現在の人が一般に言う死後世界『天国』。
争いや飢えといった、生きていくうえでの恐怖が存在しない理想の地と思われた、かの地。
しかし実際のそこには、自然と共存しその恩恵を『魔法』として行使できる人々が生きていた。
ただ『魔法』は絶対的なものではなく、ある人は剣の道を進み、またある人は支配に走った。
ある日。
自然への崇拝を捨てることで、特殊な仕掛けを使用できる知識を身に付けた者が現れた。
彼らはその点で現代人に通じている。
だが当時の世事から言えば、彼らの存在は異端でしかなかった。
彼らは、自分たちが選んだ道を証明するため、『天国』に反旗を翻した。
一人の少年がいた。
生きながらにして『天国』に迷い込んだその少年は、かの地の運命を分ける大きな戦乱に巻き込まれる。
彼は恩人のため、家族のため、親友のため、そして自分自身のために戦いの道を選び取った。
やがて少年は成長し、男になった。
この物語は、その男に関わった者たちの数奇な運命を書いたものである。
俺たちの数奇な人生・第一話
『日常から非日常へ』
見渡す限りに闇が広がる、普段は静かにしても静かすぎるこの空間。
今ここで、ある二人が対峙していた。
一人は短めの髪形をした、神秘的な雰囲気を持つ女性。
もう一人……いや『一匹』は、明らかに人間とは違う外見である。
その『一匹』は皮膚が赤黒く、頭には二本の角を有し、右手には大きな金棒。その醜い顔面はまるで全てのものを憎んでいるかのような怒りの形相……。
まさしく「鬼」そのものである。
体躯も非常に大きく、縦も横も女性の1.5倍近くはある。
鬼は女性を一瞥したのち、くぐもった声を発した。
「てめえか……コソコソ俺たちのことを嗅ぎまわってるメス犬ってのは」
女性は答えない。
「ふん、スカしやがって……まあいい、お前はここで殺す。覚悟しな」
「………………ふふっ」
固く結ばれていた女性の口に、わずかながら笑みの色が浮かんだ。
どことなく嘲笑の色が含まれたその仕草は、鬼の機嫌を一気に奪ったようだ。
「気にいらねえ女だ!ぶっ潰す!」
ゴォォっ!!
鬼が力任せに金棒を振り下ろす!
女性はそれを後方に避けると同時に、注射器らしいものを鬼に投げつけた。
「しゃらくせえ!」
鬼がそれらを金棒ではじき、さらに攻撃を繰り返す!
「そんな攻撃じゃ、当たらない……」
つぶやきながら女性は鬼の攻撃を冷静に見切り、間合いを取りつつ注射器を連続して投げる。
トスっ!
注射器の一つが鬼の膝あたりに命中し、軽く鬼がよろめいた。
チャンスとばかりに、開いた右手を鬼に向かって突き出す!
「………あ、あれ?」
だがしかし、その行動に何の意味があったのか、何も起きずに場が静まりかえってしまった。
「……っははは!バカかお前!ここじゃ『酷使』以外の魔法は使えねぇんだよ!」
「…!」
「死ね!」
「…っ……転移!」
狼狽した女性にむかって思い切り得物を薙ぎ払った鬼だったが、命中すると思われた金棒はまたしても空を切る。
先ほどまで目視できた女性の姿が、急に、忽然と消えてしまっていたのだ。
「野郎!逃がさねえぜ!!」
鬼も女性と同じように、亜空間からふっと消えてしまった。
亜空間はまた、静かになった……。
午後四時、日本。師走町。
街が澄色に彩られるこの時間。学生服を着込んだ少年三人とセーラー服の少女が一人、住宅街の一通路を歩いていた。
「なぁ、これからゲーセン行かね?」
「んー、昨日も行ったじゃん。今日は喫茶店でくつろごうよ」
二人の少年が、これから時間をどう過ごすかを模索しあっている。
「こら、寄り道はしちゃダメって昔から言ってるでしょ!」
「……相変わらず洋子さんはカタイな」
少女がその二人へ割って入り、優等生の口ぶりで抗議した。
そんな彼女を見て、残りの一人が「やれやれ」といった様子で口にする。
「私がカタイんじゃなくて君たちが不真面目なの!」
やや説教じみているこの少女は、四人の姉貴分である『永原 洋子』。
ややつり上がった大きめの目に、整った形をした鼻や口。
そして腰まで伸ばした綺麗な髪をたなびかせる様は、万人の男が振り向くような美しい容姿である。。
背は女性にしては高く、プロポーションもなかなかのものだ。
「別にいいじゃん、洋子も行こうぜ」
洋子に反論するこの少年が、洋子の弟『永原 仁』。
