「僕も戦争に参加するよ」
一同に向け、翔は決意に満ちた口調で言った。
彼の口からこのような言葉が出るなどとは誰も考えなかったため、各々に驚きの色が見え、またそれは当然と言えた。
「どうなさったのですか?そんな突然に」
「そんな!?危ないから止めたほうがいいよ!」
春歌は翔にそのまま返し、同時に衛は反論の意を示す。そんな二人に、翔は答えた。
「危ないのは分かってる。急に言い出して迷惑をかけるのも謝るよ。でも、もう決めたことだから」
「分からないな……何が君に…そこまでの決意を……させたんだい…?せめて…納得できる理由が…欲しいところだ……」
千影が疑問を投げる。それは、この場にいる誰もが持った疑問だった。
「…信用しないわけじゃないけど…」
……言いづらそうな表情を見せたあと、翔は先ほどよりやや弱めの勢いで返答する。
「この前の砦みたいにまた敵に負けたら、もう待ち合わせどころじゃない。この都市を取られたら、その時点で友達との再会は在りえなくなると思う。だから、この都市を守るために僕は努力したいんだ。 僕一人が頑張ったところでそんなには変わらないだろうけど、それでも何もしないで避難ってことはできない」
ほんの数日間を共に過ごしただけだが、この場にいる全員が彼の真面目さを知っていた。
友を探すためならどんな努力をも惜しむことはしなかったし、結果を得られなくても諦めることはなかった。
つまり翔は、友人が関わると途端に頑固な一面が露になるのだ。その彼が言い出したことだ。
止めても無駄だろうということは、全員が分かっていた。
「…関係ない争いに自分から飛び込もうって言うの?」
やよいが翔をまっすぐに見つめ、確認するように聞いてくる。
「そうです」
「殺されるかもしれないのよ?」
「覚悟の上です」
「…そこまで決意が固いなら、しょうがないわね。私たちは貴方を歓迎します」
こうして翔の参戦が決まった……。
俺たちの数奇な人生・第五話 翔編
『関所での戦い』
色々諸注意を聞かされた翔が執務室を出たのは、それからしばらくしての事である。
部屋の外では、衛が壁に寄りかかっているのが見えた。翔の姿を確認するなり、近寄ってくる。
「ねぇ、翔さん…」
「ん?」
「…ボク、やっぱり翔さんが戦争に参加するの、止めたほうが良いと思う……」
「…」
衛が翔を待っていたのは、しても無駄と思われた説得を試みるためだった。
過去に戦争を経験している彼女だが、それにしては甘い所が少なからず見られた。
それは、元来持ちあわせた優しさがそうさせるのかもしれない。
そんな彼女だから、関係ない人間にはできるだけ戦争の外にいて欲しかったのである。
「…決めたことだからさ」
「だって!だってもしかしたら翔さん殺されちゃうかもしれないんだよ! 翔さんは、もしその友達さんが死んじゃったらすごく悲しむでしょ?それと一緒で、翔さんが死んじゃったらその友達さんも悲しむよ!」
やや困った顔をしながら答える翔に、必死で衛は訴えかける。
最愛の人がいなくなる悲しみを衛は十分に承知していたため、他の人間にそれを味わって欲しくなかった。
そのことが、より彼女の必死さを増していく。
「………翔さんがここ何日間、友達さんのために凄く一生懸命で…見てるだけで、どれだけその友達さんのことを想ってるか伝わってくるぐらいで… そんな優しい人は、やっぱり戦争なんてしちゃダメだよ…」
言い終わった後、先ほどの熱はどこへやら、俯き加減にその場に佇む。
ふぅ、と一つ息をついた後に、穏やかな口調で翔は言葉を紡いだ。
「…優しいってだけで僕がダメなら、衛ちゃんもダメだよ。こうして僕を思って止めようとしてくれてるんだから、君も十分優しい」
「………」
黙ったまま、衛は翔の声に耳を傾ける。口調を変えずに、翔はさらに続けた。
「でもさ、誰に止められようとも君は戦うんだろ?お兄さんが残したこの国を守るために」
「……うん」
「それと一緒さ。僕は友達と一緒に元の世界へ帰るっていう目的がある。…本当に目的を達成させたいなら、ほんのちょっとの結果しか得られないことが判ってても努力しないといけないんだ」
これはある人の受け売りなんだけど、と翔は最後に付け加えた。
