奇想流離譚 08

〈10〉

 翌日、早朝。
 私はつばの広い帽子を被って、黒のワンピースにカーディガンという姿で、破軍が来るのを待った。程なく、フライカのモーター音が聞こえてきた。私は帽子とスカートを押さえながら、破軍のフライカが着地するのを待った。
 破軍が着地したフライカの窓から顔を出して、口笛を吹いた。
「よく似合ってるぜ。これからデートに変更しないか?」
「ばか」
「それだけおめかししてるのに、目的地が墓場だけだなんて勿体ないぜ?」
「構わないのよ。どうせ、戻ってきたらいつものタイムスケジュールなんだから」
「何だ、今日も仕事する気か?」
「もちろんよ。他にどうやって、私に時間を潰せと言うつもり?」
「おれとデートとか、ショッピングとか、色々あるだろう」
「さりげなく自分の欲望を入れないの。……そうね、そういう選択肢もあるかも知れないけれど、今日は仕事と決めたの」
「そうか。まあこれ以上は何も言うまい。それじゃお嬢さん、お手をどうぞ」
 破軍が運転席から降りてエスコートしてくれる。私はそれに甘えさせて貰った。正直、スカートは履き慣れないので、動き辛いのだ。
 私が後部座席に無事に収まると、破軍は運転席のドアを閉めながらフライカをスタートさせた。高まるモーター音。
「ちょっと、乱暴じゃない?」
 私はそう尋ねてみたが、破軍はニヤリと笑って応じた。
「落っこちたりしないから大丈夫さ。それとも、心配してくれたのかい?」
 私は口にするのは癪だったが、素直に答えた。
「当たり前じゃない、ばか」
 すると破軍は口笛を吹いて、上機嫌でフライカを急上昇させた。巡航高度、ぎりぎりの高さ。
「君に心配してもらえるなんてね。天にも昇る気分だぜ」
「ばか」
「馬鹿って事はないだろう。君は実際、魅力的な女だ。そんな女に心配して貰ったら、男は喜ぶもんだぜ」
「外面だけでいい女だって分かるの?」
 破軍は胸を張って答えた。
「おれぐらいになるとな、外見だけでいい女かどうか分かるんだよ」
 私は猜疑心いっぱいに尋ねた。
「ひょっとして、自慢してるの?」
「まあな」
「ばか」
「何が馬鹿だ。立派な特技だぞ」
「それを自慢するのが、ばかだって言ってるのよ」
「全く、男のロマンを理解できないんだな、君は」
「理解できなくて結構よ」
 そんな馬鹿な話をしながら、結構楽しい行程だった。しかし程なく墓場に着くという頃になると、そんな馬鹿話も自然と止んで、墓場の駐機場に着陸する頃には、お互い無言になった。
「着いたぜ」
 破軍が口を開いた。軽い口調だったが、内心はどうだっただろう。
「うん」
 私は頷いて、外に出ようとすると、またしても破軍がエスコートしてくれた。少し、身分不相応の扱いの様な気がしてしまう。私は破軍に尋ねた。
「ねえ、女にはいつもこんな風にエスコートしているの?」
「いい女には、な」
「……またそういうばかな事を言う。相手が本気にしたらどうするの?」
「本気にして欲しいねえ。何せ、こっちはいつも全力勝負だ」
「ばか」
 破軍に手を取ってもらって、立ち上がる。墓場の空気は、以前来た時とそう変わらなかった。ただ時間帯の所為だろうか。空気は前に来た時よりも清涼な気がした。霧が、少し出ている。その所為かもしれなかった。
「行きましょうか」
「ああ」
 どちらからともなく、歩き出す。歩きながら話題に出るのは、やはり七輝ちゃんの事だった。
「あの男――七輝は、本気で君の事が好きだったんだな。やり口は気に入らないが、その想いの強さだけは、同じ男として尊敬する」
「想いの、強さ?」
「ああ。死んでまで、君の事を想っていたんだぜ。この想いが残留思念となって、『神』に利用されたんだろうな」
「『神』に利用された、かあ。私も、許せないのは『神』だけで、七輝ちゃんはそうではないのよね」
「なら、七輝に対しては、どう感じた?」
「寂寥、かな。死者に想いを向けられていて、その想いが純粋であればある程に、その行為はもの悲しい。もの悲しく、寂しい物になる。だって、どんなに頑張っても、死者の願いは、叶わないのだもの。死者は三途の川の向こう側に。生者はこちら側に。届かない想いじゃない。だけど、叶わない願いなのよ。また、叶っちゃいけない願いなんだと思う」
