DFのファンタジスタ (続:宮本の多元連立不等式)
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宮本が変数値を定数化する手段はたくさんある。その中には具体的なプロセスやロジックが推測できない手段がいくつもある。たとえばどうしてアマラオはスピードを落としたのか?また、どうしていつでも攻められたときに人数が足りているのか?

宮本ならぬ私に分かるのは結果であり、結果の積み重ねから自ずとしれる傾向である。結果に至るプロセスや結果を導くロジックが推測できないけれど、アマラオにかけたディレイ、ゴール前の人数が足りていることの効果なら私も分かる。だから、私には宮本が魔法使いに見えるのだ。シュートよけの呪文を使う、読心術が使える、エリアに接近する者には警戒装置が作動する、傀儡ハイボールを引き寄せることができる魔法使い。

私は宮本の守備がファンタジスタと呼ばれるごく一握りの攻撃的MFのプレーと同質なのだと思っている。ファンタジスタのプレーに潜む難解な論理と高度な戦術眼を、私が解析することは難しい。時にはファンタジスタ自身も自分のプレーを言語化し得ないために、ファンタジスタのプレーを分析することを諦めて、人はそれを「ファンタジー」と称する。しかし、ファンタジスタのプレーにもサッカーにおける論理は必ず存在する。それを説明することが誰にも難しいだけのことで、説明を放棄してただただ感動を共有しようとするのだ。

宮本の守備も一面これに当てはまる。彼の中にあるサッカーの論理の全てを、少なくとも私は解析できないし説明し得ない。けれど、宮本の前にボールがよくこぼれてくることも、シュートがGK正面か枠外に飛ぶという傾向も、宮本の構えるところにハイボールが落ちてくるという事実は揺らがない。どうして、いつでもそういう傾向にあるのか?とずっと考えていた。そしてこのことに気がついた。彼はDFのファンタジスタなのだ。

ファンタジスタの難解な論理と高度な戦術眼、技術が、ときに私の目からサッカーの論理を隠匿してしまうように、宮本の論理もまた同じで、プレーと結果の因果関係が推測できずに、偶然の成功で片づけられてしまう。

だからこそ、このサイトでは宮本の周囲で起こる事実から、サッカーにおける論理を少しでも解析してみようと思うのだ。

宮本はゲームをコントロールするDFであり、
攻撃を演出するDFである。

そんな「DFのファンタジスタ」を記述しようとする試みは、不遜な野心かもしれないが。

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もしかしたら:「攻撃を演出するDF」でさらに続くかも。