ホームレスを無料で診療する「白衣の天使」
 ホームレスの医療ボランティア活動を行っていた医大生が、内科専門医になり、彼らの健康を守る守護天使となった。  
  ホームレスや浮浪者のための医療機関であるソウル・東大門(トンデムン)区・典農(チョンノン)洞に位置する「タイル天使病院」。この病院唯一の常勤医師であるチェ・ヨンア(32)医務院長は「ホームレスたちが真夏、汚い野菜市場の片隅で、雨水の混じったご飯を食べているのを見て、衝撃を受けた」とし、「教会の役割と彼らの人生の関係について悩んだ末に、ここに留まることを決心した」と話した。  
 この病院は「ご飯を分け合う運動」で知られる崔一道(チェ・イルド)牧師が創立したタイル福祉財団が建てた病院で、先月4日オープンした。チェ院長がここと縁を結んだのは12年前、梨花(イファ)女子大学医科大学2年の時に始めたホームレスのための医療ボランティア活動。  
  その後、崔牧師の献身的な人生に感銘を受け、2000年まで毎週土曜、200〜300人の患者を診療した。
  医務院長の彼女の月給は100万ウォン前後。通常の内科専門医の月給の5分の1にも満たないが、それでも、そのほとんどは教会のボランティア献金として支出している。  
 
 チェ院長は「ここは使命感で働くところ。月給のことを考えると勤まらない」とし、「外科・接骨医など他の10科の診療は、30人のボランティア医師が順番で診療している」と話した。  
 
 天使病院には1階から4階までの壁を名札が埋め尽くしている。寄付者の名前だ。約6000人が100万ウォンずつを出し合って集めた60億ウォンで、この病院が建てられた。それまで、約8年の歳月がかかった。  
 
 現在、1日の外来患者数は30〜40人程度。急を要する患者は手術をし、入院もさせている。ホームレスの治療費は無料だ。  
   
 チェ院長は「このように、善意から始めた病院が、後で資金不足で閉院したり、変質する場合が多々ある」とし、「そうならないよう、ここにいる人々が誠意でもって患者を診療し、献身しなければならない」と話した。    チェ院長の夫は外科医で、ここでボランティア活動を行っている。友たちの中にも、このボランティアへの参加を希望し、看護補助士の資格を獲得、常住している人もいる。  
  チェ院長は「ボランティア活動をしたい人たちが集まって、共同体生活の練習をしている」とし、「社会にホームレスのためのより体系的なリハビリと支援プログラムが必要」と話した。  
 
金哲中(キム・チョルジュン)医学専

12/15朝鮮日報ホームページより

脳死者発生の病院に臓器移植の優先権

 来年からは脳死者が発生した病院が自分の病院に登録した患者の中で臓器移植を受ける人を優先的に選定する権限を持つことになる。  
 
 保健福祉部は16日、脳死者の臓器提供を活性化するため、このような内容の「臓器などの移植に関する法律施行令・施行規則改正案」を立法予告し、来年2月27日から施行すると明らかにした。  
 
 現在までは脳死者が発生した場合、国立医療院傘下の「臓器移植管理センター」が脳死者の臓器の分配、管理を独占してきたため、病院側は脳死者が発生しても報告しない事が多く、臓器移植を希望する患者が苦痛を強いられてきた。  
 
 改正案はまた、脳死者の家族の中で臓器移植の待機者がいる場合は最優先的に移植対象者にし、脳死者の臓器提供に同意する家族や遺族が家出、行方不明、海外滞在などによって連絡が取れない場合や健康上の理由で正常な意思表示ができない場合は、最も近い血縁者の順に同意権を行使できるようにした。  
 
朴重勲(パク・ジュンフン)記者

2002/12/9朝鮮日報ホームページより

城南・福井洞の無料給食所が閉鎖

 4年間、数万人の日雇い労働者に朝食を提供してきた城南(ソンナム)市・寿井(スジョン)区・福井(ポクチョン)洞の人力市場・無料給食所が無期限で閉鎖された。  
 
 城南市が福井洞事務所(区役所にあたる)の新築のために無料給食所のある兼エ事務所の建物を9日に撤去することにしたからだ。給食は先月30日から中断されている。  
 
 この建物に無料給食所ができたのは通貨危機直後の1998年8月。老朽と亀裂によって洞事務所が近くの組み立て式の建物に臨時移転してから使われていない建物だった。これまで、城南市のキリスト教連合会所属の110の教会が、休日以外は1日も欠かさずに、午前6時から7時まで労働者達に無料で朝食を提供してきた。  
 
 この給食所はこれまで、失職した家長をはじめ、1日平均130人、延べ人数4万人の日雇い労働者が利用した。このために各教会が使った費用だけで3億ウォンあまり。  
 
 勤労者の李某(43)さんは「子供たちの食事を準備する時間に若い母親達がボランティアとして働くなど、苦労が多かった」とし、「ご飯と汁物、キムチ、幾つかのおかずだけの簡単な給食だったが、真心がこもっていた」と話す。  
 
 しかし洞事務所の新築によってこの建物の撤去が決定し、給食所も撤去の運命を共にするしかなかった。城南市の李同先(イ・トンソン)地域経済課長は「代わりの給食所のために8000万ウォンの予算を投入して適当な場所を探しているが、福井洞の住民が反対しているため、なかなか見つからない」と話した。  
 
 労働者のソン某(54/新興(シンフン)洞)さんは「最近景気がそれほど悪くないので、建設現場で働く男達はそれなりに何とかできるが、冬には仕事が少なくなる女性達は、給食所がなくなってとても困っている」と話す。  
 
