【 出会い 】−(中編)

しばらくして気奈子は洗面所で両手を洗っている時に、左手首にしていた時計に視線が行き、
思わず手洗いを中断して時間を確かめてみる。
「10:15」
気奈子の腕時計は正確にその時刻を指し、すぐに長針が一つ進んで「16」の所を指した。
(まずい、遅刻だ。急がなくちゃ)
入学式は10時から始まる予定だったので、級友の前では余裕を見せていた気奈子も
さすがに焦り始めた。
すぐに洗面所の水を止め、慌てて手を拭こうとしたが、ハンカチを探すのも煩わしいと思ったのか、
そのまま手も拭かずに廊下に飛び出す。

廊下に飛び出す否や気奈子の目の前に黒い物が飛び込んできた。
気奈子はぶつからない様、反射的に両手でそれを防ぐように前に出した。
「のわ〜」
「きゃっ」
ドンという音と共に目の前に入ってきた黒い物を突き飛ばして何とか衝突をさけたが、
反動でバランスを崩し、自分も軽くお尻を打ってしまう。
「イタタタタ・・・ もう!気を付けてよ。危ないじゃないっ!!」
前方を確認せずぶつかって尻餅をついた気奈子だったが、思わず軽く打ったお尻のあたりを軽く手で
摩りながら、喚き散らすように言ってしまった。
「にゃははは・・・すまない。大丈夫だったかい。」
座り込んでいる気奈子の上から声がしたので思わず見上げると、気奈子と同じ位、特徴的な顔立ちを
した一堂零(まだ、この時点では気奈子自身、零の名前を知らなかったが)が笑顔で気奈子を起こそうと
右手を差し伸べていた。
「あっ、すみません。」
気奈子はそっと右手を差し伸べると零はその手を掴んで、気奈子を起こした。
気奈子は思わず零に怒鳴ってしまった事と零に手を握られている事の両方の理由から零の顔を見る事が
出来ず、頬を少し赤くなったのを隠す様に俯きながら大人しく零に起こされた。
「大丈夫かい、どっか怪我とかしていないかい。」
零は俯き加減にしている気奈子の事が少し心配になって尋ねる。
「だ、大丈夫です、こちらこそすみません・・・」
気奈子は胸の高鳴りを押さえながら、零に握られた手の感触を確かめるように擦り、
チラッと零の方を見る。
すると、気奈子は零を突き飛ばした時に手を濡らしていたので、零の学ランが濡れていて、
それがかすかに光に反射しているのに気付いた。
「すっ、すみません。制服濡らしてしまって・・・」
と頭を下げて謝ると、ハンカチを取り出してすぐに濡れた部分を拭こうとした
「あっ、別にいいって。すぐに乾くから。」
零は気奈子に言われるまで、気付かなかったのか確認するように自分の服を見、
それから頭を掻きながら笑って気奈子に言うと、気奈子は再び済みませんと言って、
零に対して再び頭を下げる。何故かはわからないが、まともに零の顔を見る事ができなかった。

「ところで君、新入生だよね。こんな所にいて大丈夫なのかい?式始まってるんじゃ・・・」
「はい、これから行こうと思ってるんですけど、それより・・・先輩こそ良いんですか?
こんな所にいて」
やや、まだ照れを隠すように俯き加減で言った。
「ニャハハハ・・・大丈夫、大丈夫。私なんかいなくたって大した事ないし、出てもつまらないだけだからね。」
「クスクス・・・それを言ったら、あたし達新入生だって同じですよ。式なんて長い間、
座って話、聞かされるだけで退屈しますし。」
零は呑気な口調で気奈子にそう言うと、気奈子も少し緊張が解けたのか、つられて笑いながら
そう答えた。

「あっ、零さん。やっぱりこんな所にいたのね!」
零と気奈子が廊下で話していると、それを遮るように別の声が遠くから響いてきた。
「おっ、唯ちゃん。」
零は気奈子との話を中断し、後ろを振り向くと唯が小走りで2人の元に駆け寄った。
気奈子は否応無く、話が中断してしまった事に気分を少し害してしまった。
「零さん、朝からいないと思ったら、やっぱりトイレだったのね。もう式始まってるよ。」
「いやぁ〜別に私がいなくても大した事ないし。」
「駄目です。零さん、在校生代表として挨拶するんでしょ、こんな所でサボってちゃ
駄目じゃない。」
唯の口調は零がいつも聞くような優しい口調だが、眼だけは怒っているかのように
じっと零を見つめていた、それを見た零は愛想笑いをしてごまかそうとしていた。
一方、唯の話を聞いていた気奈子の方は少し驚いていた。毎年、入学式の最後にトリと
して在校生代表として先輩が挨拶するという重要な役割を、いとも簡単にすっぽかそうと
していた事に驚きを隠せず、思わず零の方を見つめた。

「わかったよ。じゃぁ、一緒に行こう唯ちゃん。」
「うん。」
唯はそう言って頷くと、気奈子の方を振り向いたので一瞬、気奈子は緊張して体を強張らせてしまった。
「ねぇ・・・あなたもしかして・・・生井気奈子さん??」
「は、はい・・・そうですが。」
気奈子は初対面である唯に名前を呼ばれ、戸惑いながら返事をした。
「よかった、どこに行っていたのか先生が心配してたのよ。」
唯は気奈子本人だとわかって少し安堵した表情で言った。
「初対面なのに、先輩はあたしの事よくご存知なんですね。」
気奈子は零との話が中断され、そして唯に全て見透かされているような、面白くない
気分になりじっと唯を見て少し毒が篭ったような声で言った。
「担任の先生からあなたがいないから一緒に探してくれる様、頼まれたの」
「そうですか・・・すみません。」
唯はそういった気奈子の感情が届かなかったのかのように、あくまで親身になって
気奈子の事を気遣った。

「じゃぁ、気奈子さん。そろそろ体育館にいかないと・・・」
「そうですね。」
「しょうがないから、行くとしますか。」
零も仕方が無いといったような感じで呟くと、3人は体育館に向かって駆け出した。
体育館に着く僅かな時間の間、気奈子はずっと前にいる零の後姿を見ながら体育館に
向かっていた。
胸の鼓動と心の中で何かが燃え上がっていくような感情を必死に抑えながら・・・。


【後編】 へ続く

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