「どうして」
「死者が黄泉還る事になるから。死者は絶対に、蘇ってはいけないのよ。死者が蘇れば、それがどんなに大事な人でも、きっと悲劇を巻き起こす。これは絶対なのよ。だけど」
「だけど?」
「死者の想いを、継ぐ事は出来る。そうやって、人は想いのリレーをやって来た。だからこそ、今があるんだと思う」
「想いのリレーか。そうやって世代を重ねて死者の想いを叶えるっていうのは、死者が蘇るって事ではないのかな」
「それは違うでしょう。それとこれとは話が違う。死者の想いを継いで、それを叶える事と、死者自体が蘇るのとでは、全く話が変わってくる。死者が蘇る、幽霊でもゾンビでもそのままの肉体を持った存在でも何だって構わないけれど、そういった者の想いは確かに純粋よ。だけど純粋であるが故に、妥協が通用しない。交渉できないのよ。そんな想いは無益なだけでなく、生者にとって邪魔になるだけだわ」
「例え、本人の想いであっても?」
 私は頷いた。
「死者はその想いにすがって生まれてくる亡霊よ。その想いがなくなれば、消滅するしかない。だからこそ、その想いに執着する。だから、妥協も生まれはしない」
「妥協か。妥協せねばならないような想いなら、あろうと無かろうと、同じなんじゃないのか?」
 私は頭を振った。
「とんでもない誤解よ。人は、世界に妥協して生きている。逆かな。世界は、人間に妥協して存在している。その妥協の幅が、今の時代では人間側に傾いている、ただそれだけの事よ。世界の意志一つでひっくり返る、砂上の楼閣だわ。大多数の人間は、それに気づいていないようだけれど」
「君は今回、その『世界の意志』とやらに勝ったわけだ」
「違うわ。『神』はそんな大それた存在じゃない。世界の大いなる意志からこぼれ落ちて自我に目覚めた、そんな存在よ。世界とのつながりはあるかも知れないけれど、世界そのものじゃない。第一、世界そのものの意志を殺してしまったら、世界は崩壊する。かつてあなたがやろうとしていた事になるのよ」
 そこでふと、破軍がどうやって世界を無に返そうとしていたのか、気になった。
「ねえ破軍。あなた、どうやって世界を滅ぼす気だったの?」
「ん? ああ、こいつさ」
 そう言って、破軍はサイ・ブラスターを取り出した。
「こいつで『世界』の核を狙い撃ちする。そうすれば核を失った『世界』は自壊せざるを得なくなるだろう? それを狙ったのさ」
「……それ、今でもできるわよね?」
 私がそう言って威嚇すると、破軍は意外にも頭を振った。
「いや、今はできない。もうできなくなった、と言い直した方がいいかな。おれにはもうサイファの力はないからな。こいつも、単なる大出力のブラスターさ」
 そう言って破軍は、自分のサイ・ブラスターの銃身を撫でた。
 その様子になぜか寂寥を感じて、私はつい、こんな質問をしてしまった。
「破軍。生きている事、今も後悔しているかしら?」
 破軍はきょとん、として私の顔をまじまじと見つめると、不意に吹き出した。
 私は笑われた事に気分を害して、抗議する声も尖った。
「何よ、笑う事はないじゃない。単にちょっと、気になっただけなのに」
「いや、悪かった悪かった」
 そう言いながらも顔は笑ったままだ。説得力がない。しかし笑いを納めると、不意に破軍は真面目な顔になって、口を開いた。
「あの時は、死ぬ気だった。これは本当だ。変えようのない、事実だ。しかし、今こうして生きていて、それに喜びを感じているのも、また本当なんだ。どっちも、事実だ。恐らく、死ねるからだろうな。不死は、地獄だ。それには、救いがない。終わりの無い生には意味なんて無い。意味が作れないんだ。何かを創ろうとしても、その手からこぼれ落ちてしまう。恐らく何かを作るという事は、限りある命を持った者にしかできないんじゃないかな。生命に限りがあるから、人はその生命を燃やして、創造する。おれはそう思うよ。君も、適当なところでその不死は、手放した方がいい。これは先達からの、忠告だ」
