異伝・悠のお弁当 前編

※当SSでは、主人公の名前は『Animation』に従って『鳴上悠(なるかみ ゆう)』としていますが、性別を変更して『主人公は女の子』として執筆しています。
 また、ゲーム本編でのイベント発生時期とSS執筆の都合上『四月の時点での『男子の鳴上悠』より社交的な性格』として描いております。
 主人公の性別変更を含めた『捏造行為』が好ましくないという方は、お読みにならない事を強くお勧め致します。

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「ただいま」
 お世話になっている堂島家の玄関をくぐり、そう声をかけつつ居間に入る。
 玄関に繋がる板の間は台所になっていて、大きめの2ドア冷蔵庫と一般的な調理設備が備え付けられてあり、そして徐々に荷物置き台と化しつつある食卓がある。その向こう、ちゃぶ台とテレビ、ソファーが置かれている畳の間で、テレビを観ていた菜々子ちゃんと視線が合った。
「おかえり、お姉ちゃん!」
 幾日かを重ねて懐いてくれたのだろうか、屈託無い笑顔で迎えてくれる菜々子ちゃん。私には兄弟がいないが、妹というのは恐らく彼女のような存在を称するのだろうと思う。 ――そして、『懐いた』のは決して彼女だけではない。私もまた、菜々子ちゃんに対し随分と心境を許すようになっていた。
「あのね、お姉ちゃん。今日商店街で『とくばい』があったの。だからいーっぱいお買いものしたよ。冷蔵庫の中、ぎゅーぎゅーになっちゃった」
 心底から嬉しそうに、菜々子ちゃんはそう言を継いだ。
「そう。ありがとうね」
 私はそう返したが、もしかしたら浮かべた微笑が引きつっていたかも知れない。
 ……彼女の『買い物』は『買える物を買えるだけ買う』のが基本となっている。それを別の表現で評すると、やりくりとか一貫性といった要素が不足しているという事であり、結果、彼女の購入物リストは混沌を極めたラインナップとなる。
 更に言うならば、冷蔵や冷凍保存が必要ない食材どころか、そもそも食材でない物すら冷蔵庫に入っている事もあるので、庫内の整理は必須。その上で不足している食材の類を吟味して買い足し夕食を作るのが、私のここでの最大の役割だった。
 ま、自身の物ものを含めた家族の食事事情を考慮したならば、その程度の手間は大して惜しくはない。何せ叔父さんの料理の手腕はほぼ壊滅的で、更に言うなれば、それを改善しようという意志も持ち合わせてはいない。そして一人娘の菜々子ちゃんは小学一年生。親子の食卓を委託するには荷が勝ちすぎる。
 故に食事は三食全て出来合いお弁当や総菜の類ばかりで、しかも誰もその現状に疑問を抱かなかったらしい。この春に堂島家で厄介になり始めた頃、数日続けて三食全て、出来合いのお弁当や総菜が出てきた時は、私は軽く戦慄したものだ。
 その時私は心に誓った。せめて私がこちらに世話になる間だけでも、この食生活を管理改善しようと。
 元より私は調理を始め、家事一般をこなす程度の家庭運用能力は身につけている。放任主義の両親にその責を問う事ができようが、今はそれが役に立ったという訳だ。人生何にしろ、義や人道、法や良心に反しない事ならば、経験しておくに越した事はないらしい。 決して感謝しようという気にもならないが。

 些かならず涼しい気分を味わいながら、冷蔵庫を開ける。
 当然だが、『食材がある』からと言って『料理を作る事ができる』訳ではない。適切な食材が揃っていて始めて、調理というものは成立する。まず何が庫内にあるかを確認しておかないと、追加の食材を買いに行くにしても余計な手間をかける事になる。
 そもそも買い出し自体を菜々子ちゃんに任せず、私が自身で毎日行えば良いという話もあろうが、片手落ちとは言え、彼女のやる気や努力を無にする必要はどこにもない。私は最長でも一年しかこの家にいないのだし、いずれ彼女が調理のノウハウを身につけた時、今のこの習慣が役立つ時がきっと来る。
 その日が一日も早く来ればいいと思いつつ、私は冷蔵庫内の吟味に入った。
「…………?」
 そして私は、とある事態に対し、首を傾げる羽目になる。
 ……揃っていたのである、食材が。とある料理を作るのに最適な。
 いや、それ自体は手間も省けて大助かりなのだが、これは偶然なのか、それとも誰かの作為が存在しているのか、些かならず気になってしまった。まあ今更気にしたところで、何がどうなるという訳でも無かったが……
 順を追って説明すると、庫内に入っていたのは、まず豚のロース肉。スチロールの皿が六つ確認できたので、私はてっきり二〇〇グラムか、精々三〇〇グラム程だろうと思っていたのだが、ラベルには全て『五〇〇グラム』と書かれていた。
 一食で消費するには多すぎるかもと冷や汗をかきつつ、私は更に冷蔵庫を漁った。
 次に出てきたのは、大振りのタマネギが三玉。ちゃんと畑で完熟させてから収穫した物らしく、ツンと来る独特の香りはしない。やるな、稲羽中央通り商店街。
 そしてキャベツがひと玉丸々出てきたり、冷蔵庫に入れる必要のない生姜が丸ごと三本入っていたり、同じく冷蔵庫に入れなくて良い調味料類――醤油や調理酒、みりんなども見つける事もできたりと、『お膳立て』としては過ぎる程に充分だった。
 或いは、菜々子ちゃんか叔父さんによる無言のリクエストなのだろうかとも疑ったが、折角揃っているのなら、無理に方向性をねじ曲げる必要はない。
 まな板や包丁、ボウルなどを用意して、私は『豚の生姜焼き』を作り始めた。

