『1st ジャンクション(前編)』
作:小石川 顕


「貴方に答える義務など、ありません」
イケブクロのマントラビル西館。
階上へ続くエスカレーターの傍にいた悪魔に、馴れ馴れしく話し掛ら れた新乃(にいの)は、僅かに眉根を寄せると、彼にしては厳しい口 調で、無粋な質問をしてきた輩へ返答した。
「ああ、そうかよ。…ケッ、お高く止まりやがって」
「トール様にちょっと目ぇかけられたからって、いい気になってんじ ゃねーのかぁ?」
だが、見た目も『悪魔』としての実績(?)も薄い少年の反応は、た だ純粋に力と快楽を求める彼らには、良い印象を持たれなかったらしい。
『……好きで、目をかけられた訳じゃないよ』
遠慮なく背中にぶつけられる声に、新乃は心の中で不平を漏らした。


十合 新乃(そごう にいの)。
それが、彼の名前である。
外務省の特命大使である父と、やはり外交官と弁護士をしているふたりの 兄を持つ彼は、いわゆる良家の子息だが、両親が年を取ってから 出来た末っ子という事もあって、割と自由奔放に育った。
幼少から中学卒業までの期間を、親の仕事の都合でカナダで暮らしていた為、 英語・フランス語を自在に操る事が出来るが、それらを除けば、 まあそこそこ普通の高校生である。
新宿衛生病院まで、幼馴染の橘千晶と親友の新田勇と一緒に、担任の高尾 祐子を見舞う筈だった新乃を、信じられない出来事が襲った。
「東京受胎」。
それによって、これまで平穏だった新乃の日常は、思いも寄らぬ展開を迎 えてしまったのだった。


人間の世界ではとても考えられない『裁判』で、どうにか無罪を勝ち得て 自由の身となった新乃たちは、 受けたダメージの回復と共に、体勢の建て直しをする事にした。
「アイテムは、もう少し欲しい所だよね。チャクラドロップにディスチ ャーム、それから…」
「我々の所持金と相談すると、全てを揃えるのは無理とい うもの。必要最低限だけ見繕って、後は諦めなされ」
「判ってます。はぁ…こんな時、カードか小切手が使えたら良かったのに」
「コギッテ?それって食えるのかホ?」
無邪気に問い掛けてくるジャックフロストに苦笑しながら、新乃は、単純明快な 鬼神ゾウチョウテンの言を受け入れる事にした。

始めはただ戸惑うばかりだった『悪魔』たちとの交流も、共に行動し、戦ってい く内に慣れていった。
新乃本人の順応性の良さに加えて、どんな状況下においても自分を見失わないよ う、幼い頃から両親に言い聞かされていた事が、思わぬ所で役に立ったようである。
だが、それと同時に、段々と人間とはかけ離れていく自分も、また存在していた。
金髪の少年に埋め込まれた「マガタマ」の作用によって、様々な悪魔としてのス キルを身に付けていく内に、新乃の中では様々な想いが葛藤していった。
これは、生き抜く為の手段だ。世界を元に戻す為の仮初めの姿だ。
ともすれば、思うが侭この人外の力を解放させたい誘惑に取り込まれそうな自 分を、新乃は何度も叱咤しながら、まずは目先の問題を解決しようと 己の神経を集中させた。


新たな仲魔やアイテム入手の為に、あちこちをうろついた新乃たちが、 再びイケブクロのターミナルに戻ってきたのは、カグツチが何度目かの周回を終 えた後だった。
「思ったより時間を食っちゃったかな」
そう独り愚痴ると、新乃はストック中の悪魔を確認しながら、マントラビルの本 館に向かって歩き始めた。
「今度こそ、まともな探索が出来るのでしょうか?また、訳も判らず牢に入れら れるのは、ご免ですわ」
新乃の隣から、キクリヒメが心配そうに声をかけてくる。
「あの時、雷神の悪魔が『最上階のゴズテンノウを頼るといい』って、言ってた でしょ?何か力を貸してくれるといいんだけど」
「おいおい、この期に及んで誰かに頼るってか?その身に違わず肝っ玉の小せぇ ヤツだなぁ」
「──貴様!主に向かって、そのような口の利き方を!」
武器を振り回すモフノフに、ゾウチョウテンが厳しい声で諌めた。
そんな仲魔たちの会話をBGMに、新乃は本営に続く階段を上り始める。
途中、ふたりのマネカタがこちらを見つめているのに気付き、一度足を止め ると、彼らに声をかけた。
「銃刀法違反でした。…外国の方でした」
ポツポツと零すマネカタの言葉を整理した後で、新乃は、自分の後にあの 裁判を受けた者がいた事を理解した。
『外国の方』というのは、日本ではない外国産の悪魔という意味だろうか、と 思考を巡らせていると、もうひとりのマネカタが意外な科白を口 にしてきた。
「そういえば…赤い服を着た男が『ニーノ』って悪魔を探してたよ。キミ、 知ってる?」
「…え?」
それが自分の名前である事に気付き、新乃は間抜けな相槌を打った。
「ご主人様?そいつ、知り合いだホ?」
じゃれ付きながら尋ねてきたジャックフロストに、新乃は首を横に振る。
暫し自分の記憶をたどってみたが、赤い服を着た男に繋がるものはないので、 取り合えず心に留めておくだけにして、再びビルへ向かって階段を上り続けた。
正面に見えてきた入り口に、新乃の歩幅が大きくなりかけた直後。