 城南市・キリスト教連合会の李鎬栄(イ・ホヨン)総務は「苦しい時代に暖かい食事を通して『分け合う心』を実践してきた場所がなくなって残念だ」とし、「1日も早く給食所が確保され、無料給食が再開されることを願うばかり」と話した。  
 
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
朝鮮日報ホームページより2002/12/6

「ナヌムの家」の日本人ボランティア3人組

 日本植民地時代の元従軍慰安婦の女性10人あまりが集まって暮らしている京畿(キョンギ)道・光州(クァンジュ)市・元堂(ウォンダン)里の「ナヌム(分け合いの意)の家」には、先月のはじめ、珍しい家族が1人加わった。日本・東京の日韓分化交流教会の図書館で書士として働いている中島優美子(38)さんだ。  
 
 2000年末に韓国語の勉強のために韓国を訪れた後、延世(ヨンセ)大学の語学堂で韓国語を学んできた中島さんは、今年8月、友人の紹介で「ナヌムの家」に寄り、結局、住み込みで働くことにした。  
 
 中島さんは「日本で働いている時、元慰安婦だった韓国人女性の話を聞いて、いつも心の中で韓国に“借り”があるような気がしていた」とし、「日本語のできる案内者を募集しているという話を聞いて、ボランティアを志願した」と話す。  
 
 通訳の仕事がある時など、不定期的にこの「ナヌムの家」を訪問していた中島さんだったが、結局、先月のはじめ、荷造りをしてここに引っ越してきた。来年2月に日本に戻る時まで、この「ナヌムの家」で元慰安婦の女性達と共に暮らす決心をしたからだった。  
 
 ここで中島さんは食事の準備や、後片付けをするほか、2階にある15の部屋の掃除や元慰安婦達の話し相手にもなっている。  
 
 中島さんの他にもこの「ナヌムの家」には日本人女性のボランティアが2人いる。この家を管理しているアン・シングォン(42)事務局長は「ここに訪れる日本人訪問客は毎年300〜400人に達するが、日本人ボランティアは訪問客の案内や元慰安婦女性の証言を通訳する仕事を担当している」とし、「日本人から直接説明を聞くことになるため共感を持ちやすいようだ」と話す。  
 
 今年10月からボランティアをしている小幡薫(/女性/21)さんは日本の中央大学を休学している大学生だ。小幡さんは先月28日、この家の「慰安婦歴史館」を訪問した日本人高校生の修学旅行団の案内をした。  
 
 小幡さんの案内でベッドと洗面器しか置かれていない「体験館」、映像資料を上映する「映像館」などを経て、「黙念の場」まで見学すると、涙を流す高校生もいたという。  
 
 高校生のイツジタアキ(17/高校2年)さんは、「私と同じくらいの年の時に戦場に連れて行かれ、こんなひどい事をされていたなんて・・・」と言葉を失った。  
 
 最高齢のボランティアである末澤清恵(62)さんは日本の市民団体の会員で、日本政府の従軍慰安婦の謝罪・賠償運動に参加してきた元教師だ。昨年4月から週1〜2回程、時間を作っては訪問客の案内をしている。  
 
 末澤さんは「最初は私が日本人だと言うと訝しげな顔をしていた女性達が、今では私を『ハルモニ(おばあさんの意)』と呼びながら気兼ねなく接してくれる」と話す。  
 
 アン事務局長をはじめとした6人の「ナヌムの家」の常勤職員は、「従軍慰安婦の存在を未だに否認している日本政府の図々しい行動を見ると腸が煮えくり返る思いだが、日本人ボランティアの姿を見ると希望を感じる」と語った。  
 
李泰勳(イ・テフン)記者
朝鮮日報ホームページより2002/12/5

プロ野球スターが障害者たちと楽しい一時

 4日、京畿(キョンギ)道・高陽(コヤン)市・一山(イルサン)のホルト福祉財団。いつもは300人あまりの障害者らが静かに作業をする職業訓練所に、逞しい男たちが集まった。 
 
 李スンヨプ(サムスン)、李鍾範(イ・ジョンボム/起亜)、李ビョンギュ(LG)、朴勍完(パク・キョンワン/現代)ら、国内のプロ野球を代表するスターたちだった。  
 
 選手たちは障害者らと共にカレンダーの包装、清掃製品の組み立て作業などをしながら汗を流した。風邪気味だという李スンヨプ選手は、早朝に病院へ行き、注射を打ってまで参加する熱意を見せた。 
 
 この日、ボランティアとして訪れていた祥明(サンミョン)大付属女子高校の生徒や取材陣も障害者の作業に参加し、作業場は温かい雰囲気に包まれた。  
 
 共に作業をした障害者らはスター選手にサインをもらい、記念写真も撮るなど心から楽しんでいる様子だった。知的障害者の朴チュング(32)さんは、「野球選手たちが来てくれて、本当に嬉しいです」と語った。作業を終えた選手たちは体育館に場所を移し、車椅子に乗って障害者らと車椅子バスケットボールゲームを行った。  
 
 今回の“障害者体験”は、韓国プロ野球選手協議会が2002年の定期総会で障害者との交流を計画して実現したもの。3日に全体会議を開いた8球団40人の選手たちは、福祉財団で前日から準備を重ね、障害者らと共に時間を過ごし、障害の苦痛を共有した。  
 
