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神夢王朝の創始者ヘロが家臣・ポチケンは前記述官ピカに代わりて、ここに記す。 時は、西暦2002年(神夢歴7年) ヘロ陛下の治世・・・。 昨年の全国大会で4位という成績を収め、さらなる富国強兵を進めて天下に覇を唱えんとしていたが、人材不作、後継者育成の遅れ、又、個々の能力のばらつき等により戦力は去年より低下していると言わざるを得なかった。そんな中で、この一年どのように戦略を進めていくのかが重要であった。 |
2002年2月8日(金)〜10日(日) 第3回 Japan Deaf Volleyball Cap in広島 大会1日目 大阪MAX戦では見事に完敗・・・。 愛知安城戦の時、2セット目で田中が故障。急遽代わりに平田がセッターを務める。しかし、リズムが崩れ、敗北の二文字を見ることになる。落としてはならない試合だったのに・・・。負けた為下位リーグに回る。 大会2日目 鳥取戦でも黒星を喫す・・・。 これで1勝も無し。あっというまにデフカップが終わった・・・。 敗因としては、レギュラー不足でその上に怪我人続出で新人二人(渡辺・工藤)を出さなければならない状況になったことにある。 新人に向かって、「君らがあるのは、まさにこの時の為ぞ」と思い切って試合未経験者の選手を試合に出させた。 しかし、若手は緊張のため思うようなプレーが出来ずミス連続。やはり、荷が重すぎたようだ。新人2人にとっては貴重な経験となり、今後の糧となるのであろう。後に、新人の一人はこの日を境に人が変わったように鍛錬し、着々と力を蓄えていくのであった。 そして、こたびの全戦全敗のA級戦犯は新人二人にあらず。むしろ、この時期に怪我しでかした者達であると斬って捨てた。当然のことながら、怪我もなく、スタミナをしっかりした上で出場することが強いチームへの条件である。 自己管理の重要性を再認識し、そして、次の舞台は国体予選編に続く・・・ |
2002年6月2日(日) 第?回 全国障害者スポーツ大会 関東予選 In東板橋体育館(東京都板橋区) Bコートにて第3試合 茨城vs川崎、第4試合 東京vs埼玉。 初戦は我が神夢(川崎)と新興勢力の筑波技短(茨城)の対決。 2−1(24−26、30−28、25−18)で神夢が辛勝。 決勝の東京戦はあっさり敗北を喫す・・・。またしても東京といふ名の嘆きの壁の前に屈した・・・。 すべてにおいて完敗であった。 結局、今年の関東代表は男女とも東京と相成った。 今年の国体予選は開始前からいろいろ問題あった。我ら、神夢は川崎市として出たのは良いが、主将田中が横浜市在住だった為、どっかの上層部からクレームがあり。規則は規則だそうで・・・。急遽、工藤を代理として主将に立てる。他の選手も千葉在住とか静岡在住とかいろいろあったが、浅香部長の奔走により解決す。 新興勢力の筑波技短・・・。それは、ヘロ・マサ・トン・カメそして吾輩の母校でもある。いわば、OBと現役の技短対決でもある。この対決はOBとしての威信があり、敗北の二文字は絶対許されぬことである。しかし、事前に技短はワンマンチームであり、チームの大半は素人衆であるという情報があった。若いチームであり、多少は手こずることになろうが、戦略で我が神夢の勝ちは火を見るより明らかなりという空気があった。しかし、その余裕も点を重ねるごとに失っていくことになる・・・。 24−26・・・。このスコアは神夢にとっては信じがたい現実であった・・・。 技短の新星 W選手一人に翻弄された・・・。いや、素人と評されていた選手達が奮戦をしている・・・。彼ら素人衆は本当にこれが初陣なのかと思うぐらいに・・・。 2セット目も、W選手が前衛の時、W選手の強烈なスパイクに我が神夢は翻弄され、なすすべなし。吾輩のブロックなど無きに等しい・・・。当ててスパイクの勢いを殺すだけでも精一杯だった。 恐ろしい・・・。これほどの選手が何故、技短に・・・。