最後の言葉を聞いた衛は、はっとした表情で顔を上げてつぶやく。
「……それ、ボクも聞いたことある…」
「へぇ、偶然だね。それなら僕の言いたいこと、判ってくれるよね」
「…うん、わかった。翔さんが決めたことだもんね。…うん、それじゃ一緒にがんばろ!」
やや無理をした笑顔を顔に貼り付けて言う。そして、
「翔さんはボクが守るから安心してね」
と、小走りに去っていった。衛が階下に言ったのを見つめつつ、翔も歩きかけたそのときに、執務室から出てきたきさらぎが声をかける。
「あ、あの……」
「ん?何ですか?」
「あ…やっぱり……戦争を止める気は……」
「あー、無いですね」
翔はきっぱりと言い放った。きさらぎも衛と同じように翔を止める気だったのか、落胆したように息をつく。
ただそれは一瞬で、すぐに顔を上げて翔を視線でまっすぐ貫く。
「あの………戦場は……とっても危険で……」
「そのくらい判ってますよ」
「いえ………そうじゃなくて…」
「え?」
説得がまだ続いていると思ったのか、刺を含んだ言い方で返す翔だが、それをきさらぎはさらに遮る。
「あ、あの……私たちは……元々関係のないあなたを…全力で守るよう気をまわす……つ、つもりですが…」
「はぁ」
「でも……や、やはり自分の身は…自分で守れる力が……あると…べ、便利ではないかと…」
彼女の特徴ある喋りに、翔は黙って耳を傾ける。先ほどまでは翔の目を射抜いていた彼女の視線がここで途端に勢いを弱め、ちらちらと翔の顔色をうかがうような感じで言葉を続けた。
「そ、それで………あの…あ、あなたが良ければ……その…印の使い方……」
「教えてくれるんですか?」
「え?あ…はい」
「マジですか!やった、じゃあ今から早速お願いしますよ、時間無いんで」
きさらぎの手を引きながら翔は訓練場に足を運んだ。手を取ったのは無意識の行動だったが、男性に免疫の無いきさらぎは翔のこの行動に動揺する。
「それで……あれ?なんか顔赤いですよ?」
「い、いえ………何でもない……です」
翔の早い足取りに足をもつらせ、顔を赤くしつつも、彼女、きさらぎはほんのちょっとだけ口を綻ばせた。
程なくして二人は訓練場にたどり着いたわけだが、きさらぎは訓練場に着くなり、翔に印の解説を始める。
実践的な練習にすぐ取り掛かれると思った翔は肩透かしをくらったが、その知識が無ければ印の行使は出来ないらしい。
「まず……印は…ただの印と、聖印………それと邪印と呼ばれる……三種があります……」
「あぁ、それは聞きました」
「そうですか……そ、それで…聖印と邪印には…身体能力の向上という……+αもあります…その度合いは……邪印の方が大きいと言われ…」
その後もきさらぎの解説は続いた。時間にして約二十分といったところか。
1.印は例外を除いて一人につき一つ。
2.印の力はあくまで自然現象の発現であり、それ以上のことは不可。そこから逸脱した力の行使は聖印や邪印が必要。
3.聖印と邪印の能力のことを『酷使』という。
4.『酷使』は一つの印に一つのみ。きさらぎの場合、その酷使は亜空間転移となる。やはり『酷使』も聖印より邪印が強力と言われている。
5.印の力では聖、邪印の持ち主にダメージは与えられない。聖印も、邪印に対しては効果が薄いらしい。
翔が新たに得た知識はその四つほどだった。
「じゃあ、その『酷使』ってやつを教えてくださいよ」
「そ、それは……ダメ…です」
「え、なんで…」
「酷使は……教えて出来るようになるものでは…ないんです…その能力は…人それぞれだから……あなたが自分で…探さなければ…」
今回は時間がないこともあって酷使の模索も出来ないだろう、ときさらぎは続けた。
今この場で訓練すべきことは、身体能力向上の度合いをさらに引き上げること、またそれを体に慣れさせることなのだそうだ。
「あなたはまだ……印を…活かしきれていない……も、もっと使いこなして……ください…」
「OK」
そうして特訓が始まった。
特訓は休み無く続けられた。本来それはオーバーワークとなるのだが、この場合はそれが功を奏すことになる。
翔は劇的に印を使いこなせるようになり、「これなら大丈夫であろう」ときさらぎのお墨付きも受けた。
