人もボールも走る… とはいうものの
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ショートパスを主体としたパス。高いボール支配率。無理をしてシュートを打たず、体勢の良い味方に預ける。シュートコースがなければ、いったんボールを後方に下げて組み立て直す。司令塔はワンタッチパスにこだわらず、前線の間合いを計りながらパスを出す。

と書けば、ガンバと代表はなんて似ているんだろうと思う。コンセプトは同じなんだろうなと思う。にもかかわらず、ガンバは楽しいのに、代表は地味だ。ガンバは何度でも見たいのに、代表は、二度三度と見に行こうとは思わない。どうしてなんだろう。ガンバと代表は似ているようで異なるのではないか?ガンバの橋本、二川が代表のレギュラーに定着できないのも代表とガンバのサッカーが、似て非なるものの証左なのではなかろうか?

私はかつて、トルシエ時代の日本代表についてコンパクトなプレイエリアを具現した時の得点力の喪失という事象に対し、当時の代表選手の技術レベルがコンパクトなプレイエリアでのボール回しに適したレベルに到達していないという原因を指摘し、ふたつの解決策を提示した小考『トルシエのプライオリティ』をものしたことがある。結論はこうだ。代表選手の技術レベルを上げること若しくは選手の力量にあわせて間延びしたスペースを確保すること。

トルシエの指示を無視し、トルシエジャパンの選手達がラインを押し上げないことを選択し、プレイエリアの拡大を図ったとされる02年のワールドカップ。自身の廻りに広いスペースを必要とする中村俊輔を司令塔に選択し、あわせてラインディフェンスを放棄しカバーリングからのインターセプトを守備の主軸においたため広大な中盤を手に入れたジーコジャパン。日本代表は一貫して中盤に間延びしたスペースの確保を図ってきた。

否、岡田ジャパンの3バックが守備的なディフェンスラインの前に構築された中盤での素早いパス回しに頼っていたとするならば、トルシエという異物を除いて、98年以降、ゴールに直結することのない間延びした中盤でのパス回しは日本代表の伝統とさえ言えるであろう。日本代表は中盤のスペースを広げることを選択しつづけていたのだ。

オシムジャパンはまさにこの日本代表の間延びした中盤の正当な後継者である。考えてみてほしい。選手が密集したコンパクトな中盤で人が走るのだろうか?ボールが走るのだろうか?人もボールも走るサッカー。流麗なパスワークのみを想像できるものは幸いだ。中村俊輔は語っている「ワンタッチ…いや、ツータッチ・スリータッチ以内で、なるべくスペースでもらうように心がけていました。」スリータッチ以内でボールがさばけるのである。選手と選手の間にスペースがなければ、こんなサッカーが成り立つはずがないではないか。いくらピッチ全面を使ったワイドな展開と言ってみても中盤が広大である事実は揺るがない。

仮に、02年のワールドカップのように日本が相手チームに対して、劣勢、同等ならば、中盤のみならず相手ゴール前にもスペースがあり攻撃も可能であろう。また、相手ゴール前に相手選手が密集し、攻撃が手詰まりになっても、必殺のセットプレーを持っていたジーコジャパンであれば勝利をたぐり寄せることもできたろう。

しかしながら、日本が相対的に優勢である場合、相手選手の退場があった場合など、ゴール前を固められ密集した状態では、スリータッチ以内のパス回しをわざわざ試合前に練習しなければならない選手(しかも私が実見した試合では、45分も持たなかった。)で固めたオシムジャパンに何ができようか?彼らの中心選手は、広いスペースを必要とする中村俊輔、ガンバにあっては基礎技術が高いとは言えない遠藤。ブラインドでボールが扱えないため局面局面でのキックの選択肢が少ない中村憲剛なのである。ワイドにサイドからサイドにパスを回して、相手を揺さぶってもゴール前のスペースは空くとはかぎらない。こうなれば、彼らは一向に攻めることができないだろう。

ガンバの試合を見ていると、トップもユースもタッチ数が少ないようには見えない。中盤が必ずしもコンパクトでないことも同一である。むしろ中盤から後ろは代表と差があるようには見えない。ガンバと代表どちらも中心選手は遠藤ではないか。大きく異なるのは、センターサークルから前のパス回しである。

ガンバの選手は密集した狭いスペースでのパス回しを苦にしない。スペースが開かなくても攻撃は可能だ。万博で観戦していれば、相手選手の密集したこんな場所で横パスを通すのか(パスを出すのではない、通すのだ)!と驚くことができるだろう。卓越したワンタッチコントロールとグッドボディシェイプ、ルックアップのたまものだ。必要なのは天才的なドリブル。強靱な肉体。ワンタッチで予想外のパスを出すひらめき。よりもむしろ、密集した中でも確実にボールを止める、蹴ることのできる確かな技術である。