 選手協議会は今年4月に福祉財団と姉妹提携を結び、7月に行われたオールスターゲームの賞金1000万ウォンを寄付した。選手協議会の共同代表を務めるユ・ジヒョン(LG)選手は「選手みんながやりがいを感じた」と語った。  
 
高陽=高錫泰(コ・ソクテ)記者
朝鮮日報ホームページより2002/12/4

「社会はまだ温かい」貧困層への援助相次ぐ

 朝鮮日報が、貧民街や永久賃貸マンションなど、疎外された地域の住民の厳しい暮らしを報道し始めた今月1日から、各界各層から「力になりたい」という暖かい手が差し伸べられている。  
 
 本社には、このような人々を助ける方法を問い合わせる電子メールや電話が殺到し、疎外地域の住民を助けている社会福祉機関にも後援金と物品を提供するという申し出が相次いでいる。  
 
 1カ月25万ウォンの収入で孫(6)と暮らしているチェ・ピョンレ(66)さんの面倒をみているソウル・永登浦(ヨンドンポ)社会福祉館は「今月1日から後援の申し出が1日20件以上に及んでいる」とした。  
 
 子供たちにハムを提供するというハム会社、シーチキン缶詰を送るという40代の主婦、後援金を入金するという30代の会社員など、後援者もその内容も様々だ。このうちの10人あまりは定期的な援助をすると約束した。  
 
 本紙にも4日までに50人あまりが電子メールや電話で援助の意思を伝えてきた。ユン某(42/専門大学教授)さんは電子メールで「普通の子供ならいつでも食べているようなハムやシーチキンをお腹一杯食べたいという言葉を聞いて胸が痛んだ」とし、「福祉館から用紙を受け取り、入金することにした」と話した。  
 
 釜山(プサン)の高校教師、金ボンジェさんは「私の息子がハムを弁当のおかずにして欲しいと言っていたことを思い出し、胸が締め付けられるようだった」とし、ハムの詰め合わせセットを送りたいと申し出た。  
 
 大邱のシジ女子中学校では恵まれない人々への寄付金として集めた献金の一部をチェさん家族に送りたいと申し出た。貿易業をしているチェ某さんは「うちの子と同じ年頃の子供たちのために定期的な支援をしたい」とした。  
 
 ソウル・上溪(サンゲ)洞の貧民街「ノウォン村」を担当している北部総合福祉館にも、この2日間で50件あまりの後援の問い合わせが入った。  
 
 金ヒヨン福祉士は「夏に水害支援金をたくさん送ったせいか、今年は例年に比べ恵まれない人々への寄付金が少なかった」とし、「後援の問い合わせの電話をこんなにたくさん受け取ったのは久しぶりのこと」と語った。  
 
 果物や生活必需品を支援したいという人もおり、近くの教会では「新聞を見て初めて、近くにこんな苦しい生活をしている街があることを知った」とし、信者のボランティアを約束した。  
 
 ソウル・新林(シンリム)洞のナンゴク村を担当している新林社会福祉館も10回以上に及ぶ問い合わせの電話を受け取った。金チュングン課長は「ナンゴク村はなくなったが、住民達はその村の近くにある地下室などで苦しい生活を続けている」と述べた。  
 
 一方、本社の事業部には駐韓台湾代表部の?順達一等秘書官と国際ワクチン研究所のポール・キルゴア研究員が「駐韓外国人が恵まれない人々を助ける運動に積極的に参加すべき」とし、それぞれ100万ウォンと20万ウォンを本社に送り、新吉(シンギル) 洞の金某さんも娘を通して800万ウォンを送ってきた。  
 
 しかし今年は不況のためか、このような恵まれない人々への献金が少ないことが予想される。財団法人の社会福祉共同募金会の金ヒョジン課長は「先進国は景気不況の時、寄付の金額が増える」とし、「厳しい時程、恵まれない人々を思い遣る心を持って欲しい」と述べた。  
 
鄭佑相(チョン・ウサン)記者
朝鮮日報ホームページより2002/12/4


電動車椅子で日本列島横断を計画中の崔昌鉉さん

 電動車椅子の操縦レバーに連結された棒を口にくわえて操縦しながら、昨年、米大陸の横断に成功した先天性脳性麻痺の障害者 崔昌鉉(チェ・チャンヒョン/37/大邱(テグ)市・南(ナム)区・大明(テミョン)洞)さんが、来年春、日本列島の縦断に挑戦する。 
 
 「2003年、大邱で開かれる夏季ユニバシアード大会の成功を祈願し、障害を持つ人たちの自立の意志を励ますため、日本列島の縦断の挑戦することにしました」。 
 
 手足を動かすのが自由でない崔さんは、電動車椅子の操縦レバーに連結された棒を口にくわえて操縦しながら、外出をしている。この他にも、言語障害もあるため、意思を表現するのが難しい状態だが、1996年、障害者の人権を取り戻すための集いである「明るい明日」の会長を務めるなど、障害者の福祉改善のために活発な活動を繰り広げている。 
 
 2000年9月、崔さんは電動車椅子に乗り、米国のロサンジェルスを出発、8カ月ぶりの昨年5月、ワシントンに到着し、5000キロメートルにわたる大陸横断に成功する快挙を達成した。 
 
 毎日午前8時から午後5時まで、80キロメートルを走る強行軍で、歯が揺らぎ、口の中がぼろぼろになってしまうほどだった。 
 
 崔さんは今年10月末、日本を訪れ、障害者の自立の支援する団体「ヒューマンケア協会」と日本列島縦断に関して協議した。崔さんは寒さの和らぐ来年3〜4月、日本の南部地方を出発し、北部地方までの4000キロメートルを走る計画だ。時速10キロの電動車椅子に乗り、1日10時間ずつ40日間走ることになる。 
 
