奇想流離譚 07

〈9〉

 あれから、三日が過ぎた。
 特に依頼もなく、私は悠々と暇に過ごしていた。五時を過ぎ、事務所を閉めて帰ろうという時だった。
「よお」
 見覚えのある巨漢が階段から私に向かって手を振っていた。北斗破軍だった。
「どうしたの破軍。こんなところまで」
 尋ねた答えは、こうだった。
「いや、君に用があってね」
 とだけしか言わない。私はさらに問いかけた。
「用があるだけならWISを使えばいいのに。わざわざ顔を出しにくるなんて何の酔狂?」
 破軍はしかめつらしく答えた。
「WISじゃとうてい信じてもらえるような用件じゃなくてね。今日、これから空いてるかな」
「ええ、それは大丈夫だけれど……」
「なら、おれの屋敷に来てくれ。会わせたい人間がいるんだ……いや、本当は会わせたくはないんだ。雰囲気が、異様だから」
「はっきりしないわね。要するに、あなたの屋敷に私に会いたいと言ってきている人間がいるって事でしょ。なら会いに行くわよ」
「本当に、いいんだな」
「勿論よ。どうしてそんな念を押して聞くのかしら?」
「会ったらきっと驚くと思うからさ。実際、おれも会って驚いた」
 破軍も会って驚いた人物か。私はその人物に興味を持った。面白そうではないか。この破軍をして驚かせる人物。どんな人物なんだろうか。
「行きましょう。その人を、あんまり待たせると悪いわ」
「そうか……気乗りはしないが、行くか」
 私は階段を下りながら尋ねた。
「どうして気乗りしないのよ」
 破軍は私の後を歩きながら答えた。
「会ったらきっと、君は混乱する。何せ、三日前会ってきた人物……いや、人物とは言えないか。そいつなんだからな」
「三日前……まさか……」
「そう。その、まさかだ」
「七輝ちゃん!? 生きていたの!?」
「生物としては、生きている。だが公式には、死んでいる」
「どういう事? ……と聞くまでもないわね。死亡報告が間違っていた、そういう事じゃないの?」
「しかし五年間も、それがずっと是正されずにいるなんて事があり得ると思うか、正常な状態で? もしあり得るとすれば、それは死んでいると、相手に思わせた方が有利な場合だけだ。意味は、分かるよな?」
「ええ。裏の仕事を専門にやっているならば、その方がやりやすいと言う事はあるかも知れないわね」
「裏というのも烏滸がましい、闇の仕事だ。そこまで身の安全に、留意しなければならないとしたならば、な」
「暗殺、テロ行為……そういった物?」
「そうだな。そういった物も含めて、表沙汰には絶対に出来ないような仕事を、専門にやっていたならば、納得できる話だ。そんな人間が、今更表側の人間に何の用があるというのか、はっきり言って疑問だよ」
「私は表の人間じゃない。私も、裏側の人間よ。表に見えるのは、欺瞞という物だわ」
「いや、君は表側の人間だよ。おれの様に裏でこそこそ動かなくても、表側で堂々と動き回れる。太陽の下で、堂々とな」
「動きが派手なだけよ。太陽の下で堂々と動き回るのは、私の主義に過ぎない」
「その主義さ。君は曲げられない一本の背骨を持っている。おれにはそんな物はない。柔軟に対応できると言ったら聞こえはいいが、要するに背骨の無いだけの事さ。これだけは譲れない、背骨という物がないんだ。だからおれは、君に憧れるんだよ」
「あなたが、私に憧れる?」
「ああ。幸い、おれにサイファの力が無くなったと言っても着いてくる奴は大勢いたが、だからこれからどうしようという基盤が、無い。これは組織にとって、致命的だとは思わないか?」
「基盤がなければ作ればいい。何も、あなた一人の仕事じゃないでしょ?あなた一人で抱え込む必要もない事よ。みんなで、考えればいい。幸い、みんな残ってくれたんでしょ?私はその人徳に、憧れるわ」
「人徳ね。おれが、か?」
「そうよ。でなければ、誰も残りはしなかったに決まっているわよ。いくら組織に属していて、その組織が居心地がいいからと言ってもね。指導者がしっかりしていなければ、動く組織も動きはしない。それはあなたの人徳よ。もっと自信を持ちなさい。それより、七輝ちゃんを名乗っている男だけれど、証拠はあるの?」
「証拠は、君にしか分からないと言っていた。その事実こそが、証拠である証拠だと」
 その言葉に、私には閃く物があった。
「……破軍」
「何だ?」
「私から記憶を奪った時、その内容を閲覧したりした?」
「いいや。そんな事はしていない。プライベートを漁るのはどうかと思ったし、例の封印されていた記憶にしたって、分離して解凍しただけで中身には一切触っていない」
「……そうか。それで、私にしか分からない、と言ったんだ。でも、どうして破軍が私の記憶の中身を見ていない、と知っていたんだろう、その男は」
「おれがそういう男だと、知っていたからじゃないかな。他人のプライベートに触れるのは面倒だ、と考えるタイプの男だとな」
「という事は、その男は私だけでなく破軍、あなたの事もよく知っていると言う事になるわね」
「そうなるな。ま、そんな事はどうでもいいんだ。真由。君は本当に、その男に会うつもりか? 北斗七輝を名乗る、その男に」
「ええ。危険はあるかも知れないけれど、会ってみる価値はあると思う。もし本当の七輝ちゃんなら、何故死んだふりをしていたのか、聞いてみたいし」
「決心は、変わらないんだな」
「ええ」
「……仕方ない。それじゃ、行くか」
 そうぼやくと、破軍は私を抜いて先に立った。そして一階に止めてあるフライカの後部座席のドアを、開けてくれた。
「ありがとう、破軍」
「何。レディのエスコートさ」
「だから、私をレディとして扱ってくれた事に対する、お礼よ」
 破軍は運転席に乗りながら応じた。
「君は立派なレディだよ」
「またまた。口が上手いんだから」
「誰に聞いても、そう言うと思うがなあ」
「そうかしら。そうは思えないけれど」
「そう見えない奴は、君をサイファとしてしか見ていないか、審美眼が節穴なんだ」
「サイファ、か。七輝ちゃんは、あなたをどういう風に見ていたの?」
「元サイファの普通人、だろ?それ以外に何があるって言うんだ?」
「元最強クラスのサイファ、でしょう?」
「普通人になっちまったら、元持っていたサイファの力なんて、うたかたの夢みたいなもんさ。どれだけ強かろうと、関係ない」
「やっぱり未練はある? サイファの力に」
「いいや、ない」
「それならいいけど……」
「それでどうする? このまま、出発していいのか?」
 破軍の質問の意図を、私は測り損ねた。芸もなく、問い返す。
「どういう事?」
「いや、そのままの格好でいいのか、という事さ。三日前は、着飾ってきていただろう?だから聞いたのさ」
 破軍の心遣いは有り難かったが、私は謝絶した。
「いえ、このままでいいわ。このまま、行きましょう」
「そうか。それならいいが……」
 破軍がそう応じてフライカのイグニッションキーを回した。高まるモーター音。私達の目的地は、破軍の屋敷。
 ……もうすぐ七輝ちゃんかも知れない人物に会える。だと言うのに何故だろう。三日前のような胸の高鳴りはなかった。むしろ戦いに行く時のような気分で、後部座席に私は収まっていた。

