で人を脅かす異形の輩は確かに存在していた。 そして、それらを狩る者達も、対をなす様に存在していた。 異形の力は強大だ。だが、それらを狩る者達の力もまた、強大であった。しのぎを削り合う様に彼らは存在し合い、それは今の世までも、続いている。 次の日、早朝。 司は式服を身にまとい、剣の型の練習をしていた。手にしているのは十握剣ではないが、それと同じ重量バランスを持った木刀で、型打ち、素振りを行っていた。 五月の早朝の、清涼な空気が、式服を通した肌に心地よい。司は爽快な気分で、型打ちを終える事が出来た。 司の背は一六五センチ、中学一年生としては高い方だろう。やや幼い顔立ちの、母親譲りの柔和な女顔。整ってはいるが、あまりに整いすぎて、時折性別を間違えられる。それが司の、日常での悩みでもあった。 そしてその眼。右目は蒼、左目は灰。左右色の違う瞳は、司の整った顔にインパクトを与えていた。 「司くん、お疲れさま」 皐が縁側から、声をかけてきた。こちらは寝間着姿だ。パジャマ、ではない。和風の寝間着、だった。下着はつけているのだろうが、肌が透けている部分があって、それが司には目の毒になっている。 皐は美人だ。清楚な、和風美人、と言うのが一般的には一番しっくり来るだろうか。 髪はカラスの濡れ羽の様な漆黒、細いおとがい、秀でた額、少し下がりがちの瞳、その色はやはり漆黒。整った鼻梁に小さめの口。豊かな胸。引き締まった腰。少女ながら、その身体は充分に豊かに成熟した物だった。 皐は小柄だ。一五〇センチそこそこしかない。だから中庭に立つ司と、視線の高さはそう変わる事はなかった。 皐は手に、スポーツタオルとスポーツドリンクの入った水筒を持っていた。それを見て、司が顔をほころばせる。 「わざわざ持ってきてくれたんですか。ありがとうございます。……それと、おはようございます、ですね」 皐はクスクス笑った。 「そうだね。おはようございます、司くん。朝早いね」 「皐さんも、朝早いじゃないですか。昨日の今日なんですから、もっとゆっくりしていてもいいんですよ?」 「んー、でももう目が覚めちゃったし。だから頑張ってる司くんに、差し入れ」 そう言って、皐も中庭に下りてこようとするのを、司が引き止めた。 「いいです、受け取りに行きますから」 司の言葉に、皐は首を傾げた。 「でも、司くん疲れてない?」 「動けないほど疲れてはいませんよ。その程度には、鍛えてますから」 そして、皐の所まで歩いていった司は、皐から差し入れを受け取った。タオルで汗をぬぐい、ドリンクを一気に飲み干す。飲み干すのに、丁度良い量が、水筒には入っていた。それも、皐の配慮だろう。司はそれに感謝しながら、差し入れを皐に返した。 「それじゃ、僕はシャワーを浴びてきます。皐さんは、どうします?」 司の言葉に、皐は顎に人差し指を添えて、しばし黙考した。答えが出ると、皐は身を翻して、司に告げた。 「制服に着替えて、おかるさんのお手伝いでもするよ」 「そうですか」 司は一つ頷くと、式服を解いた。脱いだ、のではない。幻力で編み込まれた式服は、それを着る者の意志で現れ、または消える。皐の式服もそうだ。だから式服をまとう者は、先に何か着ておく必要がある。式服のまま、自分の部屋に帰るのなら別だが。司も、式服を解くと、下は作務衣だった。司の寝間着である。司は作務衣の上衣を脱ぐと、風呂場に向かった。 司の上半身には、刺青がある。それも一つではない。右肩を覆う様に、様々な花が彫り込まれている。 これが、司の『切り札』だった。 この刺青の花は、ひとつひとつが異形のなれの果てなのである。大きな花ほど手強く、強大だった異形であった。司はその力を『喰らい』、自分の物として使役する事が出来た。異形に対し、異形を持って当たらせるのだ。 刺青から出てきた異形は、本来無いはずの鏡像である。斬られても叩き潰されても、死ぬ事はない。そして司に絶対服従である。 司はこの鏡像の異形と連携して、信じられないほど強大な異形をいくつも倒してきた。弱冠、十三歳でで、ある。言ってみればその刺青は、司のトロフィーでもあった。 普段は出しっぱなしにしているが、いざとなれば隠す事も出来る。公共のプールなどで、締め出しを食う事はない。ただし長時間は隠していられない為、司は夏でも、長袖を着ていた。制服も、長袖のカッターシャツである。 確かに暑いが、刺青を直接見られる事に比べたら、どうと言う事はない。奇異の目で見られる事もあるが、司はそれらを一切無視していた。いちいち言い訳を考えていたら、頭がパンクしてしまう。 それに第一、司は周囲の目を惹くことに慣れているため、夏期の長袖など司の挿話の一編でしかなく、従って大して目立たない事でもあった。