誰も彼もが畏怖の念を抱いたであろう・・・。 そこで、神夢は戦術を切り替えて対抗する。23−24から辛くも逆転し、30−28で神夢がかろうじて勝ちとった。 技短にしてみれば、落としてはならない場面であり、痛恨のミスといえよう・・・。これが素人衆にかなり影響与えたのは間違いなし。 3セット目は、すでに神夢は押せ押せムードであった。前セットにて23−24で切り返し、勢いに乗った神夢と勝利目前でまさかの逆転をされ、動揺が広がる技短では当然だったかもしれない。さすがにセット間の休憩時間に動揺の沈静化ができなかったようで、試合中に内紛勃発し、技短は崩れていく・・・。これを神夢が見逃す道理は無し。そのまま押し切り、神夢に軍配が上がる。 この試合は、多くのものを後輩達から教えられたようなものだ。若く躍動あふるる技短のバレーを肌で感じ取ることができて、さすがの吾輩も感慨無量である。 決勝 東京戦 東京戦はポジションミスというやってはならないことをしでかしてしまった。再発防止対策の一つとしてマネージャーにサーブ順の番号を指示して頂くことにした。今大会もスタミナ切れ等の課題を多く残した。 国体予選終了後、工藤が諸々の事情により神夢を去る。 そして、次の舞台は関東大会編に続く・・・ |
第3章 −関東大会編−
2002年6月29日(土)〜30日(日) 第31回 関東ろうあ者体育大会 In栃木 西那須野体育センター(栃木県西那須野町) 5月12日の監督・主将組合せ抽選があり、その時の組み合わせは、 であった。茨城は試験と重なる為、不参加と事前に分かっていた。しかし、直前で東京が人数不足により不参加表明す。よって、埼玉・栃木・神奈川の総当たり戦に変更。こんな事あって、盛り上がり度がかなり減ったのは言うまでもないだろう・・・。 関東大会における聾のバレーはこんなものかと、しらけムードが早くも漂ってきた・・・。しかし、そんなシラケムードを払拭してくれる出来事があった。 開会式にて、毎年毎年、その県のお偉方が開催挨拶する。これ自体は別に珍しくもない。その中で栃木の副知事が特に印象に残った。なんと、開催挨拶の最初から最後まで手話でやってのけた。過去の関東大会で冒頭の挨拶とか名前程度はあっても終始これだけやってのけた人は吾輩は記憶にない。 この御仁を副知事にもつ栃木在住の聾者は誇らしく思ったのであろう。うらやましいかぎりである。続いて次のお偉方の挨拶だが、これも珍事件だった。前の人が余りにも見事な演出をやらされるといざ自分の番になると極度に緊張したのか、冒頭の挨拶の手話がぎこちなかった。これが会場の爆笑を誘った。 さて、爆笑を誘ってしまった本人はどうしたのかというと・・・。 さすがは県の政を預かる者、切り替えが早く無事に挨拶を済ませたでし。そして、この後、バレー会場へ移動。 今大会では、ヘロ監督の方針により、西川と田中がセッターとリベロを交換。安井はセンターから初めてレフトにコンバート、渡辺と対角とした。かくして、この陣容で大会に臨んだ。 第1試合目 栃木戦では元全日本代表のセッター、K選手の2アタック等に苦しめられるも、25−16、25−15で神夢が2セットを連取。 第2試合目 埼玉戦では終始神夢のペースで、25−8、25−7で2セット連取。埼玉は今年復活したばかりの上に十分な練習時間が無かったのが響いたようだ。 この瞬間、5年ぶりの2度目の優勝を決める・・・。 優勝 神奈川 準優勝 栃木 3位 埼玉 サーブ賞 古川 スパイク賞 安井 MVP賞 安井 おめでとう古川殿!! MVP賞&スパイク賞のW受賞の安井氏はT・H氏から「のび太のくせに!!(ポチのくせに!!)」といわゆるジャイアイズムでチーン・・・ こうして、2002年度の関東大会は終わった。 その夜は宇都宮駅付近の居酒屋で祝勝会、優勝カップにビールを入れて皆で回し飲みし、次の日は餃子の街、宇都宮で餃子を食べる傍ら、街の散策。 そして、次は最後の舞台である全国大会編・・・ |
第4章 −全国大会編−
