『密談』



来須を詰所から出した岩田は、漸く意識を取り戻した舞を見下ろした。
「お目覚めですか?お姫様」
「……私は………」
些か掠れた声で、舞はベッドの上から周囲を見回す。戦闘が終了して、 トイレに駆け込んだ後からの記憶が曖昧になっていた。
「あなたは、トイレで倒れていたのですよぉ。戦闘用の興奮剤にやられ たようですねぇ」
「……」
ゆっくりと身体を起こす舞に合わせるように、岩田はのんびりと説明 する。
「それにしても、大したものですねぇ。あれ程の強力なクスリを、殆ど 自分で抜いてしまうとは…いや。それ以上に、戦闘中に自分を制御出来 た事の方が賞賛に値する。よくもまあ、その身体で」
「……慰めなどいらぬ」
苦々しく答えると、舞は乱れた髪をかき上げた。
「私は彼らの使用する薬に耐え切れなかった。…それだけの事だ」
「恥じる事はありません。あなたは本当に良く頑張った。今回の勝利も、 あなたの活躍があってこそです」
舞の額に載せていたタオルを洗面器で濡らしながら、岩田はアイシャ ドウに彩られた三白眼を好意的に細めた。


『この世界』の住人たちよりはるかに劣るその身体で、舞は懸命に生 きている。
彼女の想いはただひとつ。自分の運命に打ち克って、自分を含めた娘たち の父親に当たる「あの男」を、その手で討つ事である。

「あの男」のしようとしている事に、一方では感慨を覚えている舞だが、 それだけに、自分たちを道具扱いする彼を、どうしても許す事が出来 ないらしい。
幼い頃。父親の姿を泣きながら求め歩く舞を、岩田は何度も見てきた。
無垢なその様が可愛らしく、己の腕に抱き上げては、ぐずる彼女を 柄にもなくあやしていた覚えがある。

ところが。ある日を境に舞は「あの男」を父親と呼ぶのを止めた。
そして泣き顔の代わりに、岩田は時折彼女の俯く姿を見る事になった。
顔を僅かに傾けて、悲痛に眉をひそめながら目を伏せる姿を。

「何て年不相応な表情をするのだろうか」

──そう思わずにはいられなかった。
無邪気だったあの面影は欠片もなく、まるで年を経た壮年の男が、己の 感情を堪えているかのようであった。
彼女は気付いているのだろうか。
その仕草のひとつひとつが、自分の嫌悪の対象である父親のそれに良く 似ているという事を。


「……あなたには、これから私が戦闘時にプラシーボ(偽薬)を処方 する事にしましょう。中味はただのビタミン剤ですから、心配はいり ませんよ」
岩田の言葉に、舞は弾かれたように振り返った。
「その必要はない。余計な世話は無用だ」
「あなたを思っての事です。戦闘の度に薬を吐き出して倒れていては、 身が持ちませんよ」
「───構わぬ」
掠れた声で、だが舞はその凛々しい曲線を描く眉を吊り上げた。
「…私がこうなるのも、『あの男』の予測していた事だ。これ位で屈して たまるものか」
「……そんなに、彼を許せませんか」
「当たり前だ!」
静かな岩田の声とは対照的な、舞の鋭い声が詰所に響く。
「例えこの身が滅びようと、私は『あの男』の思い通りになどならぬ。私 を……私たちを玩具扱いする『あの男』をどうして許せよう!?」
舞の言葉に岩田は答えなかった。そのまま足を進めると、彼女の手を取る。
舞が訝しむ間もなく、岩田は彼女をベッドに押し倒した。
「何を…!」
突然の事に、舞はろくな抵抗も出来ないまま、身体をシーツの上に縫い付 けられる。

「己の身を知りなさい、イレギュラー(変異体)」

今にも唇が触れる寸前まで顔を近付けると、岩田は低い声で語った。
「成し遂げたい事があるのでしょう?ならば、目先の些細なものに拘る のはおよしなさい」
「───何故、私の名を……」
岩田の黒く彩られた唇に、舞の息がかかる。
「利用出来るものを利用して、何が悪いのです?いくら突然変異を起こ したとはいえ、それでもあなたは私たちとは違う。もっと賢い立ち回 り方を心がけるのですね」
岩田の下で、舞のヘイゼルの瞳が揺れていた。一瞬だけ垣間見えた無防備 な表情に、岩田は僅かに口元を綻ばせた。


岩田はゆっくりと舞の身体を解放した。
舞は岩田から顔を背けると、唇を噛み締める。
「…私は非力だ……」
心の底から悔しそうに、舞は言葉を振り絞る。
「───そんな事はありません。あなたは充分に強い」
「慰めはいらぬ、と言っただろう」
「慰めなどではありません」
まるで親が子供を見つめるように、岩田は舞に穏やかな眼差しを向けた。
「むしろ、あなたは強すぎる。たまには誰かを頼ってはどうですか? …そうそう、あなたの守護者が心配していましたよ。今、外で待たせてお りますが」
「…来須か?」
意識を失う寸前、舞は来須に声を掛けられた事を憶えていた。
「そうです。私より先に、彼があなたの異常に気付いたのですよ。お礼を 言ってはどうですか?」
「……そうだな。では、呼んできてくれないか」
「フフフ。判りました」
答えると、岩田はいつもの調子でくるりと身を翻しながら詰所を後にした。
戸口でやきもきしながら待っていた来須に、中に入るよう促すと、自分は、 そのままプレハブの階段を上がって屋上へ向かう。
黒い月の影で、仄かにその存在を誇示するかのように輝く青い月が、岩田を 静かに見下ろしていた。
「……ユーリ。どうやらあなたの娘は、一番あなたらしさを受け継いで しまったようですね」
月を見上げながら、岩田は誰にでもなく呟く。

「───まったく。そなたは、目障りな所ばかり似てくるのだな」

次いで出た呟きは、彼の口調とはまるで別のものであった。いつもの戯言 か、あるいは。


その答えは、彼を照らす月だけが知っていた。



「Knight-5」の外伝。舞が来須に再会する3分前の出来事なんだけど……あの素敵な 岩×舞を書かれる彼女に、こんな恐れ多い代物送りつける命知らずは、私くらいの モンです。全国の岩×舞及び綵架さんのファンの方、本当に申し訳ありません。(汗)
「唇が触れる寸前まで顔を…」の元ネタは、昔CX系のドラマで織田○二と石黒○が医者 役で出てたヤツです。主題歌が有名だから、結構憶えている人多いのでは?



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