印。
機械に変わって異世界で主流とされる、自然現象の発現を試みた技術。
しかしそれは、我々にとっての『機械』ほど世間に浸透してはいなかった。
邪印。
印の中で最も上質とされる類であり、存在そのものが稀少である。
数の少なさがゆえに、その特徴や機構なども謎が多い。
ただ、異世界の歴史の上で大業を成したとされる者は、すべからく邪印を有していたと記されている。
このことから、いつしか研究者の間では、邪印は世界を変えるほどの力を持つと認識されるようになった。
印は、いつの時代に、誰が、どのような製法で編み出したのか。
なぜ聖印や邪印のように、数種に分けて差別化したのか。
それは印を創造した者のみが知るところである。
そして、印の歴史は深い。
つまり、印というそれを真に知る者はもうこの世にはいない……はずであった。
俺たちの数奇な人生・第六話
『二つの世界』
関所での防衛戦を終えてから、二日目の朝。
一時は住人がルーベランに非難していた事もあって、一日中静寂に支配されていたレミール。
しかし防衛戦での勝利の後、住人も次第に自分たちの家へ帰るべく、ルーベランを次々と後にしていた。
まだかつてのようにはならないが、次第に本来の活気を取り戻しつつあるこの街を、きさらぎは静かに歩いていた。
彼女は今、翔への見舞いへ行く途中である。
防衛戦の際に対峙した『仮面の男』から受けたダメージが思った以上に大きく、翔は入院する事になっていたのだ。
「あ……何か…甘いものでも…か、買っていきましょう…」
そう思い立ち、近くの菓子店へ進路を変えた。
菓子店へ向かいながら、彼女は考え込むように俯く。
彼が入院してから毎日、きさらぎは翔の病室へ通うことにしていた。
もちろんそれには理由がある。
自分のミスで、無関係な少年を戦争下にあるこの世界に連れてきてしまったこと。
その少年が、戦争によって今、お世辞にも軽いとは言えない負傷をしていること。
この世界での彼の不運は、全て「彼を巻き込んでしまった自分」にある……。
そんな風に、彼女は自身の心を痛めていた。
「原因」である自分は、ただひたすら償わなければならない。
不甲斐ない自分に出来ることなど無いのかもしれないが、それでも自分は彼に償い、彼の身を守る必要がある。
それが、彼女の結論だった。
「お嬢さん!そんな湿っぽい顔してちゃ、せっかくの美人が台無しだぜ!」
「あ……」
いつの間にか菓子店の前までたどり着いてしまったらしい。
店員らしき男から威勢のいい声を聞くことで意識を戻した彼女は、翔の好きそうな菓子を物色し始めた。
☆☆☆
所変わって、病院のとある一室の前。
見舞いという経験は乏しく、ましてその相手が異性だということから、彼女は緊張していた。
どうも最近の自分は「らしくない」と、軽く首を振る。
緊張をほぐすように何度か深呼吸したのち、病室のドアをノックした。
「……」
返事が無いので、もう一度。
しかし、やはり返事が無い。
もしかしてまだ寝ているのだろうか。そう思い立ち、音を立てないようにドアを開けた。
「…………?」
彼女の目に入ったのは、真っ白い机と花瓶に入った花、開いた窓。
そして、いるはずの主がいないベッド。
「翔さん、検診の時間ですよ…って、あれ?」
ちょうどそこに、係の看護婦もやってきた。
その看護婦も、もぬけの殻である病室に疑問を感じたようだ。
「あ、あの…患者さんはどちらへ?」
看護婦はきさらぎに問い掛けた。もっともな質問である。
きさらぎとて今来たばかりなので、それを知る由もない。きさらぎはその質問に、ただ首を振った。
「まさか、脱走したとか」
「…………でも」
看護婦の推測に、きさらぎが反論する。いや、しようとした。
「あーもう!あれだけこの時間には部屋にいるようにって言ったのにぃ!」
急に大声を張り上げた看護婦によって、きさらぎの反論はかき消される。
「すみませんけど、お見舞いの方は病院の外を見てきてもらえませんか?私は病院の中探すんで」
