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第31回 ギャラリー花影抄と伊多呂根付
平成17年11月6日




今日(11月3日)は文化の日。東京国立博物館の北斎展を見に行く道すがら、散歩を兼ねて根津の根付屋、ギャラリー花影抄(はなかげしょう)に寄ってきた。

ギャラリー花影抄(〒113 - 0031 東京都文京区根津 1-1-14)は、小さな茶房に併設したギャラリーで、地下鉄千代田線の根津駅から徒歩1分のところにある。裏手は東京大学で、ここから徒歩15分で東京国立博物館東京芸術大学に行ける歴史情緒のある街である。茶房のお茶は日本の緑茶を中心にこだわりをもって取り揃えられ、季節の和菓子などが付いたセットが楽しめるところ。併設のギャラリーでは、これまで様々な企画により工芸作品の展示即売を行ってきた。茶房とギャラリーの一体でサロンのような雰囲気があり、この日も日本根付研究会の某幹事殿が仲間と根付談義に花を咲かせていた。


ギャラリー花影抄の入り口
(根津駅から徒歩一分)


今回の訪問は、ギャラリーで開催されている「伊多呂 根付彫刻展」(11月2日(水) - 11月13日(日))が目的。伊多呂さん(いたろ。本名、山本至氏)は、もともとは木口(こぐち)木版画家として既に活躍しておられる方で、以前から根付の興味を持たれていたところ、朝日カルチャーセンターの駒田柳之先生の根付教室の第1期生として入門。4〜5年前から根付彫刻を本格的に始め、今回が2回目の個展になる。私の遙か遠い兄弟子にあたる方である。ちなみに、木口木版画とは、木を直角に輪切りにしてその面に版画彫刻をする方法で、普通の人が小学校で習うように木の筋に沿って割った大きな板面に彫刻する版画とは異なる。恥ずかしながら、この木口木版なるものは今回初めて知った次第。


花影抄の中とギャラリーの様子


さて、今回の展示では、伊多呂さんの作品が約20点、木口木版画が4点展示されていた。人気作品は初日から売れてしまったようで、一番人気と想像していた「小鬼」の根付は初日の午前中に熱心な方に買われ、他の多くの作品とともに「売約済」を示す赤いシールが貼られていた。

伊多呂さんが取り扱う作品のモチーフは、人物、動物、東洋西洋を問わない物語の主人公など、実に幅広い。例えば、福助、猫定、聖ヒエロニムス、サロメなど、国内外の物語、伝承、神話、落語などから題材を得た物ばかり。題材の意味を知っていると非常に面白い反面、知らなければ全くつまらない。サロメの物語を知らなければ、預言者ヨカナーンの生首に接吻するサロメの根付は、単にグロテスクなだけだろう。作家は、密かに鑑賞者の知的レベルを問うているぞ。

取り扱う題材が多岐にわたると、一般に個々の作品自体は、底の浅い大味になり、つまらないものになりがちだが、伊多呂さんの作品は異なる。おそらく、成功を収めている版画家としてのキャリアの中で採用した題材を活かしているのだろう。木口木版画家として持つ超絶の彫刻テクニック。その平面上の微細な彫刻技術を、そのまま六面体の根付に応用すれば“凄いことになりそうだ”、ということとは、伊多呂さんの版画を見れば誰でも一目瞭然。根付のつま先や髪の毛の彫刻に特徴があるので、是非観て頂きたい。

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伊多呂さんの版画とその拡大図
(版画の細かい点描の技術に注目)


さらに、驚かされるのは技術だけではない。根付蒐集家は、根付は細密彫刻に評価を置きがちだが、それは違う。テクニックは表現手段にすぎない。根付は、一定のルールの下、デザインや構図、フォルムに独創性がなければならない。伊多呂さんの根付は、特に、福助や小鬼、聖ヒエロニムスの作品がそうだが、裏返せば唸らされる表現がある。現代根付作家の中には、人物の顔が彫れず、単純な動物やモノの根付しか残せていない作家が居るが、伊多呂さんは題材によって顔の表情の変化がつけられる技量がある。

今回の展示の中では、「福助」が一番面白い。下の写真のとおり、動きが面白く、六面全てから眺めて楽しむことができる。さも物憂さげな足取りは、福助の本来の姿を裏返して、更にひねくりまわしているようで、味がある。作品を一言で表現すれば「珍奇」なる事この上なし。伊多呂さんからお話を伺ったが、根付を製作する際は、下絵は描かないとのこと。荒削りの材料にヤスリを少し入れたものを目の前の机において、腕を組んでひたすら考える。そのうち、ひらめきとして形が浮かんでくる。下書きを何枚も書いているのかと思ったら、実はそうではないらしい。1個の根付を制作するのに約3週間。手間暇と技術、才能が見事に作品として結実している。