 まず、切り分けた豚ロースを筋切りする。
 男性の場合、食べ応えを醸し出す為、あえて大判のまま切り分けずにおくと聞いた事があったので、叔父さんはそちらの方がいいだろうかと思い付いた。が、そうしてしまうと菜々子ちゃんには明らかに食べづらい大きさになってしまう。
 どちらに合わせるべきか悩んだ結果、今回は菜々子ちゃんでも食べやすいよう、一枚の大きさは若干小さくなるように切り分けた。大は必ずしも小を兼ねないのだ。
 尤も味付けの方は、二人の馴染みの味は分からない。叶うなら叔母さんの味を再現してみたかったが、食べた覚えもない味を出すのは私には不可能だった。まあ私の場合、実の母の味すら出せていないという話もある。料理を教えてくれたのは母ではないのだから、当然ではあるが。
 豚の生姜焼きは、大別して三通りの調理法に分けられる。
 ひとつは、肉の漬けダレと煮絡めるタレを別レシピで作る調理法。
 二つ目は、漬けダレをそのまま煮絡めるタレに流用する調理法。
 三つ目はタレ漬けをせず、煮絡めさせる為のタレだけを作る調理法。
 私は基本、生姜焼きを作る時は最低でも漬けダレは作る。そして調味料の残りや時間、更に私自身のやる気との相談になるが、できるだけ漬けダレと煮絡めるタレは分けて作る事にしている。漬けダレに程よく漬けておけば、滋味も染みる上に肉が柔らかくなる。
 一般的な料理である故に、人それぞれのレシピがあるだろうが、私は食べる人の好みに合わせる為以外に砂糖を使わない。調理酒と醤油、みりんで味を調える。そして漬けダレには生姜の絞り汁を、絡めタレにはおろし生姜を入れる。漬けダレにおろし生姜を入れてしまうと、辛くなりすぎるのだ。子供には勿論、大人にすらも厳しい味になってしまう。 『絞り汁』と称すと難しいイメージがあるが、生姜を丸ごとすり下ろした物を、薄手の布巾やキッチンペーパーで包んで絞れば問題は無い。
 筋切りした肉を漬けダレを揉み込んでから漬けている間に、絡め用のタレを作りながらタマネギをスライスしたりキャベツを千切りにした後、タマネギを飴色になるまでフライパンで炒める。この辺は時間との戦いだが、手際の優劣は存外、事前の段取りでどうにかなってしまうものだ。料理上手か否かはさほど大きなファクターではない。
 炒めたタマネギを別の器に移して、いよいよ肉を焼いていく。
 量が多いので些か手間だが、肉をきっちり広げて両面を焼く。事前にちゃんと筋切りをした上でこう焼けば、まるで定食屋で出てくる生姜焼きのように、肉の一枚一枚が大きく広がっている、見栄えも良くボリューム感もある風に焼き上げられる。
 きっちり両面を焼き上げ、充分に火が通ったら、事前に作っておいた絡めダレをまぶす要領でフライパンに入れていく。火を通しながら絡める為、長々とタレを煮詰めない様にするのがコツと言える。煮詰まるまで炒めてしまうと、タレでの味付けが強くなりすぎてしまうのだ。
 後は前の要領で肉を焼いていき、付け合わせにキャベツの千切りを添えれば完成だ。
 レシピ自体は頭の中に入っているので、作る事自体は久しぶりとは言え、手際自体には影響を与える事はない。私は次々と調子よく、豚ロース肉を焼き上げていった。
 ――その『調子の良さ』が、大いなる仇になるとも思わずに。