2002年9月14日(土)〜16日(月←振替日) 第36回 全国ろうあ者体育大会 In宮城 グランディ21 県総合体育館(宮城県利府町) 2002年度神夢の最終決戦の地は 伊達な国 宮城 である。 今年の全国大会は珍しくも休日に開会式を行う為、メンバーは全員自分の好きな時間に宮城へ直行。 ここで、今大会の流れを簡単に説明すると、 14日(土): 9:30〜12:00 監督・主将会議(シルバーセンター) 14:00〜16:00 開会式(仙台市体育館) 15日(日):予選リーグ 16日(月):決勝トーナメント であった。 14日監督・主将会議で、主将セラがクジを引く。対戦相手は山形、そして3年連続の三重であった。 余談だが、吾輩が大学3年の時、茨城技短チームとして最後の対戦相手も三重であった。 ちなみに、今年の男子参加チームは、 神奈川 愛知 三重 大阪 兵庫 鳥取 高知 以上、14チームであった。 さて、当のメンバは、明日の戦に備え、昼夜牛タンを喰らって英気を養った。 予選リーグ 初戦 三重戦では1セット目神夢が先取。勢いに乗った神夢はストレート勝ちを狙ったが、ここで油断という失態をやらかしてしまった。その結果、2セット目は三重に持っていかれた。次試合の為に体力温存などという慢心が生じ、これがかえって仇となった。 過去の戦歴から見て、3セット目まで持っていかれると神夢は崩れていくと悪しきジンクスが、チーム内の皆が脳裏に浮かぶ。 だが、休憩時間の間、この動揺を沈静化できた。皆、気持ちの切り替えができた。国体予選で盟友 茨城筑技短との対戦の糧がここで生きた。流れと勢いは三重の方にあったが、勝利への執念は神夢が強かったようだ。三重は、一気に3セット目を制したかったようだが、一向に崩れない神夢に動揺し始めたようだ。動揺の連鎖反応で三重は自滅していく。かくして、3セット目は神夢圧勝。2−1で初戦を飾る。 山形戦では、序盤で山形はどういうバレーをやるのかを見極めるため、無理に勝負を仕掛けず手堅く点を重ねる戦法をとった。どうやら、背番号「7」の選手が攻守共に起点としているようだ。長身を生かした攻めも神夢にとって厄介であった。とすれば、7番の選手にプレーさせないことにした。 その結果、山形はサーブレシーブで乱れ、7番が思い切り打てず、崩れていった。神夢はチャンスボールを正確に処理して、攻撃パターンを組み立てるだけだった。かくして、この試合は神夢のストレート勝ち。 この時点でベスト8に決定。 決勝トーナメント 鳥取戦 この試合は雪辱のチャンスでもあった。賢明な閲覧者諸君はお気づきであろう。今年のデフカップで古豪鳥取によって敗北の二文字を拝まされている。 鳥取は試合開始早々に大量点を取りに行く傾向にある。前の試合でも試合開始直後に大量点取って、ゆっくりした展開を広げ難なく勝ちを収めている。その鳥取がスタートダッシュに失敗した。サーブレシーブが乱れ、上げられない、打てないで混乱し始めた。それでもボールは最後まで落とさず、とにかく返してくる。結局、1セット目は鳥取のミスは少なく、神夢の失敗で得点与えた展開であった。要するに攻撃的なバレーを展開して成功失敗の差で神夢に軍配が上がったようなものだ。 2セット目で神夢はここで、一気にストレート勝ちしなければならないのに、鳥取の粘りでフルセットに持ち込まれる。鳥取はブロックポイント、無難なスパイクで試合運びをした。神夢側としては油断したわけでもなく、内容は悪くない。流れはまだ神夢にある。 鳥取の粘りは2セットまでのようだった。スタミナ切れだなと誰が見てもわかるぐらいに肩が上がっていた。 ここで念には念を入れて、吾輩は相手に心理的ダメージを与えるため、セット間の休憩時間にブロックの練習をしてみたり滑り込みしてみたりして、「こっちはまだまだ体力あるな」と無理してアピールしておいた。鳥取の2〜3人が「ギョ!?」としてたようだが、果たして効果はあったのだろうか・・・。謎 3セット目は神夢のペース(フェイント、コンビを駆使した)で点を重ねつづけた。かくして、2−1で神夢の勝ち。 