Prologue 入学式(1)

<1>

 現在日時――四月六日、午前四時四十六分。
 唐突で非常に恐縮だが……僕は今、追われていた。

 闇に紛れ、極力息をも殺し、存在を隠す。
 そして――位置をあからさまにしないように気を配りながら、『風の彩(いろ)』を視るために、意識を周囲に広げていく。
 『風の彩』――俗に、『気配』とか『殺気』とか呼ばれている物だが、僕の『剣』以外の師匠である御大はこう呼んでいた。
 実際に風に色が付くわけではない。だが、周囲の風と異質な風があれば、自然とそれが感じられる。それを、『彩』と表現しているのだろう。

 そんな事をふと思い出していると――不意に、周囲の『彩』が変わる。僕は躊躇わず後方に低く跳躍し、飛来した縄を回避した。
 僕と正対して、縄を放った当人――白髪のご老人が立っていた。
 老人は、悲しそうな――実際、悲しんでいるのだろう――声と表情で訴えてきた。
「どうか、私と一緒に来てくだされ。こちらとしても、手荒な真似はしたくはないのですじゃ……」
 僕は苦笑いを浮かべながら、両手を軽く広げた。
「……これは、一般的には『手荒な真似』って言うのではないかな、と愚考するのですが……?」
 老人は首を左右に振る。しかし、それはどうも、僕の言葉に対する返事ではないらしかった。
「一体、何がご不満なのです……?」
「ほとんど全部です」
 老人の言葉に、僕は即答した。同時に、身を翻して逃走に移る。
 老人は、即座に追いすがってきた。
「大人しく、お嬢様の婿になって下され!!」
「ぜっっ……たいに、嫌です!!」
 僕は本気で絶叫した。

◆◇◆

 申し遅れたが、僕の名前は月村司。『つきむら つかさ』と読む。
 今年で十六歳の、私立風芽丘高等部一年……の予定だ。
 髪は僕の家系によくある、紫がかった癖のない髪。瞳は黒。
 身長は一七六センチ。低くはないけど、胸を張って高いといえるほどでもない。
 痩せているというほどでもないけれど、『剣術家』としては、肉付きはかなり薄い方だろう。
 そして、整っている事には感謝するものの、女の子に間違われがちな女顔。
 よく『贅沢だ』と言われるが、それで『男に』ナンパされる身にもなってほしいとつくづく思う。

 六年前に新設された、日本警防隊のエージェント見習いとしての久しぶりの任務。
 それは、長野の山中を総本山とする、カルト系新興宗教の『巫女』として攫われた女性の救出だった。
 『巫女』と呼べば聞こえはいいが――こういうオカルトじみた宗教団体は、とかくぶっ飛んだ事を考えてくれる事が多い。それでなくとも、無理無体で『巫女』をさせる、というのは非倫理的な上、法律上は立派な『誘拐』だ。
 そもそも『巫女』――シャーマンといえば、普通は自然と人間の橋渡しという存在だ。ただ、そこから派生して、『生贄』という役割が持たされる事が少なくない。『黒魔術』などにかぶれている団体が、『生贄として誘拐した』という可能性は十分に考えられた。
 さらに『巫女』と称して女性を誘拐し、『信者』――と称する客――に売春を強制する
という事件も過去に存在する。
 ただ、本気で調査するには被害が少なすぎ――幸いといえばその通りだが、被害者は現在一人だけだった――また、事前調査でその団体の実質的な『力』も大したことはない、と解っていたので、正式なエージェントを派遣するには費用対効果が悪い。
 そういう時、比較的ギャランティーが安く――といっても、危険手当はしっかり付くので、下手な企業のサラリーより上なのだが――実地での経験を積ませる必要がある、僕のような見習いに仕事が回ってくる。
 救出のついでに、誘拐の証拠集めに教団の資料の奪取。
 それが、今回の任務の内容だった。
 見習いといっても、僕自身は中学進学と同時にこの仕事を始めているので、もうかれこれ3年になる。
 この程度の任務なら、どうにかこなせる程度には慣れてきたつもりだ。しかし、こういう時期が一番失敗を起こしやすい。そしてこの世界――失敗は死に直結しかねない。
 今回もその点には十分留意したつもりだ。
 尤も……人間、どんな不測の事態にも対処できるほど、万全の注意力を持っているわけではない。
 今、僕が陥っている事態など、誰が予測して対処できただろうか?
 救出の対象に惚れられた挙げ句、力尽くで求婚されるなんて……。

