ハンセン病
 このページはハンセン病の方が国の法律で隔離され、差別されてきたことにスポットをあてたくて作りたくなったのではなく、(ほかのページで紹介したとおり)世界の福祉切手を集めていて、日本以外のいろいろな国から同じ二人の顔が印刷された切手が発行されているのに気づき、そのひとりがらい病(ハンセン病)を発見した「ハンセン」だったので興味を持ったのがきっかけです。ちなみに切手のもうひとりは結核菌を見つけた「コッホ」です。

2003年11月19日更新
 11月18日、熊本県黒川温泉で元患者の方が宿泊拒否された件での報道を集めることにしました。

簡単に書くと、熊本県が企画したハンセン病元患者の旅行客の受け入れを黒川温泉のホテルが拒否。県側は「感染の心配はない」と説得するがホテルはまた拒否。県職員が東京本社まで説得に行くが、これまた拒否。県知事がホテル名を公開。黒川温泉組合が除名処分を勧告。一転謝罪へ。

くわしいことは
ヤフー「ハンセン病人権問題」へ 
 先ほど、NHKのニュースで代表者の女性の方が困った顔で謝罪していましたが、一度拒否したあとに県の説得を受け入れていればこんな自体にはならなかったです。宿泊拒否の事例としてずっと残りそうです。
2003年11月21日追加
朝日新聞「天声人語」へリンク
 
 ついに朝日新聞投稿欄「声」、1面「天声人語」へ連鎖しました。
この次はNHK「クローズアップ現代」をはじめ、ドキュメント番組への連鎖が予想されます。

2003年12月3日追加
11月23日付け朝日新聞「社説」に載り、朝日新聞の「声」、「天声人語」、「社説」3役そろいぶみになりました。数年に一度の珍しいことですが、自分たちが悪く日々連鎖が広がったのははじめてです。(今まではすばらしい記事でじわじわ広がったのしかなかったです)
今日のワイドショーでも取り上げられたんですが、記者会見で「直前にハンセン病元患者ということを伝えなかった県が悪い」とのコメントをし、「車いすのお客さんの場合は必ず連絡を下さるのに何でだ」という発言がありましたが、車いすのお客様が事前に連絡するのは「バリアー(建物)の問題」があるためであって今日の会見もめちゃくちゃでした。このホテル経営者は金儲けのため(投資目的)で、来客者に喜び、思い出を与える商売に大切な心が掛けている気がしました。「ひとこと」が多いので報道はこれからもしばらく続きそうです。

2003年12月7日更新
またまた続報です。ホテルを経営している本社ホームページにコメント(リンクさせてあります)が載りました。「他のお客様に迷惑が掛かるので宿泊拒否して当然」とありますが、「他のお客様に不快になるから拒否しても可能」というのが一般にとおってしまったら、スーパーマケットの買い物やファミレスでの食事は一切不可能になり、一歩も家から外に出るなというのと同じで、明らかに間違ってます。まだまだ続きます。

2003年12月16日更新
またまた続報です。「県が悪い」の次は、「国が悪い」とのことです。この次は「国連?」、「WHO(世界保健機構)?」どちらにむけられるのか楽しみです。
以下の記事は毎日新聞ホームページより

<ハンセン病元患者>宿泊拒否は「国の隔離政策」 ホテル親会社

 熊本県の「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」によるハンセン病元患者の宿泊拒否問題で、親会社の「アイスター」(東京都港区)は16日までに、ハンセン病訴訟の原告団に、宿泊拒否についての見解を文書で回答した。国の隔離政策による社会の偏見を原因にあげており、原告側は「宿泊拒否は当然とする見解を撤回していない」として厳しく批判している。

 文書回答は原告団代表が今月8日、同社を訪れて抗議した際、同社側が約束していた。江口忠雄社長名の文書(15日付)では「誤った(国の)隔離政策でいわれのない差別・偏見が生まれたが、(01年の)熊本地裁判決後も会社としての教育が徹底せず、ホテルが(偏見に基づいて)宿泊拒否を決定し、当社もそれを容認した」としている。

 原告団の国本衛事務局長(77)は「元患者と事前に知らせなかった県の責任に転嫁して批判されたら、今度は国のせいだという。過ちを認めない姿勢はあきれるばかり」と話した。【江刺正嘉】(毎日新聞)

2003年12月19日更新
 またホームページ(リンクさせてあります)に新しい文章が載りました。
はじめからこういうコメントを出せば何も問題なかったのに、ここまでに至る一ヶ月間のやりとりは非常に残念に感じました。ホームページに載った現在消去された2度のコメントはひどすぎました。どうせなら残してほしかったです。

2004年1月16日追加
アイスターのホームページにまた長い文が載ったので紹介させていただきます。個人的には上で書いたとおり、今さらこんなこと書いても・・・という感じです。黒川温泉の組合から除名されたからか、お正月にキャンセル客がたくさんいたのか、経営面で負が掛かったため、載せたにしか思えません。