「え?あ……」
「じゃ、お願いしますね!」
看護婦が慌しく去り、病室にはきさらぎだけが残った。その姿は、どことなく所在なさげである。
しかし、あの真面目な翔が黙って病室を去るとは。
……心配だ。
きさらぎは「万が一のことがあっては」と、看護婦に言われたとおり、病院の周りを見てまわることにした。
☆☆☆
場所は変わり、病院近くのレストラン。
「あぁ、自分で歩けるっていうのはなんだか幸せ感じちゃうなぁ」
屋外に備え付けられた丸く白いテーブルを囲み、翔は伸びをしながら妙な口調で言った。
きさらぎの心配をよそに、のんきなものである。
「でもすごいな。あんなにきっついダメージだったのに、白羽鳥さんがちょっと触っただけで一発だったからなぁ」
翔の言葉を受けて、翔の正面に座った男が伏せていた目を上げる。
その仕草で、長い前髪から覗く切れ長の鋭い目。
その目は、確かに翔の幼なじみである白羽鳥のものに違いなかった。
白羽鳥はそのまま、持ち前の低い声を発する。
「お前が受けた技は、体内の水分を振動させて、内面から破壊する技だ。普通の治療受けてたんじゃ、効果薄いんだよ」
彼曰く、仮面の男が放った技は現代の中国武術にも見られる技らしい。
白羽鳥自身が中国武術をたしなんでいることから、こういった知識は豊富なのである。
「しかし、なんつーかさぁ、お前も頭が悪いよな」
「……いきなり何さ」
「何を思って戦争なんかに首突っ込んだ?平和な日本で育った甘ちゃんに、何とかできるとでも思ったのかよ」
「きっついなぁ」
言い終え、白羽鳥は翔の目をまっすぐに見つめた。理由を話せ、と暗に言っているのだ。
こういう「目での会話」は、長年の付き合いもあって、互いに通じるようになっている。
「そりゃあ、僕だって戦争なんて嫌だったさ。人を殺すのって、やっぱり気分良くない。でも……」
翔は、以前やよい達に言ったことを白羽鳥にも聞かせた。
もしレミールが陥落すれば、仁たちとの再会の可能性は無くなると思ったこと。
自分は異世界の人間で本来戦争とは無関係だが、それでもただ見ているだけということをしたくなかったこと。
「『本当に目的を達成させたいなら、ほんの少しの結果しか得られないことが判ってても努力しないといけない』って思った。っていうか、これ教えてくれたの、白羽鳥さんだよ?」
冗談交じりに、白羽鳥を責めるような視線を送った。
「……そんなことも言ったかな」
「言ったよ。だから、僕は戦争に参加した。皆で一緒に帰るっていう『目的』のために」
そう言って、翔は話を終わらせた。
納得したのか、白羽鳥は言葉を返すことなく、コップに注がれた水を飲む。
「ふーん……とりあえず、お前なりに理由を持っての行動だったワケだ」
「まぁね」
「それならまぁ、納得しよう……じゃあ次は俺の話だな。いや、その前に飯でも食うか」
「えー?そろそろ病院帰らないとヤバイって、僕」
「今更帰っても変わらんだろぉ。大体お前だって、療養食はつまらんだろ?」
その後も二人は互いに軽口を叩きあい、結局レストランで一食する事になった。
まだ異世界に来てから一ヶ月も経っていないが、こうやって幼なじみと語り合えることに、翔はひたすら心が休まっていくのを感じていた。
同時に、仁たちと再会する意志を、より強くするのだった。
程なくして、彼らのもとに料理が運ばれてきた。
翔は手ごろに「日替わりランチ」を頼んだのだが、白羽鳥はといえば……
「お待たせしました、チョコレートパフェのお客様」
「あ、俺」
「…………白羽鳥さん」
このように、まこと彼には似つかわしくないモノを注文していた。
「白羽鳥さん、いっつもそういうの頼むよね」
「馬鹿にしてんのか」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
そう、彼はレストランで食事をする際、ほぼ確実にパフェものを頼むのである。
