『つるぎのひめと、あまのじゃく』
挿絵:霧風 要(敬称略)



「不潔です!」

尚敬高校の廊下で、女子高の生徒と談笑をしていた瀬戸口に向かって、 和装の潔癖少女が声を張り上げた。
その金切り声に、気まずそうに顔を背ける女生徒をよそに、瀬戸口は 鬱陶しそうに少女の方を見た。

壬生屋と瀬戸口。
小隊発足以来、このふたりがいがみ合わない日はない。
ナンパで盆暗な瀬戸口に、壬生屋が手厳しく叱咤を繰り返し、また ある時は、無視を決め込んだ壬生屋に、瀬戸口が面白半分で茶々を 入れてくる。
放っておけば良いものを、何故だか互いを無視できないようで、小隊の メンバーたちは、日々『口ゲンカ』という名のコミュニケーションを 繰り返しすふたりを、生温かく傍観しているのである。

「……ったく、毎日毎日飽きもせず、ご苦労なこった」
くしゃり、と髪をかき上げながら、瀬戸口はきつく眉を吊り上げながら こちらを睨んでくる壬生屋を見下ろす。
「あなたが、いくら言っても生活態度を改めないからでしょう!」
「お前さんが、勝手に説教をしているだけだろう。俺のプライベートに 入りこんでくるのは、筋違いってもんじゃないの?」
「わ、わたくしは……」
冷ややかに問い返されて、壬生屋は思わず返答に窮する。
「それとも何か?お前さんひょっとして、俺に構って欲しい訳?」
「なっ…!」
「……なーるほど。潔癖特攻乙女の壬生屋さんには、相手にしてくれ る男なんざ、どう考えてもいなさそうだしな」
わざと蔑むような瀬戸口の揶揄に、壬生屋は顔を真っ赤にさせた。
ぶるぶると拳を震わせながら、屹と顔を上げると、

「バカになさらないで下さい!その気になればわたくしだって、殿方の ひとりやふたり、言い寄られる事などた易いのですから!」

……売り言葉に、買い言葉。
ところが、そんな壬生屋の怒声に、瀬戸口は珍しく紫の瞳を、ほんの一 瞬だけひるませた。
何故だか、自分の頭の中に湧いてきた想像に、慌てて頭を振ると、意識 した笑顔を、その顔に貼り付かせる。
「…へ〜ぇ。お前さんにねぇ。そりゃ、面白い。是非、拝ませて欲しい ものだな」
「……い、いいでしょう。 その勝負、受けて立ちます!
「───マジ?」
ビシリ、と突き立てられた壬生屋の細い指に、瀬戸口はガラにもなく狼 狽した。


日曜日。
今町公園に呼び出された瀬戸口は、程なくして現れた壬生屋の姿に、 思わず度肝を抜かれた。

「お、おいおい…」

彼が驚くのも無理はない。
今の壬生屋は、普段の和装とはまるでかけ離れた格好をしていたからで ある。
薄手のセーターの上に、ショールを羽織り、ボトムは切り返しの付いた ジーンズ地のスカート。その下にヒールのロングブーツを合わせている ので、いつもより背が高くなっている。
髪も、カーラーか何かを巻いたようで、真っ直ぐなはずの黒髪には、 軽くウェーブがかかっていた。
「な、なんだ…随分とまた気合の入った服装だな。そこまでして、男に 相手して貰いたいのか?」
心の動揺を落ち着ける為に、瀬戸口は持っていた缶コーヒーに口をつ ける。
「勝負ですから。それなりの覚悟で臨むのは、当然です」
瀬戸口の言葉にムッとしながらも、壬生屋は真っ直ぐに瀬戸口を睨み返した。
鋭い眼光ではないのだが、化粧に彩られた青い瞳に見つめられて、瀬戸口は 無意識に視線を反らす。
「私たちの技術の結晶よぉ♪瀬戸口くん、あんまり女を舐めない事ね」
すると、公園の入口から、3人の女性の影がやってきた。
「ウフフ。瀬戸口クン、ビックリしましたカー?」
「──まあ、そういう事だ」
「お前ら…!」
クスクスと忍び笑いを漏らす原・小杉・舞の3人に、瀬戸口は渋面を作る。
「そうか……お前たちが、壬生屋に余計な事をしたんだな」
「余計な事って、何よ。女が綺麗になるのを手伝うのに、何の問題があ って?」
「ソレニ、私たちが手伝ったのは、ヘアメイクだけデスヨ?あとは、全て 壬生屋サンが、自分デ用意をしたのデスから」
原と小杉の返事に、瀬戸口は口をへの字に曲げながら、少し離れた所で笑い を堪えている舞を見た。
「何がおかしいんだよ」
「らしくもないな。『愛の伝道師』の名が泣くぞ?」
「ぐ…」
「それに、勝負には立会人が必要だからな」
「上手く理由、つけやがって」
曰く有りげなヘイゼルの瞳に、瀬戸口は憮然としながら、壬生屋の方に向き 直る。

