18*休息








それはある長閑な日の、昼休みのことだった。
快晴としか言いようのない天気に誘われて屋上に足を伸ばし、ある一角に足を伸ばしたブン太は、瞬時にその場所に向かったことを後悔した。

「……何してんの」

目の前の光景に呆れたといった感じでブン太が呟いたのに、読んでいた文庫本から目線を上げた柳生が苦笑しながら、そっと人差し指を口元に立てる。
静かに、というその意味にブン太が眉根を寄せた。

「……柳生、甘やかしすぎ」
低く小さな声でブン太はそう言うと、柳生の隣に腰を下ろした。そして目線を柳生に移し、その膝の上で静かに眠る不届きな奴を改めて認めて、ブン太は思わずため息をもらした。
「疲れているようでしたので」
ブン太のそんな様子に、柳生が小さな声で優しくそっと呟く。
「嘘くさ」
柳生の言葉にブン太が軽くうそぶいた。柳生の膝の上で図々しくも眠っているのは、詐欺師と呼ばれる彼に他ならなくて。柳生のほうを向いて眠ってしまっているため、仁王の表情を窺うことは出来なかったけれど、きっと柳生にだけ見せる柔らかい表情をしているに違いない。
そんなことが容易に想像付く自分に、ブン太は思わずげんなりした。

さわさわと風が頬をなでる。穏やかに通り過ぎていく風が心地よくて、思わず目を閉じたくなるのに、ブン太は空を仰いだ。
また読書に集中したのか、隣で結構な早さでページの捲れる乾いた音がしたけれど、その音すらこんな天気の下では心地よく感じる。午後の授業をサボりたくなるような、そんな気分にさせる空の青さだった。

「俺さ、柳生に聞きたいことあったんだよねえ」
控えめな声音で、見上げていた空から視線を落としたブン太にそう呟かれ、柳生がもう一度文庫本から顔を上げた。
「何か?」
柳生が僅かに首を傾げながら、ブン太に問い返す。

「何処が良いわけ?」

コレの、とばかりにブン太は眠る仁王を指さして、柳生に問う。すると、そんなことを聞かれるとは思っていなかったのか、それとも別の驚きなのか、柳生が目を瞠った。

「……知ってたんですか」
ようやく言葉を紡いだ柳生の掠れている声に、ブン太が苦笑した。

「そりゃあ、見てれば気づくさ」
気づかないほうがどうかしている。それと分かるほど、柳生が仁王に対しての態度が変わったから。
以前だったら、ある程度の割合で仁王の言葉を無視していたのにも関わらず、今の柳生は全部受け止めているように見える。それとも、以前にも増して仁王が我が儘になったと言うべきか。逆も然り、と言うべきか。
「何処、と言われても……、答えられないですよ」
「どういう意味で?」
心底困ったような柳生の表情と声音に、今度はブン太が首を傾げた。そして、柳生の口から紡がれた言葉は、ブン太の予想をある意味遙かに超えていて。

「良いところが分からないからです」

そう返ってきた柳生の言葉に、思わずブン太はぶっと吹き出した。
高い声で笑い出しそうになったブン太を、柳生はすっと手を挙げて制した。仁王が起きるとばかりに。
分かった、と手で返しながら、ブン太はもう片方の手で腹を抱えた。笑いを堪えているのが苦しい。人間笑いすぎで死ねるかも知れない、と不届きなことを思いながら、笑いに肩を揺らしながらもブン太は懸命にそれを抑える。
「……何処かおかしかったですか?」
ブン太の必死に笑いを堪えている様子に、柳生が眉根を潜めた。
「柳生、それ素で言ってるから、容赦ないよな」
面白すぎる、と付け加えて、ブン太は柳生の肩をポンポンと叩く。そして、柳生の膝の上で彼以上に眉根を寄せている仁王を見つけ、ブン太はニヤリと笑った。

「聞いてたみたいだから、弁解でもしたほうが良いと思うよ」
「え?」
ブン太が笑って立ち上がるのを見て柳生が疑問の声を上げると、膝の上で眠っていた仁王がむくりと身体を起こした。
窺える仁王の表情は不機嫌そのもので、それを見たブン太が触らぬ神に祟りなしばかりにその場を後にした。

「狸寝入りだったんですか?」
柳生の何ら変わらない口調に、仁王は自分の膝に肘をつき、ふてくされたまま頬杖を付く。
「……お前らの声が高うて、目が冷めた」
そうして紡がれた言葉は何処か棘を含んでいて。

「柳生」
「はい?」
名前を呼ばれ、柳生は仁王を見つめた。

「分からないんか」

その言葉から、仁王が先程放たれた柳生の発言に不満を抱いているのがはっきりと分かる。
それを聞いた柳生が手にしていた文庫本を閉じ、静かに目を伏せた。

「じゃあ、貴方は言えるんですか」

思いも寄らない柳生の切り返しに、仁王は思わず彼を見つめた。見つめた先で、柳生が苦笑しながら空を仰ぐ。
仁王の視線から逃れるように。
そして紡がれた言葉は、仁王の心臓を打ち抜くのに充分な力を持っていて。

「貴方の何処が良くて、何処が悪いのか、もう私には区別つきませんよ」

それほど溺れているのだと、言葉の内に含まれていることを感じた仁王は、堪らずに柳生を引き寄せた。
柳生が驚きの声を上げるのを軽いキスで封じ、そっと呟く。

「じゃあ、俺もやな」
仁王はそう答えながら、隠しきれない笑みを口元に刻んでいた。



良いところも悪いところも全て、君だから許容できる。

そして、君はいとも簡単に自分を幸せにしてくれるのだ。