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第41回 究極の根付 〜奉真彫の蜃気楼根付〜
平成19年3月10日



 根付の面白さは、丸々としていて実用的でありながら、同時に、細密彫刻を楽しめるところにあると思います。しかし、形として両者は相反するもので、なかなか両立しません。細密彫刻だけではトゲトゲしていて、衣服に引っかかって使いにくいですし、破損の危険にさらされます。一方、ゴルフボールに穴を開けたような単純な根付は、たしかに実用的ではありますが、面白さに欠け、楽しむことができません。

 これを上手に解決した理想的な根付が奉真彫(ほうしんぼり)の根付です。いわば、“究極の根付の形”と言っても過言ではありません。


 奉真とは、江戸時代の京都の根付師です。天明元年(1781年)に書かれた『装劍奇賞』において、「象牙にて蛤の内に宮殿などを彫れり」と紹介されています。この蛤の中に風景を彫り入れる独特のスタイルは、”奉真彫”と呼ばれています。

 この“蛤(はまぐり)”ですが、もう少し正確に題材を捉えると、蛤が吐き出した蜃気楼(しんきろう)を表現しています。説話などに登場する鬼や妖怪の分類と解説で有名な鳥山石燕(とりやま せきえん)の「画図百鬼夜行」(ひゃっきやぎょう)にも蜃気楼のことが書かれています。



鳥山石燕 画図百鬼夜行より「蜃気楼」

(「鳥山石燕 画図百鬼夜行」国書刊行会 (1992/12)より引用)


 海辺の大蛤が口を上に開け、楼閣や街の風景の幻影を吐き出している図が描かれていて、解説には

「史記の天官書にいはく、「海旁蜃気は楼台に象る」と云々。蜃とは大蛤なり。 海上に気をふきて、楼閣城市のかたちをなす。これを蜃気楼と名づく。又海市とも云。」

とあります。

 中国では大蛤(おおはまぐり)を蜃(しん)と呼んでいました。昔の人達は、物理現象として現れる蜃気楼のことを不思議に思い、海の向こうに突如として表れる幻想的な楼閣風景は、大蛤の仕業だと想像していたのです。


 さて、ここに京都の三名の根付師による奉真彫の蜃気楼根付があります。

 奉真自身の作品、岡友派の岡信、吉長派の吉友です。三名とも18世紀から19世紀初頭にかけて京都で活躍した根付師です。鳥山石燕(1712年〜1788年)も、江戸時代の浮世絵師ですから、ちょうど彼らの活躍の時期と合致します。きっと、当時の根付師達は、鳥山石燕が描いた蜃気楼図も参考にしていたに違いありません。


   
岡信(左)3.9cm 奉真(右)4.7cm 岡信(背面) 岡信(底面) 奉真(底面)

吉友 4.6cm 同(上面) 同(底面) 同(側面)


 ペロンとした形の蛤が口を大きく開けて、気を渦巻き状に吐き出しています。蛤の肌は、象牙の特質を活かして、綺麗に磨かれています。丸々とした滑らかな曲線のフォルムはとても使いやすく、手に持った感触は心地よいものになっています。また、本物の蛤には、同心円状の筋や模様があります。ひとつとして同じ模様は存在しません。根付にも同心円状の象牙の縞模様やひび割れがありますが、これは、根付師が上手に蛤に見立てているのだと思います。

 口の中には細密彫刻の楼閣が見えます。人物が彫られていて、橋の欄干や窓枠などの細かい彫刻がみどころになっています。蛤と蜃気楼は、鳥山石燕のように二次元の絵に描くのは比較的簡単です。でも、その大きな構図を三次元作品にたくみにキャラクタ化することができたのは、根付師のすばらしい才能によるものであって、感心せざるを得ません。楼閣を蛤の口の中に押し込めようとは、普通ならば思いつきません。

 作品を仔細に観察してみると、大小の紐通し穴のあけ方が面白いです。三つの作品とも、重心よりも少し後ろに紐を通せるようになっていますが、意図的な位置だと思います。実際に提げものをぶらさげて帯の上にこれが鎮座したときは、まさに、大蛤が口を斜め上方に蜃気楼を吐き出す格好になるわけです。この紐通しへの配慮は、後世のフェイクを見分けるポイントのひとつになると思います。

 実用のために配慮した工夫がもう一つ見られます。楼閣を彫刻するときは、様々な方向から奥の方までくり抜こうとしたあとが観察できます。これだけの象牙材の固まりですから、重量は重いはずです。しかし、材料を十分にくり抜くことによって、使用者に負担のない、自然な軽さとなっています。



実物の蛤との比較


 蛤は、平安時代からの貴族の遊び道具の“貝合わせ”にも用いられました。上下の対の貝としか噛み合わせが合わないことから、夫婦和合の象徴として吉祥文様でした。また、蛤は古来から縁起物で、正月や桃の節句の料理として食べられてきました。厄除けや魔除けの意味もあったようです。

 ちなみに、蛤の語源は「浜栗」だと言われています。海辺に住んでいて、栗に形が似ているからです。そういえば、栗の根付も藻スクールを中心によく見られますが、これも究極の形と言えるかもしれません。

 想像上の題材と奇想天外なデザイン。曲線と細密彫刻で構成された作品。京都の作品らしく、雅な雰囲気を感じさせます。奉真彫は、他の地域の根付師ではあまり取り上げられておらず、京都特有の題材と言えます。おそらく、京都や大阪方面の大名や豪商、公家など特定の層に需要があったのではないかと想像されます。


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