グラディエーター

Gradiator

2000年
アメリカ
監督: リドリー・スコット

もはや紹介するまでもないだろうが、昨年度のアカデミー賞作品賞ほか4部門を受賞したハリウッド製娯楽超大作。昔日のハリウッド古代ローマものスペクタクル『ベン・ハー』『クオ・ヴァディス』等との最大の違いは、言うまでもなくCGを多用しているという点だろう。ローマの町並み、コロッセオなどの映像化にCGがフルに活用されている。

また、『グラディエーター』には、キリスト教がまったく関与してこない。よって、かつての古代ローマものスペクタクルのキリスト教=正義、ローマ帝国=不道徳といった単純な図式ではない。共和制の復活が理想のように語られたり、剣闘士試合の非人道性を訴える程度の道徳観は、もちろん忘れられていないが。
そしてハリウッドの王道、主人公対悪役という図式は健在だ。悪役は、ネロ、カリギュラに続いてついに登場、暴君コモドゥスである。

時代は哲人皇帝マルクス・アウレリウス(リチャード・ハリス)治世の末期で、物語はゲルマニアでの戦場から始まる。ここで断わっておきたいことは、この戦闘シーン、そして中盤から頻繁に出てくる剣闘士試合のシーンは、迫力十分だが、筆者にはいささか刺激が強すぎる。映画もどんどん暴力描写がエスカレートしていくのは、古代ローマの剣闘士試合と同じようだ。(長髪に毛皮、斧をふりまわして戦うゲルマン人を見たら、うれしくなって応援してしまったが。)

主人公は架空の将軍マキシマス(ラッセル・クロウ)で、マルクス・アウレリウスは実は彼に皇帝の位を譲ろうと考えているという設定。それと察したマルクス・アウレリウスの実子コモドゥス(ホアキン・フェニックス)は、父帝を殺害、マキシマスも処刑しようとする。かろうじて逃れたマキシマスは故郷にかけつけるが、既に妻子は殺害され、マキシマスは囚われて奴隷として売られ、そして剣闘士になるという展開になる。
面白いのは、絶望して死ぬつもりで剣闘士試合に臨んだマキシマスが、いざとなると昔の職業が出て、ほかの剣闘士を統率してリーダーシップを発揮してしまうというところ。

一方、コモドゥスの方は、ステレオタイプの暴君ぶりを発揮しながらも、実に屈折したキャラクターである。父と聡明な姉ルシッラ(コニー・ニールセン)の愛に飢え、マキシマスへのコンプレックスに苛まれ、悪役の癖にしょっちゅうめそめそ泣いているのだ。マキシマスが生きていたことを知っても、彼が民衆の人気者の剣闘士になっているので、殺すに殺せないというジレンマもいい。このあたりの権力構造は、現代的。

剣闘士同志の友情、マキシマスとルシッラのロマンスめいた関係なども織り込んで、コロッセオでのコモドゥスとマキシマスの一騎打ちという荒唐無稽なクライマックスを経て、もちろん正義が勝つ。だがコモドゥスだけでなく、マキシマスも相打ちで死んだのが、潔い結末だった。

大金そそぎこんでCG多用しても、2時間半の長丁場を飽きさせない良質の作品となっていたのは、人間ドラマが脇役にいたるまで、書き込まれていたこと。また、さすがは独自の美意識を持つリドリー・スコットが監督のことだけあって、映像も美しかった。つまり金のかけ方がうまいのだ。
この調子で、今後もハリウッド製古代ローマもの大作が見られることを願う。

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