茶色に染めた髪を、整髪料で逆さに立てているのが特徴だ。
洋子と同じようにつり上がり気味の大きな目を持ち、人懐っこい笑みが彼の明るさを物語っている。
「イヤよ。ほら、さっさと帰ろ」
「まぁそう言うなよ。たまにはアンタも羽伸ばしたらどうだ」
「豪くんまでそんなこと言って!」
「豪くん」と呼ばれた彼が『白羽鳥 豪』。
180cmを越える身長で、細身だが妙に筋肉の隆起が目立つ肉体を持ち、そして細く鋭い切れ長の目が印象深い。
髪を伸ばして首の後ろで結んでいるのは、彼のポリシーだそうだ。
口調はややぶっきらぼうであり、その外貌も相まって、初対面の相手にはウケが悪い。
しかし付き合ってみれば、気のいい男であるのが判る。
「洋子さん、行こうよ。帰ったってやることないんでしょ?」
「ま、失礼しちゃうなぁ」
最後に、今洋子に話し掛けた『桐山 翔』。
陸上部では短距離走のエースである彼だったが、傍目から見れば割と平凡な少年だ。
特に髪をいじるようなことはせず、背は豪と頭一個ほど違う。
美男子とは言いがたいが、柔和な雰囲気をまとった優しい顔立ちをしている。
彼らは幼少以来の付き合いで、いつも一緒にくだらないことをやっては楽しんできた。
四人とも高校生であり、通う学校は四人とも同じである。
学年が違っても翔たちの関係は変わらずに、いつも一緒に過ごした。
この日は期末テストの最終日であり、明日からは夏休みである。
せっかくテストが終わったからと、気晴らしにゲームセンターへ行こうという話だったのだが、先のように洋子が渋っていた。
どうも彼女は寄り道が嫌いらしく、下校中頻繁にゲームセンターへ通う仁や豪を快く思っていないようだった。
「……でもまぁ、たまにはいっか」
ただ、珍しくもこの日は洋子が翔達の誘いを承諾した。
テスト明けに気を晴らしたいのは、彼女も同じだったようだ。
ここで一同は、進路を変えて商店街のほうへ向かった。
☆☆☆
数分が経過し、右側に空き地がある道に出た。ここを抜ければもう商店街で、ゲームセンターもすぐそばだ。
いつも変わらない空き地。四人は昔、よくここで遊んだものだった。
その空き地が、何か妙だった。
「?……ねぇ、洋子さん」
白羽鳥と仁は会話に夢中だったので、翔は洋子に話しかける。
「ん、なぁに?」
「この空き地、何か変だ」
「……どこが?」
「景色がゆがんで見えるよ」
そう、その空き地の向こう側が、蜃気楼のように揺らめいて見えたのだ。
「……ホントだ、なんだろうね」
翔と洋子は立ち止まってそのゆらめきを見ていた。
先を歩いていた他の二人も、立ち止まった翔たちに気づいて寄ってくる。
「何やってんだよ、早く行こうぜ!」
仁がそう言った瞬間…。
グワン!!
空間の歪みが音を立てて一気に大きくなったかと思えば、何もなかったところから人影が現れた。
空間から人!
なんだか分からないが、とてつもない物を見てしまった気がする。
他の三人も驚いたように目を見開いている。
出てきた人は……うわあ、すっごい美人。髪は短めに切りそろえられていて、
濃い紫色を基調とした看護婦さんっぽい服と黒タイツが、その人の持つミステリアスな雰囲気をいっそう引き出していた。
その人が、長距離走を走った直後みたいに、膝をついて激しく息を切らせていた。
「…なんだか辛そうね、助けてあげよっか」
そう言って駆け寄っていこうとする洋子さんを、白羽鳥さんが止める。
「おい、今の見ただろ?なんだか普通じゃない、ヤバそうだ。関わらんほうがいい」
「こら、豪くん。困ったときはお互い様、そんなこと言ってると誰も助けてくれなくなっちゃうぞ」
「そうだな、なんか放っとけねえ。美人だし」
白羽鳥さんの静止を聞かず、永原姉弟はその女の人に駆け寄る。
「ったく…お節介どもめ、どうなっても知らんぞ」
「え…?」
白羽鳥さんがボソッとそうつぶやいた。
普通に聞けばなんてこと無いその言葉だけど、なぜかそのときの僕には、
これから起こることが白羽鳥さんには分かってるみたいに聞こえて、少し不安になった…。
でも白羽鳥さんも二人の後を追ったので、僕もとりあえず女の人のところへ行く事にした。
「あの、大丈夫ですか?」
「…はあ……はあ…っはあ…」
洋子さんが女の人に声をかける。…ほんと、なんでこんなに息切らしてるんだろう?