 崔さんの日本列島縦断には国内と日本の瘧Q者たちが一緒に参加する予定だ。現在、崔さんは足りない経費を支援してくれるスポンサーを探している。 
 
 「交通事故に遭い、トルネードに襲われる逆境の中でも、米大陸の横断を成し遂げたんです。来年春、日本列島の縦断も必ず成功してみせます」。 
 
大邱=琴元燮(クム・ウォンソプ)記者
朝鮮日報ホームページより2002/12/4

【ルポ】ソウル最後の貧民街「ノウォン村」

 ソウル・ノウォン区・上溪(サンゲ)洞の「ノウォン村」は「ナンゴク村(冠岳(クァナク)区・新林(シンリム)洞)」が撤去されたことにより、ソウルで唯一の大規模な貧民街となった。  
 
 4〜6坪の無許可住宅が建ち並び、家と家の間の道は70センチと、大人1人がやっと通れる程狭い。積み重ねられた練炭と屋根に乗せられている練炭ガスの排気口が70年代のソウルの裏通りを思い出させる。  
 
 ここには約900世帯、2000人が暮らしている。1965年以降、ソウル・永登浦(ヨンドンポ)、佛光(プルグァン)洞、清渓(チョンゲ)川、三仙(サムソン)橋一帯が再開発されたことから、それらの地域から追い出された人々によって形成された。現在、ノウォン村第1世代にあたる60〜70代の高齢者が住民の70%以上を占めており、残りはその子供たちだ。  
 
 33年間、この村で暮らしているアン・キョンジャ(71)さんとミン・ヨンワン(73)さん夫婦は「ここで静かに死ぬのが願い」と話す。子供たちが幼かったごろは4坪一間で10人が一緒に寝て、部屋の戸が壊れたこともあったという。  
   
 この老夫婦は昨年、国民基礎生活保障需給者(生活保護対象者)から脱落した。88年に85万ウォンで購入した無許可住宅ではあるものの、家があり、扶養責任のある子供がいるというのがその理由だった。  
 
 需給者から脱落して以降、収入が全くない老夫婦に、2カ月前から固定収入6万5000ウォンが支給されることになった。韓国戦争に参戦した夫のミン・ヨンワンさんに国家が毎月6万5000ウォンを支給することにしたからだ。  
 
 1951年、金日成(キム・イルソン)高地戦闘の時、右足に破片が刺さったミンさんは、その後遺症と骨粗鬆症によって、現在ほとんど身動きを取れない状態だ。唯一の外出は自宅から100メートルほど離れた共同トイレに妻のアンさんに支えられて行くことだけ。  
 
 食事は1日2食。朝は作って食べ、夜は福祉館から配達される弁当を食べている。この2人をよく知っている北部社会福祉館の金ヘヨン福祉士は「基礎生活保障法が施行されてから、アンさん夫婦のような方は生活が更に苦しくなった」と話す。  
 
 この村の住民のほとんどは独居老人で、若者達は日雇い労働者、露天商などで生計を立てているか、この村を離れて行った。子供がほとんどいないのも特徴の一つだ。便宜施設は小さなスーパーマーケットが5カ所、クリーニング屋1カ所、洋服のリフォーム店2カ所程度しかない。  
 
 地下鉄7号線の水落山(スラクサン)駅まで歩いて20分。中浪(チュンラン)川のすぐ近くにあるため、98年、99年、2001年には大きな水害を被った。  
 
 30年間ここで暮らしている金某(70)さんは、内縁の妻として生涯冷たい扱いばかりを受けてきたが、夫が死亡すると、本妻の病気になった息子(30)まで責任を持たされることになった。現在2人で一緒に暮らしているが、需給者支援金の20万ウォンが生活費のすべてだ。一人暮らしをしているユン某(74)さんも1日2食で延命しながら暗い4坪の部屋で何とか生活している。  
 
 韓国都市研究所の李ホ研究員は「ここの住民は再開発によってマンションに入居する権利が与えられたにもかかわらず、追加の費用を支払うことができず、都心の地下室や、ソウル周辺に追いやられ、生活環境が更に悪化している」と話した。  
 
鄭佑相(チョン・ウサン)記者
朝鮮日報ホームページより2002/12/4

貧困層155万人の「暗鬱の日々」

 ソ・ジョンミン(6/仮名)君と祖母のチェ・ピョンレ(66)さんが住んでいるソウル大林(テリム)洞の自宅には、今年10月から電話が切れた。数カ月も滞納した電話料金10万ウォンあまりを払えなかったためだ。 
 
 ジョンミン君の父は事業の失敗や家庭内の問題で、一昨年家を出てはホームレス生活をしている。ジョンミン君の母はジョンミンが生まれた年に家出をした。 
 
 政府が支援する20万ウォンと福祉館が支給する5万ウォンを合わせが25万ウォンが、チェさん一家の1カ月の収入だ。 
 
 食べるものもない日々だけど、勉強はさせなければと思い、ジョンミン君を幼稚園に行かせている。チェさんは「私が年老いて、仕事ができないのが一番残念」と話した。 
 
 155センチ、40キロ足らずのチェさんは、年が多く公共勤労の対象からも除外された。栄養失調のためか、ジョンミン君は口数が少なく、力もない。チェさんは「ジョンミンの好きなツナやハムを好きなだけ食べさせてあげるのが夢」と話す。 
 
