2011年3月11日、東日本大震災による津波によって東北地方の太平洋沿岸部は甚大な被害をこうむった。とりわけリアス式の広田湾沿いの平地に市の中心部が置かれた陸前高田市は被害が大きく、ある新聞では市が壊滅状態という記事も書かれ、震災以降は様々なメディアで陸前高田という地名が取り上げられるようになった。

 千鳥式のずれたホームを持つ陸前矢作は、陸前高田市内に位置する駅ではあるが、内陸部に駅が置かれているため、市では唯一大きな被害を受けなかった駅である。

 大船渡線の気仙沼〜盛間は震災の被害によって休止中のため、当然アクセスはBRT。しかも宿泊先の大船渡からは気仙沼行ではなく、陸前矢作行という支線のバスに乗らなければならない。ある場所は政治の力でルートをねじ曲げ、気仙沼〜陸前高田間は沿岸部ではなく内陸部へと迂回する線路を造った。そんなクネクネと曲がった線路からつけられた愛称が「ドラゴンレール大船渡線」である。

 バス停からは竹駒寄りの踏切を渡ってから突当たりを右折して10分強歩いてようやく鉄道の駅にたどり着く。距離にして約1キロ、雨でキャリーバッグを持ちながらの歩行は結構辛いものがあった。

 陸前矢作の駅周辺の既存の民家は内陸部にあるせいか、2年たった今はほぼ変わりのない日常の姿を取り戻している。そして被害のなかったホームに上がってみると、見た目は今にも列車が来そうな雰囲気はある。しかし入口や窓を板で封じられた待合室や全く点灯しない信号を見た瞬間に列車は来ないという現実を突きつけられる。駅はあるのに列車は来ない、さらにホームから仮設住宅を見つけると、震災の復興はまだ終わっていないと感じた。

 ちなみに市の代表駅である陸前高田のBRTのバス停は沿岸部からだいぶ離れた高台の内陸部に設置され、そこには仮設の市役所がある。その周辺は森を切り開いて山を削って町を作る開発工事の最中だった。これも津波の恐ろしさを感じて安全な高台で過ごそうという意志の表れであろう。

 震災が発生して不通になっただけでなく、閉鎖されていた駅入口の待合室の開放やBRTによる運行を開始したのは2013年に入ってからのことであった。震災によって時が止められた陸前矢作の駅構内、列車が戻って来た時、それがこの駅にとっては本当の復興ではないだろうか。

                                                             (2013.4.8)
列車が来そうな雰囲気だが、信号機が止まっていて運休という現実を突きつけられる陸前矢作の駅構内
震災による運休中のため閉鎖されている陸前矢作のホーム上の待合室
Rikuzen-Yahagi
陸前矢作
陸前高田市にあるが、内陸部にあるため地震の被害がなかった陸前矢作のホーム
陸前矢作の駅入口の待合室。震災直後は閉鎖されていたが、地元住民の要望により現在は開放されている
陸前矢作のBRT乗り場。鉄道の駅からは約1キロ離れたところにある


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