効率的な守備への進化−イタリア戦雑感− |
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サッカーだけに止まらず、およそあらゆるスポーツの戦術の進化は、より高い費用対効率の追求として理解することができよう。効率的な守備の方が、非効率的な守備よりも、より進化した守備と考えられる。私は、効率を進化の座標軸としてイタリア戦を観戦した結果、宮本の率いる日本の守備の方が、カンナバロの率いるイタリアの守備よりも遙かに進化した、日本サッカーが世界に誇るべきものと感じざるを得なかった。 イタリアのコンディションはさしてよくなかったとのことであるが、基本的な戦術や技術はさして落ちているとも思えず、戦術はあんなものであったのではないかと思う。日本も、立ち足のひざが曲がっていない明らかに不調のNAKATA、第3キーパーの曽ヶ端、ポジショニングがセンターによりすぎで、気を抜いている時間が長く、F3戦術理解の低い森岡など、決してベストメンバーではなく、弱点は多かった。 イタリアのディフェンスは、できるだけ高い位置にラインを敷き、背後に広大なスペースを残した状態で、DFがフォアチェックする事によりMFとして中盤でプレーすると同時に、逆サイドのMFがDFの位置に下がるという、DFグループとMFグループのポジションチェンジによる最終ラインの維持だった。(イタリアのフォアチェックは日本の一部で信じられているような、DFの一人が、ラインを崩して人に付くという一人ブレイクと称されるプレーではない。DFの一人がMFとしてプレーすると、MFが一人もどってラインを再構成している。フォアチェックは、ディフェンスラインそのものは、くずすことなく、構成メンバーを入れ替えるプレーとして見るとはじめて、合理性を見いだすことができる。) 前半15分の柳沢へのファールは、最終ラインに入っていた3番が柳沢にフォアチェックしたことによるが、このときには、別の選手が最終ラインに入れ替わり、最終ラインは崩れていない。 柳沢の得点は、すばらしいボレーシュートであったことを否定するものではないが、イタリアの守備ライン修復のルーズさに助けられたラッキーゴールだった。私は、このときなぜ、イタリアの最終ラインが崩れていたのか疑問に思って、ビデオで見返してみた。イタリアの守備の崩壊はイタリア右サイドで不用意にもカンナバロが中盤でフォアチェックによるボール奪取に失敗したことにはじまっている。ビデオでもちらりと映っているが、イタリア左サイドで最終ラインに一旦吸収された3番のサイドの選手が、柳沢が突破しかけているにもかかわらず、歩いて最終ラインから離れて上がろうとしているのだ。この結果、3番の選手のいたスペースを柳沢に使われ、ラインの崩れをつかれて失点したものである。 同様のシーンは幾つかあったように記憶しているが、ビデオには、後半開始直後の柳沢のシュートシーンでも起こっている。1人のDFがボールを持ち込む柳沢へのフォアチェックに失敗した後、もう一人のDFが柳沢からのパスを受けた鈴木へのフォアチェックに失敗し、最初のDFのいたスペースを柳沢に突かれている。連続したフォアチェックの失敗により、中盤の選手が駆け戻って最終ラインは修復しかけるものの、完全に崩れ、フリーで柳沢にシュートを撃たせる結果になっている。前半29分の小野から森島へのスルーパスも、DFが前に出て、最終ラインの修復が遅れている間に空いたスペースを森島に使われている。後半25分の鈴木のシュートもDFが上がって2バックになり、カンナバロがスイーパーの位置に入ってしまったことにより生まれたスペースをつかれたものである。反対に、後半45分イタリアCKのこぼれ玉を中山が日本右サイドをドリブルで持ち上がったピンチには、ラインに踏みとどまったため、ピンチにはなっていない。 後半28分のプレーでは、イタリアの中盤の選手の戻りが遅く、ラインの修復速度が極端に落ちている。これは、イタリア選手のコンディションだけが原因ではなく、中盤の選手にディフェンスラインとの激しいポジションチェンジを強いる守備システムにも原因があるのではないかと思う。 注目の5番カンナバロは、前半42分の中田浩二とのヘディングの競り合いシーンで頭一つ出ているように、打点が高く、よいDFだとは思う。しかし、ゲームの演出者としては、終始ラインを高く設定したため、宮本の術中にはまる結果となり、最も得点が欲しかったであろう後半30分以降を30mの中盤でのドッグファイトにひきずりこまれ、攻めているのにスペースがないため攻撃が繋がらず、得点できない「99年ガンバ大阪のディレンマ」を体験することとなる。 