アイスター1月5日掲載文へリンク

2004年1月20日更新
毎日新聞社説にまた載りましたので追加します。
2004年1月12日毎日新聞社説へリンク

2004年2月9日更新
「場外乱闘」
会社が正式に否を認めたのに、ある報道によりまた動き出しました。
野球、サッカーに例えれば試合終了後に抗議するようなもので、何で今頃になってなのか疑問です。
対する「アイスター」もなんで個人情報をそのまま載せたのか、理解に苦しみます。
 日本テレビ、朝日新聞は個人情報を本人の許可なしにそのまま載せた点を問題視した報道を行っています。
 宿泊拒否より今までのことを考察すると「アイスター」の「危機管理能力」が欠けている気がします。ホームページに「お詫びの文」でなく「けんか腰の文」を載せるなど消費者の顔が見えてないのでしょうか?天下の日本テレビ、朝日新聞が報道しても電話番号など個人情報を隠さないのは明らかに社会の流れに逆らってます。こういう発言をするとこういう影響があるなど先を読むのが苦手なのでしょうか?
 
西日本新聞該当記事
熊本日日新聞該当記事

これに対して「アイスター」がホームページで住所など個人情報をそのままでやり取りしたメールを載せました。
「アイスター」ホームページへリンク
電話番号など個人情報をそのままの載せている点が問題視されてます。

朝日新聞報道記事
上のホームページを受け、書かれた記事です。
2004年2月16日追加
「アイスター」ホテル業から撤退
 「ハンセン病元患者の宿泊を断ったことに対する最大の謝罪」とのことで廃業が決まったみたいですが、「儲からなくなったのでリストラ(もともと副業なので)」、「本業の化粧品販売に影響が出るので撤退」が本当の理由ではないでしょうか?(宿泊拒否による初めての旅館業法に基づく営業停止処分がほぼ決まっていたため)
 この一つ上の欄の学生とのやり取りを載せたホームページはすべて削除されました。なんのために載せたのか、批判されて何ですぐに消さなかったのか、理解できないです。すぐに消さなかったため、多くの人にコピーでデーターを提供し自分で首を絞めました。。(自分もホームページには使いませんが手元にあります。) 
 ホテル部門を廃業しても、今までのやりとりは消すことはできません。「アイスター」と聞けば、「化粧品」でなく、「ハンセン病」を思い浮かべる環境を自ら作り出してしまいました。
 甲府駅から山梨県庁舎のところを右折して、道なりに行くと、中央道の甲府昭和インターに着くんですが、その途中におおきなマークのついた建物が存在します。「ハートのマーク(イトーヨーカドー)」でもなく「オのマーク(オギノ)でもなく、通るだれもが「なんのマーク」と感じる存在です。実はこの「マーク」。ずばりアイスターの「ロゴマーク」でした。今までのハンセン病報道でたまたま「アイスター」のホームページを開き判明しました。今までは「なんのマーク」と聞かれても「どこかの会社のマーク」としか答えることができませんでしたが、これからは「あの宿泊拒否したホテルの親会社」という「会話」が成り立つようになりました。「廃業」しても負のイメージは消せないほど、それだけ今までの行動はまずかったです。

以下時事通信より

アイスターがホテル廃業へ=ハンセン病宿泊拒否で「最大の謝罪」−熊本


 熊本県南小国町の「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」がハンセン病療養所入所者の宿泊を拒否した問題で、ホテルを経営するアイスター(東京都港区)の江口忠雄社長は16日、同ホテルで従業員に対しホテルを廃業する意向を表明した。熊本県は同ホテルを営業停止処分とする方針を固めており、突然の廃業決定につながった可能性もある。
 同ホテルによると、江口社長は従業員約40人を前に「ハンセン病元患者の宿泊を断ったことに対する最大の謝罪」と説明した。廃業時期について、アイスター広報室は「従業員や予約客への対応などがあり、分からない」としている。
 熊本県は16日にも旅館業法に基づく営業停止処分を決定し、手続きに入る見通しだったが、「詰め切れていない」として、17日以降に持ち越した。ホテル側の廃業宣言について、県は「廃業届が出るまで、処分方針は変わらない」としている。 (時事通信)
2007年12月1日更新
 2006年12月6日 朝日新聞投稿ページ「声」より
 「舌で点字読む 写真見て衝撃」
 大分県内で開かれた人権フェスタに参加した。さまざまな人権問題に関する講演会や展示パネルなどがあった中、ハンセン病関連資料展示室で、私は1枚の写真に釘付けになった。
 それは点字された紙をほおずりするように口元へ持っていっている元ハンセン病患者の写真。解説には「手の感覚がなくなり、指では点字を読めなくなりました。それでも、舌や唇、アゴのあたりには感覚が残っていましたから、舌読を習い、3,4、ヶ月でできるようになりました。」とあった。
 目の不自由な人は点字を指で触れるのが普通とばかり思っていた私は、自分の想像力の欠如に気が付いた。点字とは何も指だけで触れるものではないのだ。
 指の感覚がなくなれば点字を読むことは不可能と思ってしまう私と、そうであるならば舌や唇、あごで読んでみようと思う人の間に「大きな距離」がある。この距離についていかに想像していけるかが、私の人権問題を考える上での今後の課題であると考えた。