「……なんか、増えてない? 具体的に言うと、二人ほど」
昼休み、屋上。
膝の上に重箱を乗せながら、私は表情の選択に困じていた。とりあえず一番の疑念を、やや婉曲的な表現を用いながら口にしてみた。が、
「気にするな」
「飯は大勢で食べた方が美味いだろう?」
揃って涼しい顔でしれっとのたまう、二人の体育会系男子。別のクラスの知己である、一条くんと長瀬くんだ。個人的には好ましい人格の二人だが、しかし今日は、この二人と顔も合わせていない。どこから得た情報なのか、若干ながら興味があった。
「二組をちょっと覗いたら、なんかロッカーに『魔除けの札』みたいなのが貼ってあったからさ。興味沸いて里中さんに事情を聞いたんだよ」
一条くんの、それが答えだった。
「あ、花村が漏らしたんじゃないんだ」
我ながら随分と、意外極まる感の声が出た。
「……お前は俺の事、何だと思ってるんだ?」
「聞きたい?」
「……いや、やめとく」
「賢明ね」
こういう時の花村をからかうのは面白い。度が過ぎると単なる『嫌な奴』のレッテルを貼られかねないので、加減や程度といったものは必須だが。
ただ最近、そういった『程度』や『限度』の境界線が量りやすくなった気がする。
昔は加減の水際が分からなくて、踏み越えるのが恐くて、他者と深く関わる事を避けてきたのだが、稲羽市に来て、八十神高校の二年二組に編入して、そして仲間達に出会ってようやく、真っ当な『人間』としての関わりを持てるようになって来たように思う。前の学校の級友あたりが今の私を見知ったら、別人ではないかと猜疑するだろう。
「もう。どうでも良いよそんな事! 早く食べよう! 私はもう腹ぺこでゴザルよ!」
「はいはい」
『どうでもいいそんな事』がどの辺りにかかるのかが気にはなったが、確かに勿体ぶる程大仰な物でもない。千枝のリクエストに応じ、重箱に掛けていた包み布の結びを解いて段ごとに並べた。すると我先にと言わんばかりに、覗き込んでくる五人。期待してくれているのは嬉しいのだが、しかし大した中身でもないので、些かならず気恥ずかしい。
故に、
「おお! 美味そうじゃん!」
「すっごーっ!! 肉が一杯!!」
花村や千枝の直球な賛辞が、嬉しい以上に照れくさい。
「見かけオンリーでないと良いんだけどね。みんなの口に合うかも分からないし」
照れ隠しに謙遜めいた事をのたまいつつ、紙皿と割り箸を全員に回す私である。
「いや、俺も多少料理やるけどさ、こんなに美味そうに作れないぜ。これで不味かったら立派な詐欺だろ」
「……それは誉めてるの? 牽制してるの?」
一条くんの賛辞だか何だかに、再び苦笑させられた。確かに彩りに気を使ったとは言え半分近くが肉である。見た目のインパクトは兎も角、あまり美しいとは称し得ない。
「誉めてるんだって! こんなにガッツリ『肉!』ってボリューム、中々出ないぜ」
「『中身はガッツリ肉!』だからね、実際」
熱の篭もった賛辞だかトドメだかを受け流し、全員に食器類が行き渡ったかを確認。
いよいよ私は開戦の銅鑼を鳴らす。
「それじゃ、どうぞ召し上がれ」
「「「「「いただきまーす!」」」」」
全員の言が一様の声量で唱和する。そして五人分の箸が一斉に、豚の生姜焼きを詰めた
段に伸びた。
緊張の一瞬である。たかがお弁当、されどお弁当。うっかり妙な物を食べさせていたらどうしようかと、今更ながら考えてしまう。だが誰にとっても幸運な事に、私が一番憂慮していた事態は未発に終わった。
「うわ、スッゲー美味え! 何これ、鳴上マジック?」
「凄い、こんなの食べた事無いよ!?」
「わ、美味しい! 味だけでなくて、見た目も綺麗だし……」
「うめー! 俺も結構自信あるけど、これには負けるかな……」
「美味いな。お前、料理できたのか」
……若干失礼な言も混ざっていたが、概ね好評であった事は嬉しく思う。
「生姜焼きだけでなく、ちゃんとおにぎりとか他のおかず、特に野菜も食べてね」