◆◇◆

「というか、貴方みたいな人がいて、なんで易々と誘拐なんてされたんですか!?」
 真剣に不思議だった。
「仕方ありますまい!お嬢様自らが『誘拐され』に参られたのですから!」
 おいおい……
「お嬢様は軽度の『予知能力』をお持ちでしてな。貴方の事を予知なさったのです」
「なんですって……?」
「お嬢様がご自分で予知なさった『誘拐された所を助けに来る美しい殿方』、つまり貴方にお会いするため、こんな危険に身をさらしたのですぞ!それだけ想われたなれば男の本懐!大人しくお嬢様の元に参られてください!」
「なんて無茶なことするんだか……」
 僕は頭を抱えたくなった。
 元々、『予知能力』というものは、HGS患者を中心として見られる『PSY(ψ)』――サイ能力の中でも特に不安定な上、さらに最も確実性が低い。
 まぁ、そんな物騒な能力、確実に使用されたらたまったものではないが――実際問題として、『これから起こりうる全ての可能性』を予知する事など、人間の器程度では不可能なのだろう。
 そんなあてにならない能力を頼りに、本気でわざと誘拐されたのなら……ある意味大した行動力だと思わなくもないが……やっぱり夢見がちなお嬢様、という事なのだろうか。
「確かに、その行動力は大したものだと思います」
 僕は全力で山間を駆け抜け――時折飛来する捕縛具を避けながら、老人に話しかける。
「さらに、お金持ちだそうですし、ついでに美人です」
 おつむの方は少し心配だけれども――と心の中でひとりごちる。
「なら、どんな問題があるというのです!?」
 投網と一緒に、老人――そう言えば、この人の名前を知らないな――は僕に疑問を投げてきた。
「それは――」
 思い切りバックステップして網をやり過ごす。
「僕は、強制されるのが嫌いなんです!!」
 そう言い置いて、全力で駆ける。
 そして――今最も切実な問題を打ち明けた。

「ていうか――明日は入学式なんですよ!」


<2>

 追いすがってくるご老人をなんとか引き離し、這々の体で海鳴駅にたどり着いた時、既に日付は変わり、夜はとっくに明けていた。
 逃避行の途中で壊れてしまった安物の時計は当然役に立たない。
 体内時計は既に嫌な時間を告げていたが――それを信じたくなくて、僕は構内の時計を探した。
 現在時刻――午前八時十三分。
 ……やはり、現実は残酷だった。
 僕はため息をつくと、万一のためとコインロッカーに放り込んでいた、ボストンバッグに詰めていた新品の制服を取り出すと、構内のトイレでそれに着替えた。

 一時期まとまりかけた風芽丘の制服は、結局入学を希望する生徒の減員に繋がってしまい、またバリエーションや色彩の豊かな数多くの制服が再採用された。
 女子の制服は約三十種類、男子のものも十種類を超え、校章以外は一見統一性のないものになっているが、『私服では毎日大変だけど、単一のデザインではつまらない』などという贅沢な悩みなどには、沿った物となっているのではないだろうか。
 僕の選んだ物は、強いて言えば学ランに近いが、上着の丈が短く、ボタンではなくホックとジッパーで止めるようになっている。デザインも、制服と言うよりは『今年流行のデザイン!』といった風情の裁断だが、趣味自体は悪くないと思う。
 尤も、僕がこれを選んだのはデザインだけではなく、最大の理由は『動きやすい』からなのだが。
 制服に着替えた僕は、今まで着ていた黒革のツナギとジャケット、さらに物騒な品々もボストンバッグに詰めて、トイレの個室を出た。
 これで所要時間、約十五分。
 やや乱れた髪を適当に撫でつけると、僕は全力で風芽丘に向かった。

◆◇◆

「あっちゃぁ……」
 校門まで来た所で、僕はそうぼやいて頭を掻いた。
 既に間に合わないとは思っていたが――校門は見事に閉まっていて、さらに体育館からは何かしらの演説が聞こえる。
 この状況から類推するに――そんな大仰な事でもないが――入学式は始まってしまっているようだ。
 仕方ないので、鷹城先生など、寛大な幾人かの先生の顔を思い浮かべながら、密かに侵入する事にしたのだった。

 丁度、体育館の壁際下にある窓が開いていたので、そこからこそこそと体育館内に入り込む。
 ……我が事ながら、実に情けない。
 感慨はとりあえず心の棚にしまい込んで、事前に確認しておいた、自分のクラスであろう席の列を、見知った顔を目印に探し当てる。
 そして訝しがるクラスメイト達の足下をこそこそと這い、自分の席であろう空いた席に、何食わぬ顔で座り込むと、目印にしていた見知った顔が、にやりと笑った。