 月20万ウォンの部屋に住んでいたが、部屋代を払えず、保証金の500万ウォンまで全部取られてしまったチェさんは、現在親戚から借りた小さな家に住んでいるが、いつ追い出されるか分らず、不安な毎日を送っている。 
 
 ソウル・江西(カンソ)区・加陽(カヤン)洞・加陽7団地のマンション。マンション団地に囲まれているこの地域は、一見、一般の中産階級のマンションのように見える。しかしマンションの内部を見ると、そこに住んでいる人々が厳しい生活をしているということが一目で分かる。  
 
 合わせて900世帯が生活しているここは、零細民が安い賃貸料を支払って入居している永久賃貸マンション。部屋の構造は10坪前後の大きさの部屋が1つあるだけだ。居住者は世帯道具で一杯の一間住まいをしている。 
 
 大人1人が横になるとそれで部屋が一杯になる程だ。真昼も廊下にはたくさんの人がいる。ほとんどが腰の曲がったお年寄りか自由に体を動かすことのできない身体障害者だ。  
 
 ここで1人住まいをしている金ユンシク(65/仮名)さんは政府から補助を受けている月20万ウォンが収入のすべてだ。家賃約5万ウォンと管理費の10万ウォンを支払うと、残り10万ウォンで1カ月間生活しなければならない。 
 
 数年前までは肉体労働をすることもあったが、最近は両足の神経痛が悪化し、それさえもできなくなった。10万ウォンでどうやって1カ月暮らすのかと質問すると「ただ暮らすだけです」という言葉だけを繰り返しため息をついた。  
 
 私たちの周りにはこのような人々と同じ境遇に陥っている人々が多い。最低生計費(4人世帯を基準に月99万ウォン)さえなく、政府から貧困層として公式的に認められている人だけで155万人に達する。  
 
 ここに61万1138人という1人暮らしのお年寄り、17万2057世帯の身体障害者家庭、2万5505世帯(6万6791人)の母子家庭、5161世帯(1万4080人)の父子家庭、4609世帯(7021人)の少年少女家長(両親を失い、未成年が世帯主となっている家庭)がある。ホームレスが4210人で、0.5〜1坪の一間で暮らす人々も6350人に及ぶ。  
 
 このような人々がより寒く、寂しさを感じるのが年末だ。今まで気がつかなかったこのような人々に暖かい思いやりと関心を持ち、「共に暮らす社会」の情を分け合わねばならない。皆が苦しく忙しい時期だが、時間を取り、誠意を持って恵まれない人々を思い遣る心が必要だ。  
 
金琅基(キム・ナンギ)記者  
鄭佑相(チョン・ウサン)記者
朝鮮日報ホームページより2002/12/1

駐韓外国人がソウルの「交通不便」を吐露

 「バスの運転手が交通ルールを守らず、速度を出し過ぎる」「深夜なのに激しい交通渋滞は我慢できない」「駐車する所を見つけることができず、車で出かけることができない」。  
 
 11月30日、ソウル市庁で開かれた「ソウルタウンミーティング」に参加した外国人が吐露した韓国の交通に関する不満だ。ソウルタウンミーティングはソウルに居住する外国人の集まりで、2000年から始まった。  
 
 外国人が最も深刻であると指摘する“常連メニュー”はバス問題。ブライアン・バグストローム(カナダ)さんは、「バスに乗った友人が乱暴運転のためにバスの中で転び、手首を怪我したことがある」とし、「ジグザグにカーブしながら走るバスに乗るのは外国人にとって冒険のようなもの」と話す。  
 
 8年間ソウルで生活しているブレット・ニコルス(ニュージーランド)さんは最近、三成(サムソン)洞から新寺(シンサ)洞までの直通バスを探すために6カ月もかかったという。ニコルスさんは「韓国語は少し話せるが、バスの表示板や路線図を見ても、実際にはどこに行くのかよく分からない」とし、「韓国人の友人もよく知らないところを見ると、構造的な問題があるようだ」と語った。  
 
 交通渋滞に関しても多く取り上げられた。ピーター・ジグラー(駐韓EU商工会議所・物流委員長)さんは「漢南(ハンナム)大橋の南端は慶釜(キョンブ)高速道路への進入路が狭く、常に激しく渋滞する」とし、「進入路を広げなければ漢南大橋の渋滞を解決することはできない」と述べた。  
 
 ロバート・ギルバート(キム&チャン法律事務所弁護士)さんは「ソウル市への人口集中現象が激しく、外郭から都心に進入する道路の交通渋滞が深刻」と指摘した。  
 
 外国人は交通渋滞を解決するために、▲出勤距離を縮めるために都心の住居空間を拡大▲ラッシュアワーを避けるための勤務時間多様化▲自家用車に対する混雑通行料▲ラッシュアワーの税金徴収▲カップル制(近くに住む人が一緒に車に乗って出勤する)の拡大−などを提案した。  
 
 「ソウルタウンミーティング」自体に対する不満も多かった。ドミニック・バートン・マッキンゼー韓国支社長は、「写真だけを写して終わる行事ではなく、外国人の問題提起に対するソウル市の反応を聞く場所にするべき」と述べた。  
 
