本川内はかつては長崎本線内でスイッチバックが存在した駅だった。現在は非電化のローカル線の様相を呈しているが、喜々津〜浦上間で肥前古賀経由のルートが出来る前は長崎へ行く重要な幹線だった。

 大草〜長与間には松ノ峠越えが控え最大で20パーミルの勾配、さらにこの区間の駅間距離は8キロもあった事から途中に信号場設置の必要性があり、本川内の周辺は少し山深く線路も10パーミルの勾配がつづき列車交換が満足にできるほどの十分な平地を確保できなかった事からスイッチバックという形をとったのであろう。

 信号場ができると当然地元住民による駅昇格の要請と言うお決まりのパターンになる。この駅は最初は上長与になる予定だったが地元住民の反対により周辺の地名である本川内に落ち着いた。

 スイッチバックになったのは蒸気機関車が勾配を上りきれないのも一員で、時代が進むにつれ蒸気機関車からディーゼルカーへと変貌を遂げていった。しかも長崎本線を走る列車はキハ200やキハ66+67で、20パーミルの勾配でも十分に走れる脚力を持っている。しかしこの本川内のスイッチバックの廃止の経緯に到ったのは、両者とも運転台が片側にあり最低でも2両編成でないと走れず、その上ワンマン運転を行っているのでスイッチバックの折り返しの為に反対の運転台に行くのは面倒だった事が挙げられる。

 スイッチバック廃止後もその面影を残すホームやレールが残っている。だが使われなくなったレールの大半が草に埋もれかかっているのは少々寂しい感がある。それでもスイッチバック時代の本川内の駅は一部の普通列車が通過してしまい長崎本線の駅の中最も冷遇されていたがスイッチバック廃止後はすべての列車が停車し、ようやく一人前の駅になれた気がした。

                                                               (2003.6.18)
本川内の駅入口


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本川内の駅舎の中
本川内の駅構内全景
本川内の駅舎
Honkawachi
現在の本川内のホーム
スイッチバック時代の本川内のホーム
本川内