「徳が満ちる」と響きが良い駅名となっている徳満。近くの集落名は福満と言っていたが、城端線に福光という駅名があったために徳満と名前を少し改良して現在に至っている。有人駅時代には入場券や隣駅である豊富までの乗車券が縁起物として人気があったという歴史を持っている。

 大正末期の開業から20世紀の間は非常に大きな木造駅舎がどっしりと建っていた徳満ではあったが、無人化され、時代が平成に入った90年代になると手入れがされていないせいか老朽化が目立つようになり、2000年についに駅舎は解体され、プレハブ風の小さな待合室を置いただけの駅になってしまった。

 駅の裏手にはサロベツ原野が広がるが、ホームからは防風雪用の鉄道林が植えられていて景色を拝むことは出来ない。駅から歩いて10分ほど上ったところに徳満としては貴重な観光スポットである宮の台展望台がある。自分も展望台まで行けば原野の絶景を見ることが出来ると思っていたが、やはり冬季は除雪されておらず途中で断念した。その途中にはかつて小学校だった場所に記念碑と校門が残されている。過疎を感じる徳満の集落ではあるが、昔はもっと人がいて栄えていたのかも知れない。

 昨年の夏頃、宗谷本線の豊富以北で廃止の噂が立っていたのは抜海だったが、2021年春のダイヤ改正で発表された時、廃止の対象になったのは抜海ではなく、この徳満だった。これは地元やファンの有志による抜海の存続活動が受け入れられて、その煽りを食らった感じとなったが、廃止される18駅のうち、徳満だけはノーマークで未訪問だったために冬の北海道旅行の秘境駅訪問に踏み切った。

 手始めに、既に日が沈んでしまった19時前後に15分の滞在時間で軽く徳満の乗下車を成立させ、翌日南稚内5時24分発の始発列車に乗って、秘境駅妖怪「ぬまひきょん」がいる下沼を訪問した後に、稚内行きの列車に乗って、日が出て明るくなった朝に再び徳満に下車をした。

 しかし徳満の待合室には既に先客がおり、立ち去る気配がない。このご時世、狭い徳満の待合室に2人居るだけでも密になる可能性を感じたため、一通りの撮影を済ませて隣の豊富まで歩くことにした。

 徳満の集落にそれほど多くの人が住んでいる様子を感じなかったが、国道を延々と歩いていても豊富の市街地にたどり着くまでの間は民家も数えるほどしかなかった。休憩する場所がなく歩き続けて豊富の駅に着いた時には足が痛くなって10分ほどベンチで足を延ばして小休憩する羽目になったが、所要時間は1時間強。駅歩きをする人にとっては短い方の部類ではないだろうか。夕方訪問した時に生活利用者と思われる女性が1人降りたが、徳満の集落にバス便はない。駅廃止後に集落の人の足はどうするかという疑問も若干感じた。

 徳満から豊富まで歩くというプランの変更をすることになったが、豊富の駅舎に隣接している町の観光情報センターでは徳満の入場券を模したマグネットと北の駅訪問証をそれぞれ購入することができた。

                                                         (2021.2.23)


 
徳満の駅名標。兜沼のステッカーの裏には廃止された芦川があるのだろう。


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プレハブ風の徳満の待合室は狭く、2人入っただけでも密になる可能性がある。
徳満の駅入口。かつては大きな木造駅舎があったが、取り壊されて小さな待合室が置かれている。
Tokumitsu
徳満のホーム。鉄道林の裏側にはサロベツ原野が広がっている。
徳満