 神咲燈真(かんざき とうま)。緑がかった髪に黒っぽい瞳。身長は僕より少し高い一八一センチで、体格も僕よりはがっしりとしているが、それでも服の上から分かるほどではない。やや鋭角的でクールな顔立ちに、似非文語体な言葉使いと相まって、なんとなく『孤高の浪人』みたいな、古風で変わった雰囲気のある人だ。
 この人の母さんが、うちの父さんとは家族的な関係だったので、この人とはかなり古くからのつきあいだ。幼なじみ、と呼称しても許してもらえるだろう。
 学生ながら、『神咲』の家業(?)である『退魔師』の仕事をしたりしているが、今代の当主は皆若く、燈真が正式に跡を継ぐのはまだしばし後になりそうだ。
 尤も、当人は『余計な面倒がなくていい』などと、お気楽極楽な事をのたまったりしているが。
 どうやら、制服は何の変哲もない学ランを選んだみたいだ。

「入学早々に遅刻とは、なかなかやるではないか、司よ……?」
「冗談じゃないよ……」
 あまり周りをはばかっていない燈真の声に、僕はため息混じりにこぼした。
「とりあえず、見つかってはいたみたいだけど……特に注意されなくてよかったよ……」
 やはり壇上からはバレバレだったらしく、複数の視線を感じたものの、特に注意を受ける事はなかった――それゆえ、油断していた。
「フムン」
 燈真はわざとらしく腕など組んでみせると、悪戯っぽく瞳を輝かせながら教えてくださった。
「後で、大々的にさらし者になる故、覚悟しておく事だな」
「……嬉しさのあまり泣き出しそうだ」
「そう照れるな。そろそろ出番だぞ」
「出番……?」
 燈真の選んだ言葉が、妙に引っかかった。僕が頭をひねっていると、壇上におわすしっぽの先生――中等部の時にもお世話になった鷹城先生だ――がアナウンスした。
『さて、高等部の総代も到着しましたので、総代の式辞に移らせて頂きます。みなさん、拍手をどうぞ〜!』
「へぇ、高等部の総代も遅刻してたんだ」
 僕はアナウンスの通り拍手しながら独語した。それなら、僕の遅刻も目立たずに済むかも知れない。
 そんな事を考えていると、燈真の白っぽい目つきに気がついた。
「どうしたの?」
 僕が訊ねると、燈真は白い目つきのまま、
「何をぼんやりと拍手などしている、学年総代……?さっさとさらし者になってこんか」
 などとのたまった。
 周りを見回してみると……複数の人と目があった。くすくす笑う声もあちこちから聞こえる。
「…………マジ?」
 恐る恐る訊ねてみると、燈真は仰った。
「こんな式典で、わざわざこんなつまらん冗談をする訳無かろうが……?」
 それは確かにその通りではあった。
 あったが……
「聞いてないんだけど……?」
「……私に聞いても知るものか」
 確かにその通りだ。
 ……ふと心づいて、僕は半眼で後方を見やる。
「にゃははは……司ちゃん、遅かったねぇ〜」
 冷汗と誤魔化し笑いを浮かべて、紺色の上着とジャンパースカートの制服に身を包んだ、我が下の姉に当たるお方――皐(さつき)姉さんがそこにいた。

 僕と同じ紫がかった癖のない髪は、背中の中程まで届くほど長く綺麗に梳かして流している。瞳は淡い蒼。綺麗というよりは可愛いと形容されるべきだが、十分に魅力的な顔立ちだろう。
 身長は、女の子にしては少し高めの一六六センチ。体重は――知らないが、そう重くはない。毎朝の僕に対する虐待のため、そのくらいは見当がつく。
 ついでに、かなり着痩せするが、スタイルはいい。どこかのグラビアだかにスカウトされかけて、僕が追い払った事もある。
 ……もし、こんな事を思い出していた事を気付かれたら、僕の財布の命運は尽きる事間違いなしなのだが。
 性格は……一言で表すと、子供じみたのんびりぼんやり娘、といった所だろうか。
「司ちゃん、今なにかすごーく失礼な事考えてるでしょ〜?」
「……失敬な」
 ……妙な所で鋭いが。