この時点でベスト4が決定。 去年と同じく神戸戦。神戸と神夢・・・。ある意味で技短対決でもある。また神戸は聴者のようなバレーが出来るチームであり、学ぶべきところが沢山あるであろう。序盤では粘りを見せるなど均衡を保っていたが、鳥取戦で体力をかなり使っており、その上、連戦の為思うように動けず乱れ始める・・・。3セット戦える体力はあっても2戦連続戦える体力が不十分であった。自分自身の不甲斐なさに腹立ってきた。聴者の世界ではフルセット(5セット)で2戦連続は珍しくもない。またしても、これが神夢の脆さであることを晒け出してしまった・・・。 中盤で、N選手のジャンプサーブによって神夢は完全崩壊・・・。日頃の練習の中で、あんな強烈なサーブを受けたことなどないから当然の結果であろう。なんとかボールを当てることが出来ても上がらない。上げてもスパイクが決められない。しまいは、ジャンプサーブ失敗を期待する空気が漂ってきた。だが、コントロールがかなりよく、サービスエースを取られぱなしになる・・・。その焦りから、スパイクフォーム、ブロック着地を崩して怪我する人続発する始末・・・。その後も、サーブレシーブが出来ない、スパイクが決められない等で持ち直せないままあっという間に2セットを取られる・・・。 神夢のバレーはとうとう最後まで展開できなかった。バレーをさせてもらえなかったというのが本音である。逆に言えば、神戸は相手にバレーをさせず、自分達のバレーを展開する老練ぶりを持っているといえる。 この試合は、いいとこなしでかなりショックだった。特に大きな敗因としては相手センターの速攻攻撃を止められなかったことであろう。神戸と我らのチーム力の差を痛いほど感じた・・・。まるで、高校生と小学生の試合かと思うぐらいに・・・。 サーブレシーブの強化の他に、センターからの攻撃に弱いという課題をクリアしなければならない・・・。 この時点で、3位決定戦へ。 3位決定戦 東京戦 この3位決定戦も去年と同じく東京・・・。そして、我が神夢をストレートに下す。「神夢は連戦でボロボロだから仕方ない。」と慰めの言葉をかけられたが、それは東京も同じである。東京は人数ギリギリの上に怪我人も多く、大阪戦でボロボロの状態で条件は同じ。ボロボロでも自分のバレーの仕事はきっきりやる、バックアタックを果敢に仕掛けるで技術面においても精神面においても相手が上だった。 準優勝:兵庫 3位:東京 4位:神奈川 こんちくしょー!!去年と順位変わらねぇじゃん・・・ だが、1〜3位の実力は伯仲しても、3位と4位の差は大きく開いていることをメンバ全員はわかっている・・・。目標はあくまでも日の本一である。これからは、新しいバレーを、また違ったバレーを自分達で開いていかなければならない・・・・。 次の大会に向けて、飽くなきフロンティア精神で今も神夢は戦場を駆け巡る・・・・。 |
最終章 −円卓会議編−
来年のデフカップは茨城技短と共同戦線を敷き、参戦することにした。
神夢王朝の創始者ヘロが家臣・ポチケンはここに記す。 時は、西暦2003年(神夢歴8年) ヘロ陛下の治世・・・。 昨年も全国大会で4位という成績に終わった。次の標的は3月22日〜23日のデフカップである。 |
2003年3月22日(土)〜23日(日) 第4回 Japan Deaf Volleyball Cap in千葉浦安市 大会1日目 雷神(神奈川2) VS KOBE(兵庫) 雷神(神奈川2) VS G.T.V(愛知2) 風神(神奈川1) VS W.D.V(大阪1) 風神(神奈川1) VS 高田組(富山) 大会2日目 風神(神奈川1) VS HDVC(広島)←11位決定 雷神(神奈川2) VS TDV(東京)←準決勝戦 雷神(神奈川2) VS KOBE(兵庫)←三位決定戦 1日目 雷神風神同時に試合開始。 雷神はかつて風神として共に戦った盟友であるH選手を擁する蒲郡と対峙す。結果は雷神がストレート勝ち。 続くKOBE戦でもストレートで下す。早くも予選1位で決勝トーナメントへ 風神は、大阪1にストレート負け。