「?…あ、あれ……ここは………?」
「え?なんですか?」
「……こ、ここは……どこですか……?」
「どこ…って言われてもなぁ…ん?何だ?」
グワン!!
またさっきの音と共に空間がゆがんだ。また人か?と思って見てみたら……。
「きゃああああっ!」
「うわっ!!何だこいつ!」
「!…」
出てきたのは、赤黒い皮膚に二本の角、いかにもな金棒…。
普通だったら「何だ、この着ぐるみ?」ってとこだけど…こいつはそんなもんじゃない。
なぜだか、顔を見たら分かってしまった。こいつは本物だ、マジにヤバイ…!
「見つけたぜ、メス犬!」
「しつこいですね…」
「それ」が金棒を持った手を振り上げると同時に、女の人が右手を掲げた。
すると、僕たちを守るようにして、地面から緑色で半球上の薄い膜が現れる!
バチィっ!!
金棒が僕たちに届く前に、膜が火花を散らしつつその一撃を遮った。
何が起こってるのか、全く理解を超えている!どうなってるんだ!?
「けっ!ちょこざいな!」
鬼が恨めしそうに悪態をつく。その顔が、当初よりさらに怒りの色を増していた。
(…巻き添えは出せない……転移しなくては…)
女性は、翔達を巻き込むことを恐れて再び『転移』を試みる。
「……亜空間転移…!」
「させるかよ!」
「っ!!」
『転移』の発動を読んだ鬼が、女性に向かって土色の息を吹きかけた。
女性の、魔法の集中が途切れる!
「しまった……暴走…!?」
「!?おい、全員この女から離れろ!」
「え?ちょっと…!」
「うわ、まぶし…!」
ピカアア!!
次の瞬間、女性からまばゆい光が発生し、あたりを包む!
アアァァァ……
「……ちっ」
…光が収まったころ、その場所にはとっさに光から離れた豪と、いくつかの学生鞄しか残っていなかった……。
僕は、あまりに強い光に思わず目を閉じてしまった。
そして光が消えたころ、ゆっくりと目を開けたら……そこは見慣れた空き地ではなかった。
正面にあるのはきれいな海。それと背後にはうっそうと木々が茂る真っ暗な森。
…………なにが起きたんだ、一体……。
少なくともここは僕たちの街とは違う場所っぽいけど…。
「い、いたたた……」
誰かがうめくような声が聞こえた。見ると、先ほどの女性が腰を抑えて砂浜にうずくまっている。なんか、老人くさい…。
…あれ?そういえば、この場には僕とこの人しかいない。仁たちはどこへ…?
…まぁ僕があれこれ考えてもしょうがない。とりあえず、なにが起きたのかこの人に色々聞いてみることにした。
「あの…大丈夫ですか」
「は、はい…な、なんとか…」
うわ……やっぱりすごい美人だ。なぜだか緊張してしまう。
「えと…なんかここって、さっきの空き地じゃないですよね?なにが起きたか分かります?」
「は、はい……わかり…ますけど…」
「じゃあ…ちょっと説明してもらえません…?」
「あ、あの……おんぶ…し、してもらえませんか…?」
「はぁ?」
会話がかみ合ってない…。何でいきなりおんぶが??
「ち、近くに…知人が砦を構えていて………そこまで行きたいんですけど…こ、腰が痛くて……説明は行く途中で…
すみません……初対面の方に…こんなこと頼むのは…ひ、非常識なんですが……お願いします」
…なんっつーか、この人…。
「…話すの、苦手そうですね」
「うっ……まあ…そ、それなりに…」
『それなりに』って…こういうときに使う言葉か?
「まあ、ほっとけないし、それはいいんですけどね」
「…あ、ありがとう…ございます」
「それより先に、ちょっと聞かせてもらえませんか」
「は、はい…なんでしょう…」
「僕のほかにもう三人いましたよね。その人たち見当たらないんですけど、ここに来てるんですか?」
「ち、近くに…いるのは……ま、間違いないんですが……ちょっと…」
「…そうですか」
「あ、あの人たちは……違うんですか?」
「えっ?」
そう言って女性が僕の背後を指す。振りかえったら…50メートルぐらい先に、こっちに向かってくる人影があった。
あれは…仁と洋子さん!
