オフ・シーズンでひょっとして運休なのではないかと懸念されたアルプス・ロープウェイが運行しているということは確かめましたが、好事魔多し。本日4月28日はバスのスト決行の日だというのです。今日、使うべきバスは、ロープウエイのあるLe Paludまでのローカル・バスとアオスタに戻るまでのプルマン。首尾よくロープウエイでアルプス・パノラマを見物をして、アオスタまでバス、それから列車でトリノに戻るというタイム・スケジュールをたてなければいけません。 チェックインを済ませてから大きな荷物をフロントに預かってもらい、バス・ターミナルのある広場のインフォメーションに行きました。まず、ローカル・バスはOK。プルマンのストも時間限定だというので、早いところアルプス観光を済ませれば、アオスタまで戻れることが分かりました。
こうして、我々日本人三人が乗り込んだバスは、緩やかな傾斜の山道を登っていき、高度が上がるにつれ、空気が冷たくなるのが車内でも感じ取れました。30分程で、一見何もなさそうな田舎のバス停の Le Palud に降り立ったときは、停留所を間違えたのかと一瞬焦りましたが、さらに坂道を歩いて登ると、ロープウエイ Funivie Monte Bianco フニヴィエ・モンテ・ビアンコの駅がありました. ここで、クールマイヨールの町からは見えなかったイタリア名モンテ・ビアンコことモンブランを初めて目の当たりにすることができました。時々、雲に隠れるものの、晴天に恵まれた青空に山頂部分が、突き刺すかの様にそびえたっているのです。
モンブランを拝むだけなら、目的は達成できたわけですが、ここまで来てアルプス・パノラマを見ない手はありませんが、私は高所恐怖症です。箱根の地獄谷のロープウエイに乗った時の恐怖は、忘れられません。ロープウエイのこの時期の終点で、フランスとの国境である Punta Hellbronner まで駅3つとのこと。前夜、体調不良だったこともあり、私は5分も乗れば到着という、最初の駅 Pavillon まで行ってみることにしました。
いざロープウエイが動き出すと、最初のうちこそ、斜面に沿って昇っていくので「これなら、登別クマ牧場のロープウエイ程度」とたかを括っていたのですが、すぐに自分の考えが甘かったことを思い知らされました。高度はどんどん上がり、地面はどんどん遠ざかり、完全に空中高くゴンドラがぶら下がり、ロープ以外に支えられているものが何もないという恐怖!その孤立感、浮遊感、箱根の地獄谷の比ではありませんでした。この時ばかりは「乗るんじゃなかった」と心から後悔しました。
それも今思えば、ごく数分の出来事で、 まもなくPavillon 着。ひーひー言いながら、ゴンドラを降りると、そこは一面の銀世界でした。この時は閉まって無人でしたが、山小屋風のバールがあり、そこから階段で上ると展望台がありました(といっても、柵があるわけではなく、この場所から谷を下って行ったスキーヤーが何人かいました)。
バールの壁には、木製のプレートが掲げられ(ページ冒頭の画像をご覧ください)、RIFUGIO ALBERGO PAVILLON とあるので、ここは避難小屋・旅館でもあるのでしょうか。この場所が Monte Frety という名の山で標高2,173mだということもわかります。 そして、展望台から見える風景!180度のパノラマで、クールマイヨール方面の集落のある谷が見える他は、すべて白銀のアルプスの峰々に囲まれているのです。その威容、その清浄、その美しさは、目の当たりにして初めて実感できるものでした。ここにつたない私の写真を載せますが、あの感動は到底再現できるものではありません。 ちなみに同道したご夫妻のうち、ご主人は私と同じく Pavillon で下車、奥様は果敢にも終点を目指してさらに登っていかれました。 |
Pavillonに居たのは、時間にして1時間もなかったと思うのですが、ほんとうに恐怖のロープウエイに乗ってでも、ここまで来た甲斐がありました。下山してから、 Punta Hellbronner まで登られたかのマダムにお話を伺ったところ、終点までのロープウエイの乗り心地は、高所恐怖症でないこの方でも脂汗をかいた程とのこと。でも、 Punta Hellbronner の展望台から見た光景の素晴らしさは、やはり Pavillon の比ではないそうです。前述したように、 Punta Hellbronner がイタリアとフランスの国境で、夏季にはフランス側のシャモニーまで運行しているようです。
それにしても、脅威なのは、目の前に広がる峰々に、スキーの跡がたくさん残っていること。この高度であの傾斜を滑降するとは、高所恐怖症の私には想像もつかないことでした。
Monte Bianco モンブランの山頂は、たびたび雲に隠れてしまうのですが、見えている時は、右のようでした。これがフランス側から見ると、かのケーキのモンブランを思わせる形状になるのでしょうか。 下りのロープウエイは、慣れたのか全然平気でした。同じことは、同道のご夫妻も口をそろえて仰っていました。 その後、バス、プルマンを乗り継いで無事アオスタまで帰りつくことが出来ましたが、以下「その2」に続きます。 ※クールマイヨールの地名はフランス語のため、発音がはっきり分からないものは、アルファベット表記にしました。現地に居るときは、なんとなく識別していたのですが…。Pavillonはパヴィヨンで間違いないと思いますが、これもアルファベット表示にしておきます。 |
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2006年8月10日