方顯哲(パン・ヒョンチョル)記者
朝鮮日報ホームページより2002/12/1

障害を持つ3人がキリマンジャロ登頂に挑戦

 「私たちにはそれぞれの挑戦があるだけです」 
 
 下半身のないニュージーランドのトニー・クリスチャンス(43)さん、1級の視覚障害を持つ金ソヨン(31)さん、両手のないスキー選手 金ホンビン(38)さん。それぞれ違う“障害”を持っている3人が、アフリカの最高峰キリマンジャロ・キボ峰(海抜5895メートル)に登るため、先週末(11月30日)、仁川(インチョン)国際空港からアフリカ・タンザニア行きの飛行機に乗った。 
 
 山に登りながら、互いの手や足、目になるつもりだという3人は、韓国文化コンテンツ振興院が支援するHDTVプログラムの撮影のために、今月12日から24日まで、12日間の日程で登攀する。 
 
 9歳の時に列車事故によって下半身を失ったトニーさんは、「以前は自分と世の中に対して怒りの感情を持っていたが、与えられた状況の中で最善を尽くそうと心に決めると、悲しみが薄れていった」と語る。 
 
 トニーさんの伸長は80センチ足らずだが、柔道やバスケットボール、スカイダイビングなど、オールマイティーなスポーツマンだ。さらに現在は、世界を回りながら、身体障害者と一般人を相手に、障害を克服した自分の人生に関する講演活動を続けている。 
 
 89年から網膜の色素変性症によって少しずつ視力が弱くなっているソヨンさんは、現在ほとんど物の区分けが付かないほど視力が弱化している。ソヨンさんは「どんどん近付いてくる失明に対する恐怖を吹き飛ばしたかった」とし、「今回の登山のために3カ月間水泳とジョギングで体力を鍛えてきた」と、強い意欲を見せた。 
 
 ソヨンさんはまた、93年から5年間、視覚障害者の劇団である「ソリ」で俳優としても活動し、最近までEBSラジオでナレーターを担当するなど、身体障害者の限界を克服する活発な対外活動を繰り広げてきた。 
 
 元山岳家の金ホンビンさんは91年、北米の最高峰であるマッキンリー山 (海抜6194メートル)に登っている最中、凍傷のために両腕を失った。しかしこれに屈することなく、手を使わなくても乗ることのできる「ワンスキー」を練習し、今年3月には米国のソルトレイクシティーで開かれるパラリンピックに出場したほか、現在も手の代わりに歯と腕を利用して登山を続けている。 
 
 3人は仁川空港を出発する直前、「困難にぶつかっても必ずキリマンジャロのキボ峰を征服し、障害を持っている人でもできるという事を多くの人々に見せたい」と語った。 
 
金載勳(キム・ジェフン)記者
朝鮮日報ホームページより2002/12/1

恵まれない子供たちと28年 東国大学の「エルフ」

 「東国大学の先生が来たよ〜」  
 
 26日午後、ソウル・上岩(サンアム)洞の「サムドン少年園」。滑り台の上から外を見ていた子供の叫ぶ声で少年園の子供達が狭く長い庭に飛び出てくる。子供たちは毎週火曜日と木曜日になると必ずここを訪れる東国(トングク)大学の教育ボランティアサークル「エルフ(ELF)」の会員を首を長くして待っている。  
 
 30年以上ここの園長をしている金鐘媛(キム・ジョンウォン/女性/63)さんは「子供も先生も変わったけれど、私の姿は28年前のまま」と明るく笑った。  
 
 少年園が保護している子供たちは合わせて52人。ほとんどが孤児や離婚家庭で捨てられた子供たちで、幼稚園児から中学生までと年齢層も幅広い。  
 
 エルフは75年の冬にこの少年園と初めて縁を結んでから28年間、夏・冬休みの2週間を除いて、1日も欠かさず、毎週2回ずつここを訪問している。今年は24人の会員を半分ずつ2つのグループに分け、1日1〜2時間ずつ勉強を教えたり、兄や姉となって子供たちの話を聞いてあげている。腰にまとわりついたまま「先生、先生」と騒ぐ子供たちの表情には一点の陰りもない。  
 
 「教育(Education)、愛(Love)、友情(Friendship)」という主旨で東国大学・師範学部の学生が結成したエルフは、今年で設立33周年を迎える。初期には長期の休みに入ると山奥の村や島を訪問してはハングルを教えていたが、75年から持続的なボランティアのための「保護施設の子供たちに対する教育ボランティア」をすることを決定した。  
 
 エルフ7期の申大植(シン・デシク/49/京畿(キョンギ)・南陽州(ナムヤンジュ)・クァンドン中学校教頭)さんは「私たちのそのような趣旨を受け入れてくれた所は蘭芝島(ナンジド)のサムドン少年園しかなかった」と思い返す。  
 
 当時、東国大学から蘭芝島に行く唯一の交通手段は退溪路(テゲロ)から出ている5番バスしかなかった。エルフの会員は4時間間隔で発車するこのバスに乗って少年園を訪問した。申さんと同期のイム・ハクビン(48/ソウル・ソラボル高校/数学教師)さんは「帰る時、暗くなりかけている蘭芝島の川辺まで出てきて手を降る子供たちの姿が思い浮かび、辛くても止めることができなかった」と話した。  
 
 77年、蘭芝島がごみの埋め立て地となり、教育条件がさらに悪くなったが、エルフの会員達は訪問を続けた。20期のオ・ヒソン(34/個人事業)さんは「夏になるとごみの臭いでむせ返るようだったが、そこで生活している子供たちのことを思うと不快な表情を見せることもできなかった」と語った。  
 