昔は仁や洋子と一緒になって、彼のパフェ好きをよく笑ったものだった。
懐かしさを感じつつ、翔も「本日のメニュー」ハンバーグに手を出した。
お互いが食べ出してから、ほんの二十秒もしたころ。
「食べながら聞け」
目線はパフェのまま、白羽鳥は言った。
「戦争に出るのはもう止めろ。今回お前が生き残ったのは完全な幸運だ。次はない」
翔の食が止まる。
確かに、本来なら自分はあの時、仮面の男に殺されていたはずだったのだ。
「そう……なんだよね。本当なら僕は、死んでたのかも……でも、なんかそういう実感が湧かないんだ。この前の戦争のときも、やよいさんの砦のときも」
それは何故なのか、翔は自分でも不思議に思っていたことだった。
日本にいたときならば、お互いが素手の単純な殴り合いをするのにも、ちょっとした度胸を要するというのに。
「ホント、何でかわかんないんだけど、あんまり『怖い』って思わないんだよね。不思議だけど」
「だろうな。だがな、それは不思議なことでもなんでもなくて、ごく当たり前のことなんだぜ」
「当たり前?」
白羽鳥を見据えて、聞き返した。
何かを知っている口ぶりに、翔の好奇心が刺激される。
早く続きを、と翔は目で急かした。
「印、三種類あるのは知っているか」
「普通のと、聖印に邪印でしょ」
「そうだ。そのうち、お前が左手に宿しているのは邪印だ。俺も持ってる」
そう言って、白羽鳥は左手を翔に向かって差し出す。
手の甲には、確かに黒く面妖な模様が確認できた。
「仁も、洋子も持ってるはずだ。まず間違いなく」
「あれ?洋子さんのもそうなの?邪印って黒字なんでしょ?」
確かきさらぎが、洋子のは聖印だと言っていた。
翔も洋子の印を見たことがあるが、彼女の印は白色だったことを覚えている。
「洋子は女だからな。邪印は女に宿るときは白色になるんだよ」
「へー」
「それで、だ。邪印は異世界の人間にのみ必ず宿る。邪印は、そいつが異世界からの来訪者ってことを示す証拠になるのさ」
翔は食べることも忘れ、ただ白羽鳥の話を聞いていた。
一方白羽鳥もパフェから手を放し、両方の掌を空に向け、テーブルからやや浮かせた。
「左手が俺たちの世界で、右手がこっち側の世界としよう……俺たちの世界とこっち側、二つの世界では『魂の所有量の和』は一定だ。例えば俺たちの世界で魂が減れば、こっち側の魂が増える」
言いながら、白羽鳥は左手をテーブルにくっつけるように下げた。
下げた分だけ、今度は右手を上に持っていく。
「だが、俺たちのように『生きながら異世界へ移動する』ってことをやると『魂の所有量の和』が俺たちの魂の量だけズレる」
左手はテーブルにつけたまま、右手をさらに上げた。
「二つの世界は、『魂の所有量の和』を一定にしておかないと安定しない。この不安定な状態が続くと、それはそれはマズイ事になる」
そこまで言って、白羽鳥は左手をヒラヒラさせた。
「ここで邪印の出番だ。世界は俺たちに、生きたまま元の世界へ帰ってもらいたい。俺たちが無事に戻れれば『魂の所有量の和』は元に戻るから、世界は再び安定する。だから邪印でそいつを『保護』するわけだ。邪印は身体能力だけでなく精神面でも強くするから、お前がさっき言ったみたいな『怖くなくなる』ってのも邪印の効果の一つなのさ。そうじゃなきゃお前、とっくに精神がイカレてるぜ」
言い終え、再び白羽鳥はパフェに手をつける。
そのまま目線を翔に向け、質問の有無を目で尋ねた。
その白羽鳥の視線を受けた翔は、肘を突きながら指を三つ立てる。
「よく判らないことが三つ。一つは『魂の所要量の和』がどうのってやつ。二つめ、『不安定な状態が続くと起こる、マズイ事』。三つ目は、『何で白羽鳥さんはそんなに事情に詳しいのか』ってこと」
「三つとも、今は知らなくていいことばかりだな。機会があれば話してやるよ」
「いや、今知りた」
「ほら、せっかくの飯が冷めるぞ。さっさと食っちまおうぜ。早くしないとパフェも溶けちまう」
話を打ち切って、白羽鳥はパフェに専念し始める。