「うーん……」
 見た目も味も手前味噌ながら、良い具合に完成したと思える生姜焼きを前に、私は些か難しい表情で首を捻っていた。
 ――理由は簡単。『作りすぎた』のである。
 確かに、叔父さんがいるからと思って『若干多めに』作ったつもりだったが、どこかで加減を間違えたらしい。
 一見して分かる。明らかに多い。
 一応、冷めても美味しいように柔らかく仕上げてはいたが、果たしてその心配りは役に立つのか分からない。せめてもう一人いたならば、完食も可能であっただろうが……
 恐らく最大の敗因は、菜々子ちゃんに一切れ味見して貰った事だろう。彼女があまりに嬉しそうに「美味しいよ!」と言ってくれるものだから、調子に乗ってしまった。やはり人間、限度とか分別といった物を忘れてはいけない。
「ま、食べるだけ食べて残ったら、その時に考えたらいいか」
 結局私はそうのたまって、楽観主義に責を丸投げした。

「……大丈夫な訳、無いだろう」
「……ですよね」
 大皿の上に山になった肉の群れを見て、無形の異物で塞がれた咽から絞り出したと察せられる叔父さんの声を聞いて、最後の希望が潰えたのを確信した。
 ――もっと早く気付くべきだった。
 私は肉を食べられないのだから、口にするのは実質的に叔父さんと菜々子ちゃんだけになる。そして二人――いや、実際には一人半と評するべき人数で食べるには、あまりにも多すぎた。
 しかし『捨てる』という選択肢は私の中にはない。何かに派生させるなり流用するなりできないかと真剣に悩んでいたが、解決法は非常に安易な所に転がっていた。
「まあ、晩飯だけで食いきる必要も無いか。悠、残った分は明日の弁当に詰めてくれ」
「……その手がありましたね」
 思わず、パチンと指を鳴らしてしまった。『コロンブスの卵』という奴である。
「つっても、俺ひとりの弁当じゃあ片付けられんだろうな。足立の分も頼む。後はお前も学校に持って行って、友達と一緒に食えばいい。重箱は食器棚の下にある」
 流石は刑事と言うべきか。私の頭が結論を弾き出す前に、叔父さんはその先まで読んでいた。尤も、私が既に重箱の在処を突き止めていた事までは、分からなかったようだが。
 ただ叔父さんの物を含め、単に弁当箱に生姜焼きとご飯を詰めて終わり、という訳にはいかない。期間限定とは言え台所を預かる者として、鼎の軽重を問われるというものだ。これらを主役に置きつつ、彩りやバランスを考えたならば……
「悠。明日の弁当に思いを馳せるのは結構だが、まずは今日の晩飯を食え。腹が減って、明日の朝に起きられなくなっても知らんぞ」
「私はどれだけ燃費が悪いんですか……」
 私は別に小食だとか、ダイエットをしているなどと可愛らしい事を言うつもりなど全くないが、少なくとも食べた分は動いているつもりだし、その結果として、体重超過を阻止しているつもりでもいる。その過程として、平均的な高校生と比して『食べる方』だとは思っているが、一食抜いた程度で動けなくなる、などと思われているというのは些か癪というものである。それが冗談の類としても、だ。
 ま、食事の席で意識を別次元へ飛ばしていたのは私の責である。苦情は別の機会に置くとして、私も自分の分の食事に箸を延ばし始めた。相変わらず、明日のお弁当に詰めたい献立や下拵えの段取りに頭を悩ませながら。


