2006年春 イタリア旅行記


4月28日(金)晴れ
クールマイヨール→アオスタ→トリノ(その2)


前頁のPavillonにて撮ったアルプスの写真をもう一枚

バスのストの合間を縫って、無事にアオスタに到着。当初の予定では、クールマイヨールからトリノへの帰りに余裕でアオスタの市内見学が出来るだろうと読んでいたのですが、甘かったです。アオスタ・トリノ間の急行は本数が多いとはいえませんでした。 プルマンから列車への乗り換えの待ち時間わずか1時間あまりで、駅からあまり離れないように駆け足で町を廻るのにとどまりました。
かなりの重さのデイパックを背負ったまま、暑い午後の日差しの下を歩くのは、いささかしんどかったですが、この町の最大の見所である古代ローマの遺跡、プレトリア門をくぐり、アウグゥストゥス凱旋j門を眺めることは出来ました。
アオスタは、グラン・サン・ベルナルド峠(英語名セント・バーナードが救助犬として活躍したアルプスの難所)に向かう要所として古代より重要な都市であり、町は古代ローマ時代の城砦の形を残しているそうです。
鬱蒼とたたずむプレトリア門 Porta Pretoriaは、古代から営々と町の城門として機能してきたと感じさせるオーラを発していました。現在でも、「遺跡」としてだけではなく、町の「生活」の一部として人々がくぐり続けている、そんな印象。

一方、初代皇帝がユリウス・カエサルに捧げて建立したアウグスゥトス凱旋門 Arco di Augustoは、ご覧のようにロータリーの車道のど真ん中に遺されています。

ほんとうに駆け足もよいところですが、アオスタ観光はこんなピンポイントで終わってしまいました。次はぜひゆっくりと訪れたいです。


アオスタから列車で午後6時頃トリノに戻り、道連れになって頂いたご夫妻と駅でお別れしました。あとは友人のアパートに帰るだけ、荷物置いたらどこかで夕食摂って…と思いつつトラムの停留所に佇んでいましたが、一向に車両が来ない…。他にもトラムを待っている人は数人いたのですが、その中の一人の小さなお子さんの手を引いた女性に「あなたは今日ストだと知っていますか?」と話しかけられました。そうでした〜 クールマイヨールからはなんとかストの合間を縫って乗り継いできましたが、最後の最後にかち合うとは!聞けば、まったく走っていないわけではないものの、きわめて本数が少ないとのこと。

この時期、既にサマータイムに入っていてまだまだ明るいとはいえ、いったい何時にアパートにたどり着けるやら。頼みの友人は、この時間、日本語の講座を持っていて仕事中なので、携帯で助けを求めることも出来ません。
もうしばらく待ってみましたが、トラムがいつくるかわからないので、決断しました。アパートまで歩いて帰ると。古代ローマ時代の名残で、イタリアには珍しく碁盤目状の整然とした町並みのトリノです。いかに方向音痴の私とはいえ、トラムの線路を辿っていけば、帰り着くはず。
かくて、デイパックを背中に負い、てくてくと歩き始めました。行きのトラムはアパートの最寄停車場から、そう…20分ほどで駅についたはずですが、さすがに歩くと長かったです。暑さにはいささか参りましたが、町をじっくりと見られたと思えば、悪くはなかった、と。歩いている最中は、不安でそんなに余裕は持てませんでしたが…。

歩き続けること1時間半。薄暮になった頃にめでたく行きに乗車した停留所にたどり着けました。付近の家並みは、こんな感じです。高い方の屋根の上に小さな煙突がたくさんあるのが可愛かったです。
初めて来た場所なのに、なんだか懐かしい界隈でした。街灯にほのかに照らされた家並みに、生活と歴史がしっとりと染み込んでいました。

歩き疲れた私は、もう食事をする店を探しに行くのも面倒になり、バールでジュースととタルトを食べ、揚げ物屋さんでミートボールを買って、友人のアパートに帰り、シャワーを浴びて就寝してしまいました。






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2006年9月10日

→4月29日に続く

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