 ――思えばこの時、既に悟っていたのかも知れない。『彼』の正体に。そして、それと相対した時、どうせねばならないかを――

 しばらく巡航飛行して、破軍の屋敷に到着した。相変わらず広壮な建物だ。モーターの回転数が落ちる。着地するのだ。大した振動もなく、着地。破軍のフライカの操縦の腕は確かだ。私より上手いかも知れない。しかし私は自分のフライカを持っていないので、操縦の腕を磨くにも機会がない。ホルスで代用できないだろうか。今度聞いてみよう。
「客は、客間で待たせてある。会うなら、早い所行った方がいいかもな。先方が焦れる前に。機嫌を損ねたくはないだろう?」
「そりゃ、当たり前よ。それで、客間とやらには案内してくれるんでしょうね。私、こんな屋敷に一人で放り出されても右も左も分からないわよ」
「当然、案内するさ。おれだって、奴さんの正体が気になっているんだからな」
「そう。そうだったわね。それじゃ、案内して頂戴」
「了解しました、お嬢様」
「ばかね、もう」
 そんな事を言いながら歩き出した。馬鹿でかい正面扉から、私と破軍は並んで館の中に入る。老執事がすぐに近寄ってきて、
「お帰りなさいませ、破軍様」
 と声をかけてきた。私の方を見て、
「予定通りのお客様ですな」
 と言った。破軍は頷いて、
「ああ。だから何も心配する事はない。控えの方に下がってろ」
 と告げる。執事は一礼して、私たちの眼前から去った。
「あれで、呼べばいつでも駆けつけてくる。よくできた男だよ」
「WIS回線で呼び出しているの?」
「いや、専用回線でつながっている。おれがどういう状態にあるか、それでチェックできるようになっているんだ」
「一番偉いのに、常に監視されているのね。何だか可笑しいわ」
 破軍は肩をすくめた。
「頭は健康管理が最大の仕事ってね。実際、君が羨ましいよ。自由に何でも出来る」
 私は破軍の顔を見直した。
「自分の自由に出来る場を作るために、組織を作ったんじゃないの?」
「最初はそうだったさ。だが、大きくなりすぎた。今じゃ色んな奴らの色んな思惑が交差して、何がなにやら、だぜ」
「あなたの思惑通りに行っていないって事かしら?」
「そうとって貰っても構わない。組織を運営するってのはなかなか大変でね。自分の構想を、想いを、ちゃんと下まで伝えるってのはなかなかに難しいんだ。だから、色々齟齬も出てくる」
「例えば?」
「君の力を試すため、君を襲うように指示したのはおれだ。だが、方法がまずかったな。あんなオモチャ一個小隊程度で、君の力が測れるはずがない。誰が企画したのか知らないが、余計な事だったと思うよ。まあ、『奇術師』の件でそれは帳消しになった訳だがね」
 そう言えば私は『奇術師』と戦って、初めて『サイファ喰い』を思い出したのだった。その戦いも、もう遠い過去のような気がする。それだけ、時間の密度が濃厚だったという事だろう。
「そういえば、あの『奇術師』、どうなったの?」
「サーカスで奇術師をやってるよ。それが奴の本業だからな」
「そう。よかった」
「よかった、か。君は優しいな。仮にも、君を付け狙った奴なんだぜ」
「あなたの命令でね」
 そう返すと、破軍は一瞬、黙り込んだ。ちょっと毒が強かっただろうか。だが破軍は、肩をすくめて口を開いた。
「そう。おれの、命令だ。おれは奴に、『死ね』と命令したに等しい。だが君はやってくれた。サイファの力を失った奴を、殺しはしなかった。感謝してるよ。奴も、おれもな」
「あなたは、どう? 死にたがっていたあなたが、今もなお、生きている。その事については、感謝してくれている?」
 破軍はしばし口を閉ざした。そうしてまた、言を紡ぎ出した。
「正直、今もよく分からないんだ。これでよかったのか、悪かったのか。生きていて、旨い物を喰えたり、嫌な奴をぶっ飛ばしたり出来るのはいい事だと思う。だが、ふと思う事はある。おれは、生きていてよかったのか、とな」
「よかったのよ、きっと」
 私は広い破軍の背中をポンポン、と叩いた。
「生きているからこうして、私と話せる。驚くべき出来事に出会う事も出来る。死にたいと思っていた事は忘れなさい。きっと、あなたの人生にはいい事があるから」
 破軍はふと、笑ったようだった。
「そうだな。そう考える事にするよ」
 そう言って、一つのドアの前で足を止めた。
「ここが客間だ。この中に、北斗七輝を名乗る男が、いる」
 私は頷いた。そして尋ねる。
「開けても、いい?」
 破軍は半身をずらして答えた。
「もちろん」
 私はドアのノブに手をかけた。そして引く。ドアは呆気なく開いた。そしてその向こう側に――スーツを着込んだ青年が一人、いた。