一応声はかけてみたが、みんなに聞こえていたかは不明である。見る見るうちに体積を減じていく肉の群れ。生姜焼きの山とフードファイター達との戦いは、早くも総力戦から殲滅戦へと推移しつつあった。何気に好物の塩にぎりをぱくつきながら、やはり物量とは力なのだなと徒然と考える私。それ程までにみんな、気持ちいい食べっぷりだった。
「くーっ! もっと食べたい! でも食べ終わるの勿体ない! 何というジレンマ!」
「お代わり無いのか? まだまだいけるぞ」
「……そう言ってくれるのは嬉しいけど、ここに並べてるのが全部だし、昼休みのうちに食べ終えてくれないと片付けられないからね」
中でも肉料理が好きな千枝と、スタミナ系料理が好きらしい長瀬くんが特に気に入ってくれたらしい。若干無茶な要求を振られてしまったが、残念ながら私は魔法のランプなど持ち合わせていないので、個々人で現状と折り合って貰おう。
「このおにぎりもヤベーな。中に何の具も入ってないのにスゲー美味いぞ」
殲滅戦から早々に撤退して他のおかずを突いていた花村が、再び賞賛の言葉を紡いだ。
「まあ、おにぎりって元はそういう食べ物だから」
平静を装って答えてみたが、実はそろそろ気恥ずかしさがピークに達しようとしている気がする。自身の事でここまでも賞賛された事のない身の上であるから、こういう感情をどう処理したらいいのか分からないのだ。世に言う『ツンデレ』という奴も、或いはこういう感情を吐露するための一手段なのかも知れないな、などと下らない事を徒然と考える私であった。
当然だが、物質という物は有限だ。消費すれば消耗するし、存在全てを摩耗し尽くせば消滅する。私が用意した重箱の中身も現実の物質で構成されている以上、損耗と消滅とは無縁でいられない。
まあ、早い話が空っぽになったのである。重箱が。文字通り、綺麗さっぱり。
「……お弁当箱って、こんなに綺麗に空になるのね」
最早、呆れるとか驚くとかいった感情を通り越して、感心するばかりである。朝にこのお弁当を用意していた時は「下洗いするにしても、残りが出たら面倒だな」などと思っていたのだが、幸いながらそんな心配は無用であったらしい。
「ああ〜っ! 食べ終わっちゃった! でも美味しかった!」
「そうね。うちの板さんもびっくりするよ。いっそ、うちに来て板前にならない?」
「……それはどうも」
返礼は苦笑混じりになってしまった。二人の賛辞は素直に嬉しいのだが、雪子の勧誘の方は本気が混ざっていそうな気もしないでは無い。ま、天城屋旅館の厨房という就職先も悪く無いとは思うのだが。
「でも、マジで美味かったよな。これなら一週間くらい続いても飽きないと思うぜ」
邪気の混じらぬ良い笑顔で、花村も賛辞をくれる。が、稲羽市も資本主義日本の国土の中に位置する以上、食材を手に入れるには金銭を対価として支払わねばならない。そして堂島家は、特に貧乏ではないが裕福でもない。故に財布の紐は、常に強く括っておくのがまだしも正解に近いと言えるだろう。そうそう気前の良い事はしていられないのだ。
「そう言ってくれるのは嬉しいけどね……豚肉とは言え一週間も毎日こんなにお肉を買い続けてたら、堂島家のエンゲル係数が凄い事になるから」
あえて身も蓋もない表現で苦言を呈してみたが、
「ん? それなら逆に言うと、材料費さえ何とかなるなら、毎日こんな弁当が食えるかも知れないって事か?」
「まあ、あながち間違ってはいないけど……」
長瀬くんが一片の悪意すらない声と口調で、首を捻りながら尋ねてくる物だから、私もついうっかり、肯定めいた言を口にしてしまった。若干大げさな程に盛り上がる一同。
「だったらさ、俺たちで弁当の材料費をカンパしないか? 毎日あの戦場をくぐり抜けてパンとか買ってきて食べるより、美味くて栄養もある昼飯が食えそうだしさ」
「え? あの、ちょっと待っ……」
握り拳を作って力説する一条くんである。しかも周りも盛り上がっているものだから、誰も制止はおろか、疑念を発する人すらいない。流石に他人事という訳では無かろうが、冗談の延長にしては悪ノリが過ぎる。私は半ば以上本気で、制止と再考を促さんと身振りまで使って抵抗を試みた。が、嘆かわしき事に、誰も耳を傾けてくれすらしなかった。
