異形狩り師 08

 結論から言えば、司は無罪になった。

審議は終始、司に有利に動き、司としては気がついたら無罪になっていた、と言うのが正直な感想だった。

 証言台に皐の姿が現れた時は流石に驚いたが、その証言も理にかなった適切な物だったので、司は安心して聞いている事が出来た。

 その他、様々な経緯があって、司は当局からも監査機関からも解放された。

 そして、こうして五日ぶりに、司は我が家へ帰ってくる事が出来た。学校から日下神社へ、そこから直接所轄署へ連行されたので、実質六日、家に帰っていない事になる。

 しかし司はごく自然に、引き戸を開けた。そして、声をかける。

「ただいま」

 どたどたどた、と廊下を踏みならす音。それが途切れると、そこには皐の姿があった。音の主は皐だった訳だ。

 皐は、問答無用で司に抱きついた。そしてようやく、言った。涙混じりで。

「お帰り、司くん」

 その後ろから、ゆっくりした足音が二つ聞こえた。その二人が姿を現すと同時に、司は挨拶した。

「ただいま帰りました。一輝さま、おかるさん」

 二人は柔和な笑顔で、司を迎えた。

「お帰り、司君」

「おかえりなさいませ。ご無事でようございました」

 そう言って、おかるさんは目尻をぬぐった。

 結果的に、みんなに心配をかけてしまったな。司は少し、反省した。

 しかし、今回自分がやった事が間違っていたとは思わない。犠牲を出してしまったが、その犠牲を最小限に押さえる事が出来たと思う。あのまま仁が学校に来ていれば、阿鼻叫喚の地獄絵図が、教室で繰り広げられていたであろう。

 そうならなくとも、余計な犠牲が出ていた事は疑いない。決してベストの結末ではない。だがベターな結末だった、と思う。

 いつもいつも、ベストな結果は得られない。ベターな方向を選んで、生きていくしかないのだ。何も、異形狩りに限った事ではない。人生全てにおいて、そうなのだろう。

 司にしがみついて泣きじゃくっていた皐が、ようやく少し落ち着いたか、顔を上げた。泣きはらして真っ赤になった目で、司を見据えて、口を開いた。

「戻ってきてくれて良かった。無罪の判決を聞いた後でも、もう司くんは戻ってこないんじゃないかって、ずっと思ってた。だって仁くんがあんな事になって、それで司くん思い詰めて修行の旅にでも出ちゃうんじゃないかって、気が気じゃなかった。本当に、戻ってきてくれて良かったよぉ」

 そしてまた泣き出してしまった。その頭を優しく撫でながら、司は優しく声をかけた。

「どこにも行ったりしません。ここが、僕の帰ってくる場所ですから。皐さんと一緒に、帰ってくる場所ですから。それに、皐さんを置いて、どこにも行ったりしません。皐さんは僕の、一番大事な人だから」

 それを聞いて、皐が泣き笑いの表情で司を見上げた。

「それじゃ、『好き』って言って」

 司は狼狽した。

「こ、ここでですか?」

 見ると一輝とおかるさんが、笑いをこらえている。出来ればどこかに行って欲しかったが、面と向かってそう言うわけにもいかない。 司は困った顔で、皐に無言で妥協を求めた。しかし、皐は頑強だった。

「今すぐ!ここで!でないと信じられないんだから!」

 司は追いつめられた。仁と戦っていた時よりも緊張して、周囲に目をやる。

 一輝は一応、見ない振りをしてくれている。おかるさんは、頬を赤らめて「若い人はいいですねぇ」等と一輝に言ったりしている。要するに、二人とも立ち去る気配はない、と言う事だ。司は覚悟した。

「好きですよ、皐さん。この世界の、誰よりも」

 皐はにっこり笑って、言葉を返した。

「うん。私も、司くんがこの世で一番、大好きだよ」

 そう言って、目を閉じる。キスの催促だ。 そこで司はまた忍耐を試される事になったが、今度は逡巡している時間は短かった。

 柔らかい皐の唇に、自分のそれを合わせるだけの口づけ。それでも皐は満足したらしい。満面の笑顔を見せると、司から離れようとして、司に抱き留められた。

 驚いたのは皐だけではない。抱き留めた、当の司も戸惑っていた。自分はそんなに、皐に依存していたのだろうか。皐が好きだと言ってくれて、口づけをして、こんなにも幸福感を感じている。そして、皐を誰にも渡したくないと、そう感じている。そしてそれが、『愛』なのか、ただの依存なのか、分からなかった。