☆
「翔、無事だったか!?」
「仁たちこそ!」
「ねえ翔君、ここどこか分かる?師走町じゃないよね」
今洋子さんが言った師走町というのは、僕たちが住む町の名前だ。
「いや、僕もちょっとよくわかんないけど…この人が知ってるみたい」
「ど、どうも…」
女性が会釈する。仁たちもそれに習い、軽く頭を下げた。
「腰、痛そうだな」
「…か、かなり…」
「…まあいいや、あんたに聞きてぇことがある。まずここはどこで、あんたは何者だ?」
「そ、それは……」
仁がちょっと荒い口調で質問し始めた。なんだかとても焦っているみたいだ。
質問したい気持ちなのは分かるけど、でも今はとりあえずこの人を運ばなきゃいけない。
僕は二人の会話を止めるようにして、その意を言葉にした。
「仁、ちょっと待って。この人歩けないらしくてさ、このまま放っとけないし、近くまで送って行く事になってるんだ。
その途中でいろいろ説明してもらえるみたいだから、ひとまずそこに向かおうよ」
「…わかった」
納得してないみたいだけど、ここで渋るほど仁も子供じゃない。
話が一区切りついたところで、洋子さんがさも不思議そうにこう言った。
仁のその言葉に、僕たちは思わず俯いてしまう。
白羽鳥さんは僕たちのリーダーっぽいところがあったから、こんなときでもきっと僕らを引っ張ってくれただろうに…。
「あ、あの……」
「なんです?」
「……豪さん、というのは…あなた方と一緒にいた方ですか…?」
さっきから黙っていた女性が、やっと聞けたって様子で質問してきた。
「そうですけど…それがなにか」僕が返すと、今まで無表情だったこの人が急に深刻そうな表情をする。
……なんだぁ?とてもなんでもないように見えないけど。ま、どうでもいいか。
「じゃあ聞かせてもらおうか。あんた、名前は?」
「に、二ノ舞きさらぎと言います…」
「じゃあきさらぎさん。まず、ここはどこだ?日本じゃあないよな、少なくとも」
「あ、あなたたちの住んでいた世界とは、べ、別の世界です」
別世界……。
「はぁ?寝ぼけんな…って言いたいとこだが、嘘でもなさそうだな。あんなことがあっちゃ信じないわけにもいかねぇし」
「別の世界…地球じゃないってことですか?」
「…ちきゅう?」
洋子さんが言った「地球」って単語に、女性…二ノ舞さんが疑問の色を含んだ返答をする。
どうも地球って言葉が通じないらしい。…困ったな、日本語が通じるから安心してたけど、通じない単語が他にもあったら…。
「いや、地球じゃねぇとは考えにくい。植物も海もあるからな」
「そっか」
「…ち、地球というのは?」
「ん?いやまあ、それはこっちの話。まあとにかく、俺たちの住む世界とは別の、異世界ってわけだな?」
「そ、そう…です…」
僕の心配をよそに、仁がさっさと話を進めていく。そんなに急がなくてもいいのに…。
「あんたはこの世界の住人か?」言われた通りに僕らは進路を変える。
道が整備されてないからとても歩きづらくて、言われなければ絶対こんなところ曲がろうなんて思わないだろう。
「…あの鬼みたいなヤツはなんですか?すっごく怖かったんですけど」
「あれは…わ、私も詳しくは分からないのですが…『獣人』と呼ばれる、人間と、妖怪というか悪魔というか…その中間の生物です」
「あんたを追ってきたみたいな感じだったけど」
「わ、私が…あれらについて…ちょ、調査していたのですが…み、見つかってしまいまして…」
「調査?…どういうことです?」
「…ま、まあ。色々あって…」
調査って……なんだか今回の事件、穏便に済みそうに無いなぁ…。
「詳しく話せ」仁が言うと、きさらぎさんは「すぅっ」と軽く息を吸い、語り始めた。
話は、まず僕らがいるこの大陸には三つの国があることから始まった。
名前は北からゴールデバンド帝国、干支共和国、ファルナール王国。
僕らが今歩いているのは、干支共和国領内の「三闇の森」っていうところらしい。