しかも何だか、材料があれば自動的に弁当が出現する、という話になっている感があるのも要注意である。食材があっても調理しなければ、大抵の食材は食せる物にならないという事を忘れないで頂きたいのだが……
せめて当番制に。音声をそう口外へ発しようとした私の舌は、言の葉を紡ぐ寸前に凍結した。正確な意味での『緊急停止』である。
……全くもって、危うい所だった。千枝の技倆は良く知らないが、雪子の恐怖とすらも表現できよう技倆の方は良く知っている。
何も知らずに口にしたが最後、うっかり死後の世界へも突入できるであろうあの味は、ある意味、沖奈市の駅前に構える喫茶店『シャガール』のオリジナルブレンドコービーに通ずる物がある。だが残念ながら、雪子の料理は無門氏のコーヒーとは違い、壮絶な味に翻弄される意識がそれに呑み込まれ、途切れるまでの間必死に抗っても、ペルソナが持つ能力を取得する事は叶わない。完全な『食べ損』である。
……我ながら『酷評』と言うより単なる『悪口』に類する事しか語っていないが、全き事実であるから恐ろしい。冗談で他人に食する事を薦める事すら、躊躇うレベルなのだ。先と異なる言になるが、あの味は一度食せねば実感できないだろう。
アレを定期的に食べさせられるなら、私が毎日骨を折る方がマシな気がする。複数人の健康の事を考えても然り。何だか遠回しに乗せられていると言うか、誘導されている気がしなくもないが、徐々に『乗せられても良いかな』という気持ちも芽吹き始めていた。 陳腐な物言いをすれば『食べて貰える喜び』という奴だろうか。
考えてみれば、私は今まで『料理』と呼称するに足る物を製作した事は、列挙する事も面倒な程の例があるが、それを誰かに食べて貰って、何かしら感想を返して貰った事は、十指をやや超える程度の回数しかない気がする。
無感動。それが私の料理に対する評価であるのなら、あえて料理をする必要など無い。ずっと、そう思っていた。
だが稲羽市に来て以来、なけなしの腕を振るう機会と共に、『ごちそうさま』といった当たり前の答礼と、それ以上の『評価』を返して貰える喜びを知ってしまった。心地良いその愉悦は、強い中毒性を秘めている。
――期待に応えてみたいと、そう思ってしまった。
私は軽く一度、溜息を吐く。重苦しい物ではなく、何かを吐き出し、振り払う風に。
振り払ったのは、これからかかるであろう手間を思うた躊躇いと、これからもずっと、美味しいと言って貰える物が作り続けられるだろうかという、不安と疑念。
それらを全て吐き出してしまえば、私の中には期待と熱意しか残っていなかった。
今度は、わざと憂鬱げな嘆息を漏らす。皆の視線が私に集中する。まるで虫眼鏡で収束させた陽光を浴びている気分である。それほどまでに、熱を帯びた視線だった。
この視線だけでもう、後には引けない気分になるな。私は心中で肩を竦める。もう既に引く気はなかったが、決意と感慨とは別の物である。
「確認するけど……食材の費用は、それなりにカンパして貰えるのよね?」
実際に肩を竦めてみせると、あえて『負けました』という体を作って確認する。全く、我ながら可愛げがない。
尤も幸いな事に、私の態度や内心など誰も気にしてはいなかった。むしろそこまで盛り上がる要素があるのかと猜疑したくなる程の騒ぎ様で、先程とは別の意味で心配になってしまった。
「一人頭、幾らくらいにする? 俺的には『漱石さん』が登場しない程度の金額だったら有り難いんだけど」
早速という事で、みんなで頭を付き合わせて『カンパの額』を試算し始める。
正直な所、もっと非常識な低額が飛び出してくると思っていたが、花村の提示額は概ね贅沢気味のランチを作るには充分なラインと言える物だった。
「『漱石さん』って千円札の事? 私も、そんぐらいならアリかなあ」
「私も」