 エルフには歳月が流れても変わらない伝統がある。「子供たちに疎外感を感じさせない」ということだ。大学1〜2年が中心となっている現在の会員は「子供たちの前では携帯電話を取らない」という規則を作っている。チョン・スンヨン(女性/20/日文科2年)さんは「心に傷を持っている子供達だからこそ、一緒にいる時間は一切他のことに気を使わないようにしようという趣旨で決めた規則」と話した。  
 
 エルフ出身の姜宅求(カン・テック/48)東国大学・歴史教育科教授は「大学生時代、ここの子供たちを教えながら『教えることは愛だ』という事を体で学んだ」と語った。  
 
安容均(アン・ヨンギュン)記者
朝鮮日報ホームページより2002/11/26

心の寒さに震える「自由の家」の人々

 国内最大のホームレス施設であるソウル・永登浦(ヨンドンポ)区の『自由の家』が地域住民の苦情によって閉鎖の危機に陥っている。しかしこれといった代案がなく、ソウル市などの関係者は頭を抱えている。  
 
 『自由の家』近くの文来(ムンレ)1、2洞と堂山(タンサン)洞の住民1万4000人は、今年4月、「自由の家の移転および社会福祉施設阻止住民対策委員会」を構成した後、この7カ月間、施設の閉鎖と移転をソウル市に要求している。  
 
 通貨危機直後の99年1月、ソウル市が設立し、一時は1200人まで収容していた『自由の家』には、今年11月末現在、640人のホームレスが生活しており、アルコール中毒者の精神健康治療やコンピューターおよび作業教育など、ホームレスの治療と自活プログラムを運営している。  
 
 住民は「酒に酔ったホームレスが道端に倒れているなど、周辺環境を乱している上に、小学生にからむなど、被害が深刻」とし、「通貨危機の時は苦痛を分け合うという意味で我慢したが、これ以上耐えられない」と主張した。  
 
 住民対策委員会の金宗植(キム・ジョンシク)委員長は「ソウル市が管理しているホームレス2700人中、36%の980人あまりが永登浦区一帯に集まっている」とし、「バランスという意味でも『自由の家』のホームレス達を各区に分散収容しなければならない」と述べた。  
 
 住民の主張に対し『自由の家』のホームレス達は残念な心境を隠せずにいる。4カ月間『自由の家』で暮らしているチェ・インテ(51)さんは「一部の浮浪者のために、なんとか再起しようと努力している大多数のホームレスが被害を被っている」とし、「真冬に追い出すのは酷すぎるのではないか」と訴えた。  
 
 『自由の家』を依託運営している聖公会(ソンゴンフェ)大学側は「周辺環境を改善することによって現在の施設を維持しよう」という代案を提示した。『自由の家』の徐桂植(ソ・ケシク/57)室長は「大規模な便宜施設と交通の便の良さ、4年間蓄積されてきた経験などを考慮した場合、ここがホームレスの自活を助けるのに最適」とし、「ソウル市が周辺環境を改善すれば、地域住民からの苦情も解消できるだろう」と述べた。  
 
 ソウル市は移転の方向に進めることにしたものの、これといった解決策を立てることができずにいる。ソウル市は99年、パンリム株式会社から敷地と寮建物3棟を2000年6月まで無償で借りて『自由の家』を建設し、賃貸期間が終わった後も別途の契約なしで施設を維持してきた。しかし今年3月、所有権を引き継いだ建設会社は移転を要求している。  
 
 ソウル市関係者は「都心は住民の反発のために移転できる場所がなく、外郭に移せばホームレスがそこまで来ないことが予想されるため“進退両難”の状態」と話した。  
 
陳仲彦(チン・ジュンオン)記者
朝鮮日報ホームページより11/23

韓国の成人男女52%「1回以上寄付」

 昨年1年間、韓国の成人男女2人に1人は1回以上寄付をしたが、定期的な寄付をしている人は寄付経験者の18.2%に過ぎないことが分かった。  
 
 「美しい財団」(理事長:朴サンジュン)は20日、梨花(イファ)女子大学で行われた第2回国際寄付文化シンポジウムで、このような内容の「2001韓国人の寄付指数」を発表した。  
 
 この寄付指数は「美しい財団」が世論調査機関の韓国ギャロップに依頼し、今年8月20日から10日間にわたって全国1021人の成人男女を対象に行った面接調査の結果だ。  
 
 これによると回答者の52.6%に当たる537人が慈善寄付に参加しており、寄付経験者の年平均寄付金額は5万1775ウォンだった。  
 
 寄付経験者のうち、定期的に寄付をしていると答えた人は18.2%の97人だった。寄付経験者の23.6%の126人が9000ウォン以下の小額寄付者で、100万ウォン以上の高額寄付者は20人と全体寄付者の3.7%と調査された。  
 
 寄付の理由としては61.9%が「恵まれない人々の対する同情心」と答え、「社会改善の力になるため」と、「道徳的な義務と責任」と答えた人がそれぞれ30.4%と28.0%を占めた。  
 
