ツールド山陽・レセプション&プロローグ
2002年3月1日・2日
佐賀県佐賀市・福岡県福岡市

2001年12月のある日、それは唐突に始まった。
「バイクが完成したら、3月の福岡での学会の帰りをバイクで帰ってこよう!」
バイクのロングライド───それは長年温めていた夢だった。
レースでも何でもない、一人だけでのソロツーリング。
それを俺は「ツールド山陽」と名付けた。
「ツールド」というのは、"tour de"、フランス語で「〜を1周する」という意味だ。
有名な自転車の最高峰のロードレース「ツールドフランス」は、文字どおりフランス国内を1周するのだ。
今回俺は、山陽地方を一周するわけではないが、「走破する」というこじつけの意味合いを込めた。
12月なかばにあった中国四国地区の忘年会で、主要なメンバーに頼み、宿を確保することにも成功し、準備は整った。
心配なのは、俺の体力のみ。
推定通算距離は6日間で約720kmであるにもかかわらず、ここまで3ヶ月で200kmしか乗っていない。
最大の敵は何か、この時はまったく未知で分かっていなかった。
コースは、下の図のとおり。青い線がコースである。
コース上にところどころにある青丸は、宿泊地を示している。
なおこの図は、結果的に走ったコースを示していて、予定コースとは若干の違いがある。


(フリーハンドの手書きをスキャナで取り込んだので、薄いのはお許し願いたい)

レセプションは2002年3月1日、学会前夜、佐賀市内の通称「百式」氏宅。
プロローグは同じく3月2日、学会最終日前夜。
場所は福岡市東区箱崎、通称「えすあい」またの名を「やっぱり鉄」氏宅から始まる。
ややこしいので、「えすあい」と呼ぶことにする。
もちろんこれら「レセプション」や「プロローグ」を含め、「第○ステージ」とかいうのも、俺が勝手に決めている。
これはレースでも大会でもない、俺が勝手に独りでやろうとしていることだ。

3月1日、箱に詰めたバイクを抱えた俺は飛行機を降り、福岡空港から高速バスで佐賀市内へと向かう。
誰がどう見たって、学会に来た研究者には見えない。運送業のお兄ちゃん、のほうがぴったり合う。
下の写真の、左奥に見える黒いのが、その箱だ。かなり大きいといえる。
そりゃそうだ、チャリが一台、入ってるんだから。

夜前に、百式の部屋に到着。なんともう、鍋の準備がしてあった!!
他にも佐賀大のトライアスロンメンバーが集まってくれた。
みんな久々だ!!
百式は、佐賀大の大学院生で、この3月に修了、
4月からは広島市の向灘が仕事場となる。
なぜ百式かって、
彼は真っ黄色の(本人は金色のつもり)自作バイクを駆り、
「百」とペイントする予定があるというからだ。
たしかに、彼の頭文字も「H」である。
久々に佐賀大のメンバーと再会した俺は、
ごちそうしてくれた鍋をつつきながら、そして飲みながら、
いろんな話をした。
もうこのメンバーで集まることも、ないかもしれないなーと、思う。
今の時間が、ほんとに貴重に思えた。
それにしてもまぁ、だいぶん飲んだかな。

この夜は百式宅に泊まり、明日の学会は昼からだったので、けっこう飲んでも大丈夫と思えた。

次の日の朝、佐賀から天神まで高速バスで1時間で移動。
そういえばこのバス路線は、2年ほど前にバスジャックされた路線だ。
あのころはほんと、少年犯罪が多発した。

天神には大学時代の友達が働いている。彼の職場にバイクの入った箱を置かせてもらい、
そのまま西新で行われている学会へ。
終了後天神へ戻り、その友達とメシを食べる。
バイクで大阪まで帰る話をしたら「また無茶なことしよるねぇ」と、あきれられてしまった。
反面、まだ学生で、ある程度自由に時間を作れる俺を、友達はうらやましがっていた。
しかし学生トライアスリートは、こういう企画をしょっちゅう立て、しょっちゅう実行に移しているものなのだ。
四国一周、九州一周、ツールド3号線、東京から1国(国道1号線)や4国(国道4号線)往復走破、などなど。
決して俺は、あきれられるほど無茶なことはしていない。(と、思いたい)
完走能力なんて誰にも分からない、そんなの二の次三の次、とにかく行くのだー!
というスピリットは、ほとんどのトライアスリートが胸に秘めているのだ。(と、思いたい)
...その後、箱崎のえすあいの部屋へ、地下鉄で向かう。