――――それから二日が経ち、その夜。
☆☆☆
関所は、その北側の出口は左右にやや大きめの森がある以外、かなり遠くまで見渡せる平原となっている。
現在はその平原に、多数の兵士が陣取っていた。空から見ればそれは、大きな影となって写ることだろう。
翔は今、関所に駐屯する軍の中枢、やよいの部隊の傍らにいた。
「将軍、帝国軍が関所に向かって進軍を開始したと情報が入りました」
「そう。じゃあ予定通り各々に指示を」
「承知しました」
やよいが斥候に言い終えた後、翔に向き直る。
「翔くん、これからいよいよ開戦だけど、覚悟はいい?」
「えぇ、大丈夫です」
口ではそう言いながらもやはり緊張の色は隠しきれないようで、どうにも仕草がぎこちない。
「……けっして無理はしないようにね。危なくなったら逃げること。わかったわね?」
「…はい」
やよいの部隊は1000、関所自体を防衛する第四隊である。
帝国軍を正面から迎え撃つ第一隊は春歌が指示し、その数は4000。内1000はやや後方で先頭を援護する弓兵隊となっていた。
左右に伏せて挟み撃ちをする内の、右翼の第三隊に千影と衛が配置され、数はそれぞれ500ずつ。
王女の立場にある千影たちは本来戦場に立つべきではないのだが、兵たちだけを戦わせて自分たちは安全なところにいるというのがどうしても嫌らしく、こうして各々の隊に配置されている。
また、もともと彼女たちは三年前に大きい戦争を経験しているだけあってそれ相応の実力があり、生き残る自信もあった。
きさらぎは印を封じられ、四葉は戦闘能力を持ち合わせていないので、レミールで待機している。
翔は一番安全と思われる、関所の内部を防衛する隊に属している。彼は今、関所の高台で平原を見つめていた。
帝国軍はその数およそ1700、王国側は計6000。その差は歴然だ。
それくらいは敵もわかっている上での進軍だ、何か奇策があると思っていい。
やよいは、相手にその奇策を使われる前に一気に叩きのめすつもりでいた。
そのため、第一隊に数を集めて敵の意識をそこに貼りつけ、左右への意識を切る。
合戦が始まって第一隊と帝国軍が完全に衝突した際に左右から伏兵を出して粉砕、という筋書きだ。
「ふ……久しぶりの……戦争だからね………油断はしないよ…」
「兄君さまの守られたこの地を、彼らに踏みにじられるわけにはいきません!」
「…あにぃ、ボク頑張るよ」
各々が各々の決意を持って、この戦争に望む。開戦は、もう間もなくだ。
こちら側の配置は既に済んでいる。あとは帝国軍を待つのみだが、敵は次第にその姿を現し始めた。
敵は隊を三つに分けて直列に配置している。
それぞれ目測で前から1000、300、400ほど。一番後衛に進軍しているのが、おそらく敵の将軍の部隊だろう。
高台から帝国軍の様子を見ていた翔は、一つ疑問を感じた。
春歌が前に言っていた、「聖印が無ければ獣人に圧倒される」と。
そして「その獣人が1700もやってくれば6000の兵に対抗しうるだろう」「やよいたちのいう奇策など使わずに正面から来るのではないか」と考えていた。
しかしどうだろう、今見てみると獣人らしいのは先頭の約半数と最後衛の隊の半数のみで、他の二隊は人間と全く相違なかった。
どうも獣人という民族自体の数は、翔が思ったほどではないらしい。
そして、関所が横たわる平原で、両者は静かに対峙した。
帝国の隊が、中央に道を作るようにすうっと分かれた。
その道を、白馬に跨った何者かが通ってくる。
夜であり、さらに距離もあることから普通だったらその姿を捕らえることは出来なかっただろう。
しかし翔は、邪印でその視力を高める事により、その人物を目視できていた。
月明かりに照らされたその人物は、翔がレミールで見たあの仮面の男に間違いなかった。相も変わらずフードつきのマントを羽織っている。
「……なんだよ、敵だったのか?」
やや呆気に取られた翔に気付くはずも無く、仮面の男は口上を述べる。どことなく禍々しい、不快な声で。
「聞け、帝国に仇なす愚かな王国のネズミと共和国の残党どもよ!我は帝国の筆頭将軍フリーマン!今から貴様らの首をかき切ってやるから覚悟しろ!」
うぅおおおおぉぉ!!!!