千枝と雪子も続いて賛同する。稲羽市の住民は意外と、食に関する事象へ投資する事に躊躇いはないのかも知れない。中々に大らかな投資額である。
なので調子に乗って、うっかり私は口を滑らせてしまった。
「もうちょっと下げても大丈夫だと思うわよ。カンパしてくれた額より廉価で作れたら、逆に申し訳ないし」
「じゃあ百円とか!?」
「……花村の分だけ、毎日百円で作れるレベルのお弁当で良いなら構わないわよ」
「すいません、調子乗りました」
滑らせた口に乗っかった挙げ句、自爆して果てる花村であった。やれやれである。
「でも実は、一人分だけ手抜き弁当を用意するってのも結構な手間なんだよな」
「正解」
自炊もできると自称するだけあって、一条くんは調理事情に通じている。気取った風に肩を竦めると、私は指摘の正しさを認めた。
「いっそ前払いでなくて、後払いにするっていうのはどうだ? 『愛家』の肉丼みたいに百円追加したら大盛りに出来る訳でも無いんだし」
「それは私は楽で良いけど……カンパして貰う身で楽して良いのかしら?」
折角の一条くんの提案だったが、それは逆に私が心苦しかった。無償提供は厳しいとは言ったものの、別に利潤を出したい訳でもない。適当に無理ない所で収まれば、後に待つ細々とした所は他で帳尻を合わせるつもりだったのだ。
が。
「いいんじゃん? どっちかってーと、俺らが食わせて貰う方なんだし」
「私も良いと思うな。もし余りが出たら、それは悠ちゃんのお駄賃って事で」
「私もオッケー。第一、悠がそんなボッタクリみたいな事、する訳ないし」
「俺も良いぞ。鳴上の弁当は美味いからな。店に払うのと似た様なもんだ」
「……みんな、良い人よね」
皆して揃って、あっさり私を信用してくれたものである。無論嬉しくはあるのだが……
ぐうの音が出なくなった私を、みんな『異論なし故の無言』と解釈したらしい。
「これからよろしく!」
と、それぞれの言葉と口調で激してくれる。どうやら今日は、色々と観念せねならない日であるらしかった。
必要以上に賑やかで、新たに重大な役割を引き受けてしまった昼食が終わり、それぞれ階下に降りていった。千枝や雪子は後片付けの手伝いを申し出てくれたが、今日は大して片付けも面倒でないので、先に戻ってもらった。実際、下洗いも必要ない程綺麗に食べて貰ったから、手伝いの余地もなかったのだ。
私は空になった重箱に包み布を被せると、それらを抱え上げる。
軽い。
当たり前だ。重箱の中にはせいぜい、空気程度しか詰まっていないのだから。
それだけ皆して、容赦なく食べ尽くしてくれたという事だろう。
苦笑半分、微笑半分といった笑みが自然と浮かぶ。純粋に、食べて貰えて嬉しいという気持ちと、それが皆の糧になってくれたらという想いと。
恐らくこれは、食べる側の人間には分かり難い感慨だろう。作る側の、特別な想い。
お弁当もまた、相手に何かを伝えるツールに成り得るとは、今まで知らなかった。だが決して悪い気分ではない。そしてその目的の為には、手を抜けない。手を抜きたくない。大事な人達に、あなたは大事な人だと、伝える為の物だから。
明日からは早起きになるな。私はひとり、得心する。決して早起きは苦手ではないが、自主的に早起きしようと思う事も希少だった。が、明日からはそうではない。
愉しみを演出する、準備時間。明日からの早起きは、その為の物だ。あくまでも自分がやりたいからやろうと思う事。
生活リズムが微妙に変化した事を、叔父さんに勘繰られたり心配させたりしないよう、菜々子ちゃんに寂しい思いをさせないよう、ちゃんと話しておかないといけない。
だがその前に、今日の夕食を何にするか、だ。次の日のお弁当にも大いに影響する故、これまで以上に考えなければ。
大事な家族や友達、そういった物に思いを馳せながら想う。
そんな、当然で新鮮な感覚を重箱と一緒に胸に抱え、私も階下へ駆け下りていった。
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