「勝負は、こうです。今からわたくしは、繁華街周辺に参ります。そこで、 2時間以内に男性に声を掛けられたら、わたくしの勝ち。そうでなければ、あ なたの勝ちです。いいですね?」
「…その基準も、ちゃんと説明しろよ。店員や、顔見知りに声を掛けられた ら、って訳じゃないだろう?」
「そ、それはその……つつつまり、わたくしが見知らぬ殿方に、な、ナンパを された時にです!」
途端に、赤面してしまった壬生屋に、瀬戸口は漸く表情を緩める。
「何だ?緊張してんのか?まだ始まってもいないのに、うろたえちゃって どーすんだよ」
「お、お黙りなさい!勝負が始まれば、わたくしだって覚悟を決めます!」
別に、たかがナンパに覚悟も何もないのだが、壬生屋にしてみれば、いっぱい いっぱいなのだろう。
内心で苦笑しながら、瀬戸口は残りのコーヒーを飲んでいると、



「この日を迎えるにあたって、きちんと『勝負下着』もつけて参りました から!」

そう壬生屋が意気込んだ瞬間。
瀬戸口は口に含んだコーヒーを、勢い良く噴き出した。


些か緊張した足取りで、ひとり繁華街に向かう壬生屋の後を、立会人という 名の野次馬と化した舞たち3人が続く。
「私だ。瀬戸口、ついてきてるか?」
『……お前らから、少し離れた場所にいるよ。壬生屋のお嬢さんの姿も、 ちゃんと見えてる』
舞の携帯電話の受話器から、棘々しい瀬戸口の返事が返ってきた。
不機嫌でも、妙に耳に心地良い瀬戸口の声に、舞は小さく口元を綻 ばせる。
『たまには、遠くの場所から壬生屋を見てみるがいい。普段は失念 している彼女の何かが、判るかも知れんぞ』
「……」
笑いを含んだ舞の言葉には答えずに、瀬戸口は、前方を歩く壬生屋の背 中を見つめた。
その姿が、妙に瀬戸口の記憶の奥底に眠る何かにオーバーラップする。

「……なんだってんだよ」
目の前の残像に、慌てて目を擦ると、再び壬生屋を追う。
瀬戸口に気付かない壬生屋は、繁華街の一角に位置する喫茶店に辿り着くと、 そのまま店内に入っていった。
『私も、贔屓にしている店だ。茶の種類も豊富だから、ひとりでも充分楽し めると思うぞ』
そう舞に教えられた壬生屋は、オープンカフェの席に腰掛けると、店員に ダージリンと、ショートケーキを注文した。
普段の自分では味わえない雰囲気に、勝負の行方はともかく、壬生屋自身 も楽しんでいた。
やがて、店員が壬生屋の前に、ケーキと紅茶を差し出してくる。
戦時下でも、上質をモットーとするこの店特製のケーキに、壬生屋は嬉し そうに微笑んだ。
「…あいつ。俺の前ではあんな顔、絶対しないくせに」
壬生屋の笑顔に、訳もなく瀬戸口は、むくれたような顔をする。
その時、

「……なあなあ、あそこでケーキ食べてるコ。可愛くねぇか?」
「待ち合わせでもなさそうだし。声かけてみよーぜ」
テーブルの端から、ふたりの年若い青年たちが、壬生屋の姿を見つけると、 声を弾ませていた。
「!?」
微かに聞こえてきた青年たちの声に、思わず瀬戸口は立ち上がると、壬生 屋を確認した。
だが、ティータイムに耽っている壬生屋は、彼らの行動に気付いていない。
下心丸出しで、青年たちが自分たちの席から立ち上がろうとした途端。

「うわっ!?」
思わぬ場所から伸ばされた手が、青年たちの襟首を引き寄せた。
間抜けな音を立てて、地面に倒された青年たちの頭上から、鬼のような形相の 美青年が、瞳を不気味に輝かせている。
「……いくらアイツでも、お前らなんかにゃ勿体ないんだよ」
彼女との勝負に負けるのを阻止する…というには、あまりにも気合の入り すぎた声で、瀬戸口はぴしりと吐き捨てた。