オシムジャパンはコンセプトに見合った技術を有していない。技術平均というような指標が仮にあれば、オシムジャパンのそれは、ガンバ大阪よりもずいぶん低いものであろう。
私は中村俊輔、遠藤を筆頭に戦術眼に長けた選手を集めてチームを作り、不足する基礎技術は教え込んでいこうというオシムの考えを否定するものではない。しかしながら、オシムが考えているより、中村達、また、彼らに使われる前線の選手達の技術は低いのだ。数学的に美しい解を導くためには最低限必要な公式もあるということを認識すべきであろう。スペースがあるときにガンバ選手と遜色ないように見えたとしても彼らのプレー精度は密集の中では極端に落ちるのだ。

「日本にはサウジの9番がいなかった」と攻撃陣の技術不足を敗戦の理由にあげるオシムは既にことの本質は分かっているものと考える。
しかし、総体としての日本選手の技術水準の平均の低さを前提に、広いスペースを確保し、このスペースを活かしたサッカーがオシムが図っていた代表の日本化の本質だとすれば、方針を転換し、コンパクトフィールドに適した選手への入れ替えという私がかつて示した第2の選択肢を選ぶと言う宣言だろうか。それならば、攻撃陣の強化は簡単ではない。

具体的な事例をあげるならば、いつも余人の理解を許さない難解な表現でありながら、的確な技術批評をわれわれに教えてくれる釜本邦茂は日本人FWのトラップに対する技術思想の貧しさについてサッカーダイジェスト紙上で次のように語る。「だからボールの止め方というのは、日本の子供たちはほとんど今でも、インサイドで止めるよ。(中略)時と場合なんよ。インサイドでボールを止めるというのは、自分の懐にボールを入れてしまうわけ。まず前線にいたら、インサイドでは止められないよ。でも足の裏だったら?一歩前で止めれるわけでしょ。インサイドだったら足下に入ってくる。ボールを蹴るとき、一歩余計に前に出さなアカンじゃない。踏み込むために。一歩前に出して踏み込んで蹴ったら、それだけで0コンマ何秒、遅くなってしまう。(後略)」サッカーダイジェスト909号(07.8.14号)
つまり、できるだけ足首の柔軟性でトラップすべきで、膝関節から股関節まで使ったトラップでは、密集した空間では通用しない。スペースがなくプレッシャーを受けながらワンタッチでボールをコントロールする技術を日本人FWは持っていないというのだ。立ち方にすら難のある選手がいることについては、次のように語っている。「そうそう、脚をガニ股で歩いている選手は、インステップキックができないね。(中略)ダメなんよ。(股を開いて)こうなったら。(内股になって)こうならないと。最初から(股を開いて)こうだったら、とっさの時にミートが上手くできないし、体重が足に乗らないから。そして何より、アウトサイドで蹴れへんやん。」サッカーダイジェスト908号(07.8.7号)(わたしは本田圭佑を連想してしまった。)

また、サッカーマガジン紙上で賀川浩も次のように語る。「(前略)体力消耗を避け、走るサッカーの効果を上げるには、それをつなぐキックの正確さ(多様さや強さを含め)、シュートの破壊力を、もっと高い質にしなければなるまい。」サッカーマガジン1148号(07.8.14号)443

 ユースの試合を見ていると近年の日本選手のトラップ技術の進化には目を見張るばかりだ。あの磐田ユースですら、名波が多用したぴょぴょんと(或いはタッタカターン♪と)跳びはねて体全体を使ってするトラップをする選手は見かけなくなった。5,6年前とは隔世の感がある。それでもガンバユースに比べるとゴール前での密集空間の中での戦い方には大きな差がある。密集した空間の中でパスをつなげるチーム。私は寡聞にしてガンバ以外のチームを知らない。

ガンバ選手の特長として足裏トラップをあげる見解を初めて耳にしたのは02年ワールドカップロシア戦の前の日本選手のアップを望見しているとき、「宮本がレギュラー組にいる」という、動作から見た私の見立てについて、クレバー・リベロは「足裏トラップが確認できれば宮本だと断定して良い」という意見だった。

足裏トラップに着目してガンバ選手を見ていると、その出現率はJリーグの他クラブに比べて突出している。実に、このコンマ何秒かの差を埋める技術思想を持ち合わせているかどうかが「世界で通用する」かどうかの分かれ目なのだ。

オシムがガンバ以外から何人の攻撃陣を捜し出せるのか。私の理解の他である。

       (文中敬称略)

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