『これもまた、彼の未来』




20××年、夏。


『…第×回全国高校総体、男子バスケットボールの決勝戦です。今年は、地元熊本 が勝ち上がったこともあり、会場は早くも興奮状態です』

戦後数年を経て、再開された高校総体は、それまでの鬱積を晴らすかのような、 若者たちの顔と声で、会場内を明るく包み込んでいる。
『両サイドに、選手と関係者一同が現れました。右サイドには……高校、 そして、左サイドには、熊本県代表尚敬高校です!ベンチには、あの 車椅子の名指導者、狩谷夏樹監督の姿が見えます!』

アナウンスと同時に、応援席からひと際大きな歓声が沸き起こった。

狩谷は、車椅子を少し移動させると、ウォーミングアップをすませた選手たちひと りひとりを、ゆっくりと見上げた。
「どうだい?緊張はしていないか?」
「ぜーんぜん。初めて狩谷先生に会った日のコト思えば、これくらいなんでも ないっスよ」
狩谷の言葉に、エースナンバーをつけた選手が、減らず口を返してきた。それを 聞いた他の選手たちも、笑い声を漏らす。
「もう、僕から言う事は何もない。思い切りやってこいよ。…あと、」
狩谷はいったん言葉を切ると、選手たちを手招きする。
「実は僕、学校からのお給料の他に、両親の遺産に加えて、障害者年金も毎月 下りてるから、結構懐が豊かなんだよね」
「はぁ…?」
「だから、今日の試合に勝ったら、祝勝会と称して、好きなだけ焼肉奢って やるよ。だけど、負けたら『味のれん』で寂しく残念会だ。……どっちがいい?」
曰く有りげな目つきをする狩谷に、選手たちは負けじと笑い返すと、
「言うまでもなく、焼肉っスよ!みんな、狩谷先生の今月の年金をむしり取る ぞー!」
「だったら、勝って来い。そうしたら、年金だけじゃなく、僕の今月の給料も 上乗せしてやるよ!」
ウオーと、威勢良く声を上げる選手たちを見て、狩谷は嬉しそうに笑った。


地上で終戦を迎えた狩谷は、軍を除隊後、大学でスポーツ科学を学んで いた。
かつて、触れるのも見るのも嫌だったバスケットボールを、もう一度 はじめからやり直したい、と思ったのだ。
地元の『車椅子バスケットクラブ』に所属する傍ら、選手としてだけで はなく、指導者としての教養も身に付けていった。

その後、教職課程を取得した狩谷は、戦後共学となっていた尚敬 高校で、教育実習を行った。
そして、その時の担当教師が、小隊時代の狩谷の事を憶えて いた様で、大学院修了後、その教師からの誘いを受けた狩谷は、かつて の学び舎ともいうべき尚敬高校へ、数学教師兼バスケットボール部の 顧問として、赴任する事になったのである。


「先生って、数学の教師じゃなかったんですか?」

スポーツ用の車椅子に乗った、トレーニングウェア姿の狩谷を見て、バスケ部 のメンバーは、不審そうな顔をした。
予想の付いていたリアクションではあったが、あからさまな差別の目に、狩谷 は内心でため息を吐く。
だが、
「障害者だと思って、あんまり舐めてかかると痛い目見るぞ。少なくと も、僕はただの道楽や話題づくりの為に、君たちの顧問を引き受けた訳じ ゃない」
傍らのボール入れから、バスケットボールをひとつ取り出すと、狩谷は慣れ た手付きでバウンドさせる。
柔らかな口調ではあるが、眼鏡の奥の真剣な眼差しに、部員たちは互い に顔を見合わせ始めた。
その時。

「俺たちだって、本気なんだ。先生の気持ちは嬉しいけど、健常者の俺たち と、車椅子の先生とじゃ、無理がありすぎじゃないんですか?」

他の部員たちが止めるのも構わず、彼らのリーダーらしき男子生徒が、挑発 的な視線を、狩谷に向けてきた。
かつての自分なら、そのような言葉に簡単に傷付いていただろう。
だが、年を経て精神的に成長していた狩谷は、その男子生徒に向かって、 不敵に笑って見せた。
「──だから、判るんだよ。自分が動けない分、どうやったら上手に身体を 動かせるのか、必死で研究したから。 …少なくとも、何も考えないで無駄な動きばっかりしてる君らになら、僕は 余裕で勝てる自信があるぞ」
「……何だとぉ!?」
「試してみるか?」
狩谷の言葉に、部員の何人かがいきり立つ。
狩谷は、反対の手で車椅子を動かすと、思いの外素早い動作で、コートの中 央に躍り出た。