 寄付経験のない人が寄付をしない理由(複数回答)としては「経済的に困難であるため」(60.4%)と「寄付機関に対する不信感のため」(35.1%)などを挙げた。  
 
 寄付参加の方法は「ARS(自動応答電話)」が42.1%と最も多く、「直接伝達する」(22.2%)、「口座振り込み」(13.8%)などの順だった。  
 
安容均(アン・ヨンギュン)記者
朝鮮日報ホームページより2002/11/20

地下鉄駅のエレベーター設置を義務化

 身体障害者や高齢者がより便利に地下鉄を利用できるようにするため、駅舎や乗り換え通路の便宜施設が大幅に拡充される。  
 
 建設交通部は18日、「地下鉄駅舎および乗り換え通路の便宜施設補完設計指針」をまとめ、各自治体に通達することにしたと明らかにした。  
 
 この指針は新しく作られる地下鉄には、地上、切符売り場、ホームを結ぶエレベーターを1カ所以上義務的に設置し、エレベーターの故障などに備え、身体障害者用の車椅子リフトも駅ごとに1つ以上設置するようにした。  
 
 これと共に、バスへの乗り換えを便利にするため、バス停を地下鉄の駅からできるだけ近くに設置する予定だ。 
 
 これに加え、既存の地下鉄でも、エレベーター、エスカレーター、切符売り場、トイレを優先的に改良するようにした。  
 
 同部は今後、企画予算処と話し合い、2004年からこれに必要な予算の一部を支援する計画だ。 
 
 現在、ソウル市は地下鉄1〜4号線などに内部予算で身体障害者、高齢者用の施設を拡大しているが、他の地域の自治体はほとんどが費用調達が難しく手をつけることができずにいる状態だ。  
 
李忠一(イ・チュンイル)記者
朝鮮日報ホームページより2002/11/20

ソウル市、バリアフリーシャトルバスを拡大運営へ

 ソウル市は現在、8つの区で運行しているバリアフリー無料シャトルバスを来年下半期まで順次的に25の全ての自治区で拡大運営する予定だと12日明らかにした。 
 
 これにより、現在、魯院(ノウォン)区、 道峰(ドボン)区、江北(カンブク)区、城北(ソンブク)区、東大門(トンデムン)区、中浪(チュンラン)区、城東(ソンドン)、広津(クァンジン)区の8つの区で15台しか運行されていないバリアフリーシャトルバスが来月中には鍾路(チョンロ)区、中(チュン)区、龍山(ヨンサン)区、恩平(ウンピョン)区、西大門(ソデムン)区、麻浦(マポ)区の6つの区で9台がさらに運行される。 
 
 高齢者、妊婦も利用できるバリアフリー無料シャトルバスは、地下鉄駅、区役所、病院などを回る。今月からは龍山区でノンステップバスがテスト運行されている。 
 
 一方ソウル市は、来年中に市内バスにもノンステップバス20台を導入する計画だ。また、来月から障害者向けのタクシー100台を一般タクシー料金の40%水準で施設管理公団に委託運行させる方針だ。 
朝鮮日報ホームページより2002/11/12

野球選手のためのチャリティー競売にスター選手が協力

 2年前、試合途中に心臓麻痺で倒れて以来、意識不明の状態にあるプロ野球ロッテ・ジャイアンツのイム・スヒョク元捕手(33)のため、スポーツ界のスター選手たちが一肌脱いでいる。 
 
 プロ野球選手協議会が11月18日から行っているイム・スヒョク選手のためのインターネット・チャリティー・オークションに野球選手のみならず、各種スポーツのスター選手たちも愛用品を提供している。  
 
 3日に一時帰国した米大リーグ、テキサス・レンジャーズの朴賛浩(パク・チャンホ/29)選手は、使用したグローブとサインボールを提供し、アリゾナ・ダイヤモンドバックスの金炳賢(キム・ビョンヒョン/23)選手はユニホームの提供を申し出た。 
 
 またサッカー・ワールドカップ(W杯)で韓国代表の主将を務めた洪明甫(ホン・ミョンボ)選手もユニホームを提供し、米国ツアーで活躍するゴルフスターの崔京周(チェ・ギョンジュ/32)選手も愛用品を寄贈する意向を伝えた。これに伴い、選手協議会は3日が締め切りだったインターネット・オークション(www.ilikebaseball.co.kr)を12月10日まで延長した。  
 
 これまでに集まった品物は、朴賛浩選手の野球グローブをはじめ、大リーグのシカゴ・ホワイトソックスでコーチをしている李萬洙(イ・マンス)氏の野球グローブ、プロ野球・サムスンの李スンヨプのユニホーム、アレックス・ロドリゲスやデレク・ジーターら大リーグのスター選手のサインボールなど。 
 
 朴賛浩選手のグローブは25万ウォンから入札を始め、現在360万ウォンまで入札価格が吊り上がっている。落札者は朴賛浩選手と一緒にイム・スヒョク選手を病院に見舞いに行く機会も与えられる。  
 
 一方イム・スヒョク選手のチームメートであるロッテ選手団は、今月6日午後5時から釜山(プサン)大前の「テムポーク」三枚肉専門店で“一日焼肉店”を運営する。この日のイベントでは選手たちが店員となり、サインボール、記念Tシャツなども販売し、収益金の全額をイム選手の家族に渡す予定。  
 
高錫泰(コ・ソクテ)記者 
 
 プロ野球ロッテ・ジャイアンツのイム・スヒョク元捕手(33)のためのインターネット・チャリティー・オークションに出された朴賛浩選手のグローブが468万ウォンで落札されたと、オークションを主管したプロ野球選手協議会が4日明らかにした。また、最も多い34人が入札した朴賛浩選手のサインボールは138万3000ウォンで落札された。 
 
 一方、4日から始まる第4次オークションでは、米プロゴルフツアーで2勝を挙げた崔京周選手がドライバーとパターに加え、先月24日に終了したダンロップフェニックスの記念フラッグを提供した。
朝鮮日報ホームページより
2002/12/4













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