 破軍が珍しく本気なので、私も、真面目に答える事にした。
「不死の力は、手放しても惜しくはないけれど、今は手放さない。この力にも、何かの可能性があると思うから」
 破軍は渋面を作って、私の言葉を受けた。
「不死の可能性か。そんな物があるなら、おれも知りたいけれどな」
「無いと思う? 不死に可能性なんて」
「分からない。おれはそんな事、考えた事もなかったからな」
「なら私は信じてみる。不死の可能性を」
「ああ。それもいいだろうな」
 破軍の顔は冴えなかったが、一応そう返答してくれた。心強い、不死の先達だ。恐らくこの先、彼の経験が物を言う時が来るだろう。
「破軍。顔が暗いわよ。そんな顔で、七輝ちゃんに会うつもり?」
 私がそう言ってわざとからかうと、破軍の顔にも笑みが戻った。
「死んでるんだから、顔なんて気にしたりしやしないさ」
「そうかしら。そうだといいけど」
 私にはそうは思えなかった。例え死者でも、笑顔で接せられるのと無表情で接せられるのとでは、やはり気分が違うのではないだろうか。例え表面だけの事にしても、私は笑顔で七輝ちゃんに会おうと思う。そして、この事件の元凶を断つ。
 そう。戦いは終わっても、事件はまだ、終わってはいないのだ。
 七輝ちゃんの想いを断つ。それでやっと、この事件は解決を迎えるだろう。
 それは必ずしも、後味のいい物ではない。だが、やらねばならない事だ。言ってみれば、介錯のような物だ。私が今からやろうとしている事は。
「……いいのか?」
 不意に破軍が、そんな事を聞いてきた。
「何がよ?」
「七輝の残留思念を、殺す事さ。君にとって、後味の良い事じゃないだろう。おれが替わりを勤める事はできないが、替わりができる奴を捜す事はできる。どうする?」
 私は微笑して、口を開いた。
「私が今ここにいる。それがあなたの問いに対する答えよ」
 破軍は深々とため息をついた。
「君は強い女だ。物理的にも、精神的にも。だがすべてを背負い込む事はない。委ねられるのなら、そうするべきだとおれは思うぜ」
「いいえ、わたしがそうしたいのよ。この件は、他人には委ねたくはない」
 確かに他人に委ねてしまえば、一時は楽になるだろう。だがそれを後悔したりはしないかと考えた時、私の答えは自然と定まっていた。この件は、自分で決着をつける、と。後悔なんてしたくない。
 確かに後悔したくなくともしてしまう事は往々にしてある物だが、それを自分で増やす事はないだろう。自分の手の内に事態があるのなら、それをうまく処理してしまう事だ。それで後悔を生む結果となってしまっても、それは自分が悪かったのだ。他人を責めるいわれはない。それが私の生き方だ。それに。
 今回の一件は、誰にも委ねたくはなかったのだ。自分の手で、決着をつけたい。そういう願望がある。だから、こうしてここにいるのだ。
 私の手で、七輝ちゃんを殺すために。

 七輝ちゃんの、墓前に到着した。予想通り、強い残留思念を感じる。思念と言ってもそれは想いの形を取っていて、ほとんど願望に近い物があった。
 願望。私に逢いたいという願望だ。そして愛を伝えたいという望み。ギャングという汚れ仕事をやりながらでも、その想いは汚れずにずっと彼の胸の内にあった。その想いを汚した『神』はもういない。残ったのは純粋な、七輝ちゃんの想いだけだ。だからこそ、厄介なのだが。
 七輝ちゃんが生きていれば、こんな面倒な事にはならなかっただろう。同時に、『神』に利用される事もなかったはずだ。彼が死んだからこそ、狂った歯車が動き出したと言ってもいい。もしかしたら『神』が、彼を殺すのに一役買っていたのかも知れない。その可能性は十分にある。確認する事は、できないが。
 彼が生きていれば、きっと私に告白しただろう。私はなんと答えただろうか。すべて夢想の世界の中の事だが。正直、戸惑ったと思う。破軍に記憶を解放されていたのならいいが、もしそうでなかったら、私は彼が誰だか分からなかったはずで、戸惑いに困惑が追加トッピングされていただろう。