「回り込め!たったひとりに、何やってんだよ!」

はじめはためらいがちに、あるいは遠慮しながら狩谷のボールを奪おうとし ていた部員たちだったが、次第に本番の試合さながら向かってくるように なった。
狩谷は、小器用に車椅子を動かしながら、部員たちの猛攻をかわしていた。
視点が違う分、上からの攻撃には注意をする必要があるが、いたずらに先入 観を持ちながらの学生のディフェンスなど、今の狩谷には取るに足らない ものであった。
「ホラホラ、どうした?そんなちゃちなディフェンスじゃあ、ウチの車椅子 チームにも勝てやしないぞ」
「くそっ!」
狩谷の揶揄に、先程のリーダー格の生徒が、猛然と向かっていった。
大柄な体格にしては、意外に素早い動きに、狩谷は車椅子の方向を変えると、 彼のチェックを避ける。
「上半身と、下半身の動きがバラバラだ。身体の何処を動かせばい いのか、頭で考えろ!」
「うるせぇ!」
だが、狩谷の動きに翻弄されっぱなしだった生徒が、徐々に狩谷に喰らい 付いてきた。
「相手の一歩先を読むんだ!目で追うだけじゃ、ボールは奪えないぞ!」
「畜生!」
そう言って、狩谷が再び軌道を変えた瞬間。
狩谷の動きをはじめて先読みした生徒が、狩谷の前に立ちはだかった。
突如、目の前に現れた人影に、狩谷は思わずたじろぐ。
その一瞬の隙をついて、彼の手が、狩谷の腕ごとボールを払った。
身体の均衡を失った狩谷は、車椅子ごと床に叩き付けられる。

「先生!」

サイドラインを大きく割ったボールを余所に、部員たちが狩谷の周りに 群がり始めた。
狩谷を倒した生徒は、弾かれたように踵を返すと、床に横臥した状態 の狩谷を抱き起こす。
「す、すいません、つい…!大丈夫ですか!?」
「──よく読めたな」
「…へ?」
「だけど、さっきのじゃ強引過ぎる。もっと上手くやらないと、バックチャージ を取られるぞ」
ズレた眼鏡を直しながら、狩谷は青ざめている生徒に、笑顔を向けてみせた。


放課後。
職員用の通用口から、駐車場へ向かう狩谷の前に、制服姿の生徒が立っていた。
「どうしたんだ?」
「あの…」
気まずそうに佇んでいるのは、昼間、狩谷を倒したバスケ部の男子生徒だった。
狩谷は、そんな生徒を数秒の間見つめていたが、
「今日、時間あるか?」
「…え?あ、はい」
「じゃあ、これから夕飯食べに行くから、付き合えよ。ホラ、乗った乗った」
言いながら、車のキーに取り付けられたスイッチを押すと、ドアのロックを解除 した。
促されるまま、助手席に乗り込んだ生徒を確認しながら、狩谷もまたドアを 開けると、ボタンを押して、運転席の横に補助椅子を出現させる。
「よいしょ、」
その補助椅子を使って、車椅子から移動した狩谷は、先程まで乗っていたその車 椅子をたたむと、別のスイッチを押した。すると、後部座席の方から音を立てて、 何かの台が地面に下ろされる。
「……何スか?それ」
「車椅子の積載装置だよ。これをこうすると……」
器用に車椅子を、積載装置の台のロープに固定した狩谷は、再びスイッチを 押した。すると、小さく音を立てながら、車椅子が後部座席に収納されていく。
「ハイ、お待たせ。じゃあ、出発」
呆気に取られる生徒を余所に、狩谷は、運転席に自分の身体を固定すると、エン ジンをかけた。
「食べ物屋さんといっても、あんまりゴミゴミした店には入れないから、僕の 独断と偏見で決めるけどいいよね?」
「……ひとつ、聞いてもいいっスか」
従来のものとは異なる、ノブつきのハンドルを操りながら、車を走らせる狩谷に、 生徒が緊張した声で尋ねてきた。
「なんだい?」
「先生って……どうして、そんなに前向きでいられるんですか?」
「……」
「オレ…聞きました。先生は、事故が原因で足が不自由になったって。そうなる までは、バスケ部でエース張ってたくらいの選手だったって……」
少年は俯いたままの姿勢で、言葉を選びながらポツリポツリと話を続ける。
そんな少年の姿を横目で追いながら、狩谷はかつての自分を見るような、ほんの 少しだけ複雑な想いを抱いていた。


『そなたには、まだ残されたものがあるだろう』

ポニーテイルを高く結い上げた少女の瞳が、憎らしいほど眩しく狩谷を照らす。
整備兵として、5121小隊へやってきた狩谷は、所詮自分がどれ程の存在であるのか、 イヤというほど理解していた。
憐憫や好奇の視線にも気付かないフリをし、人の好意も「偽善者の自己 満足だ」と、突っぱねていたあの頃。
まるで、周囲から腫れ物に触れるような扱いを受けていた狩谷の前に、その少女が 颯爽と現れたのは、自分の担当する機体のパイロットと初顔合わせをした日だった。
少女の素性を聞いていた狩谷は、権力の傘の下で好き放題をする愚か者、と心 の中で毒づいていたが、整備士とパイロットという付き合いを続けていく内に、 彼女の正体を知る事となった。
世界を牛耳る一族の末姫、と謳われた筈の少女は、実は、影でその一族にすら、ある種 生命を狙われている立場にある、『諸刃の剣』でもあったのだ。
まるで、綱渡りともいうべき彼女の日常に、狩谷は戦慄し、ある日思い切って尋ね てみた。

