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GLLERIHTI
− こぼれ話 −

 

■ HATIの舞台となった代官山"ヒルサイドテラス" 

GALLERIA HATI が開設されたヒルサイドテラスは、日本を代表する建築家、槙文彦 (まき ふみひこ) *1)が建設した複合建築。1969年に第一期工事が完成して以来、30年あまりの歳月をかけて上質の公共スペースを作り出してきました。
現在、このヒルサイドテラスは旧山手通りに点在する10余りの建物の総称で、店舗、ギャラリー、事務所、住宅などさまざまな用途で利用され、代官山の顔となっています。

昨今、無秩序で性急な都市開発が進む中で、このプロジェクトは、いわばスロー・フードならぬスロー・アーキテクチャー。街の変化に合わせてじっくりと取り組まれたもので、わが国の近代建築の中でも大変珍しいものだったようです。
第一期が完成したのは高度経済成長期の真っ只中、万博開催
(1970)の前年というのですから、その頃からこのような建築哲学があったことは驚く限りです。
槙氏はこのプロジェクトで単に建物だけを作るのでなく、パブリックとプライベートが調和した豊かな公共スペースを創造しようとしました。
また、敷地内にある遺跡や地蔵などを残すなど、自然や敷地の特殊性を尊重した設計を行いました。
そしてヒルサイドテラスは豊かな都市文化を支える建築として内外から高く評価されています。

ヒルサイドテラスを構成する建設物は、完成時期によりデザインや素材が少しずつ異なってきているのですが、30年という年数の開きを感じさせない不思議な一体感を持っています。
また、隣接する大使館、教会、オープンカフェ、学校、公園、遺跡などとも調和して街全体を居心地のよいものにしています。

工期順に各建設物をまとめると次表のようになります。
今回訪問したのは店舗として利用されている建物を中心にしましたので、歯抜けもありますがご了承ください。

 

工期 建築名 備 考
第1期
(1996年完成)
A棟、B棟
当時フランス料理店や美容院を含む店舗付き集合住宅。
箱型のユニットを組み合わせたようなユニークな形。


B棟1F B棟を見上げる
第2期
(1973年完成)
C 棟
オイルショックの頃にC棟完成。
店舗内を通り抜けできる通路を作るなど、歩いていて楽しい建物。


表通りから見たC棟 内側通路からみたC棟
内側の通路を通って両サイドの店を見て歩くことができる
第3期
(1977年完成)
D棟、E棟
D棟は鬼の洗濯板のような階段を上がって入っていく形になっている。
アメリカの田舎銀行型だとか。
また、D棟の奥には猿楽神社が残されています。

D棟全景 D棟入口付近
デンマーク大使館
(1979年完成)
デンマーク大使館
ヒルサイドテラス敷地に隣接するデンマーク大使館を槙氏が設計。

第4期
(1985年完成)
アネックスA棟、
アネックスB棟
槙事務所出身の元倉真琴氏が設計を手がける。
第5期
(1987年完成)
ヒルサイドプラザ 地上は広場として開放し地下にホールが設けられました。
第6期
(1992年完成)
F棟、G棟、H棟 旧山手通を挟んだ対面に3凍が完成。
サッシとガラスを中心としたモダンな外観が特徴。
ショップ、ギャラリー、カフェなどが入っています。
かつてのGALLERIA HATI はこのうちF棟にありました。

F、G棟木を境に右がF館、左がG館) F棟西側(車の留まっているあたりが
HATIのあったところ
第7期
(1998年完成)
ヒルサイドウェスト 一番新しい建物。
やはりガラス、サッシを使っていました。槙氏の事務所も現在ここにあります。



GALLERIA HATI はこのヒルサイドテラスの中で、1992年完成のF館にオープンしました。
オープンした年が1993年秋ですから、ここが工事中の頃からすでに準備していたのかも知れません。

石井さんは GALLERIA HATI という空間で、デザインの楽しさ、自由さを駆使し、非常に高いもの、高尚なものを表現していたような気がしますが、背景として選ばれたヒルサイドテラスは、絶好のロケーションだったと思います。
まず、代官山が大使館や教会から若者の集うスペースまで非常に多様な街だということ。
そして、ギャラリーを収める箱が建築物として評価の高いものであるということ。
しかも建物自体は際立ったデザインではなく、あくまでも周囲の環境に調和し、人々の生活や風景に溶け込んでいること。
そしてHATI を内包するヒルサイドテラスが、HATIの持つ非日常的な異次元空間を取り込み、街の風景にうまく溶け込ませているということ。

実際に街を歩いてみると、ヒルサイドテラスは建築物として高い評価を受けているにも関わらず、建物自体が自己主張することはなく、あくまでも背景に徹しているのが感じられます。
窓から見える商品のディスプレイ、ショップに立ち寄る人々の姿、──
主役はあくまでも街の風景そのもので、建物はその舞台装置といった趣です。
そのような場所だからこそ、ギャラリーの魅力を十分に引き出したのではないでしょうか?
ヒルサイドテラスを調べていくうちに、石井さんが GALLERIA HATI 開設に際して自身の作品を置く場所として、街そのものまで吟味していたんだということを感じ、HATIへの思い入れの深さを感じました。

LINK: こぼれ話(HATIのあった建物へ再訪問)

街にしっくりと馴染んだ佇まいを見せるヒルサイドテラス(左)。また周りにはオープンカフェや大使館などが建ち並ぶ(中央、右)。

 

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*1) 槙文彦氏の略歴

1928年東京生まれ。
1952年東京大学建築学科卒業後、アメリカに留学し、クランブルック美術学院、
ハーバード大学で修士課程を修める。
日本を代表する建築家の一人であり、日本の近代建築(モダニズム)の継承者。
代表作として、代官山ヒルサイドテラス、スパイラル、京都近代美術館、幕張メッセ、
慶応義塾大学藤沢キャンパスなどがある。

*2)モダニズム

西洋で19世紀に始まった、石造を中心とする伝統的建築方法から脱却して、
より新しい建築を目指した建築および考え方。
産業革命後、建築素材にコンクリート、鉄、ガラスなどが生まれたことにより、
新しい建築としてモダニズムが花開きました。
広義ではアールヌーヴォー様式やスペインが生んだ偉大な建築家ガウディを
含み、狭義ではル・コルヴュジェ(仏)以降、世界に広がりを見せた箱型の建築
様式をさす言葉となりました。

日本に本格的にモダニズム建築が入ってきたのは第二次世界大戦後から。
巨匠コルヴュジェの弟子である前川 國男 らが日本に近代建築をもたらしました。
伝統的な西洋建築の模倣であった日本建築は、日本古来の伝統を取り入れたり、
さらに自由な発想でさまざまな建築を生み出していきました。

最終更新日: 2004年8月21日

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