険しい山は侵入者を拒むがごとくそびえ立つ。
森は弱き者をその糧に。
万物の源たる太陽の光は、厚く暗い雲が遮断する。
痩せた土地には食物の栽培さえままならない。
弱肉強食。まさしく文字通りに、自然の摂理はその言葉の意味するところであった。
かの地は、ゴールデバンド帝国。
俺たちの数奇な人生 第七話
『帝国の先導者たち』
帝国とは、本来皇帝に位置するものが治める国家を指す。
だがこのゴールデバンド帝国、皇帝の名を冠するものはいなかった。
では、なぜこの国は「帝国」なのだろうか。
話は単純である。昔は、皇帝が存在したのだ。
国家の頂点たる皇帝がいないのならば、新たな皇帝を祭り上げるのが普通だ。
それをしない理由は、これも単純である。
今の――最近までは、と言ったほうが正しいが――この国に、皇帝を決めている余裕など無かったのだ。
帝国もまた、三年前のファルナール王国のように内乱状態だったのである。
王国と違うのは、その内乱がもう十五年近くも続いていたことだった。
先代皇帝の統治は拙く、厳しい土地柄で生きる民の生活を一気に追いやった。
獣人は狼、猪、熊、鷹といったそれぞれの種族がそれぞれの土地で生きていたのだが、皇帝の没後、獣人の各部族は自分たちの生存のため、他の部族の土地に侵攻し始める。
それが、内乱の始まり。
しかし近年、長かったこの内乱は終わりを迎えた。
戦えば戦うほど生活は貧窮になるし、他の部族を倒すことで得た土地も、いつまた取り返されるかわからない。
民は疲れていたのだ。
やがてそれぞれの部族は、和解するとは言えないまでも、とりあえず戦うことをやめた。
直ちに臨時の統治府が構成されたが、その要人たちは皆頭が固く、せっかく治まった再び内乱が始まりかねなかったほどだ。
そこに、志の高い狼の獣人が現れる。
彼はその類稀な実力で、聞き分けの悪いはずの要人たちを全て納得させた上で、帝国に新たな秩序をもたらした。
そんな彼が帝国の先導者となるのは自明である。
彼の名はギュスターヴ。
現帝国の頂点にある銀狼である。
☆☆☆
「おい仁、ちょっといいか」
「ん?何だ?」
帝国の王宮、地下にある兵士の教練場にいた仁は、ケルベージに呼び出される。
「お前、何かヘマやっただろ」
「は?」
「お前に直接お呼びがかかったぞ。俺たちのリーダーから」
それはおかしな話だった。
仁はケルベージの助けもあり、何とか帝国で兵の一人に化けて生活していた。
極力目立たないようにしてきたし、ケルベージの言うようなヘマもした覚えがない。
何よりそのリーダーとやらを、仁は知らなかった。
一応は兵を装っている自分が知らないのだから、向こうは自分のような一介の兵士なんて余計知らないはずである。
「まぁとにかく、速く行ったほうがいい。あと、くれぐれも」
「判ってる。『話さない、目立たない、左手を見せない』だろ」
仁の言うように、彼の左手には手袋がはめられていた。
万が一にも、『邪印持ち』であることに気付かれる可能性があるからだ。
「よし。リーダーは王宮五階の左塔への階段で待ってる。気をつけろよ」
「サンキュ。またあとでな」
『親友』に一つ挨拶して、仁は言われた場所に向かった。
そんな彼を見つめつつ、ケルベージは一人思いにふける。
実は昨日、ケルベージはギュスターヴに呼び出されていた。
開口一番にギュスターヴが言ったのはこうだ。
「あなたのところに、邪印持ちがいますよね」
バレていたのか。
『邪印の持ち主』のことというのは国家機密並に重要事項だ。隠していただけで重罪となる。
狼狽するケルベージに対し、ギュスターヴは彼を刑に処することをしなかった。
むしろ助かった、とまで言ったのだ。
「邪印持ちのことを隠蔽していた代わりといってはアレですが、あなたにはこれから働いてもらいますよ。私のために」
そして、明日の昼(つまり今時分だ)に仁を自分のもとに呼びつけるように命令。
ギュスターヴの真意はわからなかったが、とにかくこの人の言うことには従っておこうと思った。
今までそれで間違いはなかったからだ。
しかし疑問だった。仁を何に使うつもりだろうか?