「というか、そんな事はどうでもいいの!」
 僕は強引に話を本流に戻した。
「さっきの笑いから類推するに……聞いたのは皐姉さんだね……?」
 僕が遅刻したというのに、なんのツッコミもないから、なにか怪しいとは最初から思っていたのだが。
「え……?ししし知らないじょ……?」
 ……思い切りどもっている上、眼が盛大に宙を泳いでいる。
 それを確認して、僕は皐姉さんのこめかみに拳を当てた。
「あう……」
 奇妙なうめき声と共に、皐姉さんの顔がひきつる。
 それに構わず、僕はおもむろにカウント・ダウンを開始した。
「アイン……」
「あうあう……」
「ツヴァイ……」
「あうあうあう……」
「ドラ――」
「……ごめんなさい」
 皐姉さんが屈服したのを確認すると、僕はため息をひとつついて、説教を開始した。
「皐姉さん、そういう大事な事はちゃんと伝えないと。これが父さんや母さんの仕事の話だったらどうするの?」
「はあい……」
 と不意に、忘れかけていた人物の声が鼓膜に響く。
「仲が良い所野暮で悪いが……司、さっさと壇上に上がるがよい」
 ……ついでに、現在の我が身の状況も、忘却の彼方であったのだった。

◆◇◆

 笑いの大合唱に囲まれながら、さてなんて挨拶したものやら、と途方に暮れていると、不意に制服の裾を引かれた。
 そちらを振り返ると、僕の従姉(いとこ)に当たる美沙希(みさき)ちゃんが座っていて、僕に紙片を握らせて微笑んだ。

 高町美沙希(たかまち みさき)ちゃん。本当は僕より一つ上の一七歳なのだが、二年ほど両親・お祖母さんといっしょに香港にいたために勉強が遅れ、高校入学を一年遅らせたのだ。
 髪も瞳も艶やかな黒。下ろせば肩下ほどになる髪を、お団子にして後頭部でまとめて、余った髪はポニーテールの様に垂らしている。
 身長は皐姉さんよりわずかに低い一六四センチ。しなやかな身体を、白のタイトスカートにブレザーという制服で包んでいる。
 優しい造型の顔立ちと、長い文章を滅多に話さないという言葉使いも相まって、普段は穏やかな雰囲気を持っている人だ。

「これは……?」
 訊ねてみると、美沙希ちゃんは、
「語例集、調べたの」
 つまり、式典だかの語例集を調べて、適当な文例を引っ張り出してくれたのだろう。……まさに、今僕が欲しているものだった。
 流石、長いつきあいだけはある。トラブルのパターンもお見通しのようだ。
「ありがたく、使わせて頂きます」
 僕は美沙希ちゃんに一礼すると、美沙希ちゃんは笑って手を振った。

 僕が壇上に上がると、当然ながら中等部の総代くんは待機していて、僕に白っぽい視線を投げつけてきた。
 ……どうやら、彼は『学年総代』に相応しい真面目くんらしい。間違って総代になってしまった僕とはひどい違いだ。
 そんな馬鹿な事を考えているうちに、中等部の総代くんの式辞が始まった。……形式通りの――つまり恐ろしく退屈な――文章だった。まぁ、こんな所で独創的な文章を考えても仕方ないのは確かだ。すぐに僕の出番が回ってきた。
 僕は紙片を取り出すと、何も考えず、記してある文字を朗読した。
「宣誓!我々はスポーツマン・シップに則り、正々堂々と戦い抜く事を誓います!」
 ……あれ?
 シーン、と静まりかえる会場を後目に、僕は紙片の文章を確認した。
 間違いなく、僕が朗読した通りの文章が記されている。
 僕は、一八〇度回頭すると、戦犯の名を呼んだ。
「……美沙希ちゃん」
 美沙希ちゃんは、「なあに?」とでも言いたげに首を傾げた。
「なんか、違わないかな……?」
「…………そうなんですか?」
 普段から小さな美沙希ちゃんの声も、静まりかえった体育館にはよく響いた。
 美沙希ちゃんは何かごそごそすると、「あ……」と小さく声をあげた。
「……間違えてました」
「………………感想は、それだけ?」
 僕の質問に、美沙希ちゃんは深々と頭を下げた。
「……ごめんなさい」
 体育館は、爆笑に包まれた。
 ……忘れていたが、うちの従姉はよく気がつく割に、肝心な所が抜けている感がある。
 尤も、日常レヴェルの話なので、そう酷い目に遭った事はないが……
「まぁ、今回は僕も、美沙希ちゃんにフォローしてもらおうなどと迂闊な事を考えていたわけで……この件は不問に伏そう」
 僕は――気恥ずかしさを隠して――重々しく、実はひどく失礼な事を宣言した。
「それはいいんだけど……」
 またしても不意に、遠慮がちな声が背中に投げかけられた。
「はい?」
 振り向くと、マイクを持った鷹城先生が、笑いすぎて涙を浮かべていた。
「早く終わらせたいんだけど、いいかな?」
「………………了解」
 さらなる大爆笑に囲まれながら、僕は内心で深々とため息をついた。

 ……こうして、僕は入学初日から、いきなり有名人に――勿論駄目な意味で――なってしまったのだった。


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