 その青年は、雑誌を暇つぶしに読んでいたようだ。ドアの音に視線をあげ、その視線は丁度、私のそれとぶつかり合った。
 先に口を開いたのは青年の方だった。
「真由ちゃん……かい?」
 私は頷いた。
「ええ、そうよ。千堂真由よ」
 青年は満面に笑顔をたたえて朗らかに言った。
「うわあ、懐かしいなあ。覚えているかい?七輝だよ、真由ちゃん」
 私は青年の顔をじっくりと注視した。懐かしい、と言う感慨は沸いてこなかった。それも道理か。お互い、引き離されて十年以上経っている。名乗らなければ相手が分からない程、成長も変化もしている。私は最早、六歳の頃の『真由ちゃん』ではないし、向こうも『七輝ちゃん』ではなかった。当然だろう。それが、当然なのだ。しかし、何かが一瞬、引っかかった。七輝ちゃんでは、なかった?
 何を感じたのだろう。この男は、あの『七輝ちゃん』が成長した姿ではなくて、別人が彼の名を騙っている、そう感じた。サイファの力だろうか。本能の様な何かが、コイツには気をつけろ、と私に警告している。しかし、七輝ちゃんでなければ、コイツは一体誰なんだ? 何者が、七輝ちゃんを騙っている?
 逆恨みを受けるような覚えはいくらでもあったが、しかし『北斗七輝』のキーワードを知っている者はごく僅かなはずだ。正確には、私と、北斗破軍以外の誰も、このキーワードと私とを結びつける事は出来ないはずだった。
 それが出来た者がいたのだ。それは誰だ? 今のところ、敵ではない。だが決して、味方ではないだろう。他者の名を、それも死者の名を騙るなんて、敵でなければこちらを利用しようとしている者に決まっている。
 私は部屋に足を踏み入れた。そして、北斗七輝を名乗る男の対面に座る。破軍は両者の側面側の椅子に座った。
 私は喜色をあらわにしている青年に、質問を突きつけた。
「三日前、あなたのお墓に花を添えに言ったわ。あなたのお墓は確かにあった。どうしてなの?」
「僕は一度死んだからさ」
 青年は平然と、とんでもない事を口にした。
「十六歳の時だったかな。仕事をしくじって、そのままあの世を見た。医者の言う所では蘇生は絶望的だったそうだ。だから、墓も作られたし、僕は一度、ちゃんとそこに埋められた。生き返って、そこから出るのは骨が折れたよ。何故生き返ったのかは分からない。神様が助けてくれたのかな。それとも僕に秘められたサイファの力が、開花したのかも知れない。ともかく、僕は墓から脱出して、墓を元通りにした。北斗七輝は死んだ。その方が都合がよかったからね」
「どうして?誰かに狙われていたの?」
「いや。当時の僕は、ギャングの組織に入っていた。鉄砲玉さ。所詮僕は、BAB+のサイファでしかなかったからね。君とは違う。そんな僕が生きていたら、組織は便利な鉄砲玉として僕を何度も死ぬような仕事に就けるだろう。僕はそんなのは御免だった。だから顔や名前を変えて、密やかに暮らしていた、と言う訳さ」
「Bクラスのサイファ? 私にはそうは見えない。私のサイ・サーチでは、あなたは間違いなく、Aクラスのサイファよ。どうして、サイファのランクすら誤魔化すの? この私にまで?」
 青年は頭を掻いた。
「まいったな、お見通しか。そう。僕は生き返った時点で、凄い力のサイファを身につけていた。君が見ている世界とは、こんな物だったんだな、と感心したよ」
「ちょっと、待って」
 私は青年の言葉を遮った。彼は今、なんて言った? 私の見ている世界?つまり彼は、私の事を覚えていたのか?
「七輝ちゃん――仮にあなたを、こう呼ぶ事にするわ。面倒くさいから。それで七輝ちゃん。あなたは、記憶の封印を受けなかったの?」
 青年は頭を振った。
「その辺の事は、良く覚えていないんだ。そんな処置を受けたような気もするけれど、僕には通用しなかった気がする。ギャングの仕事をしていた時も、君の事は、忘れた事はなかったから」
 それを聞いて、私の心の中に、嬉しい気持ちと申し訳ないような気持ちが浮上した。
 しかしAクラスサイファだった私が記憶の封印を受けて、Bクラスサイファだった七輝ちゃんがそれから逃れたというのは、皮肉な物だと私は思った。私には余程、強い処置が行われたのだろう。でなければ、こんな結果にはならなかったに違いない。まあ、この青年、仮称七輝ちゃんの言う事を信じれば、だが。
「そっか……私の方は、忘れたままだったわ。破軍と戦うまで」
 破軍がちらりと、私の方を見やるのを感じた。何か言いたい事でもあるのだろうか。
「どうしたの、破軍?」
 すると破軍は慌てて、両手を振った。
「いいや、なんでもない。続けてくれ」
「そう? なら、続けるけど。いいのよ。あなたもこの会話に参加しても」
 破軍は肩をすくめた。
「今のところ、その隙間はないね」
「そ。口出ししたくなったら、そうして。私は七輝ちゃんと、もう少し話さなければならないから」
 そして判別せねばならない。この青年が、本当に北斗七輝なのかどうかを。私の感覚からすれば、この青年は確かに生きている。断じて、死体が動いたりしゃべったりしている訳ではない。第一、当人の言を信じるなら、彼は十六歳の時に一度死んでいるのだ。そこから復活していないとすれば腐敗もしているだろうし、もしその腐敗をレストアできたとしても、年齢差という物がある。眼前の青年の年齢は、どう若く見積もっても二十代前半と言った所だった。という事は、当人の言った通り、一度死んで生き返ったのか。何故。それはまるで、不死の力を発揮している様ではないか。神懸かり的な行為だ。
 ――神懸かり?
 神、か。その力なら、死者を生き返らせる事も、Aクラスのサイファを与える事も可能だろう。
 セトが言っていた。神に気をつけろ、と。この場合の『神』とは宗教的な神とは違う。実質的な、実効力を持った存在の事だ。宗教的な神が、実効力を持っているかどうかについてはここでは置いておく。ここでは関係のない話だ。
 セトの言っていた、『神』。『世界』の意志を離れて、独自に行動する強力なサイファを持った意識体。一応、この世界を護ろうとする意志がある様だが、私と破軍との戦いの時には現れなかった。その戦いの、結果が見えていたのか、興味がなかったのかは分からない。だが、結果として私が強大なサイファを持った事についてはどうだろうか。興味を持たずにはいられなかったのではないだろうか。何しろ、自分を脅かす存在だ。自分の存在を知り、なおかつ自分を倒す事の出来る手段を持ち合わせた存在である。『神』は今、おののいている筈だ。私という存在に。ならば、何らかの接触をしてくるのではないだろうか。そう。例えば、過去に埋もれた存在を引きずり出して。
 この眼前にいる七輝ちゃんは、恐らく『七輝ちゃん』ではないのだ。本物は、既に、死んでいる。その書類的な証拠は、破軍が既に見つけているはずだ。しかし、そんな書類的証拠など当てにならないと眼前の七輝ちゃんは言うだろう。実際、それらは改竄も可能なのだ。そんな代物では、証拠としては薄い。もっと確実な、決定的な証拠が欲しい。
 ――決定的な証拠がなければ、作ればいい。データを改竄するという意味ではない。これから実践する行為で、眼前の七輝ちゃんの嘘を、暴き出すのだ。