言い終えると同時に仮面の男、フリーマンは突撃命令を出し、地鳴りのような喚声と共に先頭の部隊が突進してきた!
「我々はあくまで敵の意識をこちらに引くのが任務です!決して敵の勢いに飲まれぬよう!!」
王国軍の先頭、第一隊の春歌が指示を出す。兵たちはそれに多大な声を上げて答え、その士気を高めた。
程なくして、両者が激突する!
わああああああぁぁ!!
おおおおぉぉぉ!!!!
静まり返っていた空間が一気に揺れ動く。
高台でそれを見守っていた翔は、奇妙な感覚を覚える。心のそこから湧きあがる何かが、翔にそれをもたらしていた。
じっとしていることが耐えられず、ウロウロしながら下部を見守った。
兵の数からして、当然王国は敵の攻撃に揺るがない。そこから程なくして、敵の第二隊も混戦に加わった。
それを見てやよいは、近くの兵に指示を出す。程なくして、関所から夜空に向かって光の球が飛び出し、空中でパッと広がった。
「!…合図」
「よし、行こう!」
途端に左右から伏兵が現れ、敵を一挙に叩き始めた!敵に動揺が走る。
「さぁ、我らも参りましょう!!」
それを見て取って、引き気味だった春歌のいる第一隊も積極的な交戦を開始する。
翔のいる位置から見れば、敵の平原を占める割合が徐々に狭まっていくのがよく分かった。
「おぉ、すごいすごい!」
身を乗り出して興奮している翔に、やよいが近づいて翔に話しかけた。その表情に、ほんの少しだけ陰りが見える。
「翔くん…」
「どうしたんですか?」
「見ての通り今は数的有利からこっちが優勢だけど、敵はまだ獣人の部隊を200控えてるの。これはちょっと予想を上回る数でね」
普段よりやや早口で翔に説明するやよい。そのことが今の彼女の心情を表しているようだった。
「獣人の200っていうのは、大体こっちの兵に換算すると1000くらいかしら。だからまだ油断は出来ないわ」
「五倍も違うんですか!?」
数で五倍、というのはあまりに大きい。しかし今までの経験から見てみると、五倍というのは決して言い過ぎではないと言う。
ただその計算で行くと、敵の先頭部隊は約3000ほどの力量となる。王国が5000の兵で戦っているというのに、敵の1300の兵を圧倒できないのはそういうことなのだろう。
「場合によっては、傷ついた第一隊と私たち第四隊が入れ替わって戦うことになるかもしれない。だから部隊は大きく移動するけど、あなたはここで…」
「いや、僕もやりますよ」
「えっ!」
やよいを遮るように言った翔の返答に、思わず素っ頓狂な声を発してしまう。
「戦争に参加するって言ったのは僕ですし」
「でも…!」
「それに、僕もちょっとは戦えると思いますよ。獣人相手に、僕のこの印はきっと役に立つ」
決意を感じさせる口調。
やよいは彼のその様子を見てため息をつきながら、彼の意志を汲む返答をする。
「…わかったわ……じゃあ、そのときになったらよろしくね。くれぐれも無理はしないで」
「重々承知してます」
冗談めかした翔の口調に微笑みながら、やよいは踵を返す。そして翔も再び戦場に目を向けた。見ると、戦況に明らかな変化がある。