「ゴ、ゴールデバンド帝国は……な、何度もわが国に攻め入ってきて…。でも……ど、同盟国であるファルナール王国との……協力で…い、今までは侵略を防いでこれたのですが…。何年か前に……ファルナール王国内で…は、反乱が起きてしまって…。わ、我々は…自分たちの力のみで…ゴールデバンドを……相手にしなくては…な、ならなくなりました…」
「なんでそのファルナールって国で反乱が起きたんです?」
「…く、詳しくは分かりませんが…国の政治のことで……何か問題が…あ、あったみたいです…」
「あ、そうですか。続き、お願いします」
その後も話は続いた。
ゴールデバンド帝国ってところでは、獣人っていう民族(と言っていいのか?)が暮らしているらしい。
「…あ、相手は獣人…戦闘力に優れた民だったので…て、抵抗したのですが、残念ながら…。ただ、我々の国が制圧されたころ……ファルナールは…ちょうど落ち着いたころで…」
ん?『落ち着いた』?ってことは…。
「どっちが勝ったんです?」いかんいかん、話を逸らしてしまった。
「…それで、ファルナール王国が安定したと聞いて…我々はこの国に落ち延びました…」
…ここで、いったん話が止まった。二ノ舞さんを見ると、ほんの少し目を伏せて口を閉じている。
……言いにくいんだろうな、きっと。
少々長い沈黙に、場がちょっと気まずくなってきた。僕なりに気を利かせて、先を促すように自分の予測を口にする。
ってことは…今までの話からすると、この国って今…。
「…じゃあ、今この場所は戦争の真っ只中…ってことですよね?」
…とんでもない事になった。ただ、結果が結果だから仕方ない。
僕らにとっての問題は、もっと別のところにある。
「帰れるんだろうな」
「え?」
「元の世界へ帰れるのかどうか聞いてる」
仁がその問題を挙げた。そう、僕らにとって重要なことは、元の世界に帰れるのかどうかということ。
こう言っちゃなんだけど、さっさと元の世界へ引っ込めば他人の戦争なんかに巻き込まれる心配もない。
とりあえず話が打ち切られる形になり、数瞬だけ沈黙が場を支配した。
そのうち、何を思ったのか、洋子さんが妙な話題を持ちかける。
「…私聞きたいんですけど、きさらぎさん、変な術みたいの使ってましたよね。あれなんですか?」
「あれは…『魔法』です」
「えっと、この世界の人は全員使えるんですか?」
「いえ……じ、自分の体に…『印』を…宿さなければ……つ、使えません」
「何ですか、印って」
「こ、これを見てください…」
きさらぎさんが、自分の右手をすっと出した。
右手の甲に、何か奇妙な模様が張り付いていた。弱弱しい白光を放つそれは、水がめを持った女神のようにも見える。
「これは…印の中でも…き、強力な力を持つ…『聖印』と呼ばれるものです」
「ほおぉ」
「へぇ、いいなあ」
僕らがもその『聖印』ってヤツを物珍しげに見物していると、
二ノ舞さんが目に見えないぐらい微妙に表情を変えたのに、僕は気付いた。
照れているのか、少々顔が赤みがかってきた。なんつーか……か、可愛い…。
ここまで二ノ舞さんが言ったのと同時に、場の雰囲気がなぜか軽くなっていくのが分かった。
……この雰囲気は…まさか…。
数瞬後、僕の危惧をよそに仁が笑いながら言葉を紡ぐ。
始まった…。このまま止めないでいると、なりふり構わず取っ組み合い始めるからなぁ…。
ほらみろ、二ノ舞さんがあっけに取られてるじゃないか。
二人をなだめようとして、両手を二人の間に差し入れようとしたときに、妙なものが視界に入った。
自分の左手の甲に『それ』はあった。きさらぎさんの右手にあったものとは違う、黒色の模様が……!
「あ、あの…きさらぎさん」
「は、はい…」
「これって…何ですか?」
僕はきさらぎさんに、自分の左手の甲を見せる。これってもしかして…。
「そ、それは……印……!?」
「印なんですか!?」
や、やっぱそうなの!?