「ねえ、七輝ちゃん」
 私は彼に呼びかけた。『七輝ちゃん』は、きらきらしい目で私を見つめて応じた。
「何だい、真由ちゃん?」
 私は内心の恐怖と羞恥をこらえて、告げた。
「また昔の『あれ』、してみない?」
 そして、私は彼の表情の動きを注視した。心の動きもだ。私はサイファだ。心の動きも確かに見られる。普通人の恐れは、確かに的はずれではない。だが、普通人の考えている様に、万能でないだけだ。
 『七輝ちゃん』の表情は、表面上は理解と歓喜。だが心の中は、表情ほど単純ではなかった。当惑・混乱から立ち直って私の心を逆に読みとってやろうという気概が見られる。上手くいけば……この先は読みとれない。心の防壁が、強いのだ。この辺りが限界か。下手をすれば、心を読んでいた事がばれる恐れもある。私は集中を打ち切った。この青年の姿をした『七輝ちゃん』が、どう答えるか、それに集中する。
 集中していた時間は、それほど長くはなかった。『七輝ちゃん』は、快く頷いてこう応じたからだ。
「いいね、やろう。再会の、お祝いに」
 そして私の肩に手を置こうとした。私はそれを振り払った。
「何もかもを昔の通りにする事はないわ。二人して、アストラル投射する。それでいいでしょ?」
 『七輝ちゃん』は残念そうに頷いた。
「そうだね、二人とももう、大人になってしまったんだからね……」
 そう言って目を閉じた。私も目を閉じる。
 そして、アストラル投射――意識を肉体から切り離す事に集中する。丁度、幽体離脱がそれに近いだろうか。そのものかも知れない。私はそれについてはそれほど詳しくないから分からないが、ともかくそれは成功した。私は足下に自分の肉体と、破軍、そして『七輝ちゃん』の肉体を見た。そうして正面に、同じくアストラル投射してきた『七輝ちゃん』が、いた。
 ここからだ、本番は。相手の化けの皮を、剥いでやる。
「それじゃ、行くわよ」
 そう言って、私は私としての形を崩していく。それはすなわち、周囲との融合だ。私が消えてしまわないよう、私はエーテルコートで自分を護った。『七輝ちゃん』も同じようにして、私に近づいてきた。私と彼はエーテルコートを解く。そして触れ合う。混じり合う。混じり合ってひとつになってしまいそうになる直前。私はアストラル投射状態を解いて肉体へと戻った。見れば『七輝ちゃん』も、不可解そうな顔をして肉体へと戻ってきていた。その彼に向かって、私は糾弾した。
「七輝ちゃん、本性を、現したわね」
 『七輝ちゃん』は、目を見開いた。
「何の事だい?」
「とぼけないで。アストラル投射して混じり合った時、私をそのまま、喰らおうとしたでしょう!?」
 これが、私が待っていた瞬間だった
 『神』がもしアストラル投射状態で混じり合ったとしたら、『神』はそれを好機としてこちらを喰らおうとしてくるのではないか。そう踏んだのだ。そして、そのたくらみは上手くいった。相手はこちらの手に乗って、こちらを喰らおうとしてきたのだ。生物にしか分からない、今まさに喰われんとする生存本能でそれを察知した私は、急いで肉体へ逃げ戻った。不確定因子状態と違って、アストラル状態では、相手の行動を制限できない。だから私は、妨害無しに肉体へ戻る事が出来たのだ。アストラル投射を提案した、ひとつの理由がそれだった。

