ジョヴァンニ

Il Mestiere dell'Armi

2001年
イタリア・フランス
監督・脚本 : エルマンノ・オルミ
撮影 : ファビオ・オルミ
音楽 : ファビオ・ヴァッキ
美術 : フェデリーコ・ボルドリーニ・パッラヴィチーニ
衣装 : フランチェスカ・サルトーリ
     

寡作の映画作家エルマンノ・オルミの新作『ジョヴァンニ』の原題は、"Il Mestiere dell'Armi" であり、「軍人職業」とでも訳せるだろうか。だが、「軍人」とも訳せる Armi は、むしろストレートに「武器」と取った方が、この映画のメッセージに添っているかもしれない。

物語は、1526年のイタリア半島の史実を題材に取り、主人公の「黒隊のジョヴァンニ」ことジョヴァンニ・ディ・メディチ(クリスト・ジフコフ)をはじめとして、多くの登場人物が実在の人物である。
この物語の背景となっている「政争」は、複雑を極める。ジョヴァンニはローマ教皇軍の騎兵隊長であり、神聖ローマ帝国カール五世のイタリア半島侵攻を防ぐべく戦っているのだが、マントヴァ公、フェッラーラ公などイタリア半島の諸侯の政治的駆け引きと、軍資金不足による規律の乱れから、思うような戦いが出来ない。
オルミ監督は、軍人ジョヴァンニ・ディ・メディチを徹底的に高貴な精神の「騎士」として描いている。ペンを武器として、諸侯の間を渡り歩いたと世上伝えられるピエトロ・アレティーノ(サザ・ヴリチェヴィッチ)も、この映画では、従軍の書記という知識人として、我々にジョヴァンニの日々を淡々と伝える役割を与えられている。
また、ジョヴァンニをめぐる二人の女性−妻マリア(デシィ・テネケディエヴァ)と愛人であるマントヴァの貴婦人(サンドラ・チェカレッリ)も、共に騎士ジョヴァンニが愛を捧げるに相応しい美しい存在である。
前者は、幼い息子と送る留守宅での日々を夫に宛てて綴った手紙の語り手として登場し、その場面でのルネサンス絵画そのもののスタティックな映像美は、息を呑むばかりである。
後者は、寡黙さの下に情熱を秘めた人妻で、ジョヴァンニにとっては、彼女との出会いと逢引は、美しい記憶として、断片的に画面に現れる。一方、現実の彼女は、ジョヴァンニへの想いを抑えきれず、恋人を探して一晩中戦場を馬車で彷徨う。しかし騎士道的な恋愛は、戦争の惨禍の前ではなすすべもない。果たして、マントヴァの貴婦人の目に、兵士たちと彼らに蹂躙された農民たちの累々たる死体は、どのように写ったのだろう。おそらく、恋する彼女の目は、現実の前に閉ざされていたように思われる…。

ジョヴァンニの側の人々と意識的に対照的に描かれているのが、イタリア半島の諸侯たち−この映画では「政治家」として位置づけてもよいだろう−フェラーラ公アルフォンソ・デステ(ジャンカルロ・ベリッリ)マントヴァ公フェデリーコ・ゴンザーガ(セルジオ・グラマティコ)らである。彼らは、ジョヴァンニ率いる教皇庁軍に表面は協力しているかにふるまいながら、実は裏では神聖ローマ帝国のカール五世と通じ、帝国軍に自国の城壁内を通過させるなどして、教皇庁軍を窮地に陥れる。
フェラーラ公は、自分の長男とカール五世の皇女との婚約祝いとして、帝国軍に大砲を贈る。地中に埋められていた大砲が掘り起こされるシーンこそ、この作品の象徴的な場面であろう。大砲=武器の前に、騎士道的な武人ジョヴァンニは敗れ去る。なお、直接の対戦相手である帝国軍のフルンスベルク将軍も、大砲の力は借りこそすれ、どちらかといえば、ジョヴァンニと同じ世界に属する軍人であるようだった。また、マントヴァ公の宮廷にも、公の従兄に当たるロイゾ・ゴンザーガ(アルド・トスカーノ)のようなジョヴァンニの理解者も存在してはいたのだ。
老練なフェラーラ公に対し、マントヴァ公はジョヴァンニと同世代であり、それだからこそ、彼の存在はジョヴァンニと著しい対照を見せている。叔父のフェラーラ公同様マキャベリストであるマントヴァ公は、同時に享楽的な人物であるが、オルミの視線は彼に批判的でありながらも、けして否定はしていないと思う。美女を愛し、猟犬と馬を愛でるマントヴァ公が居住する城は、現存するマントヴァのパラッツォ・ドゥカーレで撮影されている。スクリーン上に再現されたその人工美の極致を目の当たりにすると、高度に洗練された「美」が「政治」と「富」の産物でもあることを思い知らされるかのようだった。
しかし、諸侯のエゴイズムが、帝国軍によるローマ略奪 Sacco di Roma という大惨事−ひいてはルネサンス文化の破壊につながったことも、けして忘れてはならないだろう。

非常に淡々として寡黙な映画であるのも係わらず、『ジョヴァンニ』は大変贅沢な映画だと思う。ルネサンス美術の映画における再現と、文学作品(狂言回しのアレティーノ自身が書き残した言葉の他、マキャベリの『君主論』の一節など)の引用、そしてイタリア映画伝統のリアリズ描写−映画の後半での負傷したジョヴァンニの治療の描写には瞠目させられる−など、思いもかけないほどの多用な要素が盛り込まれているのだ。
そして「武器」に象徴される「戦争」への、オルミ監督の深い憂慮と憤りが、全編を貫いている。ルネサンス時代を表現の手段に使いながら、そのメッセージは、極めて今日的である。

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2004年12月27日

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