石巻方面を眺めると潮の香りとカモメが飛び交う万石浦が広がる片面ホームの無人駅、浦宿。駅は女川町に位置しているが、2011年3月11日の東日本大震災による津波で石巻線の終着駅である女川は大きな被害を受け、ここ浦宿も地盤沈下の影響でしばらくの間、列車が運休して代行バスによる営業を行っていたが、ホームのかさ上げや線路のリフレッシュに護岸工事による構内の改良によって、震災から2年が経った2013年3月16日に浦宿までの復旧が実現した。今のところ、女川町では列車がやって来る唯一の駅である。

 駅名標を見てみると、本来は女川と表示されるはずの所に白いテープが貼られ、踏切の手前には、ここから先には行かせないと言わんばかりにエンドレールが設置されている。

 浦宿からは代行バスで女川に行くことができるのだが、今回は歩いて目指すことにしてみた。駅から女川へ向かう女川街道沿いにはコンビニやドラッグストアの店舗や数多くの民家が建っており、いたって日常的な風景が広がる。

 校庭に仮設住宅が建つ女川一小、石巻線のガードの先にある女川高校を過ぎると、道沿いに民家があったと思われる様な建物の土台が徐々に現れるようになって来る。気がつくと歩道の路面がボコボコになり、デルタ状の平地の先にはほとんど片づけられてしまったかのような更地が広がっている。

 リアス式の女川湾のすぐ近くにあった石巻線の終着駅、女川は開業時の駅舎が建っていた駅で、階段にはチリ地震による津波の浸水地点も表示されていた所だが、東日本大震災ではエレベーターの鉄骨部分しか残らないほど津波による大きな被害を受け、震災から2年が過ぎた今は、地元の人が「今はない」と言われるくらいに何もなくなってしまっていて、事前に予備知識として調べておくか、車の場合はカーナビで推測するしか方法がない。

 更地となった女川の平地を見ると津波が広範囲にわたって町をのみ込んでしまったと言うのを感じたのと同時に地方の小さな町の復興にはまだまだ時間がかかりそうだと思った。

 それでも女川の駅周辺の商店街を秋元康氏がプロデュースするという動きが発表され、石巻線に関して言えば全線復旧するという見かたで捕らえてもいいかも知れない。

 再び浦宿の駅に戻り、定刻通りに石巻線のディーゼルカーがやって来る。それは復興を目指す町にとっては一つの明るい道しるべに見えた。

                                                           (2013.4.7)

 
東日本大震災からおよそ2年後の2013年3月16日に復旧した浦宿のホーム
女川の駅名がテープで隠されてしまっている、浦宿の駅名標
Urashuku
浦宿
踏切の手前にある浦宿駅構内にある石巻線のエンドレール。
浦宿に到着した石巻線のディーゼルカー。
石巻線の終着駅、女川駅があったと思われる場所。
女川駅は津波の被害を大きく受け、現在は更地となっている。


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