 ずっと黙っていた破軍が、久しぶりに口を開いた。
「『喰らおうとした』か。それはサイファの力という限定的な物じゃないんだな?言ってみれば意識を、君そのものを、喰らおうとしたんだな?」
 私は頷いた。
「そうか。ならばお前が北斗七輝かどうかなど関係ない。お前は、おれ達の、敵だ」
 破軍はそう宣告して身構えた。そんな破軍に、私は冷たく聞こえる様に言った。
「破軍。下がっていて。コイツは、私の、獲物だ。並の獲物じゃない。あなたがいると、邪魔なのよ」
「だから、はいそうですかと引き下がれるか。君の敵だ。おれの、敵でもある」
「あなたに何が出来ると言うの?」
「こいつがあるさ」
 破軍は、サイ・ブラスターを取り出した。私のサイ・ブラスターの兄弟分。確かにそれがあれば、並のサイファとなら互角以上に渡り合える。だが。
「破軍。コイツは並のサイファじゃないの。サイ・ブラスターの真の力を引き出す事の出来ない今のあなたでは、意味がない。この戦いには、サイ・ブラスターの真の力が必要なの。コイツは、それほど強大なサイファなのよ。今のあなたでは、太刀打ちできない」
「ちっ、やっぱり、駄目か」
 破軍は舌打ちして、サイ・ブラスターを下ろした。
 それにしても、どういう事だろう。『七輝ちゃん』は、自分の事を話題に出されているというのに、まるで無関心な様子で、座っている。私たちの動向が決まるのを、待っている様にも見える。そんな『七輝ちゃん』に、私は詰め寄った。
「ねえ七輝ちゃん。あなたは何か、言いたい事はないの?先程の事に対する釈明とか、破軍の宣戦布告に対して言いたい事とか」
「いいんじゃないかな、戦っても」
 それが『七輝ちゃん』の、答えだった。
「どうせ戦っても、僕が負けるはずはないんだ。ならとっとと戦って、決着をつけてしまうと言うのもひとつの手だと思うね。僕の要望は、それからはっきりさせるという事で構わないよ」
 私は食い下がった。
「どうしてそんなに自信満々なの?あなたが、負けるかも知れない。そうしたら要望も何も無くなってしまう」
「簡単な事さ。僕には『神』が、ついているからね。負けるはずが無いのさ」
 私は緊張した。『神』。まさしくセトの言う通りだった。『神』は、正確にはそれを名乗る意識体が、七輝ちゃんに宿っているのだ。
 『七輝ちゃん』は虚ろな陽気さで告げた。
「言っとくけど、『神』に乗っ取られた、とかそういうんじゃないからね。昔一度死んだ時、『神』は僕を助けてくれた。それだけじゃない。僕の要望も、聞いてくれた。彼は、慈悲深い存在だよ」
 私はなおも食い下がった。
「その『慈悲深い存在』とやらが、私を喰らおうとしたのは何故?」
 『七輝ちゃん』はむしろ得々として言った。
「それは、僕が望んだからさ。君と、ひとつになりたい、とね」
「ひとつに、なりたい?」
「僕は君を憧憬していたんだ。そう、子供の頃から、ずっと」
 『七輝ちゃん』の陶酔の度は、上がる一方だった。
「そんな君と、混じり合ってひとつになりたい。それが僕の夢だった。それを叶える機会が来たと思った。だけど駄目だった。君が、それを拒んだから」
「当然よ。あの遊びだって、あくまで自己が保証されていると無意識に自覚しての遊びだったんだからね。本当に混じり合ったら、ひとつになんてならない。消えてしまうのよ」
「それを可能にするのが『神』の力さ。それさえあれば、何でも出来る。何だって叶う。どうだい真由ちゃん。僕と一緒に来ないか。そうすれば最強のサイファが二人だ。怖い物など、何も無くなる」
 私は、冷たく尋ねた。
「ひとつだけ聞くわ。あなたは、自分の自由意志という物を持っているのかしら?」
「自由意志? 勿論持っているさ。でなければ、『神』に願い事をする事すら、出来やしない」
「願い事?」
「僕は死んで助けられた時、『神』と契約したんだ。僕の身体を差し出す代わりに、僕の望みを全て、叶えてくれると。実際に、叶えて貰った願いも無数にあるよ。例えば、僕が属していたギャング組織をぶっ潰して欲しい、という願いさ」
 私は一言もなく、『七輝ちゃん』の長広舌を聞いていた。自分の身体を、差し出したですって? そんな馬鹿げた事を、七輝ちゃんはしたのか。それでは、操り人形も同然ではないか。私はそう思っていたが、どうやら違ったらしかった。『七輝ちゃん』の言葉には続きがあったからだ。
「真由ちゃんがどう思っているか知らないけれど、僕の身体を『神』が一方的に操っている訳じゃないよ。僕の願いを、『神』が聞き遂げる。そうしたら『神』が、自動的に僕の身体を操って、目的を達してくれるんだ。自動的、と言っても感覚は伝わってくるんだ。機械を人間ごと引き裂く時のあの感触は、一度味わったら忘れられないね」
「つまり、七輝ちゃんと『神』とは、二人三脚の関係にある、とこう言いたい訳ね」
 私は『七輝ちゃん』のグロテスクな長広舌を遮って、そう質問した。答えは陽気に返って来た。
「そうだね、そう言ってしまってもいいんじゃないかな。実際はもっと複雑なんだけれどね。それを今ここで言っても仕方ないから」
「どうして?」
「僕が絶対に勝つからさ。講釈は、その後でゆっくりとしてあげるよ。僕の妻になった後で、ね」
「それがプロポーズの言葉? 呆れたわね。今時中学生だって、もっと気の利いた言葉を用意するわよ」
 破軍も私の言葉に同意した。
「そうだな。女はゆっくりと口説くもんだ。焦ったら、逃げていく。焦らず、焦らすのがコツってもんだ」
 私は冷たい視線を破軍に向けた。
「それはご自分の経験からかしら?」
 破軍は肩をすくめた。それが返事らしい。どうやら破軍は、女に対しても常勝だった様だ。私も、気をつけないと。
 それはともかく、『七輝ちゃん』だ。
 彼は私に冷たい言葉をぶつけられても、傷ついた様子はなかった。それどころか、私たちの問答が終わった後、こう言ったのだ。
「女は力で手に入れる物だ。ゆっくり口説くなんて、力のない奴がやる事さ。力さえあれば、何だって手に入る。女だって、自分から近寄ってくるさ」
 破軍は『七輝ちゃん』の暴力的な言葉に、こう応じた。
「そんな女には何の価値も見ないね、おれは。いい女は、自分の力で見つける物だ。そしてやさしく、抱いてやる物だぜ」
 どうやら『七輝ちゃん』と破軍との女性観には、大きな隔たりがある様だった。私としては、破軍の方に軍配を揚げたいが、そうすると破軍が、何かしら余計な事を口にしそうなので、黙っていた。
 『七輝ちゃん』は立ち上がると、道化師の様に両手を広げて私を見下ろした。
「さあ、どうする?ここでやるかい、千堂真由ちゃん?」
 私は頭を振った。
「ここより戦闘に適した場所があるわ。玄関ホール――そこで、決着をつけましょう」
 私にとって、それは決別の宣告だった。『七輝ちゃん』との、絶対の決別。彼がそれをどう聞いているか、それは分からないが。