えすあいは、同じくトライアスロン仲間で、九大の大学院生である。もうこの3月に、修了してしまう。
就職先は決まっていたが、勤務地はまだ未定だった。
九大の他の仲間を電話で誘うが、この頃の4年生たちは、皆卒論に追われており、結局誰も来ることができなかった。
彼は修論は大丈夫だったのかという話は、一切持ち出さなかった。
彼が「修論あるからダメ」と言っていたら、このツールド山陽はプロローグから棄権ということになってしまうので、
有無を言わせずスタート地点として半ば強引に頼み込んだのだ。

バイクを組み立てる。
取り外していたのは、前後ホイール、ハンドル、サドル、DHバー。
ペダルは工具が無く取ることができずに、そのまま強引に詰めたのだった。
組んでいくと、前ホイールにリムのブレを発見。えすあいから工具を借りて、直す。
(えすあい殿、その時借りた工具、まだ持ってます)
完成、組み上がる。えすあいがバイクを持ち上げ、感嘆の吐息を漏らす。
「かっっ・・・軽い!!!!」
軽量アルミとカーボンで構成されたそのフレームは非常に軽く、
完成状態で8.3kgしかない。
これにDHバーやライトなど、ツーリング用の道具を装着させて、約10kgとなる。
それでもえすあいの「やっぱり鉄」のネーミングの由来となったスチール製のバイクより軽い。
「やっぱり鉄」のネーミングの由来は、...また今度。(おい

その後飲み屋に行き、軽く飲む。プレ・プロローグ
院を修了してもうすぐ福岡から出ていってしまう彼に、ねぎらいの言葉をかけた。
それからあとは、まぁいつもの飲み会だ。二人だけで、ちょっと侘びしいけど。
バカ話で盛り上がる。

その後えすあい宅へ。しかしここからが真のプロローグだった!





えすあいの部屋には、どこから仕入れてきたのか、泡盛があった。
さっそく開けて、飲む。さすがにきつい。
そしてえすあい、必殺のアイテムを取り出した!!

その名も「のますぞう」





その正体は、なんてことない、ただの小さな、象のかたちをした、おもちゃのじょうろである。
目隠しをしたえすあいの右手に乗っているそれこそが、「彼」である。(「彼女」かもしれない、どっちですか>えすあい氏)
昨年度のさぎしまの大会(広島県;中国四国地区のインカレ予選)のあとの飲み会に備え、
三原市内で調達したものを、えすあいは今日まで大事に保管していた。
そのときこの「彼」によって、
広大F氏をはじめとする中国四国の学生トライアスリートに次々と天誅をくらわしていった。

今回ここで現れたということは...今回の標的は、俺である
このあと、どうなったかは、...想像するに、たやすかろう!!

いろいろ話しているうちに、部屋にあるまだ貰い手のないいくつかの家電や家具の話に移る。
そして俺の「いろんなものに名前つけてるよ」という話題になった。
たとえば冷蔵庫には「日矢四増蔵くん」、電子レンジには「矢流名ブライトくん」、
洗濯機には「洗井増陽子ちゃん」というふうに。
そしたら。

SI「バイクには何てつけてるんですか?」
おれ「そういえばまだつけてないなー」
SI「じゃあ今つけましょう!」
おれ「やっぱイタリア車だから、イタリアの名前がいいな!」
SI「どうします?」
おれ「じゃあ...カルパッチョで」




なんでカルパッチョやねん!!(今の心の声)





先ほどの写真を、もう一度、よおくご覧になられたい。
後方のテーブルの上に、ガムテープが置かれていることに気づかれただろうか?
そしてガムテープには、カタカナで「カ」と書かれている。
しかしガムテープの表面はペンのインクをはじき、うまく書けなかったのだ。
また、泡盛の名前は「島唄」であったこともここからわかる。

お察しの通り、えすあいは名前シールを作ってバイクに貼るつもりだったのだ。
ガムテープで作られた名前シールが貼られたバイクは、次の第1ステージをクリックすると、見ることができる。
「PINARELLO」と誇らしげに書かれた上から、そのガムテープは貼られた。
かくして俺のバイクの名前は、「カルパッチョ」になった。

実は明日も朝から学会である。こんなに飲んでいては学会に影響するし、バイクも酔っぱらい運転になってしまう。
それでなくてもその前の日も、佐賀でしこたま飲んでいるのに。
とりあえず今日は、ここで寝ることにする。といっても午前3時...。



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