何事もなく(?)喫茶店を後にした壬生屋は、そのままウィンドウショッピ ングを楽しんでいた。
道中、何度となく彼女の傍を、年若い男性の影がよぎったが、何故だかそれ は、彼女に近付く事無くスルーしてしまう。

「何で?何で誰も声かけないのよ!」
「あの壬生屋サンに見とれないオトコなんて、考えられまセーン!」
一向に好転しない勝負の行方に、原と小杉がブーイングを飛ばす。
舞は、右手の親指と人差し指で顎と頬を挟みながら、壬生屋に男が近付こ うとする度に、彼らに牽制の眼光を飛ばしている男性の姿に、呆れたよう に苦笑していた。
「まあ、いいのではないか?壬生屋も、いつもと違う休日を、楽しん でいるようだし」
「そうかも知れないけど…」
そんな風に、彼女たちが雑談を交わしていると、
「……待て。壬生屋の様子がおかしい」
それまで、当て所なく歩いていた壬生屋が、ふと足を止めたのだ。
アーケードの店員から貰った風船を、まるで食い入るように、見つめて いる。
「壬生屋サン、外に行っちゃいマシタヨ!?」
「どうしたのかしら?」
突然、足を急がせて、アーケードを去っていった壬生屋を、舞は目で追 いかけたが、自分よりも素早く彼女に反応した長身の影に気付くと、 彼に任せる事にした。


繁華街を抜けて広場にやって来た壬生屋は、近くにあったベンチに腰を 下ろすと、ため息を吐いた。
右手に握り締められた、小さな風船に視線をやると、表情を曇らせる。

壬生屋が未だ幼い頃。
当時存命だった兄に連れられて、よく一緒に出掛けていた。
剣術の修行に耐えかねた壬生屋が泣き出す度に、兄は決まって行きつけの 商店で、自分の少ない小遣いの中から、菓子や風船を買ってくれたもの である。

『……いつか、未央たちのような女の子が、戦わなくてもいいような世の中 にしてみせるからね』

そう言って笑っていた優しい兄は、それから数年の後、幻獣に殺された。
生命を絶たれただけでなく、手足をもぎ取られて変わり果てた姿の兄と 再会した時、壬生屋の中で、例えようもない絶望と怒りが支配した。
あの時。兄の言った言葉はウソだった。
そして、自分の中に流れる血が、幻獣たちと戦わねばならぬ宿命であ る事を、イヤというほど思い知らされたのである。

「兄さん…どうして死んでしまったの……?」
空を見上げながら、壬生屋はぽつりと呟く。
「もし、貴方が生きていたら……わたくしは、こんな想いをしな くて済んだかも知れないのに……」
右手に掴んでいた風船を、壬生屋はゆっくりと離した。
舞い上がった風船は、瞬く間に空に吸い込まれていく。
飛び去っていく風船を、見届けた壬生屋は、もう一度息を吐くと、ベンチか ら立ち上がった。
だが。

「かーのじょ♪こんな所でどうしたの?」
突然、壬生屋の目の前が暗くなったと思ったら、明らかにナンパ風の 優男が、軽薄そうな笑顔を向けてきた。
「…何か御用ですか」
それでも丁寧に言葉を返した壬生屋だったが、男の方は、益々口元を緩め ると、詰め寄るようにしてその身を寄せてくる。
「キミ、何だか元気なさそうだし、これから俺と、パーっと遊びにでも 行かない?」
「お断りします」
瀬戸口との勝負の事など、すっかり失念していた壬生屋は、ヒステリックに 声を張り上げると、男の横をすり抜けようとしたが、履き慣れないブーツ の踵が邪魔をした。
きゃっ、と短く悲鳴を上げると、前方につんのめる。
それでも転倒は免れたが、壬生屋はそのまま地面に坐りこんでしまった。
「ほら、危ないって」
ニヤニヤ笑いながら、男が壬生屋に触れようとした瞬間。

「その手、離せよ」
肩を震わせている壬生屋が感じたのは、おぞましい触感ではなく、馴染んだ 声による、聴覚への刺激だった。
恐る恐る上体を起こすと、瀬戸口に腕を掴まれた男が、痛みに顔を顰めて いるのが見える。
「瀬戸口く……」
「な、何だよテメェ!」
「なんでもいいだろ。女の子には、もうちょっとスマートな応対をするも んだぜ」
心なしか、いつもより不機嫌な様子で、瀬戸口は、更に男の腕を後ろ手に 捻り上げる。
「いてててて!わ、わかった!わかったよ!」
「わかりゃ、いいんだ。さっさと行っちまえ!」
観念した男の態度に、漸く掴んでいた手を緩めると、瀬戸口は男を追い 払う。
ほうほうの体で逃げていくナンパ男の背中を、壬生屋は呆然と見送って いた。