「そ、それはどこで……?」二人にもその模様を見せる。よく見たら僕のその印は、吼えたける獅子のような形をしている。
「なにこれ!?おまえ、これどうしたの?」
「わかんない、いつの間にかあった」
「いいなあ〜、何で翔君だけ」
ちょっと普通じゃない反応をしながら、洋子さんが自分の手を上にかざし手の甲を見上げた。すると…。
「!!ねえねえ、私にもあるよ!」
「「「えっ!?」」」
「ほら、これこれ」
洋子さんの右手にも、それは確かにあった。きさらぎさんの『聖印』のように白色だが、形が違う。
二ノ舞さんのは水がめを持った女神みたいな感じだったけど、洋子さんのは十字架を掲げた女神みたいな模様だ。
「僕や洋子さんにもあるってことは、仁にも?」
「……あ、ホントだ。あるよ、うん」
「み、見せてください……」
仁のは僕のと一緒で、左手の甲に黒字の模様が刻まれていた。槍を持った騎士のような形だ。
「いつからあったんだ?全然気付かなかったぞ」
「意外に手の甲って見ないものなんだね」
いつのまにか『宿って』いたその印を、僕と仁はいぶかしげに、洋子さんは……嬉しそうに見つめた。
「皆さん、どこでこれを……?」
「分かりません。さっきも言いましたけど、ほんと、今気づいたんです」
「…なんだか不気味だなぁ、おい」
「そぉ?カッコいいじゃない。それに、これで私の人格も証明されたわけだし♪」
自分で言うな。とりあえず僕は心の中でそう突っ込んでおく。
見ると、仁も僕と同じツッコミをカマしたようだ。
お互い目を合わせて、どちらともなくため息をついた。
また『いつもの』が始まりそうになったとき、僕の背にいる二ノ舞さんが森の奥を指差した。
「…あ、見えました……。あ、あそこです……」おっと…。
話に夢中になって気づかなかったけど、いつのまにか視界は開けていた。どうやら森に囲まれた草原らしい。
一つ大きな砦っぽいのと、それを取り囲むように小さな家がいくつか建てられている。
なんつーか、全部丸太で建てられていたため、ここが日本でないことを改めて実感した。
「あの、一番大きい建物へ…」
きさらぎさんに促され、僕たちはその大きな砦に向かった。
入り口近くには、槍らしいものを持った門番が二人立っている。
「貴様ら、何者だ!」
僕たちを見るなり、門番の一人が槍を向けてきた。やっぱこれ…本物、だよね?
「あの…」
「あっ、あなたはきさらぎ様!?どうなされたのですか?」
二ノ舞さんが声をかけると、兵士たちが急に慌てふためく。
その態度の急変に、誰かが(多分洋子さん)クスっとしたのを聞いた。
二人の門番は慌ててテントの中に入っていった。もしかしてきさらぎさんって…。
「きさらぎさんって偉い人なんですか?」
「……ノーコメント…です」
「「「何故?」」」
…やれやれ、面倒くさい事になった。
翔達が空き地からいなくなってから、俺は急いで自宅に戻る。
ヤツらがいなくなった原因はわかってる。転移魔法の失敗だ。二ノ舞先生にも失敗はあるんだな。
いや、失敗したんでなくて失敗させられた、のほうが正しいな。…まあいいか、そんなことは。
さっさとヤツらを連れ戻しに行こう。早くしないと手遅れになってしまう。
…向こうへ行くのはあれ以来だ…。はぁぁ〜、行きたくない……でも今回はさすがになぁ…。
…うわぁぁ、なんてこった。
身支度を整える途中で、俺は愛用のガムを切らしていることに気付く。ガムが無いといざって時に力が使えないからな、買いに行かなければ。
よし、準備は整った。
ガムはしっかり、俺好みのフーセンガム「バブリズム」のコーラパンチ味とライムソーダ味を二つずつ買ったし。
あとは、これを忘れてはいけない。
そんなこんなで、俺は自宅の庭にある池の前にいた。ここに飛び込めばもう『向こう』である。
じゃあ、行ってくるか。できれば、面倒な事にならないことを願うぞ……。
僕たちはその後、門番に導かれて砦の中のある部屋に通された。
部屋の中には大きい地図が広げられた机があり、その周りに何人か立ちながら相談事をしていたが、
僕たちに気づくなり袴姿のお姉さん(これまた美人!)が寄ってきた。
…っつーかさぁ、いつまできさらぎさん背負ってなきゃいけないわけ?いいかげんきついんですけど。
「きさらぎさん!どうしたの、怪我したって聞いたけど」
「こ、腰が…」
「腰?…まあいいわ。君たち、きさらぎを助けてくれてありがとう。礼を言うわ」
そういって、にこりとお姉さんは笑った。…いいなあ、袴美人。
「きさらぎさん、救護室まで歩ける?」
「いえ、ちょっと…」
「…悪いけど君、もうちょっとだけきさらぎを運んであげて欲しいんだけど…ダメ?」
「あ、いえ、そんなことないです、はい」
いかんいかん、どもってしまった。そんな「ダメ?」なんて言われると、緊張しちゃうじゃないか。
「…マヌケ」
「うるさいな」
「?……じゃあついてきて、こっちよ」
「翔君、お疲れ様」
「あ、ありがとうございました…ご恩は一生忘れません」
「そんな大げさな。気になさらないで結構ですよ」
「まあ、優しいのね。…お腹すいたんじゃない?食堂あるから、行ってきたら?」
女性陣は各々が僕にねぎらいの言葉をかけてくれる。それに比べて仁は…。
「そうするよ。じゃあ行こうぜ、腹減っちまった」
ほんの一瞬も交代してくれなかったのに、この男、ぬけぬけとこんなことを抜かしやがった…。
僕のが腹減ってるっつーの!!
