【 帽子 】−(前編)

あたりを見回すと直前まで雨が降っていたらしく、所々で水溜りができていた。
その中で1人の少女が水溜りに移った自分が覗き込んでいる、それはまだ4,5歳の頃の
自分であった。そして、側でそびえ立つ木を見上げる。
見上げるとその木は緑色の若葉が枝を包むように生い茂っていた。
怪訝な表情で周りを見回すが周りの木も側にあった木と同様に生い茂っている。
それを見た少女はなぜか悲しい気分になり徐々に表情を崩し、遂にはしゃがみ込んで
泣いてしまった。

何故、木を見て悲しくなったのか思い出せなかった…
そんな時、延々と泣き続ける少女の後ろに1人、後ろから軽快な足音を立てて近づく、
後ろからうずくまっている自分に向かって声をかけているようであった。何故かその声は
聞こえなかったが雰囲気で気が付いた少女は目を擦って涙を拭い少し赤くなった眼で
後ろを振り向く。

そこには自分より少し背が高く、青と白を主体にしたシャツを着てこげ茶色の
半ズボンを履いた男の子が立っていた。少女は顔を上げてその男の子の顔を
見ようとしたが男の子は太陽を背にしていたので眩しく少女は手で光を遮ぎるように
したので、はっきりとよく見る事はできなかった。
ただその男の子が被っていた赤い野球帽だけははっきりと見えた…。

「誰なの…?」
唯は眼を覚ますと思わず呟き、そして起き上がった。
時計を見るとまだ4時であった、いつもより起きる時間は1〜2時間位早い。
あたりはまだ薄暗く、両親や弟の一平はまだそれぞれの部屋で眠っている時間である。
唯は先程の夢の内容がすごく気になったので思い出そうとしてみたが、どうしても思い出す事は
できなかった。ただ、はっきりと覚えているのはあの夢の少女が4歳か5歳の頃、つまり今から
13〜14年前の自分で、自分が居た所が今、住んでいる一応市で一番大きい一応公園という事でだけだった。

だが、自分が一応市に来たのは5年前、中学2年の時でそれより前は一応公園は数えるほどしか
来ていないはずである。夢の中で見上げていた木が桜の木で、それを見て何故泣いていたのか、
またその後に来た男の子が誰なのか思い出せなかった。
ただ、赤色の野球帽だけが、かすかな記憶として残っていた。
今度は幼い頃に一応公園に来た時の記憶を辿ってみたが小さかった頃の事なので
すべては思い出せず、思い出した記憶の中にも赤い帽子や男の子はいなかった。
仕方なく唯は思い出すのを止めた。時間的にまた眠る訳にもいかなかったので読書をしたり、
少し早めに朝食の準備をして時間を潰す事にした。

その日の午後、学校は休みだったので唯は自分の部屋の片付けをしていた。
高校を卒業し保母を目指す為に短大に入学して1ヶ月経とうとしていた。
ただ、中学や高校の時に使った私物が押入れの中にまだ入っていたのでそれを整理しようと
押入れの中にしまいこんでいた物を引き出していった。
「あらっ?」
唯は押入れに奥に古そうなプラスチック製の箱を見つける、そしてその箱を押入れから
引き出そうとして手を奥に入れて箱を引っ張る、そして何とか押入れからその箱を引き出した。
箱は洋服などを入れる横長の箱で、その上蓋は埃を被っていたので、唯は布巾で埃を拭い取って
から開けてみる。
箱を開けてみると小さい頃に着たと思われる服やスカートが入っていた。幸い虫に
喰われたりしておらず、手に取ってみるとかすかに箱にしまう時に入れたと思われる防虫剤の
匂いがした。
大半は昔に処分したと思っていたが、まだ残っていたのがとても懐かしく感じられ又、少し嬉しい
気分になる。そして、1つ1つ服を取り出しては懐かしんでいると箱の底から見覚えの無い物を
見つけ手に取った。
「これって…」
唯が手にしたのは赤色の野球帽で野球チームのマークが入っていた。サイズは小さく洋服と
同じ時に買ったように思われた。唯は野球にはあまり興味が無かったので、自分がこれをいつ頃
買って貰った物なのかすら思い出せなかった。帽子の裏側とかも隅々調べてみたが、特に名前などは
持ち主が解るようなものは記されていなかった。今朝見た夢の中に出てきた帽子と
関係あるかもしれないと思い、思い出そうとしてみたが、やはり思い出せなかった。

「もしかして、これって一平の物なのかな?」
唯は一平は昔から野球が好きで今も野球部に所属しているので、もしかしたら一平の帽子が
自分の所に紛れ込んでしまったかもしれないと思い、帽子を手に片付けも途中のまま部屋を出た。

唯が一平の部屋に来た時、一平は部屋で漫画を読んでいる所だった。
今日は野球部の練習はなく家でのんびりしていた。
「ちょっと、一平。いいかな?」
と唯は尋ねると
「何だい、姉ちゃん。」
と横になって漫画を読みながら返事をする。
「ねぇ、一平。この帽子ってあんたの?」
唯は野球帽を見せて尋ねる。
「ううん。俺のじゃないよ。」
「本当?」
「だって、俺、別にそこのファンじゃないし。」
「そう…、わかったわ。」
と言って唯は一平の部屋を後にして、自分の部屋に戻った。
「この帽子、本当に私のかしら…」
帽子が一平の物ではないらしいと言う事がわかるとますます帽子に対する疑問が深まっていった。
ただ、部屋は片付けの途中で散らかったままになっていたので唯は帽子を机の上に置き片付けを始める。
片付けが終わると今度は夕食の支度などに追われ暫くの間、野球帽の事は忘れてしまっていた。

【中編】 へ続く

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