女鹿は羽越本線では山形県最後の駅となる。元々は信号場として開設されたが、国鉄の分割民営化直前の昭和62(1987)年3月31日に正式な駅として昇格した。駅構内には信号関係の建物が存在する。

 ホームの長さは3両分であり、4両編成で停車する場合は電車の一部がホームからはみ出してしまう。ホーム側から見た待合室は「女鹿」とだけ書かれてあり、右3文字分は何かペンキの様なもので消されていた。駅の入口側には駅名の表示がしておらず、地元の人間が分かればいいと言った感じがある。

 古いモルタルの待合室には駅ノートがあり、色々な人の旅行のエピソードなどが綴られている。また待合室内の明かりは自分でつける様になっている。

 女鹿の駅から歩いて1分もしないうちに国道7号線にぶつかり、そこから右に曲がってしばらくすると女鹿の集落がお目見えする。駅ノートの記述によるとその集落には神泉(かみこ)の水という名水があるという。後で調べたがその水は鳥海山の伏流水であり、地元では野菜や海藻の洗浄にも利用している。また山形県のロードマップにも名所として掲載されている。

 山形県と秋田県の県境周辺には有耶無耶の関跡や三崎公園がある。この辺りはかつて松尾芭蕉が弟子の曾良と共に奥の細道で象潟に向かう時に通った所でもある。この日は生憎の雨と言う悪コンディションだったので女鹿の駅から三崎公園の入口まで徒歩で30分もかかってしまった。

 またこの駅は上りが朝2本、下りは午後4本、計6本しか停まらず電車での訪問が困難な駅として有名である。私が午後の電車でこの駅を降りたとき、学生が一人降りて見当がついた。朝の2本は酒田市内などの学校の登校時に使う電車で、午後の4本は下校時の電車だと感じた。集落から少し離れた場所にあって学生の利用者しか望めず、そこの学生も地元の県立校にしか行かない(酒田市内には甲子園に出場した私立校もあるが・・・)と考えたせいかこの様な措置を取ったのであろう。

 地方の普通列車の一番重要な顧客といったら地元の人でしかも学生が多大なウェイトを占めている。秘境駅には鉄道による訪問が困難な駅もいくつかあるが旅行者の目ではなく、そこの土地の人の目で見たら列車や駅の使われ方が次第に分かってくると思う。

                                                               (2004.1.19)
女鹿の発車時刻表と駅ノート
女鹿のホーム
Mega
女鹿の駅入口の案内板
女鹿の待合室入口
女鹿
女鹿の待合室


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