あくまで個人レヴェルの話、ではあるが。 シャワーを浴びて、自室で制服に着替えると、司は居間に移動した。そこでは既に、朝ご飯の支度が、整っているはずであった。 居間には既に、当主である一輝の姿があった。司は礼をする。 「おはようございます。一輝さま」 「ああ、おはよう。司君」 そう返事をして、一輝は読んでいた新聞を脇に置いた。まだ大学と神学校を卒業したばかりの、若き当主である。しかし貫禄は十分だ。体は引き締まっているが、これは司や皐の様に、直接異形と相対する為の体ではない。それは、司達がやる。一輝は、いわば眼と頭だった。そのための鍛錬で、自然と出来た体である。 眼とは、縄張りであるこの街全体の、陰気の溜まり具合を監視する事である。陰気が溜まれば、自然とそこに異形が発生する。陰気を監視する事は、極めて重要な事であった。 そして頭。これは判断力の事である。同時に異形が複数現れた時、どこを優先するか、考える事、これが当主たる一輝の責任であった。読み間違えれば、犠牲者が出る。極めて、重要な役と言えよう。 犠牲者を出さぬ事、犠牲者をなるべく減らす事。これが〈斎乃月光流〉の、基本方針であった。当たり前の事だが、実際には難しい事だ。 他流派の中には、被害そっちのけで異形を狩る事に特化した流派もある。それも一つの道ではあるが、一輝はそうでない、非常に難しい道を取った。そして今の所、それは成功している。 代替わりしてから三年。犠牲者の数は未だ十指を超えてはいない。一輝の目が、確かな証左であろう。そしてそれを支える、司達の腕が確かな証拠でもあった。 「はーい、お味噌汁ですよー」 味噌汁の椀の乗った盆を抱えて、老女が入ってきた。斎乃の屋敷の、いっさいを取り仕切る老女である。斎乃の屋敷は広いが、住んでいる人間は極端に少ない。病臥している、前当主である和久を除けば、未だ姿を現していない皐、これがこの屋敷に住んでいる人間全てである。 人が少ない事は決して良い事ではない。誰かが倒れた時、代わりを果たす者がいないからだ。しかし今の時代、異形を倒してそれを糧とする者は決して多くはない。他にやりたい事を見いだす者が多いからだ。そういう者達は、破邪の家に生まれても、養子に出される。破邪の家とは、縁が切れる訳だ。その財を頼る事も出来ないし、その力を頼りにのし上がる事も出来ない。 破邪の者は、確かに権力を持ってはいるが、それは結果としてである。何の実績もなしにただ家柄を誇っても、何の足しにもならない。ただ馬鹿にされるだけである。 破邪の者の権力とは、隠然たる物である。決して、日の当たる所で動く物ではない。だから誇る事も出来ないし、誇るべき物でもない。誇るべきは、この街の安寧を自らが守っている事、それだけである。 皐がニコニコしながら、上機嫌で盆を抱えてきた。これで、全員が揃った事になる。病臥している和久には、おかるさんが病人食を作って持っていく事になっている。だから、居間に集える者は全員集ったと、そういう意味だ。 おかるさんがおひつを抱えて、居間にやってきた。そして上機嫌で、口を開いた。 「今日の卵焼きは、皐お嬢様の作でございますよ」 その言葉に胸を張る皐。司はその出来映えを見た。綺麗に巻かれた卵焼きは、切り口も綺麗に揃っている。十四歳としては、上出来だろう。 「大した物ですね」 司はそう言って賞賛した。皐が嬉しそうに反応する。 「この焼き加減が難しいんだよね。生焼けのまま巻いちゃうと形が崩れちゃうし、かといって焼きすぎると巻けないし……」 「そうですか」 司は慌ててそう言って、皐の料理自慢を中断させた。一輝がほっとした表情を見せる。皐は一瞬むくれた表情を見せたが、すぐに上機嫌になった。 「それじゃ頂きましょう。おかるさんも」 「はい、それじゃ頂きましょうかね」 「「頂きます」」 こうして、朝食が始まった。 「司君、岩海苔取ってくれ」 「はい」 「あ、卵焼き美味しいですね」 「でしょ?形だけじゃないんだから。お弁当にも入ってるから楽しみにしててね」 「皐お嬢様。醤油を取って頂けますかな」 「はい、どうぞ」 「ありがとうございます」 と、和気藹々とした朝食風景は、普通の家庭とさして変わらない。変わっていると言えば、中年層が食卓にいない事くらいだろうか。 だがそれも仕方のない事だ。中年の、本来ならば一線級の人々は、ある『鬼』を狩る時に、全滅した。司の両親も、一輝と皐の母親も、このとき故人となった。 今司達の親で生きているのは、和久だけである。その和久も病臥しているとあって、〈斎乃月光流〉は、その有り様を不安なし、とはしないのであった。 |
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