 破軍は私の事を佳い女だと言ってくれる。事実かどうかは知らないが、とにかく私を誉めてくれている訳だ。だが口説こうとはしていない。今のところ。しかし正直、破軍に対しても私の心の天秤は微妙な角度に傾いていて、素直に返事ができるかどうか怪しい物だと思っている。いや、きっと素直に返事なんてできない。それが、私という人間なのだ、きっと。
 ともかく、もし七輝ちゃんが生きていて、私の居場所を知ったなら、真っ正面から告白してきたはずで、それに対して、私はどうする事もできなかったであろう事が容易に予想できた。情けない話だが、それが事実だ。
 私は一人の女としては、非常に脆くて弱い。それを補ってきたのは、ひとえにサイファの力故と言えよう。私はサイファの力無くしては、恐らく何もできない。惚れたと言ってくれた男に、返事一つ、ろくに返せないのだから。こういう時、普通人の女なら、どうするのだろう。ふと妄想してしまう。もし私が普通人だったなら、七輝ちゃんや破軍の眼に魅力的な女として映っただろうか? 私にはそうは思えない。強がってはいるが、私は弱い女だ。それを、ハードな女を演じる事で、カバーして来たに過ぎない。こんな時に銃を撃つだけの仕事で、こんなに時間をかけているのがその証左だ。強い残留思念だが、あれは最早、七輝ちゃんではない。だが私はつい、それに七輝ちゃんをだぶらせてしまう。封印された記憶。私の、初恋。
 私はようやくサイ・ブラスターを取り出した。太股のホルスターに挿していたのだ。破軍が驚きの声を上げる。私は残留思念に照準を合わせる。サイ・ブラスターには不確定因子に対して干渉する能力がある。
 そして、残留思念とは想いが形になって現実に干渉しようとする、その一歩手前の状態だ。現象としては、不確定因子によく似ていると言える。だから、サイ・ブラスターで残留思念を払えると思ったのだ。
 この仕事は、誰にも譲らない。誰にも、譲れない。私が、やらねばならない仕事だ。いや、仕事とは言えない。想いを受け止めるべき人間が、その想いを受け取るための、儀式のような物だ。例え、明確な形にならなくとも、これは私に向けられた想いだ。ならば、私が、受け取るべきだ。その想いを、散らすと言う形で。
 私はサイ・ブラスターに念を込める。
 ごめんね、七輝ちゃん。あなたの想いは、受け取れない。死者の想いは、受け取れないんだよ、七輝ちゃん。
 私はサイ・ブラスターのトリガーを引いた。目に見えない、サイファだけが感じられる波動が、残留思念を捕らえる。残留思念は、一瞬、固まったようだった。そして、ゆっくりと、本当にゆっくりと、その姿を減じていった。七輝ちゃんの想いが昇華されたのだ。ようやく。これで彼も、解放されたと信じたい。でなければ救われない。彼の人生、そのものが。
 『神』と契約してまで私に逢いに来た七輝ちゃん。本当に成長していたら、私たちが会った『七輝ちゃん』と同じ姿になっていただろうか。
 それは分からない。不確定の、未来の話だ。時間軸は現在でも、七輝ちゃんにとっては未来の話なのだ。何故なら、七輝ちゃんの時間は、十六歳で止まっているから。そこから先は、不確定の未来に属するのだ。
 今回、その不確定の未来の、一つが示された訳だ。最悪の、結末だったが。それとも、私が残留思念を昇華した事で、少しは救われただろうか。そう信じたい。七輝ちゃんの為に。そして、私自身の為に。

「花を、添えましょうか」
 サイ・ブラスターをホルスターに仕舞って、私はそう提案した。破軍はまくれあがったスカートに目を向けていたが、慌てて頷いた。
「あ、ああ。いいんじゃないか。死者への、礼儀だ。生憎、おれはこんな物しか持ってきていないが――」
 そう言って取り出したのは、ポケットウィスキーの瓶だった。キャップをあけ、墓石に注いでいく。
「おまえが酒が飲めたかどうかのデータがなかったんでな。おれの趣味で悪いが、受け取ってくれや」
 破軍なりの、死者への礼儀という訳だ。
 私は、前と同じく、白百合の花束を創る事にした。ただ今回は、一本創ったものをコピーすると言う事をせず、一本一本創っていった。労力と精神力はかかったが、これで造花には見えなくなった。本物の、白百合そっくりに出来た。それが嬉しかった。七輝ちゃんが、喜んでくれるだろうか。そう思って。