「ギュスターヴ様……あなたのお考えは、一体……」
☆☆☆
鈴凛たちがギュスターヴに連れられてから、もう一週間が過ぎた。
当初は何をされるかと気が気でなかったが、あまりの丁寧な扱いに彼女らは当惑していた。
彼女らに用意された部屋は、まさしく王宮というイメージに沿ったものであった。
広々とした空間に豪華な家具が並べられていて、チリ一つ無い。
無理のないものでなら、食事以外にも望むものは与えられた。
花穂と雛子はもはや今の状況に慣れてしまったらしく、わりと元気だ。
鈴凛はこんなときでも、相変わらず機械か何かに没頭している。
そして洋子は、ただただ焦っていた。
(こんなところで無駄な時間使ってる場合じゃないのに!)
洋子は常に脱走を考えていたが、丁寧な扱いの中でもやはり警戒は厳重で、外の様子もなかなかわからない。
どうしたものかと思案しているうち、もう一週間だ。
コンコン
不意にドアがノックされる。
「どうぞー」
気の無い声で、鈴凛が返事した。一週間、同じように続けてきたことだ。
「失礼します」
ドアが開く。
姿を見せたのはいつもの見張りの姿ではなく、銀糸をその身に宿した狼男だった。
「どうもごきげんよう、お嬢さん方」
恭しくお辞儀する彼の物腰は一見柔らかだが、どこかわざとらしい。
「何か不便なことはありませんか?言いつけてくだされば出来る限りのことはしますよ」
「ここから出して。あんまり閉じこもってるから息が詰まるわ」
洋子が強気に返答する。これも一週間続いてきた光景だ。
「勘弁してくださいよ。そういう訳にいかないのは、お分かりでしょう?」
フン、と洋子がそっぽを向く。もともと人当たりの良い彼女だが、やはりご機嫌ナナメらしい。
「やれやれ、参りましたねぇ……。でもまぁ、今回はわりといい話を持ってきたんですよ。ちょっと聞いてやってください」
ギュスターヴはこう言うが、彼女たちは「聞く耳は持ちません」と言った風に、彼と目を合わせようとしない。
何を企んでいるのか知らないが、丁重な扱いを受けている以上はこうしているのが一番いいと鈴凛が指示しているからだ。
それでも構うことなく、ギュスターヴは続ける。
「実は、王女様方三人に会ってほしい者がいるのです。少しお時間をいただけませんか?」
(……これはチャンスかも)
そう思い、鈴凛がこの一週間で初めて彼と目を合わせた。
「その人はここに呼ぶの?」
「そのつもりですが」
「やめてよ。女の子の部屋にほこりっぽい軍人さんは入れたくないの」
「しかし、それではあなた方にご足労願わなくてはいけませんよ」
「いいよ別に。たまには外の空気吸いたいし」
鈴凛の言葉を受け、ギュスターヴは手を顎に置く。
「……わかりました、いいでしょう。少々お待ちください」
指を鳴らして衛兵を一人呼びつけ、なにやら説明を始める。
(来たぁ……!)
鈴凛は内心でほくそ笑んだ。
やっと、部屋の外部を探れる機会が巡ってきたのだ。
この部屋が王宮のどこにあるか、どの通路とつながっているのかが判れば、脱走に大いに役立つはずだ。
「では王女様方、彼の案内に従って移動してください」
「……私は?」
洋子はお呼びでないらしいが、あえて確認してみる。
「あなたはこの部屋に留まってください」
出来ればついて行きたいのだが……鈴凛に目配せをする。
しかし、鈴凛は目を伏せた。「任せて」と言っているようだ。
どこか場慣れを感じさせる鈴凛がそういうのならと、洋子は彼女に従うことにした。
この後王女ら三人は、すぐに衛兵に連れられて部屋を出て行った。
待ち人のことなど片隅も考えていなかった三人は、すぐに驚愕することになる……。