後ろに控えていた敵の隊が、動き出したのだ。
それに加えて、左の伏兵隊に勢いが無い。元々数が少なかったため、このままでは危険かもしれない。
翔が思った矢先に、やよいが部隊に対して声を張り上げた。
「今から第四隊と第一隊の一部を入れ替えて交戦します!ここで負けることは許されないわ、気を引き締めて!」
その言葉に、今までと同じように兵が声を張り上げて応えた。翔も彼らと一緒になって叫ぶ。
いよいよ、彼の戦いが始まる。
翔は今、目の前に迫った戦に全ての意識を傾けていた。他の兵士も同様だろう。
そのせいだろうか。
彼らの内において、関所の遥か上空に黒い影があるのを気付くものは、一人としていなかった……。
☆☆☆
――――ほんの少し時間を戻して、帝国側。
当初は先頭に立って大声で呼ばわったものの、その後は後衛隊と共に戦況を見ていたフリーマン。
馬に跨ったままただじっとしていた彼だったが、その傍らにはあの銀狼がいた。
「ふむ、やはり伏兵がいたか。ならばそろそろ頃合いだろう、私は行くぞ」
「……ああ」
言うが早いか、有翼人の複数がその銀狼を持ち上げ、上空へ飛び去っていった。
その高度は関所を軽く越え、夜の今時分において目視するのは困難なほどである。
よくよく見れば、夜空に浮かぶ星は暗い影で覆われているのが判る。戦場に注ぐ月光を遮らないように飛んではいるが、その数はなかなかのものだ。彼らはずっと空に「伏せ」ていたのだ。
万が一にも気付かれないためにこうして戦況が激しくなるのを待ち、敵の意識を地上に持っていったのである。
「……では我らも行くか……遅れるなよ、我に続け!」
☆☆☆
初めて立った戦場は、元の世界では決して見ることはないであろう凄惨な光景だった。
敵とも味方ともわからない屍と、それらを踏み越えて殺し合いを続ける兵士たち。間近で見るのは、やはり抵抗がある。
自分の状況と今いるこの世界を、翔は改めて認識した。
(ボケッとしてる暇は無いか!!)
思い直し、自分の武器である両刃の剣を握って走る。
次第に前線が見えてくるかというところで、乗馬しながら矢を放つ春歌が目に入った。
「春歌ちゃん、無事かい?」
「翔さま!?何故このようなところまで??」
「見ての通り、戦いにきたのさ。僕は弓なんて使えないから、敵に近づかなきゃね!」
「ならばワタクシもお供いたします。参りましょう!」
馬を他の兵に預け、春歌は翔と共に駆けた。
程なくして前線に出た翔が見たのは、敵の血走った目。以前にも見たことのある目だ。
相手も必死、気を抜けば自分が死ぬ。だが自分は、こんな所で死ぬわけにはいかない。
目の前の敵が翔に襲い掛かる。剣を振り上げ一気に降ろす、頭部を狙った一撃必殺だ!
「っ!!」
印の効果だろうか、敵が鈍く見える。そして自分の動きは、有り得ないぐらいに軽やかだ。
敵の攻撃が届く前に、翔はその敵に深々と剣を突きたてた。忘れもしないあの嫌な感触が、再び自身の手を通して伝わる。
だが相手はお構いなしだ、また別の敵が絶え間なく襲ってくる。
(気を抜くなっての!!!)