 抱き合って戸惑っている二人に、一輝が声をかけた。

「まあ、仲がいいのは結構な事だが、司君、そろそろ家に上がったらどうだい?風呂も沸いているよ」

「ありがとうございます。それじゃ皐さん……」

「うん……」

 二人して照れながら、おずおずと距離を取る。そうして玄関から上がり框に上がった。

 おかるさんが、風呂場の方向を指して言った。

「一輝様も仰ったように、お風呂の用意も出来ております。まずは汗を流して、それからみんなでご飯と参りましょう。着替えは、ちゃんと用意してありますので」

「分かりました。それではお風呂を頂いてきます。それじゃ、皐さん。また後で」

 皐は頷いた。

「うん、また後でね」

 その様子を見て、一輝とおかるさんは顔を見合わせて、微笑を交わしあった。

 司が六日分の垢を落として居間へやってくると、そこには既に夕食の準備が出来ていた。 それを見て自然と、司の腹が鳴った。顔を赤らめる司に、一輝が声をかけた。

「しょうがないよ。久しぶりの、まともな食事だろうからね。思う存分食べるといい。おかわりもちゃんと、用意してあるから」

 司は、それを聞いて張り切った。成長期の、健全な食欲である。

「それじゃ、遠慮なく頂きます」

 おかるさんが、天ぷらが山盛りになった皿を持ってきながら、司に言った。

「どうぞご遠慮なく。ここは、司さまのお家なんですからね。気兼ねなんてする必要はないんですよ」

 食卓は、和洋中が混然となって配置されていた。どれも、司の好物ばかりである。栄養が偏るんじゃないかな、と心の隅で思いながらも、この食事を用意してくれた人たちの心遣いに感謝した。

 特大のハンバーグを持って、皐も姿を現した。なんだか得意そうである。

「どう、司くん。これ、食べきれる?」

 質問に対し、司は質問で答えた。

「それ、皐さんが作ったんですか?」

 豊かな胸を張って、皐が自慢そうに言った。

「そうだよ。私の自信作。司くんをノックアウトする為のね」

 食べきれなくてどうするんだ、と司は思ったが、口には出さなかった。代わりの思いを、口にする。

「受けて立ちますよ。全部、食べきって見せます」

 一輝が半ば呆れたように口を開いた。

「成長期の健全な食欲とは言え、程々にね」

「はい」

 そう司は返事して、いつもの席に着いた。

 いつも通りの暖かな雰囲気が、今の司にはとても大切な物に感じられた。

「司君」

 にぎやかな夕食後、司は一輝に呼び止められた。

「今日は修行の方はしなくてよろしい」

 そう言われて、司は控えめに反論した。

「しかし、しばらく剣も振ってない事ですし、少しでも慣らしておかないといけないのでは無いかと思うのですが……」

 その言葉に、一輝は別の言葉で応じた。

「父さん……いや、和久さまが呼んでおられるのだよ、君を」

「和久さまが……?」

 異例の事であった。

 和久は今は病に伏せっているが、昔は先代の筆頭だった。だから司の両親のように死なずに済んだ、とも言えるが、今はそんな事をとやかく言う筋合いではない事は、司自身よく知っている。

 和久は代を退いてから、今代の事に口出しするという事はこれまで一切無かった。今回は、それに値するような事がある、と判断したのだろうか。

 その通りだろう。司が拘束され、審議を受けたと言う事自体、不名誉と言えばその通りであるが、そんな事を気にする和久ではない。 しかし、だとすればどんな話があるというのだろう。司は首を捻ったが、心当たりは無かった。

 ともかく、和久は部屋で司を待っている、との事だったので、司は急いで向かう事にした。

 和久は、床についた状態で司を待っていたが、司が「失礼します」と声をかけると上半身を起こして司を呼び込んだ。

「そんなにかしこまらなくてもいい。気軽に入ってきなさい」

 では、と言う訳にも行かない。司は出来るだけ障子をゆっくり開けると、部屋に入り、音のしないように閉めた。そして正座で、和久と相対する。

 和久は緊張している司を見ると、相好を崩した。

「堅苦しい所は父親似なのかな、司君は」

「父も、そうだったのですか?」

 正直な所、司にとっての父と言えば、柔和で繊細なイメージがあり、とても前線で剣を振るうような人には見えなかった。

 そう言えば絵を描くのも上手かったような気がする。その絵は、今は倉の中に仕舞われているのだろうか。和久に父の事を言われるまで、そんな事に思いの行かなかった自分を省みて、自分は薄情なのだろうかと思った。

 思い起こしてみれば、自分は両親の顔もろくに思い出せない。たった、三年前の事なのに。

 確かに密度の濃い三年間だった。修行、異形との戦い、そしてまた修行。しかしそれらは決して、両親の影を薄らがせるような類の物ではなかったはずだ。むしろ、両親を思い起こしてしかるべきなのではなかったか。

