戦時の饗宴(前編)

「ジント。ソビークに行ってみないか?」
 ラフィールの問いは、ジントに相当の驚愕を強いた。

 ジントの驚きの理由はいくつかある。
 第一に、こんな戦時の真っ直中にも関わらず、そんな饗宴が催されている、という事実に対する驚き。
 第二に、ラフィールがソビークに対して、そんなに熱心であったのだろうか、という疑念混じりの驚き。
 第三に、ラフィールに、ソビークに誘われるという、現状に対する驚きであった。
 特に第三の項目に関しての驚きは大きいものだった。何せ、ジントが修技生時代に一度だけ行ったソビークで、ラフィールにばったりと出くわした時、彼女はかなりご立腹だったのだ。
 尤も、ラフィール自身が、ソビークで何かしら色々と買い込んでいた訳で……説得力が甚だ欠けていたのは、否めないのであるが。
 ――そういえば、なんであの時、あんな不機嫌だったんだろうな?
 ジントはそんな古い感慨を思い出した。アーヴ、地上人に関わらず、唐突に埒も脈絡もない事を思考する事は、現実逃避の常套手段である。要するに、ジントは今ひとつ乗り気になれなかったのだ。

 ラフィールに誘われるのは、ジントとしては正直かなり嬉しい。普段なら一も二もなく承諾するだろう。だが、それがよりにもよって『あの』ソビークとは……!
 内心で呻くジントに、ラフィールは訝しげな表情で問うた。
「どうしたジント。私と出かけるのは嫌か?」
「いや、そんな事はないよ!」
 ラフィールの声に、疑念と不安とを感じ取って、ジントは反射的にそう答えてしまった。途端にラフィールの麗貌が、ぱっと光り輝く。
「そうか。なら決まりだ。明日また迎えに来るから、部屋で待っているがよいぞ。着替えは私が用意して、夕食後に届けさせるから、明日は私が迎えに行くまでに、それに着替えて待っているがよい」
「え?ちょっとラフィール……?」
 ひとり決めして一方的にそう告げると、狼狽するジントを後目に、ラフィールは身を翻して去ってしまった。
「おーい、ラフィール……?」
 ジントの呼びかけは、空しく宙に吸い込まれるばかり。
「にゃー……」
 唯一、ディアーホの哀れむような鳴き声だけが、それに答えたのであった。

◆◇◆

 ――なんで、僕はこんな所にいるんだろうな――
 ジントはとりあえず、現実逃避に韜晦してみた。無論、そんな事をしても現状は何一つ変わらない。
「よく似合うぞ、ジント」
 ラフィールが珍しく、ジントを誉める。
「そっか、ありがと」
 ――誉めているのは僕のことでなくて、この衣装の事なんじゃないかな?ちらりとそう思わなくもなかったが、とりあえずジントは素直にお礼を言った。
「でも、意外と器用なんだね、ラフィール」
 ジントの誉め言葉に、ラフィールの眉間に雷雲の気配が漂った。
「意外に、とはどういう意味だ、ジント?」
「い、いや別に他意はないよ。気にしないで」
 精神の背筋を冷汗で濡らしながら、ジントは慌てて誤魔化した。そして、改めて自分の服装を確認してみる。

 ツナギを着ずに、肌の上から直接着込んでいるものは、奇妙な裁断のゆったりとした衣装だった。しかし着心地は悪くない。むしろ、裏地の感触が心地よいほどである。
 この服はセットで『ハオリハカマ』とか、大別して『キモノ』とか言うらしい。最初は全く心当たりのなかったジントだが、『ハカマスガタ』になって、ご丁寧にセットになっていた『カタナ』を腰に差した自分の姿を鏡で見てみると、故郷のマーティンで観た立体映画を思い出した。
(確か『サムライ』って言うんだよな、この格好って)
 まるで舞うように回転しながら、周りに群がる悪党達を次々と斬り捨てていったシーンが、子供ながらに強いインパクトを覚えたものだった。
(でも、確か頭には『マゲ』とかいうのを乗せるんじゃなかったっけ?)
 そうも思ったが、自分の頭に『マゲ』が乗っているのを想像して、あまり似合わなかったので、指摘するのは控えた。

 一方のラフィールは、薄紫色のつなぎを着ている。長衣はまとっていないが、頭にいただく頭環は、副百翔長のものではなく、優美な王女のそれである。
 どうせなら、ラフィールもいつもと違う格好をすればいいのに、とジントは思うが、誇り高き王女殿下はそうもいかないらしい。
 まあ確かに、万一『あの』レトパーニュ大公爵にでも見咎められたら、大騒ぎになる事だけは確かであろう。ジントなどはその恐ろしさを知らないが、クファディス参謀長などなら、そんな状況を想像しただけで、爪先まで蒼白になる事、疑いなかった。

