戦時の饗宴(後編)

 ソバーシュとサムソンの鑑賞の対象達は、一方は不機嫌を、もう一方は困惑を抱え、しばし無言で歩を進めていた。表面上はいつもの事だが、今回はやや事情が違っている。
 だが、いくら事態が希少であるからといって、ジントはこの状況を楽しむ気になれなかった。
 無論何も言わないが、実はラフィールの方も、ジントと同様の感慨を抱いてはいるのである。
 ただ、一度突っぱねてしまった以上、どうやって、ジントと和解すればいいのか……実の所、彼女は困惑すらしていたのだ。

「とりあえず、さっきは助けてくれてありがとう」
 ジントの、咄嗟ではあるが何気ない――というより、彼は全く意識していない――謝辞に、ラフィールは思わず、ジントの顔を見直してしまった。
 ジントの方はといえば、唐突――に彼には思えた――にラフィールがきょとん、と見つめてきたので、こちらもきょとん、と見つめ返すしかなかった。
 結果として、ジントと視線が合ってしまったラフィールは、一度視線をさ迷わせたが、模範回答がどこかに書いてある訳でもない。彼女は自分で探るように、先程の自分の心境を再構築してみようとした。
「別に、そなたを助けようとした訳じゃない。あれは単に、私が気分を害し……」
 そこまで言って、ようやく答えに気づいた彼女は、大慌てで前言を翻しにかかった。
「いやそうじゃない!そなたがあまりにへらへらしているから腹立だしく……いや違う!そうでもなくて……」
 一言ごとに、墓穴を深くするラフィールである。大体、隠し事だの言い訳だのが苦手なのだ。この、クリューヴ王家の第一王女殿下は。

 そしてもし仮に、ここで先程のラフィールの深意に気づかなかったなれば、ジントの洞察能力は、冷凍野菜をも下回る事になったであろう。
 流石のジントも、冷凍野菜には打ち勝つ事が出来たようであった。
 尤も、理解できるという事と、対処できるという事とは、なかなかイコールでは繋がらないものである。
 ジントは玄妙な顔で、あらぬ方に視線を逸らし、ラフィールが赤面て俯き、沈黙してしまうと――二人の間には、先程とは違った意味での、何とも気まずい空気が漂った。
 そんな空気を払拭したのは、当事者達の努力の結果ではなく、偶然を司る女神のお手柄であった。
 新たな旧知の声が、彼らに投げかけられたのである。

◆◇◆

「艦……殿下、リン前衛翔士、何をしているの?」
 無感情な声は、やはり〈バースロイル〉で生死を共にしていた、エクリュアのものであった。
「やあエクリュア前衛翔士!こんな所で会うなんて偶然だね!」
 先程の微妙な雰囲気の反動で、妙にテンションの高いうわずった声で返答してしまうジントである。尤も、彼女の声を天の助けと思った事も、また確かであった。
 そして実は、ラフィールにしても、ジントとほぼ同様の心境であったのだった。

 そんな二人の内心など知らぬ気に――実際、知る由などないであろうが――エクリュアは、淡々として言を紡いだ。
「偶然と言うほどの事もない。待命中の軍士は、大抵ここに来てるから」
 ジントはまばたきした。道理で、先程から知己によく会うはずであった。……尤も、ここまで連続されると、何物かの作為などを疑いたくもなるのであるが。
「その衣装は、殿下の趣味?」
 唐突に話の矛先が変わって、ジントは話に付いていき損ねたが、ラフィールは、そんな間抜けな失敗は犯さなかった。
「うん。ジントは肩幅も広いし、背も高いから似合うと思った。実際、よく似合っているであろ?」
「そうね」
 ジント本人を置き去りにして、アーヴ少女二人は、ジントと衣装について、論評などしている。論評される側としては、実に居心地の悪い事であった。
「君も今日は売り子なの?」
 話を逸らせるつもりで、ジントは聞いてみたが、エクリュアの返事は微妙であった。
「似ているけど、少し違う」
「……具体的には?」
 エクリュアと会話していると、時折、名詞や指示語を確認しないと、話題が玄妙な方角へ流れてしまう事が良くある。頭の体操には、もってこいなのかもしれないが――普段の会話で、そんなに頭を使いたくないのも、また事実であった。
 尤も、ジントはもう少し、自分の発言に対して留意しておくべきかもしれないが。
「わたしが作ったから」
 案の定、一般名詞すら出さずに、一人称と動詞のみで返答するエクリュアである。ジントとしては当然、
「なにを?」
 と問い返すより、他はない。
 すると、軽蔑したような視線が二対、ジントに突き刺さってきた。もはやお馴染みの反応であった。

