「イタリア映画祭2003」寸評

Luna Rossa

赤い月の夜

 

2001年

監督 ・脚本 : アントニオ・カプアーノ
撮    影 : トンマーゾ・ボルグストローム
美    術 : パオロ・ベッティ
音    楽 : マリオ・イクゥオーネ

近年のイタリア映画界で「ナポリ派」と呼ばれる一派が、形成されていることは聞き及んでいたが、今回初めてその一作品を目にすることができた。
これまた筆者の苦手なジャンル、「マフィアもの」である。余談ではあるが、その理由を述べておくと、「登場人物の相関図がわからなくなる」「何故突然殺すのか?」。おそらく、筆者がからきし「勢力争い」「抗争」の類に疎いからであろう。

果たして、ナポリの犯罪組織「カモッラ」(日本では「マフィア」が暴力的犯罪組織を指す代名詞となっているが、正確に言うと、「マフィア」はシチリアのそれを指す固有名詞)のある一家の内部抗争を描いた本作『赤い月の夜』も、同様だった。親子・兄弟・夫婦・親戚・愛人関係は複雑を極め、途中から理解することを断念せざるを得なかったのである。筆者の頭脳にも問題はあろうが、登場人物の描き分けが十分にできなかった脚本・演出にも問題があるのではないだろうか?或いは、ギリシャ神話『オレスティア』を下敷きにすることで、複雑に入り組んだ人間関係も単純化できるというねらいがあったのだろうか?

むしろこの映画の魅力は、新鮮なインパクトを与える映像と音楽にあると見た。「スタイリッシュ」という形容詞は、カプアーノの作風を説明するのによく用いられるらしいが、確かにどろどろした内容を洗練された手法で扱ったと言えよう。
一家の三世代目に属する少女オルソラ(アントニア・トゥルポ)が馬を疾走させるカットや、その弟オレステ(ドメニコ・バルサモ)が聴いているヒップ・ポップの使い方など、感覚的に訴えかけてくるものがある。彼らの祖父にあたる一家のドンが好んで聴くカルーソー(二十世紀初頭を飾ったナポリ出身の大テノール)のアリアやカンツォーネ『赤い月』に象徴される「旧世代」との断絶は、あまりにも明らかだ。
その中間の世代は、昔ながらの因習的な掟と、現代的な組織の企業化という課題の狭間で揺れ動く。その間に一族内の勢力争いは激化し、二代目アメリーゴ(トニー・セルヴィッロ)は、妻イレーネ(リーチャ・マリエッタ)とその愛人エジディオ(アントニーノ・イウオーリオ)に殺害される。
そしてこれまた神話どおりに姉弟は、母親への復讐の念を募らせていく…。組織に反発しつつも逃れられずに苦悶し、情念に溺れるオルソラとオレステの若い世代の存在感は圧倒的だった。
前近代的な性格を持つ組織と現代社会との摩擦という側面が−それが現実のカモッラを反映しているかどうかは別にして−この映画のひとつの見所だったと思う。


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2003/05/26

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