 破軍が先頭に立って、玄関ホールへ移動する。破軍はどう思っているのだろう、この戦いの事を。不安?自責?それを彼が感じる必要はないのだが、それでもつい感じてしまうのが人間という物だろう。普通人、サイファ、関係なく。
 私は破軍の広い背中に向かって囁いた。
「大丈夫、私、勝つからね。勝って、この件を、完全に終わらせる」
 破軍は僅かに頷いた。
「ああ。期待しているよ」
 期待されていると言う事はいい事だ。私も俄然、やる気が出てきた。こんな過去の亡霊は過去へと追いやって、破軍と未来の事について語り合おう。そういう気になる。と、そこまで考えて気が付いた。私は、破軍と未来の事を考える、つまり二人で未来を考える事に、抵抗が無くなっている。少し前の私なら、未来は自分で作る物だ、と突っぱねていただろうに。どういう心境の変化だろうか。
 別に、破軍に恋している訳ではない。だが仕事のパートナーとしてなら、やっていけそうな気がする。破軍の組織から、仕事を受ける事もあるかも知れない。それだけの話だ。破軍個人がどうのではない、と思う。ホルスが聞けば、また別の見解があるかも知れないが。今WIS回線を開いて、なんて悠長な事をやっている暇はない。まあ、こんな、戦いに関係のない事を考える暇はあるのだが。
「着いたぜ」
 破軍が低い声で宣告した。重々しい両開きのドア。その向こうは玄関ホールだ。
 ここで一度、戦った事がある。広さは十分だった。障害物になる物が少ない分、射撃戦には向いていないが、こちらが射撃する分にはどうという事はないだろう。どうせ『七輝ちゃん』は銃器に類する物など持ってはいないだろうから。
「それで、どうするんだ? ドアを抜けたら即、戦闘開始か?それとも中央まで歩いていくのか? どちらでもおれは構わないが」
 すると『七輝ちゃん』が高慢に言い放った。
「破軍。君がレフェリーをやれ。君が戦闘開始の合図をかけるんだ」
 破軍は私の顔を見た。私は応えた。
「私もそれでいいわよ。わかりやすいもの。ただ、巻き込まれないように注意してね」
「分かってるよ」
 それで話が付いた。後は、戦場に、赴くだけだ。
 破軍がドアを開けた。その脇をすり抜けて、私と『七輝ちゃん』がホール中央まで歩いていく。破軍の視線を感じたが、私は振り返らなかった。
 不安を誰かと共有したいのは私とて同様だったが、どのみちこの戦い、負ける訳には行かないのだ。もし私が負ければ、『神』を僭称する強大な意識体を止める術が無くなってしまう。私が勝って、この意識体を滅ぼさない限り、七輝ちゃんも解放されないだろう。七輝ちゃん自身は解放されたいなどと願ってはいないだろうが、この辺りで夢は終わりにしないと、生きている人間が迷惑する。
 そう。これは一種、夢なのだ。七輝ちゃんが生きている事も、『神』と戦う事も。
 しかしここは夢空間ではない。現実の世界だ。夢世界の主に迷惑をかける事もないし、私が苦手としているフィールドでもない。絶妙の、戦闘空間だ。
 『七輝ちゃん』と、向かい合う。薄笑いを浮かべて、腕を組んで立っている。私はジャケットの上から、サイ・ブラスターの感触を確かめた。それは確かに、そこにあった。それで自信を取り戻す。絶対に、負けられない。絶対に、負けない。勝って、当たり前の日常を、取り戻す。
「両者とも、準備はいいか?」
 破軍の声が響く。
 『七輝ちゃん』は軽く手を振って応じる。 私も、頷く事で応じた。
「それでは……始め!」
 その声と共に、私の全身が活性化する。眠っていた細胞が、たたき起こされた感じ。
 それを見て、『七輝ちゃん』が感嘆の声をあげた。
「素晴らしいサイファの力だ。僕の憧れていた真由ちゃんは、昔よりさらに強くなっているんだね。その力、僕と共に使おう」
 私は冷たく拒絶した。
「遠慮する、と言ったはずよ」
「つれないなあ。ま、この戦いで思い知るだろうけれど。『神』の力を!」
 そう叫ぶと、『七輝ちゃん』は唐突に消え去った。私はすぐに直感する。不確定因子状態だ。何故なら、彼の気配をホール全体から感じるからだ。不確定因子状態でも、気配は消せない。それは、いくら『神』でも同様の様だった。
 こちらのとるべき選択肢は二つ。相手に合わせてこちらも不確定因子状態になるか。それともこのまま生身の状態でいるか、だ。
 今、この状態で生身でいるメリットは少ない。私も、不確定因子状態へ、シフトする。
 『七輝ちゃん』の嘲笑の声が聞こえた。
「不確定因子状態なら、互角に戦えると思ったのかい? すぐ、その思い違いをただしてあげるよ」
 既に部屋中に広がっていた『七輝ちゃん』の因子が、これから広がろうとする私の因子を包み込もうと動く。このまま包み込まれたら、私の負けは確定する。だが、こちらには『槍』がある。破軍から譲り受けた『槍』が。
 私は自身を紡錘形に纏め上げる。そうして先端から、『死』の因子を表面にコーティングしていった。そのまま、突進する。外側へ向かって。
 『七輝ちゃん』の包囲網に接触する。意外な程、簡単に突き抜けた。後には大穴と、殺された因子の群れ、そして生き残った『七輝ちゃん』の因子が残った。
 このまま反転攻撃するか。そう考えて、考え直す。今簡単に抜けられたのは、向こうが油断していたからに違いない。向こうも『不死』なのだから防護策はある。自分も『死』の因子を使えばいい。楯にするだけでも私の『槍』は効力を発揮しなくなる。それを先程行わなかったのは、恐らく単純に時間がなかった所為と、その陣形だろう。半球状に広がった陣形が、紡錘形の陣形に対応しきれなかったのだ。
 ともかく、これで私が『七輝ちゃん』の外側に出た。相手はどう出るか。もし相手が自己の全てを『死』の因子で覆ってくるならば、私は最後の手段を使う必要が出てくる。しかし、そうはならなかった。感嘆の口調で、『七輝ちゃん』が再び口を開いたからだ。
「なるほど。『不死』であったなら『死』をも自由に操れるんだね。勉強になったよ」
 どうやら『神』は、単純にこの方法に気付いていなかったらしい。馬鹿馬鹿しい。ならさっさと、反転攻撃してやるんだった。しかしもう遅い。『神』は『死』の因子を作り始めた。それをどう使うかは、分からない。相手の創意工夫次第だ。
 『七輝ちゃん』――いや『神』は、『死』の因子で作った網を私に向かって投げかけてきた。なるほど。動きを封じてから、とどめを刺そうというのか。それとも、他に目論見があるのか。ともかく、私はその網の作り出す範囲から逃げ出した。すると網はさらに広がる。どうやら、どうあっても私の動きを封じたいらしい。ならばこうだ。
 私は紡錘陣形をとるのを止めた。四方八方に向けて、拡散する。丁度、『神』の作り出した半円陣形を、さらに取り囲む形だ。『神』の網も、さすがにこれはカバーしきれないのだろう。あきらめて収縮していった。
 『七輝ちゃん』の、焦りの声が聞こえる。
「何だ、どうしたんだ。押されっぱなしじゃないか! お前の力は、この程度なのか?」
 実際には押されっぱなしと言う程、私が有利という訳でもない。だが常に有利な陣形を作り出しているのは確かだ。『神』は今までの現状を、そして『七輝ちゃん』の言葉を、どう感じただろうか。
 不意に、『神』の因子が、四方八方に飛び散った。私の因子めがけて、つぶての様に襲いかかってくる。全ては、よけきれない。私は『死』の因子で、守りを固めた。それが失敗だった。そのつぶては、全てが『死』の因子で構成されていたのだ。『死』と『死』の狭間には何が生まれるか。混沌の渦が、着弾した部分を翻弄した。『神』の因子はつぶて程度の大きさだからダメージはないが、私は陣形を保ったままだ。陣形はずたずたに引き裂かれ、因子は大きく減衰した。『混沌』に、確定化されたのだ。このまま全てが『混沌』に確定化されてしまったら、私は恐らく生きてはいまい。私は、私ではない別の何かになってしまうだろう。それが何かは、分からない。それが『混沌』だ。
 『死』のつぶては休み無く飛んでくる。私も、対抗しなければならない。私も同じようなつぶてを作り、『神』めがけて撃ち放った。ただし『死』の因子ではない。それでは意味がない。つぶても『混沌』と化し、私が私でなくなるのを早めるだけだ。だから、私は『生』の因子を作り出した。『生』と『死』がぶつかり合っても、残るのは『無』だ。何も起こらず、通常の確定状態になるだけだ。私は陣形全てを『生』の因子で覆った。これで避けきれなくても、私が私でなくなると言う危機は避けられる。
 『生』と『死』の因子がせめぎ合う。それはまるで立体映画で観た宇宙戦争の様だ。それも、大昔の艦隊戦と言う奴。艦隊と艦隊とがせめぎ合い、互いの主砲で相手を撃破しようとする。今はまさに、そういう状態だった。消耗戦だ。このままでは、どちらかが消滅するまで撃ち合う事になるだろう。それは避けたかった。
 サイファは、自己の不確定因子の約七割を失うと、元の自分に還れなくなる。自己を形成する、因子の絶対数が足りなくなるからだ。このまま消耗戦を行えば、そうなる可能性が高い。『神』は元々意識体だから、因子の絶対数など問題ではないが、私は違う。元の人間の身体に戻らなければならない。それが、彼我の違いだ。戦力の、決定的な差だと言ってもいい。このまま消耗戦を続けてはいられない。何か、打開策が必要だ。
 不確定因子状態がまずければ、元の肉体に戻ればいい。そう気づいた私は、元の肉体に戻った。絶対的因子数は足りないはずだが、まだ互いに補える範囲内だ。
 不確定因子状態でなくても、私にはそれに干渉する手段がある。サイ・ブラスターだ。だがこれをどう使う? とりあえず、不確定因子状態にある相手の攻撃を避ける事には使えるだろう。後は――出たとこ勝負だ。『神』の核でもあれば、それを撃ち抜いてみせるのだが。
 『神』の核か。今まで考えもしなかったが、『神』も意識体なら、それを構成するための核が、絶対に存在するはずなのだ。それは、どこだ。或いは、何だ。考えろ。攻撃を、受ける前に。
 一足、遅かった。私の右足に、しびれる様な痛みが走る。不確定因子の、攻撃を受けたのだろう。今すぐどうという事はないが、二度、三度と同じ箇所に攻撃を受ければ、その箇所は永遠に使えなくなるだろう。因子の数が、足りなくなるからだ。肉体として現存していても、不確定因子は肉体内に存在する。その数が肉体行動の、限界を現していると言ってもいい。実際にはもっと、複雑なのだが。
 とにかく、『神』の不確定因子を見なければ、お話にならない。見えなければ、どんな攻撃を受けたかも分からないからだ。かつての私には、こんな事は出来なかった。破軍のサイファの力を受け継いだからこそ、出来る事だ。不確定因子視。他のどんなサイファも持っていない、私だけの能力だ。不確定因子が見えても、それに干渉する手段がなければお話にならないが、私にはその手段がある。ただ、どう使えばいいか、分からないのだ。サイ・ブラスターは一丁だけだ。破軍の分を合わせても、二丁。たったそれだけで、どうしろと言うのか。無数にある不確定因子を、一個ずつ、撃ち落としていくのか? そんな気の遠くなる様な作業は、御免だ。
 不確定因子をひとつずつ撃ち落とすか。サイ・ブラスターの数を増やすか。『神』の核を探し当てるか。三つに一つ。さあ、どうする、千堂真由?
 私は二つ目の手段で行く事にした。すなわち、サイ・ブラスターの数を増やす事だ。そんな事が出来るのか? 答え。できる。
 私は再び、不確定因子状態に戻った。とたんに襲いかかってくる、『死』の因子の鞭。私はそれをかわして、サイ・ブラスターを構えた。相手の、不確定因子と同じ数だけ。
 そう。不確定因子状態なら、こういう芸当が可能だ。不確定状態なのだから、「ある」かも知れない、という事だ。だから、その「あるかも知れない状態」を相手の不確定因子分創れば、こういうことになる。
 無数のサイ・ブラスターの銃口を突きつけられて、『七輝ちゃん』は明らかに動揺していた。
「まさか、そんな馬鹿な……こんなの、デタラメだ!」
 悲鳴を上げて、『神』の因子は八方散って逃げだそうとした。この場から。しかし逃がしはしない。それぞれのサイ・ブラスターの銃口は、ひとつひとつの因子を自動的に、確実にとらえている。トリガーはひとつ。手元の、それを引くだけ。
「この世から、失せなさい、『神』とやら!」
 私はそう叫ぶと、その念をサイ・ブラスターに込めて撃った。無数の銃口から、私の念のこもったエネルギーが吐き出される。それらは確実に、『神』の因子を撃ち落としていった。