自分に喝を入れ、今一度剣を振るい続ける。春歌もまた、翔の近くにて得意の居合で応戦していた。
何人かを倒したところで、春歌は手ごわい敵と当たった。相手は先ほどまでの敵と違い、人目で獣人とわかる外見だ。
猪を思わせるその男は長い槍を豪快に振り回して春歌の前に立ちはだかる。
何度か立ち会いを繰り返したが、このままでは体力を消耗するばかりだ。そう判断し、距離をとって春歌はゆっくりと息を吐き出す。
春歌の基本戦術は「抜かば切る也、抜かざるは切らぬ也」。
相手の呼吸を読み取り、攻撃に移る瞬間を察知する。そしてその一瞬の隙を見出し、高速の抜刀で敵を討つのだ。
春歌は敵の動きを、呼吸を感じ取るために集中する。
(…来る!)
「どらぁ!!」
振り回していた槍を返して突きを見舞うその動きを、春歌は見逃さなかった。
「せいっ!!!」
踏み込んで、気合と共に抜刀!槍を返す手を穿ち、男は獲物を取り落とす。さらに春歌は連撃で敵を追い立てた!!
「ぐふぉ……」
肩口からばっさりと裂かれ、敵はその場に崩れ落ちた。
しかし春歌は安心することなく、次なる敵に備えた。が、周囲の敵は戦くように一歩引いて春歌を見やる。
「さあ、次の手合いはどなたですか!!」
堂々として言い放つ春歌。それに呼応するように、敵も重なって突進してきた。
春歌の勢いに鼓舞され、王国の兵士たちも奮闘する。これならいける、と春歌は勝利を予感した……。
「あぁ、くそ!まだ終わらないのか!!」
今また一人倒したところで、翔は悪態をつく。正直、一休みしたいところだった。
「……威勢がいいな、少年」
くぐもった声が聞こえた。正面には、その声の主である仮面の男が、マントから手も出さずに佇んでいる。
「ふぅ〜……」
その男が前に出てきたせいか、先ほどまで翔と交戦していた敵の前列が少し下がっている。
心を落ち着けるために翔は深く息をついた。
「…どれ、ではやるとするか。お前らは手を出すなよ」
兵を制して、仮面の男・フリーマンは前に出る。この男、どうやら一人で自分たちを相手にする気らしい。
本来ならこれが機なのだろうが、彼のこの不可解な行動と、さらに闘技場でこの男の強さを見ていたこともあり、彼に向かっていくのを躊躇した。しかし味方の兵はチャンスとばかりに飛びかかる。
スッとフリーマンは腰を落とし、その兵たちを迎え入れた。彼の右手がマントからはみ出す。
パァン!!!
破裂音が響いた。
翔が闘技場で聞いたあの音よりもっと軽くて大きい、小気味良い音だ。
数瞬後、飛び掛っていった兵たちは、あたりに積まれた屍と同化していた。
それも、ある者は手、ある者は足、別のある者は胴体が、爆発で吹っ飛んだように弾かれてやられていた。
一部始終を見ていた翔は戦慄する……。全身から汗が噴き出す。膝も震えた。
次に標的になるのは自分だ。しかし今、敵が何をしたのか、全く見えなかった。印の恩恵があるにも関わらず、だ。
不意に、フリーマンが左手を顔の前にかざしているのが見えた。心なしか、手の甲が光っているように見える。
そしてフリーマンは裏拳を放つように、その左手を振った。
バシュっ!!
刹那、一筋の光線が放たれる!狙いは翔のやや右だ。
「ぐぁ!!」
「げふっ!!」
その光は翔のすぐ近くにいた兵士から遥か後方まで、一直線に味方を貫いた。
思わずそちらを見やってしまったが、また相手が同じように左手をかざしている姿が目に映る。
次の標的は……自分!!
もう相手は撃つ動作に入っている。避けられない!!
バシュっ!!
光線が翔を貫かんと差し迫る!同時に、反射的に左手がその光線に向かって伸びた。
バチイイィン……っ!!