「もう少し、賢く立ち回ろうと思わないのかい?」と。

だが、そんな狩谷の問いに、少女は躍動感に満ちたヘイゼルの瞳を輝かせると、笑って 答えたのだ。
『諦めぬ限り、可能性は誰しもみな、己の手の中にある。私も、そして勿論 そなたにもだ』


「確かに、僕の足は動かない。だけど、他の箇所は普通に動かす事が出来る。 なんだ、僕にもまだまだ可能性は残ってるんじゃないか……って。彼女を見 ている内に、そんな風に思えるようになったんだ」
「……凄いですね。その人」
「──ああ。僕の凝り固まってたモヤモヤを、一瞬で馬鹿馬鹿しい、と思わせてくれ たからね」

ウィンカーボタンを押して、後方を確認しながら、狩谷は車を、行きつけの店のパー キングに入れる。
「どんな人だったんですか?」
生徒の質問に、狩谷の脳裏に凛然とした少女の姿が甦る。
「………妬ましくなるほど、素敵な人だったよ。強くて…優しくて」
「その人、今は?」
「…さあね。僕と同じ時期に軍を除隊したらしいんだけど、それを最後にぷ っつりと消息が途絶えてしまったから……」
狩谷の声が僅かに澱んだのに、生徒は思わず口を閉ざす。
「──でもね。彼女の事だから、きっと何処かで元気にやっていると思うんだ。 根拠はないけど…そんな気がする」
車を停止させた狩谷は、再び装置を動かして、車椅子を取り出そうとする。
すると、助手席の生徒が「オレがやります」と、後部座席から狩谷 の車椅子と荷物を下ろしてくれた。
「有難う」と礼を言うと、狩谷は生徒の用意してくれた車椅子に身体を移す。

「何だか悪かったな、今日は。あの後職員室で、僕の事で叱られたんだろ?」
車椅子を動かす生徒に、背中越しから声を掛けた。
「いいえ。こっちこそ、すみませんでした」
「車椅子バスケでも、あれくらいの接触は日常茶飯事だから、気にする事はない のに…でも、このままだと君らに迷惑がかかりそうだから、やっぱりやめた方 がいいのかも知れないな」
寂しそうに微笑む狩谷に、生徒は弾かれたように声を上げた。
「そんな事ないです!先生、お願いです。オレたちを指導して下さい!」
顔だけ振り返った狩谷の視線の先に、真剣な生徒の眼差しがぶつかる。
「あの時、オレは先生の言葉に従っていたから、ボールが取れたんです。先生が、 オレの可能性を引き出してくれたから…その可能性を、他のヤツラにも分け て下さい。オレたちにもっともっと、先生のバスケを教えて下さい!」
「……」
頭を下げる生徒を見て、狩谷は不覚にも胸を締め付けられるのを感じた。
思わずこぼれそうになる熱いものを見られまいと、顔を背けて目元を擦る。
「…先生?」
「……やだなぁ。年取ると涙もろくなっちゃって」
まだ充分若い世代に入るのだが、狩谷はわざと大げさに言いながら、クスン、と鼻 をすすった。
「君の気持ちは良く判った。先生方には、僕から話をつけておく。部員の方は任 せるけど、いいかな?」
「はい」
「よし。じゃあ、明日に備えて腹ごしらえだ。身体づくりの為にも、しっかり 食べろよ。遠慮なんかしたら、承知しないからな」
「はい!」
ひと際元気な返事を返してきた生徒に、狩谷は嬉しそうに目を細める。

『君のお陰で、僕はまたひとつ可能性を手に入れたよ……君はどうだい?』


ふと見上げた夜空の星に向かって、狩谷は心の中で呟いた。



試合終了を告げるホイッスルが、会場全体に甲高く響いた。

『試合終了!43対68!地元熊本県代表尚敬高校が、頂点に輝きました!』

勝利の雄たけびと共に、狩谷は我先にと、生徒たちの待つコートへ車椅子 を走らせる。
狩谷に気付いた生徒たちは、狩谷を取り囲むと、車椅子ごとその身体を持 ち上げた。
止めるのも聞かずに『お神輿状態』で、コートの周りを駆け回る。


歓声と祝福の嵐の中で、狩谷は、心の底から幸せそうな笑顔を浮か べていた。


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