 『神』が消えていく。それは、『七輝ちゃん』を支えてきたエネルギーが消失していくという事でもあった。『七輝ちゃん』は完全に姿を現すと同時に、その姿がだんだんと消失していった。幻が、消えていくのだ。
「うわ、嫌だ、消えたくない! 死にたくないよ! 僕は生きたいんだ! 生きて伝えたい事があるんだ! 真由ちゃん!」
 ここで私に話を振られるとは意外だった。私は耳を傾けた。
「何、七輝ちゃん」
「好きだ! 好きなんだ!」
 それはそれほど衝撃的な言葉ではなかった。だが、私の心を重くするには十分な重みを持っていた。
「七輝ちゃん。好きって言ったくれた事は素直に嬉しい。だけどね、七輝ちゃん。死者は素直に眠らなくてはいけない。どんな手段であれ、生者に干渉してはいけない。だからあなたのその言葉は、受け取れない」
 それを言う事で、私の心はさらに重くなった。それが、とどめになると知っていたからだ。『七輝ちゃん』の、最後の拠り所を打ち壊したという罪悪感が、私の心を重くした。しかし彼は死者なのだ。死者は三途の川の向こう側へ、生者はこちら側へ、別れなくてはならない。生きていれば、彼の言葉を受ける事もあったろうが、本人が死んでいる以上、彼の言葉を受け入れる事は、出来なかった。
 予想通り、『七輝ちゃん』は打ちひしがれた表情で私を見た。その姿も、徐々に薄れていく。やがて、『七輝ちゃん』の表情に生気が戻った。その姿は薄れながらも、私に向かって微笑んで見せた。
「真由ちゃん。こんな形になってしまったのは本当に残念だけれど、愛していた。これだけは、本当だ。例え、幼い恋でも……」
 彼は、そこまでで言葉をとぎらせた。そうして微笑みながら、何も残すことなく、消えていった。
 戦いは、終わった。

