五百羅漢その一
 伊藤若冲は晩年、深草の石峰寺に隠棲し、自ら下絵を書いて、数多くの羅漢を石工に彫らせています。同寺にある墓には「斗米庵若冲居士」と号されています。米一斗と引き換えに絵を与えたことにちなむよし。若冲没後二年目、大田南敏は江戸帰任の途次、石峰寺を訪れ「自然の石のかたちもて羅漢のさまを写し少しずつ彫琢をくはふ」と記しています。

表紙
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