保土ヶ谷地域ケアプラザ主催の「保土ヶ谷の歴史を知ろう 第三回 :駅前と本陣の歴史」に参加しました。 今日は雨模様のため、ケアプラザ内でのお話を伺いました。もともと保土ヶ谷駅の東口はなく、 国道1号線もなかったこと、そして関東大震災で大きな被害を受けたことを古写真を もとに説明がありました。 さらに保土ヶ谷本陣は建坪220坪の大きな建物であり、運営は地域の多くの人々(助郷制度など)で 行われ、地域の免田制度に基づき行われたことを話されました。代々、苅部清兵衛が、名主とともに問屋、本陣の諸役を 担いました。幕末、横浜町の総年寄となり、開港直後の複雑な業務を切りまわし、開港に先立って、 横浜へ通じる道の新設、今井川の開削などを行いました。 解散後、講師を担当された桑名屋に伺い、グループでお蕎麦を楽しみました。 食事後、近くの「政子の井戸」、「北向地蔵」にも 立ち寄りました。 ―以上―