◆◇◆

 連れ立って、雑踏の中をしばらくの間歩き回っていたが、ふと聞き慣れた声が聞こえた気がして、二人して辺りを見回してみた。
「……ねえ、ラフィール?」
「そなたにも聞こえたか?」
「うん……あんまり自信はないけど」
 『にも』というあたりに揶揄を感じないでもなかったが、ジントは素直に答えた。
 彼らが、自分の聴覚に疑念を感じたのは、その声に対する記憶が曖昧だからではなく、なぜこの場所で?という疑念から発するものである。そして結果として、彼らの記憶力は確かであった。

「おや、二人とも奇遇だね。まさか、ここで会う事になるとは思わなかったけれど」
 元〈バースロイル〉先任翔士、ソバーシュ副百翔長がその人であった。そして、彼女の姿を視認した瞬間、ジントとラフィールは、思わず硬直してしまった。
「どうかしたかい?」
 二人の様子を察してソバーシュが質問したが、質問された側はしばし無言を保った。ソバーシュはそんな二人を見やって、訝しげているのか惚けているのか不鮮明な風体で、
「どこかおかしいかな、この衣装は?」
 などとのたまった。

 ジントとラフィールが絶句したのも無理はないだろう。彼女の頭には、どうみても、猫の耳にしか見えないものが付属していたのだ。しかも、ご丁寧に尻尾までセットである。普段の彼女を見慣れている二人にとっては、実際目にしていてもなかなか受け入れ難いものがあった。
「……あの、ソバーシュさん?」
 ジントは蛮勇を奮って、ソバーシュに問い掛けた。
「その格好は、一体……?」
「ああ、これかい?」
 ソバーシュはにこやかに答えて曰く。
「売り子の格好なんだよ。ちょっと知り合いに頼まれてね」
「売り子……」
 ジントは絶句したが、ラフィールはむしろ納得したように、腕を組んで何度も頷いていた。
「なるほど。コスプレして売り子か。なかなかの熱意だな」
 会話の花を咲かせるラフィールとソバーシュを眺めながら、ジントはアーヴの新たな謎を発見していたのであった。
 まあ、ソバーシュの年齢と行為の間に異議を唱えなかったのは、ジントにしては上出来であったに違いない。

◆◇◆

「おお、殿下に閣下!相変わらず仲がよろしくて結構ですなあ」
 揶揄するでなく、むしろ事実を喜ぶような口調で、そんな事を言いながら近づいてきたのは、やはり〈バースロイル〉での知己であるサムソンであった。
「サムソンさん、『閣下』は止めてくださいよ」
 ジントは、いい加減言い慣れてしまった気がする抗議を行ったが、サムソンは、
「いやいや、俺はもうハイド伯爵家の家臣なんですぞ。領主様を『閣下』と呼んでも問題ない。それどころか、『坊や』なんて呼んだら不敬になるでしょうなあ」
 などと笑いながら言うのであった。
「いいですよ、坊やで」
 ジントは本心から言った。実際、ジントは自分が伯爵閣下であるという自覚よりも、半人前の青二才であるという自覚の方が、圧倒的に強いのである。
「ジント。情けない事を情けない口調で言うでない」
 ラフィールはジントをたしなめておいて、サムソンに向き直った。

「そなたもここに来ているとは思わなかったな」
「俺は元々、こういうお祭り騒ぎが好きですからね。それに、今日は先任翔士……じゃない、副百翔長どのに頼まれましてな」
「ソバーシュさんに?」
 ジントはソバーシュに視線を向けると、ソバーシュは嬉しそうに頷いた。
「ああ。彼の売り子はなかなか巧みだよ。お陰で、私も知り合いも、随分と助かってる」
「ははあ……」
 感心しながら、ジントはサムソンの頭を見た。しかし、そこには猫の耳は付属していない。不思議に思っていると、ジントの視線を察したソバーシュが、
「この耳をつけているのは私だけなんだよ」
 と教えた。
「何故ですか?」
 ジントがさらに尋ねると、サムソンが笑いながら言った。
「誰がむさい男のこんな姿見たいもんか。麗しい女性だから似合うんだよ」
「麗しいとは過剰な修辞だけど、まあそう言う訳なんだよ」
 ソバーシュも肯定したので、ジントは一応納得した。すると別の事柄が気になってくる。彼は、ソバーシュの飾り耳を見ながら尋ねた。
「ちょっと、その耳を触らせてもらっていいですか?」
「構わないよ。どうぞ」
 そう言ってソバーシュは頭を差し出してきた。その仕草が何となく愛らしいので、ジントは危うく微笑してしまう所だった。さらに彼の思考は無秩序に跳躍して、
(ラフィールの頭に、これがついてたら似合うかな?)
 などと考え、想像してしまった。
 その結果――彼女の眦の高い瞳と相俟って、かなり似合うような気がした。だが、それをラフィールに伝える事は、避けた方が賢明である事にも、どうにか気がついた。