あ…そういえば、重要なことをまだ聞いてない。これ聞かなきゃ飯どころじゃないぞ。
「ちょっと待って」
「…なんだよ」
「重要なことを聞き忘れてた。きさらぎさん、さっき言いましたよね。『元の世界に帰れないこともないが、面倒なことになってる』って。
どういうことですか?」
「…実は…や、やよいさんに……見てもらわないと……わ、分からないんですが…」
そう言うなり、二ノ舞さんはちらりと袴美人さんを見やる。ふ〜ん。この人はやよいさんって名前なのか…。
「どうしたの?」そこまでを聞いて、やよいさんは沈痛な面持ちで口を開く。
「……無理ね」…………こうなるんじゃないかって思ったよ…。
「いえ……聞きたいのはそれだけです…じゃあ仁、洋子さん、ご飯食べに行こう」
仁が、僕の言葉にちょっとだけうろたえながらついて来た。僕、そんなに変な顔してるかな……。
そんなことどうでもいいか、ははっ…。
救護室から三人が出て行き、やよいときさらぎだけが部屋に残る。
「…で、どこ怪我したの?」
「こ、腰が……グキ!って…」
腰をさするきさらぎ。失礼ながら、前傾姿勢の姿は年配のご老人を思わせた。
「見せて………ふ〜ん…」まさか、亜空間での『聖印』が効果をなさないとは思わなかった。 しかし転移で別世界に出るなんて、きさらぎの経験上今までになかったことだ。なぜ、今回に限って…? 考えるきさらぎをよそに、やよいが部屋の隅にある棚から治療用具を取り出しつつ話を進める。
「ふ〜ん…どうしましょうか、彼らを何とかして元の世界に戻さなきゃ」苦笑しながら、やよいがきさらぎに促す。それに従いながらも、きさらぎは話を続けた。
「そのことで、ちょっと……」『邪印』という単語に、やよいは過敏に反応する。その単語には、特別な意味があるらしかった。
「……も、もしかしたら…違うかもしれませんが…でも…ひ、左手に黒字でしたから……おそらく…」会話が止まり、沈黙が場を支配する。 瞬間、きさらぎもやよいも互いにふと遠い目をした。遥か昔を懐かしむような、そんな目だった。
「………」
「お待たせしました、『男子高校生セット』のお客様」
「あ、オレ」
「はい、こちらになります。『眠れぬ林の麗女セット』のお客様は…」
「あ、私です」
「はい、ごゆっくりどうぞ。『陸上競技セット』のお客様は」
「僕です…」
「はい、おまちどうさまでした。ごゆっくりどうぞ〜」
おお、戦争中にしちゃあ豪華じゃあねえか。(ばくばく)
「おいしそう〜♪(ぱくり)」
洋子のやつ…ストロベリーパフェにモンブラン、シュークリームにチョコケーキにアップルパイ…甘いもんばっかじゃねえか。
「そんなに食うと太るぞ(もしゃもしゃ)」
「大丈夫よ、その辺はちゃんと考えてるもん♪(ぱくぱく)」
何言ってんだ、昨日300グラム太ったとかでギャーギャー騒いでたくせに。(ごくごく)
「…はあ」
なんだ、翔のヤツ、暗いなあ。さっきからため息ばっかで。(がつがつ)
「おい、食わねえのか?(ごくん)」
「………いいよね、君らは気楽でさ…」
「なんだよ急に(もぐもぐ)」
「……戦争中なんだよ、ここ」
「そうね(ぺろり)あ、すいませ〜ん、おかわりお願いしま〜す」
「早っ!もう食ったのかお前!?(はぐはぐ)」
おいおい、いくらなんでもそのスピードはねぇだろ!?