納得できていない表情を浮かべながらも、これでは白羽鳥は何も喋らないだろうから、仕方なく翔も目の前の食事を片付ける事にした。
☆☆☆
きさらぎが翔を見つけたのは、ちょうど彼らが食事を終えたときである。
彼女が見た限りでは、何かの事件に巻き込まれたなどといった雰囲気は特にないので、ただ単に彼が好奇心で病院を抜け出したものと判断した。
翔の何事もない様子に、ほっと安心したのが半分。
ひどい怪我をしているのに病院を抜け出すなんて、と少し呆れてしまったのが半分。
彼に何と言ってやろうか。
「もう体調はいいんですか?」だろうか。
それとも「病院から脱走するなんて、感心できませんよ」か。
口元に微笑をたたえながら、彼女は翔に近づく。
何故だろう。どうやって声をかけるか考えるだけで、今のように心が弾んでしまうのは。
自然に笑みがこみ上げてくるのはどうしてだろう。
過去に感じたことのない、不思議な感覚。
……思えば、後に彼女がすることになる「大胆宣言」のきっかけは、このときの感情だったのかも知れない。
その大胆宣言に付いては、また今度の機会に語るとしよう……。
太陽が空の真上に位置するこの時間、レストランは一日で最も賑わいを見せる。
そのせいで、翔の席へ行くのにもきさらぎは何度も人とぶつかりそうになる。
それでももう、声をかければ届く距離だ。
「しょ、翔さん……」
「えっ?」
声をかけられ、翔は振り向く。
「あ、きさらぎさん……」
悪戯がばれた子供がするようなバツの悪い笑みを浮かべながら、上目遣いできさらぎを見る翔。
「いやぁ、ぐ、偶然ですね。どうしたんですか、こんなところで。何か用事でも?」
「……あなたの…お見舞いに…」
「あ……」
しまった、そういえばそんな時間か。心の中でそうつぶやく。
きさらぎが来る時間までには帰る予定だったのに、つい長居してしまった。
「いやね、僕がここにいる理由は、なんと言いますか、そのー、ねぇ?」
「………………………」
何とか弁明しようと、いらない言葉を重ねた。
その間、きさらぎは翔を、まっすぐにじぃっと見つめる。
「……すみません、黙って脱走しました」
彼女の視線に耐えられずに、おとなしく降伏した。
心にやましいことがあるせいか、きさらぎの視線を都合の悪い意味でとらえてしまった様だ。
きさらぎからしてみれば、ただ単に翔の発現をおとなしく聞こうとしていただけだったのだが。
「まだ…あ、安静にして……いないと…いけないのですから……」
「あ、それは大丈夫。もう直りましたから」
腕をまわして答える。
確かに、重症には見えないくらいきびきびしているし、覇気も感じられた。
「……すごい…ですね……。どうやって……回復を……?」
「俺が治したんだよ」
翔の奥から声をかけられて、きさらぎはそこで初めて翔と誰かが一緒なのに気付いた。
声の低さからして男性のようだ。
声のしたほうに目を向けると、座っていた男と目が合った。
細く鋭い、しかしその奥には優しさが宿った目。
見覚えがある目だった。
顔全体を注視した。
見れば見るほど、確信が深まっていく。
髪形こそ違えど、間違いなかった。
「ジャンさん…!」
ジャン。
ファルナール王国を統べる王の第一子。
三年前の王国反乱にて、絶望的な状況から逆転して勝利へと導いた、救国の英雄。
「そんな……な、なぜここに……」
きさらぎは珍しく驚きの表情を露にし、翔はといえば、状況が飲み込めずただきさらぎと白羽鳥の顔を交互に見ている。
そして白羽鳥は、ただ黙ってきさらぎに視線を向けていた。
「でも…帰って……いたんですね……!」
思わず駆け寄ろうとするきさらぎに、白羽鳥は指を突きつけて言う。
「それ以上近寄るな。あと一歩踏み出したら敵とみなす」
「え……?」
予想だにしなかった白羽鳥の言葉に、足が止まる。
「白羽鳥さん、どうしたんだよ急に」