日本のディフェンスは、森岡、波戸の右サイドが、脆弱で、かつ、森岡が、センターにより過ぎてしまい、オフサイドラインの利用法を理解せず、相手選手に対してすぐ、チェックに走ってしまうという欠点は、イタリアの攻撃が結果的に右サイドに偏ってしまい、本来最も危険なはずの正面突破とミドルシュートの乱れ撃ちによるファインシュートを狙うという攻撃法をとらないという効用をもたらした。 この日の、宮本の守備を最も効率的にしたものは、少なくとも、3つあった。 一つは、相手のプレーの選択肢を最低限に制限した上での、徹底したインターセプトによるボール奪取である。前半15分の3番のセンタリングに対しては、宮本はキーパーよりやや高い位置に迷わず走り込み、インターセプトに成功している。この時3番はキーパーに向かってシュートを放つか、走り込むイタリア選手にセンタリングをあげるか2つの選択肢しかなかった。まるで吸い込まれるようにパスコースの上に立つ宮本の足元にボールを預けてしまっている。17分にも、インザーギはフォアチェックを試みる森岡を身体を入れ替えかわすとシュートコースに立った宮本めがけてシュートを放ってしまっている。後半7分にもゴール前に詰めたイタリア選手の右斜め後方からパスを受ける直前に前に出た。宮本がインターセプトしている。前半20分のトッティのシュートのブロックは、宮本はここしかないというところに走り込んでいるのだが、中田浩二、宮本、波戸が見事にマークの受け渡しをしていることに注目したい。後半23分のイタリアのヘディングシュートは直接には小野の戻りが遅かったことによるが、最終ラインと中盤の連携ミスとして今後の反省材料とするべきだろう。 もう一つは、オフサイドトラップをちらつかせる事による相手攻撃陣の締め上げだ。わたしは、いともあっさりと宮本に手玉に取られるイタリアFW陣に拍子抜けしてしまった。もっとも、きれいに決まったオフサイドトラップは後半13分である。イタリアスローインからのボールで後ろを向いてのショートパスによって、ロングパスを出す選手にボールがわたる直前に、宮本は最終ラインをあげ、FWをオフサイドラインに置き去りにしている。ロングパスを出す選手は、ショートパスのボールを見ており、イタリアのFWと日本DFの位置を見ていないことを見透かしての頭脳プレーだ。ロングパスが出そうなときにはDFは下がるものという硬直した教科書的発想では生まれないプレーであろう(このプレーでも、森岡はやや出遅れていたのだが)。このプレーはサッカー戦術論のテキストをひもといて、教科書的に宮本を論じることの愚を示してくれていると言っていいだろう。当たり前の話だが、どこの世界でも最先端の知識は教科書には載っていない。前半7分にも3人のイタリア選手をオフサイドポジションに置き去りにしたため、イタリアはミドルシュートを撃つしか手がなくなっている。前半26分には宮本と中田浩二が一度ラインを下げ、すぐに引き上げる動きをし、相手FWを幻惑しているが、森岡が反対に動いてしまっているため、効果がそがれている。 最後は、人に付かない事による1人で複数の選手をマークする守備だ。この試合では、他の選手が、このように動いていないため分かりにくいのだが、宮本は常に複数の選手をマークしている。詳細は別項に譲りここでは割愛する。 ただ一つ分からないのは、セットプレーでラインを使って守らなかったことだ。混戦によるラッキーゴールを入れられる可能性が高かったにもかかわらず、セットプレー前に日本は団子状態に選手が位置していた。ただしセットプレーで日本がボールに触ると、宮本抜きの代表では実現できない速さで、日本は押し上げて行ったが、あのプレーを更に効果的にするためには、CKを含めてゴールに近いセットプレーではライン状に並ぶところからはじめるべきではないかと思われる。実際に日本の失点はゴール前の混戦からであり、かって宮本が仕切ったシドニー五輪代表が、つねにCKを含めてゴールに近いセットプレーをラインで守っていたことを思い起こせば、解せないことである。 後半30分以降はラインを高くあげ、中盤を30mに封じ込めた宮本は、ボールの奪い合いにより、いたずらにドラマを生み出さない時間が経過するに任せ、見事に引き分けに持ち込んでしまった。わたしは、宮本が引き分け以上を狙い、見事にタスクを実現したと思う。 この日の夜を演出したのは宮本である。イタリア選手だけでなく、私たち観客も宮本の手のひらで踊らされていたのである。 この稿は、ミケロット氏、kei氏に触発され、イナがんばれ氏のご教示によって成ったものである。 |