「ほら」
「…?」
差し出された手に、壬生屋は無意識に身を引きかける。
「いつまで、そこに坐りこんでる気だよ」
もう一度促されて、壬生屋はためらいがちに、瀬戸口の手を取った。
「ったく、慣れないカッコで慌てるからだ」
「…申し訳ありません」
立ち上がりながら、壬生屋は頭を下げる。
瀬戸口は手を離そうとしたが、繋いだ彼女の白い手が、僅かに震えている のを確認すると、そのままにしておいた。

「……『タラレバ』を言うよりも、今は、やる事があるだろう」
憂いを帯びた横顔に、何故かいらつく自分を意識しながら、瀬戸口は努め て冷淡な口調で呟いた。
「俺には判らんが、過ぎてしまった事にくよくよしているより、その死ん でった奴らの敵(かたき)を討つ方が、ずっと建設的だと思うぜ」
「やはりわたくしは、普通の女としての生活など、望んではいけない のでしょうね……」
「そうだな」
同情の欠片もない返事に、壬生屋は言葉を詰まらせる。
「……ただ、嘆いてるだけのヤツには、『どうこうしたい』なんて言う 資格はないさ」
「え…」
極力無表情を決め込みながら、瀬戸口は真っ直ぐ前を向いたまま続けた。
「何を気にする必要がある?お前さんは、お前さんのやりたいようにす ればいいじゃないか」
「ですが……」
「じゃあ、お前さんは何の為に戦っている?あの古めかしい家の為か?名 誉の為か?」
「──違います!『全く違う』とは言い切れませんが……でも、それだけ が理由ではありません!」
弾かれたように、壬生屋は反論した。彼女の言葉を裏付けるような澄んだ 瞳が、瀬戸口の網膜に焼き付けられる。
「……判ってるんじゃないか。だったら、いちいちつまらん事で、イジイジ 悩むなよ」
「瀬戸口くん……」

西日に照らされた瀬戸口を、壬生屋は不思議な気持ちで見つめていた。
一見軽薄で、自分のもっとも嫌悪の対象たる彼が、何故だか気になって 仕方がなかった。
もう少し、彼の事を知りたい、という気持ちがない訳ではないのだが、どう してか、壬生屋にはその勇気が出せなかった。
瀬戸口の事を考える度に、悲しくなるほど、心の奥底を引っかきむしられ る様な感傷に、捕らわれてしまうからだ。
でも、今日の出来事の中で、壬生屋はほんの少しだけ、いつもと違う彼の 姿を、垣間見たような気がした。
いつも、喧嘩ばかりしているが、これからは違った角度から、この一見ナ ンパ風の青年の事を、見つめていく事が出来るかも知れない。
そう思った壬生屋は、心の中で沸き起こった仄かな淡い想いを、瀬戸口に 告げようとしたが。

「大体、ちょっと見知らぬ男に声掛けられたくらいで、ビビってるよう じゃ、『箱入り娘』にも程があるぜ、お嬢さん。バカみたいに刀振り回 すだけじゃなく、もう少し世の中の楽しさってモンをだな……」

……壬生屋の勇気は、次の瞬間殺意に変わった。
先程まで穏やかなカーブを描いていた柳眉が、物騒な角度まで吊り上 がる。
「……少しでも、あなたを信じていたわたくしが、愚かでした!この痴 れ者!」
「お、おいおい!?どうしたんだよ、いきなり!?」
慌てふためく瀬戸口を無視すると、いつものように、刀を取り出そうと したが、太刀を握る筈の壬生屋の利き手は、瀬戸口に掴まれたままで あった。
自分以外の温もりに、壬生屋は新たな悲鳴を上げると、
「お放しなさい、この破廉恥!」
「そっちが怖がってたから、しょうがなく握ってやってただけだろう!」
「いつ誰が、そんな事を頼みました!?」
「あーもー!なんなんだよ、お前さんは!」


───もはや勝負の結果など、どうでも良くなったふたりは、しびれを 切らせた舞たちが声を掛けるまで、夕暮れの中で、いつまでも互いを罵 り合っていた。


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