左手に激しい痛み。手のひらで机を思いっきり叩いたような痛みだった。しかし、外傷は手が赤くなっただけである。
きさらぎとの特訓にて、魔法攻撃には左手で防御するという訓練がここで活きた。
「む…貴様………」
仮面に隠れて表情は見えない。追撃も来ないことから、光線を止めた翔に何かしら興味を持ったらしい。
にらみ合う両者。しかし翔の表情に余裕は無かった。そこにやよいが駆けて来る。
「翔くん、だいじょうぶ?」
「まぁ、今のとこは。でもちょっとやばくなりそうかも……」
翔は視線をずらさずにやよいと受け答えた。やよいも状況を悟ったようで、刀の柄に手をかける。
「翔くん、ここは私に任せなさい」
「いや、二人でやりましょう」
「えぇ?でも…」
「大丈夫、足手まといにはならない……と思います」
ここでやよいが来てくれたのはありがたかった。幸い、敵の前衛はまだ動きそうに無い。二人でやれば、何とかなるかもしれない。
さらに二人のすぐ後ろでは、他の兵士たちも息巻いている。
そうだ、皆でやればきっと何とかなる……。
だが、そんな彼の意気込みを空かすように、あまりに無防備にフリーマンは歩いてきた。
まっすぐ、翔に向かって。
「…翔くん、来るわよ」
「はい……」
翔とやよい、フリーマンとの距離が五歩ほどになったときだ。
やよい、そして兵士たちが一斉に動いた!翔もまたその流れに乗って間を詰める!
歩みを止めず、フリーマンはその指をスラリと伸ばした。
そして指の状態をそのままに、向かってくる人垣にまっすぐ突き、兵士たちを次々屠っていく!
やよいだけはその攻撃を受け流し、また間髪いれずに反撃。
そして翔も間合いに入ったところで、やよいの反撃と重ねるように攻撃した。
それを何度となく繰り替えすが、フリーマンに二人の斬撃は届かない。
「………ふ」
瞬間、鼻で笑ったような声が聞こえた。
(この野郎、馬鹿にすんな!!)
横なぎに力を込めた一撃を放つが、いかんせん大ぶりだ。
翔は武器を持つ手を掴んで引かれ、大きく体勢を崩された。
(ヤバイ!!!)
「翔くん!!」
翔を庇うようにやよいは敵の行動を制限するような抜刀を繰り出すが、それも効果が無い。
フリーマンはその左手の掌で翔を襲う!衝撃緩和のため、腕で胴体を庇いつつとっさに後に跳ね退く。
パァン!!!
「ごはっ!!!!」
またしても炸裂音が響く。防御したのに、背中まで貫くような痛覚が走った。
大きく吹き飛んで地面に叩きつけられる。鈍い痛みが体を支配し、立つことさえままならない。
「……やはり…」
やよいや王国兵をあしらいながら、翔を観察したフリーマンがそうつぶやく。
翔の左手に視線を変えたが、そこには黒く刻まれた印があった。
「……異世界の戦士、か…。……おっと」
「くっ!!」
やよいの斬撃を、大きく後に跳んで避ける。それによって距離が十歩ほど離れ、場は一度落ち着いた。
フリーマンは、やっと立ち上がった翔を仮面の奥に光る瞳でじっと見つめた。
直後、その横に有翼人が降りたつ。
「伝令です。ルンドル殿がレミールにたどり着いた、と」
「……そうか。では作戦変更だ、全軍を今こっちに向かっている軍と合流させる。指示を出せ」
「そ、それでは関所を落とす予定は…?」
「そうもいかなくなったのだ。全軍退かせるぞ、早くしろ」
「……は、はっ」
有翼人が再び飛び立った。同時にフリーマンはやよいに向けて、最初の口述のような大きな声で言った。
「共和国の将軍よ、今日のところは貴殿らの奮闘に免じてこの場は退散しよう。長らえた命をありがたく思うがいい」
「なっ!?」
やよいには、彼がここで軍を退かせる理由が判らなかった。
決して退却を余儀なくするような戦況ではなかったし、まだ今は夜が明けようとしているところ。
つまり戦いは始まったばかりなのだから。
困惑するやよいを尻目に、帝国軍は進路を逆にとって進む。
ここで逃すのは下策と判断して、追撃の指示を出そうとしていたやよいのもとに伝令がやってくる。
「将軍!レミールが帝国軍に襲われているそうです!!」