 そんな事を考えながら、ソバーシュの猫耳を触ってみる。温度・質感ともに、ディアーホの耳と変わらない。ジントは感嘆した。
「この耳ってどういう作りになってるんです?」
 ソバーシュはその問いに、不可思議な笑みを浮かべた。
「ああ、これは私の本当の耳なんだよ」
 ぎょっとしてソバーシュを見つめ直す、ジントとラフィールの表情を確認して、ソバーシュは面白そうに笑った。
「そんなに驚かなくても、無論冗談だよ」
「そ、そうですよね」
 ジントも乾いた笑いを返したが、その時ソバーシュの頭の耳が、ぴくぴく動いていたのを見逃さなかった。
「その耳、一回取ってくれませんか?」
 ジントは、自分の精神衛生のために頼んでみたのだが、
「いや、それはちょっとできないんだよ」
 と返されて、さらに不安をつのらせてしまった。小声でラフィールに問い掛けてみる。
「……ねえ、ラフィール。ソバーシュさん、もしかして普段はあの耳を髪の中にでも隠してる、とかいう事ないよね……?」
「ばか。そんな訳ないであろ」
 ラフィールは一蹴したが、ジントは食い下がった。
「でも、ソバーシュさんの家徴(ワリート)って、ラフィール知ってる?」
「……いや、知らない」
 ラフィールの麗貌から、やや血の気が引いた。
「もしかしたら、ソバーシュさん家の家徴って……」
「……ジント、それ以上言うでない。私もなんだか不安になってきた……」
 この日以来、ジントとラフィールの間には、新たな禁句がひとつ、付け加えられたのであった。

◆◇◆

「すみませーん!ちょっと写真撮らせてくれませんか!?」
 ジントは、不意にそんな声をかけられて、大いに戸惑った。声の主が全く見知らぬ、しかも若いアーヴ女性だったのだ。
 期待に目を輝かせる少女とラフィールを交互に見比べながら、ジントは大いに困惑したが、意外にも、救いの手はラフィールから差し出された。
「私は構わないぞジント。写真くらい撮らせてやるがよい」
 ジントは、彼女の反応の方も意外に思ったのだが、ラフィールを知らないそのアーヴ少女は、大喜びで首にかけた小型の機械――今では珍しい平面写真機だ――を操作して、嬉しそうに撮影を始めたのだった。
 今度はいきなり被写体に成り下がってしまって、当惑するジントを尻目に、ラフィールは、どこか満足そうでさえあったが、それも、複数の女性が、ジントに群がってくるまでであった。
 大勢の女性に囲まれ、いつもの曖昧な笑みを浮かべながら、へどもどしているジントを見ているうちに、ラフィールは何故か無性に腹が立ってきた。

 一方のジントも、内心で辟易していた。
 ジントはデルクトゥーで、動物園というものに行ったことがあった。そこでの熊との思い出も強烈であったが、今思い出したのは、その中での、人気のある動物達の扱われようであった。
 この女性たちときたら、ジントを、まるでその動物達のように扱うのである。どれだけ誉められていたとしても、あまり嬉しくないのは当然であった。
 この状況をどう切り抜けようか、と思案するジントの腕が、急に引かれた。ラフィールが人の輪の外から、強引にジントの腕をとったのである。
 呆気にとられている、ちょっとした群集に向かって、ラフィールは、やや早口で言い放った。
「我等は、まだ別所を回らねばならぬ。ここはそろそろ、失礼させてもらうぞ」
 そして、ジントを強引に引っ張って、その場を離れたのであった。

 ジントは再び窮地に立たされた。
 ラフィールが怒っている事は明白であったが、何故怒っているのかについては、皆目見当がつかない。したがって、彼女を宥めるための材料もみつからない。ジントは、二重三重の苦境に追い込まれていた。……まあ、いつもの事だと言えば、その通りであるかもしれない。
「あ、あのさラフィール?」
 ジントは勇気――或いは蛮勇――を振り絞って、ラフィールに問うてみたが、
「知らぬ!」
 という、はなはだ理不尽な返答によって、挫折を余儀なくされたのであった。
 しかしラフィールにしても、自分が何故こんなに腹が立っているのか、今ひとつ不明瞭なのである。説明など出来るはずも無かった。

 ……尤も、第三者から見れば、原因と理由は明白であった。置いて行かれた感のソバーシュとサムソンは、
「いやいや、青春ですなあ」
「若いね、二人とも」
 などと勝手なことを言いつつ、微笑ましげに二人を鑑賞していた。


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