 生粋のアーヴにしてみれば、ソビークで『作る』と言えば、大まかに分ければ、二つの意味にしかならない。アーヴ少女にしてみれば、ジントの鈍さ、或いは無知が、情けなく思えるのは当然であった。
 しかし、ジントの様に、ろくに呼び知識もない状況で、そこまで洞察する事は不可能である。アーヴであれば常識である事も、極少数の例外であるジントにとっては、異郷の慣例でしかない。
 あきれ返りながらも、律儀に解説してくれるラフィールのお陰で、ジントはまた一つ、アーヴに対する知識を増やした訳であった。

 こんな関係が、よく飽きもせず継続するものだ、と感心したくもなるのだが、ジントは決して、現在の状況が嫌なわけではなく、むしろ好意的に受容しているのだし、ラフィールの方にしてみても、ジントの『鈍さ』を――表面的にはともかく――好意的に受け入れているのであるから、第三者からみれば『世話はない』と言うところであろう。
 一言で済ませるなれば、『ごちそうさま』である。

◆◇◆

「それで、そなたはどんな本を売っているんだ?」
 一時、置いてきぼりを食った体のエクリュアに、ラフィールが問い掛けた。
 エクリュアは声帯を使用せず、腕の運動によって返答した。彼女の手に、一冊の本があったのだ。
 ジントが、何気なく表紙をめくろうとすると、エクリュアは意外にも、
「あなたはだめ」
 と、にべもない事を言って拒絶した。
「どうして?」
 ジントは普通に尋ねたつもりだが、ひょっとすると、少しばかりの不快感がもれ出たかもしれない。だがいずれにしても、エクリュアの表情に変化は全く見られなかった。淡々として、自分の主張を述べるのみである。
「これは女の子向きだから、あなたはだめ」
 なるほど、とジントは一応納得した。女性同士でしか交わし難い会話が存在する事と、似たような物なのだろう。
「じゃ、ラフィールだったらいいのかい?」
「ええ」
 なぜか漠然と、脳裏に引っかかる物を感じたが、とりあえずジントは、ラフィールの方を振り向いた。彼女に興味があるものだったら、後で見せてもらおうと思ったのだ。
 しかし、ラフィールの顔には血が上り、表情は何故か強張っており、ジントは不審と不安に挟撃された。
「ラフィール、どうしたの?大丈夫かい!?」
 ジントの真剣な問いは、しかし、
「だ、大丈夫だ。それよりジント、しばしこちらを見るでないぞ!」
 という、やや理不尽な返答によって報いられた。

 何がなんだか解らないながらも、彼女の指示に従い、あさっての方向を見ていたジントの聴覚に、ラフィールの「むむ……」だの「うぬぬ……」だのといった、妙なうめき声が聞こえてきて、好奇心を押さえきれなくなったジントは、横目で彼女の表情を覗う事にした。
 果たして、ラフィールはその麗貌を紅潮させ、エクリュアの本を食い入るようにして読んでいた。
 しばしその姿勢で硬直していたかと思うと、エクリュアと何やらひそひそと密談を始める。やがてエクリュアが頷くと、ラフィールは端末腕環を操作した。恐らく、商談が成立したのだろう。
 ラフィールがこちらを振り向く前に、ジントは視線を元の位置に戻したが、彼女がそんなにご執心であった本の内容が、非常に気になっていた。