「何!?」
「至急指示をお願いいたします!現在何とか持ちこたえているようですが、時間の問題かと!」
「わかったわ、すぐに軍を戻すよう各隊に伝令!」
「はっ!」
即座に伝令が走っていく。
しかし不可解なのは帝国軍の動きだ。レミールが襲われているのなら、なぜここで退くのだろう。挟み撃ちのチャンスをむざむざ逃すその理由とは……。
しかし考えている時間は無い。やよいはすぐに意識を転換させ、今はレミールに向かうことに専念することにした。
何が起こったかイマイチ判断できていなかった翔に、やよいが近づいていく。
「や、やよいさん……何が、どうしたんですか…?」
「…勝った、のかしら」
「か、勝った……?あの男は……?」
「逃げていったわ…怪我はどう?歩ける?」
翔に肩を貸しながら、いたわるように接するやよい。ほどなくして馬を持ってきてくれたので、それに翔を乗せ、自身も跨る。
「じゃあ急ぐわよ、レミールへ!!」
☆☆☆
軍がレミールに着く頃には、帝国はもうそこから引き上げた後だった。
大勢の軍隊が来たと見て、すぐに撤退していったらしい。
街の被害はさほどでもなく、きさらぎや四葉も無事だった。
今は、市庁舎に要人たちが集まっている。
「敵の行動は読めないけれど、とりあえず関所は無事だったわね」
「………兵の被害も…そう多くは無いようだよ……」
「あにぃが守ってくれたんだよ、きっと!」
「ふふ、そうですわね」
一同の表情は明るい。このところ負けてばかりだったから、ようやく面目躍如といったところか。
きさらぎが部屋に入ってきた。彼女は負傷した翔を看るために席をはずしていたが、その表情はやや暗い。
「……どう?」
不安を隠せない様子でやよいが訊ねる。
「……思ったよりも。……二、三日は……安静にしていないと…でも、後遺症の心配は……ありません」
「そう…」
ほぅ、と全員は一様にして安堵の息をついた。
「じゃあ皆も、とりあえず休息して疲れを取って。今後の方針はそれから決めましょう」
その口ぶりには、今はこれで解散という意が込められている。
各々が執務室から出ようとしたときに、そのドアがノックされた。返事を待たずにノックの主が入ってくる。
入ってきたのは彼女らにとって親密で、それでいて意外な人物。
「さつきさん!どうしたの、急に」
「ごめん、やよい……やられちまった」
さつきの、静かで、しかし部屋に響いたその声は、勝利に湧いた空間を沈痛なものに変えていた…。
さつきは再び口を開く。彼女の二の句は、一同の心に動揺を与えるには充分なものであった。
「…王女が、帝国にさらわれた」
☆☆☆
王女がさらわれたと告げたさつき、そしてあっさり軍を戻した仮面の男。
帝国の目的、そして仮面の男や銀狼の真意とは何か。
絡まった幾本もの糸。その度合いは日々大きくなる。
それが解かれるのは、全てが終わったとき。
事態に深く関わる男女はその糸に気付くことなく、ただひたすら前に向かって邁進する。
はたしてこの関所での戦いに、真に勝利したのは帝国か王国か。
そして、次回以降の戦争の勝者はいずれか。
物語は続く……。
あとがき
そんなわけで第五話、終わりました。
えぇ、前作は三ヶ月ぐらい前だったような気がします。回を重ねるごとに期間が長くなってます。どうしようもないですな。
この長編は、毎話ごとに実験をしています。
それは表現の仕方だったり、図を盛り込んでみたり、色々。
で、今回は戦争シーンの書き表しだったのですが。
わぁお、素人丸出し!
ちなみに言っておくと、梨は戦争関係は全く範囲外です。三国志やらなにやらはぜーんぜん知りません。
だからそういうの知ってる人から見れば「何だこのわけわかんねぇ戦争はぁ!?」と思われるかもしれませんが、勘弁してやってください。
さて、まだ語り足りないのですが、あんまり書いてもしょうがないので今回はこれにて。
いやしかし、最後がやたら強引だなぁ…。内容も何だか薄いし。
反省します。いろんな意味で。
2/11 0:25 梨