 司にはそのような事はなかった。自分は、欠陥人間なのだろうか、と司は悩んだ。

 両親が死んだ時、司は、そうか、とだけ思った。泣かなかった。葬儀の場でも。たかが十歳の子供が。

 いずれこう言う時が来る、と覚悟は確かにしていた。しかしこんなに早く、とは思っていなかったのは確かだ。

 代替わりする時は大抵、先任がその任に耐えられなくなった時だ。その時までに、出来る限り鍛えておこうとは思っていた。しかし、それがこんなに早く役立つとは、皮肉の度も過ぎているとしか言いようがない。

 結果として、司は先代、自分の父よりも優れた『剣』となっていた。しかしそれは結果論だ。最初の戦いで、命を落としていたとしても不思議はなかった。

 たかが十歳の子供に、剣を持たせて矢面に立たせる。それが異形狩りだ。それを理解していたから、司は不満を漏らす事はしなかったし、不満もなかった。

 だが、それは情緒が欠けている事の証明ではないだろうか。異形狩りに特化した、人間。それが、斎乃司という『剣』なのではないだろうか。

 確かに才はある。実績もある。そして、毎日の積み重ねもある。だがそれは全て異形狩りに関した事ばかりだ。少しは、普通の人間らしく、情緒を磨く事も、自分にとって必要な事なのではないだろうか、と司は初めて思った。

 その思いを見越してか、和久は核心をついた質問を司にしてきた。

「司君。友を、斬ったそうだな」

 司はぎゅっと、唇を噛みしめてから答えた。

「はい、斬りました。その友は、今は背中にいます」

 和久は司の言葉を噛みしめるように目を閉じると、また司を見据えて言った。

「それは、その友と永久に居たいから、なのかな?それとも、鬼としての戦力を見越しての事かな?」

「……後者です」

「フム……」

 和久はまた目を閉じると、呼吸を整えて司に語りかけた。

「司君。君に情がないとは言わない。むしろ情が濃い方だろう、君は。それ故、迷ったはずだ。この友を、斬って良いのか、と」

 司は頭を振った。

「いえ、斬りたくないとは思いました。しかし、斬って良いかどうかは、悩みませんでした。彼は既に、鬼と化していました。それを斬らぬ事は、異形狩り師として失格。例え、それがかつて、友であったとしても」

 和久は、司の発言を受けて、こう応じた。

「異形狩り師としては立派な発言だ。私は君を、異形狩り師として尊敬する。だが、人としてはどうかな」

 司は苦虫を噛み潰した様な表情をした。

「人としては……失格、でしょうね」

 しかし意外な事に、和久は頭を振った。

「そんな事はない。人としても、君は立派な事をやった。自分の利己的な心を抑えて、過ちを犯そうとした友を止めたのだ。それは、人としても立派な事だ」

 和久のその言葉は、司の意表をついた。咄嗟に言葉のでない司に、和久は優しく声をかけた。

「司君。君は、異形狩り師としても、また人としても、正しい事をやったんだ。胸を張って、誇りなさい」

「僕は……間違ってはいなかったのでしょうか?」

 和久はきっぱりと頷いた。

「ああ。間違ってなどいない。だから、胸を張りなさい。うなだれていては、斬ったその友に、失礼だろう?」

「あ……」

 司はまたしても意表を突かれ、絶句した。

「胸を張って、太陽の下を歩きなさい。月の元で、剣を振るいなさい。それが君に出来る、唯一の友への手向けだ」

 和久の言葉は、司の胸にしみた。

「ありがとうございます、和久さま」

 司は自然と、頭を垂れていた。和久は笑ってそれに応じた。

「何、年寄りの出来る、唯一の事をしただけさ。お礼を言われるほどの事じゃない」

 司はあくまで生真面目に、その答えに応じた。

「いえ、和久さまのお言葉で、随分と心が軽くなりました。これにお礼を言わずにいては、僕の気が収まりません」

 和久はゆっくりと笑った。

「生真面目だな、君は。そう思うのなら、皐を幸せにしてやってくれないか。あれはまだ子供だ。司君が面倒を見てやってくれ」

 その言葉に、司は微笑して応じた。

「皐さんは、和久さまの思っている程、子供ではないですよ」

 顎をしごいて、和久は言った。

「フム。だといいのだがな。ともかく、私の話は以上だ。部屋に戻って、ゆっくりしていなさい。今日は剣を握らない様に」

 司は姿勢を正してお辞儀した。

「分かりました。それでは、失礼します」

 そうして司は、和久の部屋を出た。

 心が随分、軽くなっているのを感じながら。 


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