 だが結局、その本の内容を聞きそびれたまま、彼らはソビークを後にすることになったのであった。

◆◇◆

「そういえばさ」
「どうしたジント?」
 ソビークからの帰り、連絡艇の中で、ジントは不意に最初の疑問を思い出していた。
 丁度、今ここにはラフィールしかいない。例え大恥をかいても、被害は軽微で済む。ジントは率直に、疑問を口にした。
「どうしてこんな戦時中に、ソビークみたいな饗宴をやっているのかな、って思ってさ」
 ジントは何気ない質問のつもりだったが、ラフィールの表情が引き締まるのをみて、内心で身構えた。しかし、彼女の唇からこぼれ出した言葉は、ジントに対するいつもの誹謗ではなかった。
「戦時中だからこそ、だ」
 釈然としない、といった感のジントを横目に、彼女は言を継いだ。
「今はまだいい。私もそなたも、まだ平和な時代を知っている。今、戦場に出ている軍士達も同様だ。だが、これから産まれて軍士になる者達は、平和を知らない者も多くなるであろ。戦場しか知らない人生なんて、不幸だ。そうは思わないか、ジント?」
「……うん。僕もそう思う」
 ジントの返事を聞いて、ラフィールは満足げに頷いた。
「だから、我等は戦時中でも饗宴を開く。平穏を知らない子供達のために。一時の平穏と出会いの為に」
 ジントはその言葉を咀嚼した。

 アーヴは好戦的であると言われる。事実、売られた喧嘩は十倍返し、という行動原理を持っているし、戦場においても、死の恐怖より、昂揚感がしばしば上回る。
 ただ、それが平和を好まぬ、という事と、等号で結ばれる訳ではない。アーヴ達も、彼らなりに平和を愛しているし、平穏な時の使い方は、地上人達より上手なくらいだ。
 だからこそ、彼らは戦時中でも、平穏の時を過ごそうと志向し、それを子孫達に教えようとするのだろう。
 それに、実際的な意味もある。戦場に出ていれば、出会いは限られてくる。故にこういう饗宴は、出会いの絶好の機会となるであろう。
 それともうひとつ。こういう慣例を続ける事で、文化を荒廃させずに保存できる、という利点もある。
 アーヴ達にとって、一石で数鳥の益がある、という訳だ。

 ジントの思考を読んだかのように、ラフィールが補足した。
「子供達の為だけじゃない。今こうして生きている、私達の為でもあるんだ」
「出会いの為に?」
「それもあるけど、それだけじゃない」
「どういう事?」
 ラフィールの口調は、厳かだった。
「我ら自身の思い出と、生き残る理由のため、だ」
「自分自身の、思い出作りって事?」
「うん。戦場に出たら、命を失ってしまうかもしれない。だから、少しでも思い残す事がないように――或いは、生き残って出席するために、こういう宴には、なるべく出席するようにしてるんだ」

 人は誰でも、何かの為に生きている。稀に、生きる為のみに生きている者もいるが、そういった愚か者を除けば、人は何かしら、目的を持って生きているはずだ。
 それは何かの為でも、誰かの為でも、或いはその両方でも、またはそれ以外でも構わない。無論その為には、自分が生きている事が大前提だ。
 そして生き残る目的が、饗宴で恋愛の相手を探すため、であっても、はばかる事などない筈だ。
 例えば今日のソビークでも、参加者何十万人の、何十万通りの挿話が、彼等の人生に付け加えられた。その挿話が、彼等の人生にどのように関わってくるかは、彼等一人ひとりの価値観と行動で決定されるであろう。
 全人類が何億、何兆いるか知らないが――それだけの人間の、それぞれの人生が存在する。なれば生きる目的も、それだけ存在して、一向に構うまい。
 人生が、その人間を主人公とした演劇であるならば、その主人公には、演劇を面白くする義務がある筈であった。