 私は、長い事呆けていたのだろう。破軍に肩を叩かれて、ようやく現実世界に意識を戻す事が出来た。
 破軍はぐっと、親指を立てて見せた。
「やったな」
 私はそれに、未だ非現実感を引きずったまま、短く、「ええ……」とだけ答えた。
 破軍はそんな私に、こんな言葉をかけて来た。
「それと、まあ……ご愁傷様、だな」
 その言葉が可笑しくて、私は完全に現実感覚を取り戻す事が出来た。
「ご愁傷様って何よ。七輝ちゃんは、既に死んでいた。だから、これで当たり前なのよ」
「それでも、さ。頭では分かっていても、気持ちの整理が付かなかっただろう? だから言ったのさ。ご愁傷様、とな。気持ちの整理、付いたか?」
「ええ。ありがとう、気遣ってくれて。それと、ごめんなさい、ね」
「何だそりゃ?」
「この間、ここで、セイバーとグラントを、殺した。彼らも、あなたの大事な部下だったんでしょう?」
「……ああ、奴らは、いいんだ。本望だったろうよ」
 沈痛な表情で、破軍はそう言った。
「奴らの望みは、自分達より強い相手に殺される事だった。何日か前のおれと同じさ。だから、あの時にあそこに配置したんだ。お前達とおれは、同類だとな」
「じゃあ、今度は私が、ご愁傷様、ね」
「ありがとうよ」
 そう言って破軍は、私の頭にポン、と手を置いた。その扱いに、私は抗議した。
「ちょっと、子供扱いしないでくれない?」
 破軍は目を丸くして、慌てて私の頭から手を引いた。
「悪い。そう取るとは思わなかった。おれとしては、親愛の表現だったんだが」
 なるほど。破軍は長身だ。私の肩に手を置くより、頭の方が手を置きやすいだろう。だがそれを理解しても、やはり頭に手を置かれるのは、子供扱いされているみたいで嫌な感じであったのだが。
「まあ、今回は許してあげる。今度から、気を付けてね」
「わかったよ」
 破軍は肩をすくめてそう言った。

「さて、これからどうする?」
 唐突に、破軍がそう尋ねてきた。
「これから?」
 私がおうむ返しにそう尋ねると、破軍なこんな事を言ってきた。
「今晩、うちに泊まっていくか? 部屋は余ってるぜ。飯が旨いのも、保証する」
「ご飯は、あなたと会食? 遠慮しておくわ」
「それならそれで構わんが、何故?」
「私の方こそ、何故、よ。どうして急に、そんな事を言い出したの?」
「夜這いでも考えた訳じゃない。単に、今日は独り寝は寂しいんじゃないか、と思って、な」
「大丈夫、慣れてるから」
 私のその言い方にある種の寂しさを感じ取ったのだろう。破軍は寂しそうに微笑んだ。
「慣れてるから、か。そうだな。おれ達の稼業じゃ、こんな事、慣れなきゃやってられないのかもしれないな」
 私も寂寥をたたえた微笑で応じた。
「ええ、きっと、そう」
「因果な商売だな」 
「そうね。でも、必要な事だわ。必要な事をしていると、私は思う。例え個人が、どんな感傷を抱こうとも」
「どんな感傷を抱こうとも、か。痛い言葉だな。今回の事件、結局は感情と感傷によって引き起こされた物だったのかもしれんな」
「そうね。そうかもしれない」
 『神』の思惑、自己保存の意志、そして七輝ちゃんの私への叶わぬ想い。それらが結合して、あの『七輝ちゃん』を生み出したのだ。サイファの力は時に物理的な物質を創り出す事も、ある。『七輝ちゃん』の肉体は、まさにそうやって創り出された物だったのだろう。今回の事件は、幽霊封じの様な物だったのかも知れない。『神』と、七輝ちゃんと。
「あーあ、ただ働きかあ」
 感傷を振り払って、私は殊更に即物的な事を口にした。破軍が肩をすくめて言った。
「なんだったら今回の件、おれが報酬を出してやってもいいぜ」
 寝耳に水、だった。どういうつもりで、破軍はそんな事を口にしたのだろう。
「どうしたの?締まり屋だとは思ってなかったけれど、あまりにも気前がよすぎるんじゃない? あなたには、直接関係の無かった事件よ。あなたが報酬を出すいわれは無いわ」
「冷てぇなあ。おれのサイファの力を合わせて、勝った様な物だったのによ。それに、迷惑もかけたしな。だから、おれにも何かさせてくれよ」
「それでお金を出そうって事?」
「ああ。おれなりの、詫びの気持ちって事でな」
「それなら、お金はいらないわ。どうせ、経費もかかっていない事だし。その代わり、つきあって欲しい所があるの」
「どこだ?」
「……七輝ちゃんの、お墓」
「何だって?」
「もう一度、お参りに行きたいの。幽霊封じも兼ねて、ね」
「幽霊封じか。分かった。今から行くか?」
「ううん、明日でいいわ。明日、私のアパートの前で」
「あのでっかいアパートメントだな。分かった。それじゃそこまで、送ろう」
「ありがとう。お願いするわ」
 この男が、唐突に送りオオカミになる事もあるまい。それにどうせ、アパートの玄関までの事だし。
 私はお言葉に甘えて、アパートまで破軍に送ってもらった。


よろしければ感想をお願いします。

『作品タイトル』『評価(ラジオボタン)』の入力だけで
送信可能なメールフォームです。
勿論、匿名での投稿が可能になっております。
モチベーション維持の為にも、評価のみ送信で構いませんので、
ご協力頂けると有り難いです。

メールフォームへ移動する前に、お手数ですが
『作品タイトルのコピー』をお願い致します。

ここをクリックすると、メールフォームへ移動します。


前へ 目次へ 次へ→