「イタリア映画祭2003」寸評

Resurrezione

復 活

 

2001年

監督 ・脚本 : パオロ&ヴィットーリオ・タヴィアーニ
原    作 : レフ・トルストイ
撮    影 : フランコ・ディ・ジャーコモ
美    術 : ロレンツォ・バラルディ
衣    装 : リーナ・ネッリ・タヴィアーニ
音    楽 : ニコラ・ピオヴァーニ


個人的な思い入れを語ることになってしまうが、筆者がイタリア映画に興味を持つようになったのは、学生時代にテレビ放送された『父 パードレ・パドローネ』(*注)を見たのがきっかけだった。そのとき受けたカルチャー・ショックの詳細については、また別の機会に譲るとして、以来パオロとヴィットーリオのタヴィアーニ兄弟は、もっとも敬愛する−かつ現在形で新作を待つことのできる−監督となったのである。
続く『サン☆ロレンツォの夜』『カオス シチリア物語』と兄弟は畳み掛けるように傑作を発表していったが、90年代に入ったあたりから衰えが見られるようになり−というより筆者の好みとは違った方向に進んでゆき、大変失礼なことながら、「終わった監督」として兄弟を片付けるようになっていた。
それが一昨年の「イタリア映画祭」で上映された『笑う男』を見たことが、筆者にとっては「タヴィアーニ兄弟、復活!」となったのである。ロッシーニのオペラ・ブッファ(喜劇的オペラ)のアリアを歌う元バス歌手の悲劇をメインに『カオス シチリア物語』を思わせるオムニバス形式をとり、老境に差し掛かった監督とは思えないほどの創造性の満ちた新作だった。

前置きが長くなってしまった。本作は『笑う男』に続く21世紀待望の第1作目である。タヴィアーニ兄弟は、ロシアの文豪トルストイの名作『復活』を取り上げ、ロシア・ロケをも敢行して、堂々たる大作をものしたのである。
結論から言ってしまおう。3時間を超える上映時間が少しも苦にならない。繰り返しになるが、兄弟ともに70代に突入しようという監督が、これほどまでに瑞々しい映像を創り上げるとは、感嘆に値する。

舞台は19世紀末の帝政ロシア。有閑青年貴族ディミトリー・ネフリュードフ(ティモシー・ピーチ)は陪審員として列席した殺人事件の法廷で、被告の娼婦を見て、愕然とする。その娼婦は、かつて叔母の屋敷に行儀見習いにきていた娘カチューシャ(ステファニア・ロッカ)だった。カチューシャは、ネフリュードフが戯れに仕掛けた恋の結果、妊娠して屋敷を追い出され、娼婦にまで転落していたのだ。
己の罪の大きさに衝撃を受けたネフリュードフは倫理観に目覚め、財産も地位も投げ打ち、シベリア流刑の判決が下ったカチューシャの後を追う…。

おなじみのストーリーではあるが、タヴィアーニ兄弟の手にかかると、初めて接する物語のように、その展開に胸がときめかされるのである。
開巻、女囚の留置所のリアルな情景が映し出され、判決を待つカチューシャが煙草をふかしている。彼女の目には、牢内に紛れ込んできた可憐な蝶も目に入らない。
続く法廷の場。その前にはネフリュードフの日常として、豪奢な帝政ロシア時代の貴族の生活の描写もあり、早くもタヴィアーニ兄弟の写実主義と美的センスが縦横に発揮される。

法廷に引き出された捨て鉢な娼婦が、かつて愛した乙女と同一人物と気づいたネフリュードフの回想により、場面は田園の中の貴族の館へと移る。筆者はロシアに行ったこともなく、断言はできないが、この緑豊かな田園風景は、タヴィアーニ兄弟の故郷トスカーナ地方のように思えてならないのだが…?
いずれにせよ、学生ネフリュードフとカチューシャとの間に恋心が芽生えた季節は、夏。法廷場面では荒み果てていたカチューシャが、ここでは白い衣装に身を包んだ少女として登場し、初々しく画面の中を躍動する。
だが、ふたりの恋は、ネフリュードフがカチューシャの手に無理やり金を押し込んで終わりを告げる。原作ではその後のカチューシャの転落が仔細に語られていたが、映画ではこの金銭授受の場面だけで、彼女の「娼婦」としての人生の始まりを端的に表現していた。

現実の裁判に戻ると、陪審員の混乱と手抜きから、無実であるにもかかわらず、裁判官はカチューシャにシベリア流刑を言い渡す。
このときから、カチューシャと運命をともにすることを心に決めたネフリュードフは、まずは若い頃頭にめぐらせていた、農民に領地を譲り渡すという概念を実行に移す。だが、突然の申し出に農民たちは戸惑いを見せるばかりで、ネフリュードフの第一の「理想」は実現しない。このくだりも、もちろん原作にあるが、20世紀後半のイタリアを「左翼知識人」として歩んできたタヴィアーニ兄弟にも、なにやら思い入れのありそうなエピソードではある。あるいは領主=主人 padoroneという存在を追い続けていた映像作家として。

カチューシャの拒絶はもっと激しく、名乗り出てきた初恋の男をかつて自分をもてあそんだ「金持ちの坊ちゃん」として受け止め、その「気まぐれ」をせせら笑う。だが、その後も変わらぬネフリュードフの献身を受けるうち、次第にカチューシャの心に変化が見られるようになる…。

いよいよ、カチューシャたち囚人のシベリア護送が始まるが、ここからは間違いなくロシアで撮影されたであろう。その冬の情景の描写、人間ドラマのスケールの大きさは、筆者のつたない筆では到底書き切れるものではない。僭越ながら、一般公開の際は、ぜひ多くの人々に見ていただきたい、ということしかできない。
ただ、少女と娼婦を経たカチューシャが、ここではイコンに描かれた聖女のような−同時に血の通った女でもある存在として甦ったことは、記しておきたい。自然体で演ずるステファニア・ロッカの魅力が光る。
ネフリュードフのティモシー・ピーチは、受身に徹した地味な印象ながら、突然の改心も無理なく感じさせ、これも適役であろう。

さて、ラスト・シーンについて、実は筆者仔細に書きたくて、うずうずしているのだが…。ネタバレがルール違反であることが言うまでもないが、文章で表現するには、あまりにも鮮烈であまりに美しい映像。なぜ二十一世紀のあけそめである今、タヴィアーニ兄弟が、この十九世紀末に書かれた小説を映画化したかが、切ないくらいに伝わってくるのである。


*(注) 『父 パードレ・パドローネ』は、RAI(イタリア放送協会)がテレビ放送と劇場公開双方用に製作した一本で(当時、そのようなシリーズがあったらしい)、日本ではまずNHKで放送され、その後劇場で完全版が公開された。

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2003/06/08

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