「翔は黙ってろ。おいアンタ、今からいくつか質問をするから、速やかに回答しろ。3秒以内に回答し始めなかったら敵とみなす。はぐらかしたときも敵とみなす。ただ質問の答えだけを言え、いいな」
突きつけた指をそのままに、白羽鳥は有無を言わさない口調で言葉を連ねた。
翔はもとより、きさらぎも急な展開に動揺を隠せない。
周りの客たちも、何事かと彼らに好奇の視線を向けていた。
「まぁ座りなよ。一つめの質問だ。アンタ、俺たち四人をこっちに飛ばした人か?」
「……はい……そ、そうです…」
目の前の男はジャンではないのか。
備え付けのイスに座りながら、半信半疑のままきさらぎは問いかけに答える。
「二つめ、アンタは俺たちが元の世界へ帰る方法を知っているか?知っていたらその方法を言え」
「……わ、私の……印は…ある条件下の元でなら……空間を飛び越えることが……できるので…」
「その力で俺たちの世界まで飛ぶって事か?」
「はい……そうです…」
やれやれ、といった風に首を振る白羽鳥は、指していた指をポケットに引っ込める。
白羽鳥ときさらぎのやりとりに、翔ははらはらとした気分で見守っていた。
何かあれば、翔はきさらぎを庇う心構えだ。
どうも白羽鳥はきさらぎにいい印象を持っていないようだが、彼女は悪い人ではないと翔は知っているから。
「無理だな」
「え?無理って、何が?」
身構えていた翔は白羽鳥の妙な一言に空かされ、ついオウム返しする。
ただ、白羽鳥が次に言ったことに、二人は驚愕することになる。
「その方法じゃまず俺たちは帰れない。聞くが、アンタは亜空間から俺たちの世界への『道』がわかるのか?」
「…………」
きさらぎが黙ってしまった。
……もうすぐ三秒だ。
「ちょ、ちょっと待って白羽鳥さん。『道』とか亜空間とかって何?わかるように説明してよ」
話をそらす様に翔が口を挟んだ。
きさらぎを助ける意味もあったが、何よりも『自分たちが帰る方法』の話をよく知っておきたかった。
「空間を飛ぶってのは、まず亜空間ってとこに移動することから始まる。亜空間がどういうものかは長くなるから言わないが、とにかくそういう場所があるんだ。で、亜空間にはいろんな『トンネル』があるとイメージしろ。その『トンネル』は元の空間のどこかへつながっている。行きたい場所へ行くには、『トンネル』がどこにつながってるかを知ってなきゃならん。この『トンネル』がさっき言った『道』だな」
一息ついて、水を飲む。
きさらぎは俯き、翔は身を前に乗り出して彼の聞いていた。
「俺たちの世界とここの世界とは存在空間が違う。そして狙った場所に行くのは本当に難しい。ほんの100メートル移動するのにも相当な熟練が必要なのに、存在空間の違う場所に狙っていけるとは思えないな。まして行けたとしても、そこは俺達の街じゃない」
「でも、きさらぎさんは僕たちの世界からこっちの世界に、ちゃんとまた戻って来れたよ。それはどういうこと?」
「空間転移の失敗だな。本当ならこの女の人が一人で行くはずだったのが、魔法が暴発したせいで俺たちも巻き込まれた」
「あれ、白羽鳥さんもそうなの?飛ばされた付近にはいなかったけど」
「……あぁ」
それは嘘だった。
白羽鳥のみとっさの判断で魔法の暴発を逃れたことを、我々は知っている。
彼が嘘を吐く理由。
それは翔達には思いも寄らない大きくて重い理由だったが、今の彼らにはそれを知るすべはなかった。
「まぁとにかく、アンタが言ったやり方じゃ帰れないよ。確実にな」
「…はい………それでも…何とか……『道』を探す……つもりだったんです……。当てがないわけでは……なかったので……」
「だがそれには多大な時間と力を要する。非効率的だろう」
「……そ、そうですね……ただ……私の祖国に……空間転移に関する……有用な書物が……あるので…それに何かあると……思いまして…」
「期待できないな。それに、もっと簡単で確実な方法がある」
「え……?」
翔もきさらぎも、思いがけない白羽鳥の発言に興味を引かれる。
「あっと、時間だ。俺はこれから用事がある。この話はまた今度だ」
