サテリコン

Fellini Satyricon

1970年
イタリア
監督 : フェデリコ・フェリーニ
脚本 : フェデリコ・フェリーニ、ベルナルディーノ・ザッポー
撮影 : ジュゼッペ・ロトゥンノ
美術 : ルイジ・スカッチャノーチェ、ダニロ・ドナティ
音楽 : ニーノ・ロータ
製作 : アルベルト・グリマルディ


フェリーニは、戦後まもなくロッセリーニへの協力から出発し、ネオリアリズム手法を活かしながら、『道』『カビリアの夜』など魂の救いを真摯に問う作品群を発表した。続く60年代は『甘い生活』『8 1/2』などでフェリーニにしか描き得ない独自の(独善的とすら言い換えられる)映像世界へと踏み込んだ。
その60年代の最後を飾る『サテリコン』の原題は “Fellini Satyricon”と自らの名前を冠する作品となった。古代ローマのペトロニウスの書き残した断片を「自由にアダプテーションした」とタイトルにも出てくるが、この映画はSatyriconという題材を借りて映像化されたフェリーニの妄想そのものなのだ。
個人的妄想を映画にしてしまうという特権は、おそらくフェリーニにしか許されなかったものだろう。『8 1/2』の妄想は、自らの内面にとどまっていたが(それでも商売になるような映画にしてしまうのだから、すごい)、『サテリコン』では妄想を見世物化しているのだ。

主人公の無頼学生エンコルピオの冒険譚、ピカレスクロマンであるが、筋書きはさほど重要ではない。フェリーニが古代ローマを題材にして、これでもか、これでもかと繰り出す美と頽廃を享受できればよい。ここではすべての束縛(特にキリスト教)から解き放たれた人間が欲望をむき出しにして、総天然色の世界を跋扈しているのだ。

先程筋書きは重要ではないと記したが、構成としては重層的な幾つものエピソードで成り立っている。どれかひとつ印象に残ったものをと問われれば、私はふたなりの生き神のエピソードを挙げる。欲にかられたエンコルピオが友人アシルトらと盗み出すのだが、逃げる途中で乾きのため生き神は死ぬ。あっけないが、しかし不思議な感傷が染みのように胸に残った。
もうひとつ挙げさせてもらうと、罪に問われた裕福な夫婦が子どもや奴隷たちを逃して、自害するエピソード。これまた物語りの中では小さな話ではあるのだが、夫婦の愛情、人生のはかなさが感慨深い。

さて、様々な冒険を経て、エンコルピオが船乗りとして旅発つところで映画は幕を閉じる。彼の背後では、死んだ金持ちの詩人の遺言で、遺産を手に入れるため死者の肉を食らう人々がいる・・・。そのせつな、エンコルニオのアップの顔が絵になり、カメラがひくと今までの主な登場人物たちも壁画となっている。このラストシーンは何度見ても、素晴らしい。

どの時代のどんな人間でも、生きては死んでゆく。そんな風に消え去っていった生命が時を超えて、姿をとどめ得る、それがあらゆる芸術の、究極の存在意義なのだろうか。

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