angel's cheek

1st day


12月31日。
今年、うちの年末年始。我が家には誰もいない。
母さんは毎年恒例で、26日から4日まで、単身赴任中の父さんのところにいってる。
そして、いつもなら僕と留守番をしているはずの姉さんは母さんには内緒で彼氏と苗場に
旅行にいくらしい。
朝、10時。
顔を洗ったばかりで、まだパジャマのままの僕がダイニングで、パンを食べているところに、ちいさなボストンバッグを抱えた姉さんが、階段を降りてきた。
はやいなぁ。気合はいってるなぁ。

「じゃあ2日の夜には帰るから、うまくやってね」
「はいはい。ちゃんとごまかしとくから、いってらっしゃい」

綺麗に淡いピンクに染めた唇で微笑みながら、姉が「はい♪」と手を差し出してきた。
つい反射的にのばしてしまった掌の上には、新品の諭吉がひとりいた。

「ご飯つくれなかったら、出前でもなんでもとっちゃいなさいね」

つまりは口止め料なんだろう。やってくれる。
いつもの休日なら昼まで絶対起きない姉はひらひらと手を振りながら、扉のむこうに消えた。
はあ。
つい、ため息がでる。
なんでいっちゃったんだかなぁ。
今更かるく後悔してみても無駄なことなんだけれど。
リビングに移り、新聞を広げて、大晦日のテレビ欄を隙間なくチェックし始める。
とくに22時以降は出かけるので予約が必要だ。
今年は初めて友達だけで初詣に出かける予定だった。英二と大石の恒例行事にちゃっかり便乗することになっている。
最初のうちは去年と同じく豊川稲荷にいくといっていたが、もうひとり増えたことで英二が浮かれて急遽、場所を変更してきたんだ。
『手塚も一緒にいけるなら絶対、靖国神社がいい ! ! 』…ってさ。

そう。つい、いっちゃたんだよね。
だって君のことしか浮かばなかった。
ひとりで好きな時間をすごすのも嫌いじゃないけど、正直、こんなこと滅多にあることじゃないし…。
少しくらい誰のことも気にしないで、なにも気にしないで、ありのままですごしてみたい。
そう思ったから。

大晦日から二日まで、誰もいないんだけど…うちにこない?

クリスマスがあけた月曜の朝練の後。
英二たちの隙をみて一言だけ、そういったとき。
手塚は『なにがあるんだろう ? 』という、ものすごい不思議なものをみる目つきで、僕をみていた。
そりゃそうだろう。
すっごい意味はいっぱい含んでる。そりゃもういろいろとたくさん。
「いいようにとってもいいのか?」なんて聞きやがる君もどうかと思うけれど…。
「いいよ」っていうしかないじゃない。いっちゃった言葉は取り消せない。
ただ、あまり君が疑い深い目つきで僕の頭の中を探るから、つい「君のうちがいいっていったらね」って逃げちゃった。

いや、まあ結局は逃げられなかったけど。
遠いところで『desperado』が鳴っている。僕の携帯だ。
最近、DVDをレンタルして見た映画の影響で、この曲がすっごく好きになって着メロにしていた。
ダイニングの机に置き忘れた携帯から、サビがきちんと終わりまで流れて止まる。
きちんと聞きたくてメールの着信を45秒にしてる。それくらい好き。
サブディスプレイに、『メールあり』の文字。
開かなくてもわかっている。手塚からのメール。

『掃除は昼までには終わるから、17時までには着けると思う』

リアルにひかる液晶の文字に、『わかった』と、それだけ返してすぐに携帯をとじてしまう。

誰もいなくなった室内。
気休めにするにも、まだ点いていないテレビはただの黒いハコのまま。
人のいないソファに、ぽいと何気なくかけられた姉のストールがある。
オレンジに赤。フォレストグリーンのチェックに重なる色合いは過ぎたイベントを思い出させる。
ちょっと前のイベント。
サンタもこなくなったクリスマス。
滅多にない白い雪がぱらぱらと混じる夜空の下、彼の後姿をみかけた。
ひとりで歩いていた彼の姿を。

僕は予定していた通り、母と姉と、三人で教会のミサに行った帰りだった。
いやに遅く走る車のライトがふらふらと車線を走っている。その向こうに彼はいた。
手塚だったと思う。絶対に。
だけど、そうはっきり肯定できないのは、彼がなにもリアクションしなかったから。
きっと僕よりも早く、僕たちに気がついたばすだった。
ふと降り始めた雪に最初、雨かな?と思い、暗い空を見上げた。
垂れ込めた冬の空から落ちてくる水滴は白い色をしてた。
ああ、雪だなんて…
そんな季節的な感傷に浸って見上げる頬に落ちる雪を、傘もささずに受け止めていた。
そのとき。
偶然、彼の姿を視線の端に写したんだ。
あ、と思った瞬間、ぱっと目の前に広げられたBVLGARIの傘に遮られた。
ブルーの傘の端から、そっと覗いてみる。
走る車のむこうに、なぜだろうか。ひどく畏まったような…なにかを恐れるような瞳をしていた彼がいた。
一瞬だけ感じたのは痛み。
そんな顔をしているのはなぜ?
傘もささず。雪を振り払うわけでもなく。
ただ立ち尽くすように。
声をかけることも、振り返ることも躊躇われて、僕はそのまま行過ぎた。
なぜかな。きっとそうしてほしいんじゃないかと思えたから。

姉が置いていったストールを拾い、まだ少し温まらない室内、ふわりと肩からかけてみる。
少し毛のたったストールから覗く指先でフリンジを玩びながら、ソファに凭れる。
カチカチと鳴る時計の秒針。エアコンの乾いたモーターの音。
すべて静かに響く。

手塚。
そんな顔をしなくても、僕はもうとっくに選んでる。
別に君が誰に謝ることでもない。
だから、君がそんな顔をすることはないんだよ。
君が神様に怒られることなんてない。それは僕が怒られるべき信仰の神だから。
だから、そんなことは気にしなくていい。
平和の賛歌を祈りながら、あの教会の床で、そこにいない君に対して手を合わせていたこと。
それは僕の中だけにあるまぎれもない真実。
主の祈りを捧げながら、感謝の祈りを捧げながら、その平安を願っていた。
閉じた瞼の奥には、消えては映る君がいた。
誰にもいえないことだけど、でもそれは本当の祈りだった。
身の内に秘めた灯火のように。
今も消えない懇願。
だから、これから一年の中の僅かな隙間の時間をふたりですごそうよ。
なにも思うことなく。なにも憂うこともなく。
ふたりだけですごそう。

時計が12時に傾く。
今日は12月31日。大晦日。

特別な一年の終わり。













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