会場に居らした伊多呂さんと話をしてみて、共感できる部分が多々あった。

重要なのは、材料の素材そのものの持ち味を活かして製作する姿勢。現代根付の中には、せっかく象牙や黄楊を用いていながら、ベタベタとペイントを塗り、ギラギラと象眼細工を入れる作品が多い。握ったら痛く、角にぶつけたら容易に壊れそうな細密彫刻を誇示する根付師が居る。私はこれは、根付として“ルール違反”だと思う。異なる材料の象眼(例:黄楊に象牙象眼)は、本当に必要なワンポイントだけで使用することとし、ベタベタと色は塗らず、素材の持ち味を活かす。更に、このような条件下でも、題材のキャラクターを遠目で見ても自己主張させる。これが良い根付の条件だと思うが、伊多呂さんの作品にはこの条件に当てはまるものがある。伊多呂さんの作品は、今の現代根付のあり様に対する「反駁」のように見える。

後日、伊多呂さんから、作家と使い手との関係について次のようなコメントを頂いた。古根付の「隙間」論、現代根付の「置物」論は達見だと思う。

”作品は作家の手を離れ新たな持ち主の手にゆだねられた瞬間から、一人歩きを始めるのだと思います。手にした人それぞれが抱くその作品に対する思いは百人いれば百通りあるはずです。あまりにも作家の意図するところが多すぎて、鑑賞する側に全く入り込む隙間すら与えてくれないものは観ていてあまり面白くないものです。たとえば犬の根付を彫ったとしても作家がモチーフにした犬と鑑賞する側が思い浮かべる犬とは多分違うものでしょう。それは子供の頃飼っていた愛犬だったり、今かわいがっている犬だったりと手にした人がそれぞれに抱くイメージは全く違うものです。

作品は100%作家のもので、そこに他者が少しも入り込む余地のない作品は観ていてとても退屈なものです。ブリミティブで素朴な古根付がなぜ魅力的なのか私もよく考えるのですが、やはり優れた古根付は鑑賞する側にいろいろな想像をさせてくれる、そして考えさせてくれる隙間があるからだと思います。そして、多くの持ち主の手の中で転がされ、かわいがられていくうちにあのような魅力的な物が生まれてきたのだと思います。せっかく造った根付が新品のままガラスケースの中に飾られてしまうのはとても残念なことです。

現代根付に魅力を感じないコレクターが多いのは、現代根付が置物として飾られ、人々の手の中に転がされることもなく一人歩きをしないからだと思います。根付は作家が完成させただけでは完全な物ではありません。そこから人々の手に渡りかわいがられながら成長していく物です。現代根付が残念なのは置物のように桐箱の中で眠り続けて成長をとめてしまうことです。触覚を楽しむことのできる根付という芸術を手にすることなくただ眺めているだけなんてあまりにも悲しすぎます。観るだけでなく、おもわず触ってみたくなるようなそんな古根付にも負けないような"今の根付"を私も造ってみたいものです。”


今後、技術に一層の磨きがかかるのだろう。伊多呂さんの活躍に期待したい。なお、僭越ながら、個人的な好みとして言わせて頂ければ、素敵な古典の根付も多く見て、良い技術や表現方法は、許される範囲で「本歌どり」を考慮して欲しい。古典には、各時代のモダン作品を押しのけてでも、時代を経て生き残ってきた「力強さ」がある。




さて、この花影抄のギャラリーは、リアルな展示場だけでなく、インターネットのウェブサイトとしても営業を最近開始した。「根津の根付屋 NEZU SCHOOL OF NETSUKE」としゃれ込み、有望な現代根付作家を発掘し、魅力的な作品を紹介している。

店の紹介では、

「現代において、根付がどんなものであれば良いのか? 皆様のお声を伺い、作家の方々の意見を聞きながら、考えてまいりたいと思っています。」

と書かれている。江戸時代の根付は、使い手の嗜好や干支、縁起などに合わせた注文生産が主だったことを考えれば、使い手と作家を結ぶこのような取り組みは、本来の取引の姿に戻ったと言え、素晴らしい。江戸時代の根付師と使い手との間には、嚢物商や象牙商が媒介してインターラクティブ(双方向)な交流があった。その交流が、より良き作品を作ってきたはず。根津の根付屋は、個性的な作家達のラインナップを揃えており、新たに誕生した「ネズ・スクール」(一部は駒田スクール)として今後の展開が楽しみである。



現代根付師の故中村雅俊氏は、一つの根付を制作する日数は平均すると2〜3週間と述べている。伊多呂さんも約3週間。大量ができる工芸品ならば、作家がマス・マーケティングに基づいて好きな物を生産し、店頭にずらりと並べて売れば生計が立てられるだろう。一方、3週間も製作に要する根付では、「注文生産」でしかあり得ない。作家が唯我独尊、注文主の好みを聞かずに製作し、万が一売れなければ、即、死活問題になるからである。高村光雲の自伝、明治初期の根付師は依頼に基づく受注生産だったことが分かる「東京名工鑑(とうきょうめいこうかがみ)」等の記録を読めば、この注文生産の状況が分かる。




※掲載の写真は、花影抄及び伊多呂さんの許可を得て撮影・掲載した。



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