 私は酒臭い墓石に、花束を乗せた。そして墓石を撫でる。安らかに、眠ってね。七輝ちゃん。もう誰も、あなたをたたき起こしたり、しないから。

 こうして、この事件は、幕を閉じた。
 振り返ってみると、私の過去が引き金になって、こんな事件が起こった訳だ。殊勝に、反省すべきだろうか。私はそうは思わない。むしろ、人の想いにはこれだけの事件を起こすだけの力がある、という貴重な体験だったのだと思う。余計なお邪魔虫――『神』の事だ――を抜きにすれば、七輝ちゃんの私への恋心、愛だったかも知れない、それだけの純粋な想いだった。私はそれに、応える事は出来なかったけれど。
 それが、死者の想いだったからだ。生者の想いだったら、どうだろう。受け取る事は、出来ただろうか。
 受け取るには、私の方の、準備が出来ていない。そんな告白を受ける可能性も、今のところないし、第一こんなダーティな女に惚れるとしたら、そいつ自身もダーティなのではないか? 偏見かも知れない。私の知識不足、或いは経験不足なのかも知れない。何せ、私はこれまで恋愛沙汰と無縁に生きてきたから、その機微が分からないのだ。
 破軍が不意にポン、と肩に手を置いてきた。その動作に過剰反応して、私はビクッと体を震わせた。
「どうしたんだ? ぼうっとしちまって」
 私の過剰反応に、破軍も驚いたようだ。こころもち、体を反らしている。
「い、いえ、何でもないわ。早く帰りましょう。もう用は済んだんだから」
「墓地に根が生えても縁起が悪いな。さっさと足を動かすか」
 私の動揺しきった言葉に、破軍は外見上、平然と受け止めた。私が恋愛事に慣れていない事に、薄々感づいているのかも知れない。それに気づいて、平然と受け止めようとしてくれているのだ。その態度は、今の私にとって有り難かった。
「破軍」
「何だ?」
「ありがとう」
 破軍は――少なくとも表面上――訝しげな顔をした。
「何の話だ?」
 私は誤魔化す事にした。
「いえ、分からないならいいの」
「おいおい、気になるじゃないか。君のその言葉が気になって、フライカの操縦が狂っても知らないぞ」
「それは困るわね」
 私は笑った。すると破軍が口を開いた。
「いい笑顔だ。いつもその笑顔でいられるようにすればいい。笑う門には福来たりと言うからな。きっと、君にとっていい事がある――ところで、相談なんだが」
「何?」
「君の事を『真由』と呼び捨てにしていいか? さっきから呼びにくくてかなわない」
 私は吹き出してしまった。相談なんて言うから何だと構えてみれば、そんな事だったなんて。意外と破軍も可愛いところがある。
「構わないわよ。ただし、馴れ馴れしく呼ぶのは禁止ね」
「了解。これでも一歩前進だ」
「何が?」
「内緒。ま、追々分かる時が来るさ」
「内緒、か。ま、私の秘密と相殺って事にしとこうかしら」
「そうしてくれると、助かる」
 駐機場までたどり着いた。後はフライカに乗って帰るだけだ。私はもう一度、七輝ちゃんのお墓のある方を見た。さようなら、と呟く。そんな私を見て、破軍がこんな事を言ってきた。
「何だったら、七輝の墓の上をフライパスして行ってもいいぜ」
「いえ、いいわ。ありがとう」
「そうか。ならいいんだ」
 記憶と感傷はこの胸に。しかし、このわだかまりはここへ置いていこう。いつか胸を張って、恋人を連れて来られる日まで。
 フライカのモーター音が高まる。私はまた破軍にエスコートしてもらってフライカに乗り込む。破軍が操縦席に収まって、発進。
 私は最後に一度だけ、後ろを振り返った。 振り返って見た七輝ちゃんのお墓は、他の物と最早区別が付かなかった。
 それでいいんだ、と私は思った。
 墓地という過去を納めた物の中に埋もれた想いでも、私の心の中にはしっかりと残っている。それでいい、と私は思うのだった。


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