 二人は、その後は何となく口を閉ざしたままで、連絡艇は、クリューヴ王家の帝都城館に近づいていった。

◆◇◆

 ――クリューヴ王家帝都城館・発着広間――

「そういえばさ」
 ジントの言葉に、ラフィールは眉を僅かにひそめた。
「また『そういえば』か。どうしたんだ?」
「結局、エクリュア前衛翔士から買った本って、どういう物なの?」
 ジントの口調はさりげないものであったが、それに対するラフィールの反応は、過剰と言わざるをえなかった。顔が紅潮し、怒った様な、或いは慌てた様な風体で、
「そ、そなたが気にするような物じゃない!」
 などと一方的に宣告して、紙袋を後生大事に抱え込んで後ずさった。どうか怪しんでくれ、と言わんばかりの態度である。
 ジントの胸中で、悪戯心が頭をもたげてきた。彼はしかめつらしい表情を作って、ラフィールに問い掛けた。
「ラフィール。僕は今日、君の言うとおりの衣装を着て、ソビークに出席したよね」
 ラフィールは怪訝な表情をしつつ、なおも紙袋を抱えたまま
「うん。でも、それがどうしたんだ?」
 と返答した。もうこの時点で、ジントの術中に嵌ってしまっているのである。見えない下級悪魔の尻尾を振りながら、ジントはラフィールを追い詰めにかかった。
「その事に対する報酬を、僕はまだ貰ってないんだよね……」
 わざと含みを持たせた口調で、ジントは質問した。ラフィールの麗貌から、血の気が引いていった。
「ま……まさかそなた、報酬に本を見せろ、などと言うのではあるまいな!?」
「他にどう言っているように聞こえるかな?」
 全くもって、他に解釈のしようも無かった。
「だ、だめだ!それだけはだめだ!他の事を考える故、これだけは勘弁するがよい!」
 頑なに固辞しつつ、蒼ざめたまま、じりじりと後ずさるラフィール。
「うーん、どうしようかな……?」
 などとうそぶきつつ、軽く前方に突き出した両手をにぎにぎしながら、彼女ににじり寄っていくジント。
 ……彼らの事を知らぬ他人が見たら、かなり危険な光景である。元某男爵領家臣であった某女性国民に見つかったら、ジントは射殺されていたかも知れない。
 尤も、幸いであるか否かはともかくとして、この奇妙な硬直状態は、すぐに破局が訪れた。

 心身の動揺によって、彼女の身体能力が負荷を発したのであろう。ラフィールは不意に足をもつれさせ、両手を投げ出した格好で、床に倒れこみそうになった。彼女らしからぬ失態であった。
 しかし、不本意な床との抱擁は免れた。彼女に失態を強いた責任者が、素早く彼女を抱きとめたのである。
「大丈夫かい、ラフィール!?」
 自分の責任は忘却の棚に放り込んで、ジントは腕の中のラフィールに問い掛けた。
「うん、平気だ。……ありがとう、ジント」
 こちらも、誰の責か忘れたかごとく、いささか照れくさい思いをしながら、ラフィールがお礼を言った。――途端、その表情が凍りつく。
 不審と不安に挟撃されたジントは、彼女の視線を追って――自身も凍りついた。

 床と荒々しく接吻した本の群れが散乱している中に、例の本が無論存在していた。頁が開いて、内容が露出していた状態で。
 その挿絵は――若い男同士が、裸で抱き合っているものであった……

 この時、ジントがより早く立ち直ったのは、恐らく悪魔の悪戯だったのだろう。
「え……えーっと……」
 などという埒もない台詞で、ラフィールは我に返った。活動を停止していた脳に、現状が整理されて伝達されていく。
 錆付いた機械のような動作で、ぎこちなく振り向いたラフィールの目に、似たような風体でぎこちなく笑うジントの顔が映った。
「や……やあ」
 ラフィールの脳裏で、複数の感情による、超新星が爆発する。
「ジントの……」
 ラフィールは、絶叫した。
「ばかーーっ!!」
 ラフィールは例の本を抱きかかえ、自分の部屋に駆けて行き、ジントは取り残された。

 ……人、これを称して『自業自得』と呼ぶ。

 ――その後、ジントがラフィールに口を利いてもらうまで、一週間の時間が必要であった事を、追記しておこう。


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