続く富山戦でもストレート負け・・・。富山戦では吾輩のサーブミスで終る・・・・。 無念にも予選3位で11位決定戦へ。 そして、一日目の最後にエキシビションで日本代表がなんと早稲田大学と対戦する。 さすがは聴者の世界で名を馳せた名門大学だけあって日本代表を完膚なきまで叩き潰す。その光景を目のあたりした各県の聾バレー選手はどう感じただろうか。ちなみに筑波大とかはその早稲田よりさらに上のレベルである。 聾バレーチームは聾バレー大会のみならず聴者主催の市民大会にも積極的に参加して視野を広めていこう。東京や神戸や愛知などはこのような活動を前からすでに展開している。神夢ももっともっと視野を広めなければならないであろう。 2日目 決勝トーナメント 準々決勝 雷神がまさかの敗退かと思われるとこまで追い詰められる。老獪なバレー戦術を見せる鳥取に苦戦する。鳥取のジャンプサーブに雷神の守備が終始乱れる。主導権は誰が見ても明らかに鳥取が握っていた。先に王手をかけたのは鳥取。ここから雷神はよく耐えた。耐えに耐えてついには鳥取を2−1で下す。最終セットの12−14からの逆転勝ちは見事といいようがない。かくして、雷神は準決勝へ駒を進める。 しかし、雷神の快進撃はここまでだった。東京に0−2で敗れ去る・・・。両チームの力は拮抗していたが、東京の方が要所要所で決めていた。まさに”天使のように細心に、悪魔のように大胆に”だった。 そして、3位決定戦へ。 3位決定戦で、KOBEと再び対戦。2度目の対戦でもストレートで下す。 一方、富山戦後も吾輩は審判をやった。よく考えてみれば、聾バレー界初の聾審判だった。(神奈川は鬼と吾輩が担当) それだけにミスジャッジだけは避けたいところだ。幸い、難しい判断を要することもなく無事に任務を全うする。 しかし、この後雲行きが怪しくなる。審判員ギリギリのため、また審判要請があった。結局、昼飯食べられず、休憩時間が極端に減り、アップ不足に陥る・・・。これはちょっと誤算だった。もう少し審判員がいればと痛感した。 風神は9位決定戦で広島と対戦。1セット目は風神がよく繋げていた。広島の攻撃パターンが単調だったことに救われたようなものもあった。 2セット目、広島は、セッターをH選手に変えて攻撃パターンを増やしてきた。ここにきて吾輩がエンスト起こす。連鎖反応で風神の組織機能が止まる。結果、2セット目を落としてしまった。 3セット目は、風神全体の気持ちの切り替えができず、風神のバレー展開ができず終始広島に主導権を奪われた格好。かくして風神は1ー2で広島に敗れる。この時点で11位タイ決定。敗れはしたが、収穫のある敗北であった。 デフカップの結果 優勝:TDV 準優勝:WDV 3位:雷神 ベスト6に雷神の殿が選ばれる。 そして、次の舞台は国体予選編に続く・・・ |
2003年?月?日(?) 第?回 全国障害者スポーツ大会 関東予選 In宇都宮 我が神夢は諸々の事情により不参戦とした。トンは千葉チームを率いて国体への切符を賭けて戦いを挑むもの無念にも「東京」という名の嘆きの壁に屈する・・・。 関東予選 優勝 男子 東京チーム 女子 神奈川チーム |
第3章 −関東大会編−
2003年6月28日(土) 第32回 関東ろうあ者体育大会 In川崎アリーナ 参加チーム 神夢・埼玉の2チームのみ 男子バレーにおける関東大会はなんとも寂しいものである・・・。 来年こそは賑やかにやりたいものだ。 大会結果 神夢が埼玉にストレート勝ち。 この時点であっという間に 優勝 神夢 準優勝 埼玉 と相成った。 これで我々の03年度の関東大会は終わったのである。 次の舞台は全国大会へと続く |
第4章 −全国大会編−
2003年9月12日(金)〜15日(月) 第37回 全国ろうあ者体育大会 In長野 |
最終章 −円卓会議編−
ロボ・セラ・ポチら個人事情により休部となる。
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