席を立つ白羽鳥。
いつの間にかパフェは完食されていた。
「ちょっと、そこまで言っといてそれはないでしょ」
彼の服を掴みつつ、翔は抗議する。
確かに、一番重要なことをまだ聞いていない。
「あ〜、話すと長いから一言で言うが、『秘宝』を使うんだよ。決まった場所でな」
「……『秘宝』……ですか…?」
きさらぎが聞き返した。
その反応からして、彼女も秘宝というものが何かを知らないようだ。
「そ、秘宝。まぁ詳しいことはまた今度だ。さて、それじゃあ翔、お前はファルナール王国へ行け」
「王国?」
「お前にはその『秘宝』を集める手伝いをしてもらうが、それには王国が色々都合いいんだ。なぁアンタ、よければ翔を王国まで連れて行ってやってくれないか?」
さっきのようなきつい言い方はどこへやら、何となく柔らかい声色できさらぎに頼んだ。
「は、はい……判りました……任せて…下さい……」
「頼んだよ。……じゃあ、俺は行く、また会おうぜ」
「あ、あの……待って…ください…!」
背を向けた白羽鳥に、彼女にしてみれば随分大きい声で引き止める。
白羽鳥は首だけ回して、ただ「何だ?」と聞き返した。
「あ、あの………あなたは……ジャンさんでは……ないのですか?…あまりに……似ているもの……ですから……」
「……違うよ。ここに来るまで、何度も間違えられた。実際この前会ったが、確かに双子じゃないかってくらい似てた」
「え……!?ど、どこで……ですか…?」
「なんて名前の場所かは知らないが、どこかその辺の村」
「………そうですか……」
目の前の、白羽鳥という名の彼はジャンではなかった。
しかし彼の言うことが本当ならば、ジャンはこの地に戻ってきている。
がっかりした反面、嬉しさもあった。
「そうだ、翔。せっかくだからさっきの三つ目の質問に答えてやる」
「え?」
「俺が事情に詳しいのは、そのジャンに色々聞いたからだ。ヤツはやたらと博識だったんでな」
「ふーん……判ったよ。ねぇ白羽鳥さん、僕も白羽鳥さんについてっちゃダメかな?」
彼の要求は至極もっともなものだった。
白羽鳥がいればとても心強いし、安心できるから。
それに、自分の知りたいことも色々聞けるだろう。
しかし。
「ダーメ。ちょっと危ないことしてくるからな。そこの女の人の傍にいたほうがずっと安全だし、俺もやりやすい」
「……そっか」
「大丈夫だって、何も不安に思うことはない。俺が下手かますようなヤツじゃないのは知ってるだろ?」
口の片端だけを吊り上げて、おどけてみせる。
それは、白羽鳥がよくやる笑い方だった。
「ん、わかったよ」
「よし。……じゃ、今度こそ行くぞ。あぁ、最後に、アンタ」
「は、はい……」
「随分面倒なことに巻き込んでくれたが、迷惑料はここの勘定だ。あと、翔を無事でいさせること。それで許してやるよ。じゃな」
その言葉を最後に、白羽鳥は雑踏の中にまぎれた。
残された二人は、無言のまま彼を見送る。
その姿が見えなくなってから少しの間を置いて、やがて、翔が視線をきさらぎに向けた。
両手を重ねて膝に置き、背筋はまっすぐ張っているその姿は、見ているだけで気が張るようだ。
「……白羽鳥さん素直じゃないから今みたいな言い方しかしないけど、あの人なりの優しさなんですよ。だから、なんて言うか、あんまり悪い風に思わないでくださいね」
「……そんな……わ、悪く思うだなんて……でも……」
「でも、なんです?」
「やっぱり……似てます……ジャンさんに……。ジャンさんも………そ、そういう人でした…から……」
今なお白羽鳥の行った方向を見つめながら、きさらぎは翔にそう返した。
直後、首を巡らせて翔と目を合わせ、おもむろに口を開いた。
「翔さん…」
「はい?」
「私……翔さんを守ります……ぜ、絶対……守りますから……や、約束…です」
「は、はぁ…。お願いします…」
強い意志を感じる、きさらぎの言葉。
口下手な彼女なだけに、言葉はやや足りない感があるが、その意思は翔に充分伝わっていた。