「………いつここが戦場になるか分からないんだよ」
洋子の脅威の早食いを見てもさして驚かず、変わらない様子で翔は続けた。
何を心配してるんだ、コイツは。あぁ、真面目ちゃんなコイツのことだから…。
あら、違うらしい。てっきり学校のことかと思っちまった。
「お待たせしました、『眠れぬ林の麗女セット』おかわりで〜す」何だコイツは。いつからこんな後ろ向きなヤツになったんだ?…しょうがねえな。
「大丈夫だって。俺たちが今どう悩んだって事態は好転しねぇだろ?だったらなるように任せるのが気楽だし、最善なんだよ。
いざってときも、ここの人たちが守ってくれるさ。強そうな人たちばっかりだし。な、だから飯でも食って待ってようぜ」
やっぱり戦争中ってだけあって、周りにいる人たちは腰に帯剣してたり、槍を磨いたりと物騒なことこの上ない。
「それに俺たちも、いざとなっては魔法っての使えるんだぜ?心配すんなよ」
そう、それが大きい。左手に急に刻まれたこの模様、不気味な感はあるが中々頼りになるんじゃあないかと思う。
体質と才能が必要ときさらぎさんは言ってたが、それは問題ないはずだ。だって、いきなり出てきたんだぜ?
自分に合わない物が急に現れたりするか?
「…使い方、知ってるの?」
「だから、これ食べ終わったら習いに行きましょうよ(ペろり)。ごちそうさまでした」
「早っ!もう食いやがったのか!」
「…ははは、君らを見てると悩んでる僕が馬鹿みたいだ」
「だろ?だったら早く食っちまえ。それから練習だ」
「…わかったよ」
やっともとの翔らしくなってきやがった。そうそう、深く考えるだけ無駄だって。
まぁそんなわけで、オレたちは翔が飯を食い終わるのを待った。
…ただ、洋子がまたしても甘いものを早食いし始めたのには参ったが。
僕達は飯を食べ終わったあと小休止を取っていたが、二ノ舞さんが話があるとかで、例の地図が広がった部屋に案内された。
部屋の中には二ノ舞さんとやよいさん、それと一人の見知らぬ少女がいた。
少女はきれいな髪をシニヨンでまとめて、魔術師っぽい格好をしている。とても不可思議で神秘的な魅力を放っている。
「ごめんなさい、わざわざ来てもらっちゃって。本当はこちらから出向くのが礼儀なんだけど」
「いえ、構わないですよ。それで、話って…?」
「その前に、一応自己紹介しておくわ。私は三世院 やよい。ここの砦に駐留してる、元干支共和国軍歩兵隊の隊長よ」
「わ、私が…二ノ舞 きさらぎ……です。…ま、魔法兵団の…団長…してました…」
えっ?この人たちが軍隊のお偉いさん!?うっわ〜、すごく意外だ。
「そしてその子が、ファルナール王国第二王女の千影様」
仁たちの言葉に、王女さまがその無表情な顔を赤く染める。…なんか、こっちの女の人って、良い…。
洋子さんも顔はいいんだから、もうちょっとこういう風な可愛げのある動作とか欲しいよな〜。
…そんな丁寧に謝られても、こっちが対応に困ってしまう。
「わ、私たちに……少し時間を…ください…。か、必ず干支共和国を取り戻し…あなた方を無事に送り届けます…や、約束…です」
「ああ、それはもう気にしてないからいいんだけどよ…ちょっと相談事があるんだよね」
「なにかしら?」
「私たちに印の使い方、教えてくれませんか?」
「「えっ?」」
「いや、せっかく印があるんだから、身を守る意味で、使いこなせたらな〜って…」
「そうね…使えると何かと便利だしね。じゃあ…」
「ち、千影さん…お願いできますか……?」
えっ?王女さまが教えてくれるの?なんてこった、粗相の無いようにしなければ…。
「私が…?」なんっつーか、「…」が多いなあ。
「じゃあ、魔法は千影様に習ってください。他になにかある?」
「いや、大丈夫。それだけでいい」
「そう。なにかあったら私に言ってね。できる限りの事はするから」
「すみません」
「じゃあ早速、お願いできるかい?王女さん」
「…………じゃあ、こっちへ…」
こうして、僕たちの砦生活(特訓)が始まった…。
第二話へ続く…
あとがき
とりあえず、長いです。何とかしたいものです、自分自身。
キャラの性格も難しかったですねぇ。きさらぎ先生なんて喋りすぎですよ、はい。
妹もちー様がラストにちょこっと…。こんなんでいいのでしょうか?
全体としてみても、文の書き方や構成がかなりヌルイですね。とりあえず修正はしましたが、これが限界です。
まあ、いろいろ設定考えてるんで、気長にお付き合いくださると嬉しいです。
最後に、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!