◆◇◆

 翌日、学校。
 中身がちょっと『面白い事』になった重箱を抱えた私が教室に入ると、いつもの面子が一斉に視線を向けてきた。そして一様に、怪訝な表情を見せる。
 当然と言えば当然と言えた。私が転入してきて以来この日まで、お弁当を抱えてきた事など絶無だったし、まして私が手にしているのは、一人で食べきる事など不可能であろう四段重ねの重箱である。複数の意味で不審に思うのは当たり前だ。
 尤も、私も別にサプライズを仕掛けたい訳ではない。重量と存在感に充ち満ちた代物を机の上に安置すると、一息吐いて皆に視線を向け直す。
「みんな、ちょっといい?」
 誰も口にしなかっただけで、やはり相当気になっていたのだろう。私が皆に水を向けた途端、気持ちいいくらいに食いついてきた。
「おう、どうした鳴上? つか、なんだそりゃ?」
「セムテックスでも抱えてきたように見える?」
 花村の当然と言える質問に、センス皆無で必然性絶無な冗談で応じる。流してくれても一向に構わなかったのだが、雪子が中途半端に食いついてしまった。
「セムテックス……?」
「プラスチック爆薬の一種。二〜三百グラム程もあったら、五階建て雑居ビルくらいなら簡単に吹っ飛ばせるらしいよ」
「……千枝、大謝」
 話が妙な方向に逸れる前に、千枝が要を得た解説を差し挟んで話を遮った。他人の事は言えないながら、一体どこで仕入れた知識なのだろうと首を捻りかけたが、恐らく趣味のカンフー映画で登場していたのだろうと納得しておく事にした。
 が。
「お弁当と見せかけて、開けたらドカン? タマ取ったら〜、みたいな?」
 残念ながら、雪子の中では話が終わっていなかった。というかむしろ、雪子ワールドが更に広がっているような気がする。
「ねねね。爆弾はやっぱり色んな色のコードがあって、それを切って解体するの?」
「千枝……」
 最早すっかり爆弾扱いされている重箱と、物騒事を嬉しそうに聞き込んでくる雪子とを交互に見やりながら、千枝に再び救援を要請したが、
「……無理」
 答えは簡素で、そして無慈悲な物であった。私は鉛色の吐息を吐く。
「とりあえず、ツボった天城は置いとこうぜ。一通り笑ったら飽きるだろ」
 全力で後ろ向きな花村の提案が、しかし現状では一番前向きに思える。私と千枝は二人して無言で首肯し、とりあえず雪子の事は念頭から外す事に決めた。
 そうして――我が身で招いた事ではあるが――また話が明後日の方向に逸れそうになる前に、早々に本題を切り出す事にする。
「多分いないと思うけど……今日、昼食用のお弁当か何かを用意してきている人はいたりするかな? もし用意がないなら、これ、一緒にどう?」
「マジで!? 鳴上って弁当とか作れるのかよ!?」
「……おかしいわね? 私は特定の条件に該当する人間には見えないお弁当なんて、用意してきた覚えはないんだけど」
 失礼極まる花村の反応に、やや霜が降りた口調で切り返した。そしてこう言を継ぐ。
「そっかそっか。見る事ができないんなら、食べる事なんて不可能よね? 千枝、雪子、三人で頂きましょう」
「そだね」「そうね」
 事前に合わせていた訳でもないのに、見事に話が繋がった。最早過ぎる程に分かり易く狼狽する花村に、私は『イイ笑顔』で止めを放つ。
「という事で、話がまとまったみたい。ゴメンね?」
「オニか、お前ら!?」
 悲鳴になるのを水際で堪えたが如き声色で、花村は大音声を張り上げる。だが声自体は大きくとも内容がみっともないので、迫力はあまり無い。が、流石に虐めすぎたかも知れないと反省して、私は苦笑半分の態で肩を竦めた。
「ゴメンゴメン。ちゃんと花村の分もあるから、そんなみっともない声出さないの」
 正確には『花村を含めた四人でようやく完食できるだろうボリューム』なのだが、折角取得した優位である。自分から放棄する必要は何処にもない。
 そんな裏事情など知る由もない花村、
「マジで!?」
 つい十数秒前の悲壮な様子は何処にか。喜色満面の体で聞き返してきたりする。ホントイイ奴だ、この男。私は頷きながらも、思わず苦笑いを漏らしてしまった。『都会育ちの爽やかイケメン、口を開けばガッカリ王子』とは誰の批評だったろう。誇張表現ではあるものの、決して見当違いの評ではない。ただ『そこがウザイ』という評も少なからずあるらしいのだが、個人的には、その裏表の『作れない』気質は嫌いではない。
「マジで。菜々子ちゃんや叔父さんのお墨付きも頂いたから、それなりに期待してくれて良いわよ」
「「「おお〜っ!」」」
 感嘆の声を漏らす三人。この手の賞賛は幾度受けても心地良いものだ。
 尤も、叔父さんの方は『飯は美味いに越した事はない。だが腹が膨れて栄養が補給できれば問題は無い』という散文的な気質の持ち主だし、菜々子ちゃんも基本は気遣い気質であるから、実はこの二人の賛辞は必ずしもアテにはならなかったりする。
 まあ判決は否応なしに、昼休みに下される。私は私で、昼休みの楽しみが一つ増えたという事だろう。不味ければ不味いで、話の種にはなるというものだ。
 私は重箱をロッカーに詰めて、ルーズリーフのページを一枚ロッカーに貼り付け、誰も手を出せないように封印すると、些か心楽しく思いながら昼休みを待った。


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