きさらぎのような美女に面と向かって言われ、またそういった経験もない翔は少なからずドギマギしていたのだが。
周りのにぎやかさとは裏腹に、二人を静寂が支配する。
翔にとって何となく居心地の悪いというか、気恥ずかしい雰囲気だったが、決して嫌ではなかった。
……このとき、翔はきさらぎに「母性」を感じていたのだが、事情あって彼は母というものを知らない。
ほぼ初めての感覚に、戸惑っていたのだった。
母。
今後の翔ときさらぎの関係は、この言葉が繋がりとなっていく……。
「そ、それと……い、言いづらいのですが……」
「な、なんですか?」
「お、お金……今…あまり……持ってないんです……」
「えっ……」
「「……………」」
☆☆☆
そして、帝国。
城の一室で、銀狼と仮面の男が向かい合っている。
「……事情を説明してもらおうか。なぜ関所を落とさずに戻ってきた」
「邪印持ちがいたのでな。未熟な小僧ではあったが」
「それだけではあるまい。いや、むしろそうではない、か。邪印を持ったものは脅威となる。なぜその場で殺さなかった?」
銀狼が詰問する。
仮面の男はしばらく黙っていたが、やがて感情を感じさせないくぐもった声で返答した。
「『ヤツ』を感じたのでな。さほど近くではなかったようだが、念を押した。未熟な小僧と敵の女将軍は相手ではなかったが、『ヤツ』と組まれるとなると話は変わる」
「ヤツ……。あぁ、あの男か。『シラバトリ』とかいったな」
「今はまだ、ヤツとやりあってはいけない……。意味はわかるだろう?」
「……そういうことなら仕方あるまい。納得しよう」
いったん間を置いた後、再び銀狼が話し始めた。
笑みを浮かべたその表情は、先ほどと打って変わって、何となく親しみやすさを覚える。
「私のほうは成果があったぞ。王女を三人に、異世界の女まで捕獲した」
「ほう……」
仮面で表情は隠されているが、銀狼の言葉に興味を持ったことは声色で判る。
「今から話をしに行くが、お前はどうだ?」
「今回はやめておこう……」
「そうか。だが後で協力してもらうぞ。王女から話を聞きだすのはお前が適任だからな」
「判っている。……用件が済んだなら、私は行くぞ」
そう言って踵を返す。
ドアに手を掛けたそのときに、銀狼が背中越しに声をかけた。
「しかし、お前が帝国に荷担していると知ったら、王国はどう思うだろうな。興味が湧かないか?ジャンよ」
「別に……」
言い残し、部屋を後にした。
残った銀狼はその笑みを深くして、同じく部屋を出た。
(関所を落とさなかったのは予定外だったが、まぁいいだろう。今のところは思い通りだ。さて、これからどうするか……)
部屋を出た銀狼は、王女たちの元へと歩を進めつつ、さらなる策略を企てるのだった……。
――第七話へ、続く――
あとがき
半年間も期間が空いて、やっと書きあがった今作。
今回はやっと、オリキャラでない既存キャラ……今回はきさらぎでした……の心情を書いてみました。
まー相変わらず表現には納得してませんけど。
内容については、白羽鳥とジャン、あと二つの世界の関係、印のことをちょっと書いてみました。
読者様は「何言ってるかワケわかめだぞー」とか思ってらっしゃることでしょうけど。
『魂の所有量の和』って言葉の意味とかは、白羽鳥の言うように、まだ知らなくていいことなんですので問題はないでしょう。
ははは、いい加減ですね。そんなんじゃいけないんですけど。
あと、今回は話を短く書いてみようと思ってたんですが、失敗しました。
結局話の長さはいつもと変わりません。
どうしてこう、一つの話が長くなるんでしょうね。
原因は何となくわかってるんですが、改善が出来なくて。
オチというか、ラストの表現も上手く出来なくて、悩みどこです。
何とはなしに、半年も期間が空いて、完結はいつなんだーって感じですが、まぁ書く気はあるので。
それではまたの機会まで。
8月19日 18:34
梨