「主っ!」
「…!?」

ゾウチョウテンに腕を引かれた新乃は、身体の均衡を崩すと地面に尻餅をついた。
次いで、耳を劈(つんざ)くような衝撃音と共に、先程まで新乃のいた場所に、砂塵 に紛れた人影が立っていた。
目を凝らしながら良く見ると、それが赤い服を着た長身の男性である事に気付く。
二丁の拳銃を腰に差した男は、背中から大剣を取り出すと、新乃に突きつけてきた。
「会えて嬉しいぜ、少年。お前もそう思うだろう?」
「…貴方は?」
訳が判らず困惑の表情を向ける新乃に、男は太刀を構えると、容赦なく新乃目 掛けて振り下ろしてきた。
漸く男の意図に気付いた新乃は、寸での所でそれをかわすと、臨戦 体勢に入る。
「10分だ。10分で考えな」
剣先に絡まった少年の髪の毛を払いながら、男は不敵な表情を浮かべる。
「棺桶かゴミ箱か…自分の行き先をな!」
その挑発に新乃がいきり立つ間も与えず、男は今度は二丁の拳銃から、矢継ぎ早に 銃弾を打ち付けてきた。
「痛ぅ…!」
やがて、その内の一発が新乃の腕を掠め、そこから血が流れてきた。
痛みに顔を顰める新乃に向かって、男の嘲りとも取れる揶揄が頭上から降ってくる。
「…随分と手の込んだ事だな。人間の真似もそこまで出来りゃ、上等だぜ」
「なっ…!?」
蔑んだ男の瞳に、新乃の柳眉が釣り上がった。
同時に、灰色から金色に瞳を変化させた新乃を見て、男は「化けの皮が剥がれたか」 と口元を歪める。
「貴方の目的は何ですか…一体どうして、俺達を襲うんです!?」
少しでも、男の命中度を下げようと、フォッグブレスで応戦しながら、新乃は半ば 怒鳴るようにして男に問う。
「ヘナチョコ悪魔どもはついで、だ。もっとも、お前も似たようなもんだがな」
モフノフの剣撃を易々といなすと、男は逆に彼の身体に己の愛剣を突き立てた。
「がはっ…!」
その傷は、彼の生命点の限界まで達してしまい、モフノフは瀕死状態でストック に戻される。
「──前言撤回だな。連れてる仲魔は、ヘナチョコ以下だ」
そう言って、男が剣先を再び新乃に向けようとした瞬間。


突如吹き荒れた氷の粒に、男は数歩後退した。
仲魔の命を奪った剣を、新乃のアイスブレスが、男の腕ごと凍てつかせようと したのだ。
がむしゃらに攻撃をするのではなく、ピンポイントに相手の動きを封じ込めよ うとする少年の戦い振りに、男は内心で舌を巻いた。
「……その『ヘナチョコ』を狩らなければならないほど、貴方は逼迫(ひ っぱく)していらっしゃるのですか?」
「…あ?」
背筋を伸ばしながら、新乃は真っ直ぐに男を見据えると、努めて厳かな声で質 (ただ)す。
予想外な言葉を聞いて、男はピクリと片眉を寄せた。
「こんな世界ですから、生き抜く為の糧として、悪魔を狩る事を生業(なりわい) とする方がいてもおかしくないでしょう。…でも、貴方の腕に相応しい悪魔な らまだしも、こんなヘナチョコに入れ込む理由が、俺にはまったく判り ません」
先程男が後退した分だけ進むと、新乃は伏目がちに言葉を続けた。

『相手との交渉は、どれだけ上手に主導権を握っていけるかだ。いきなりすべ てのカードは見せず、時には相手を立て、いかに情報を引き出せるか がポイントとなる。その為には、柔軟な思考と豊かな想像力を、常に磨い ておくんだぞ』

外交官である父親から、それこそ耳にタコが出来るほど聞かされ続けていた話 だが、新乃は、この時ばかりは脳裏で父親に謝辞を述べる。
正直、いつあの大剣や拳銃が襲ってくるか気が気でなかったが、懸命に思考を 巡らせ、それを舌に乗せていった。

「それとも、強そうなのは見てくれだけで、実は俺達と大差ないのでしょ うか?」
「…何だと?」
「あるいは、貴方のご主人様から貰えるご褒美の『キャンディバー』 が、欲しくてたまらないからとか」
普段なら、口にするのも憚られる俗語を含んだ新乃の科白は、一瞬だけ男の 表情を変える事に成功したが、そこまでだった。

「ガキの挑発に乗るほど、落ちぶれちゃいないぜ。まあまあだ ったがな」
内心の動揺を抑えながら、新乃はわざとらしく肩を竦めてみせる。
「……10分経ったか。ひとつだけご褒美をやるよ。俺がお前を狙うのは、 依頼を受けたからだ」
「…依頼?誰に?」
「それ以上は、許容範囲を超えてるぜ。それに、お前は俺と話をしている んじゃなくて、命の遣り取りをしてるってのを、忘れたのか?」
男の両手が、拳銃にかかったのを見た新乃は、次の瞬間身体を横っ飛びに 踊らせた。
コンマ何秒をおいて、男の二丁拳銃から先程とは比べ物にならないくら いの鉛玉が、新乃の脇を縫っていく。
「口の減らない、躾の悪いガキには、お仕置きが必要だ…ってな」
「生憎、貴方に言われるほど恥ずかしい生い立ちは、しておりません!も っとも、貴方のような輩に払う敬意や礼儀を、持ち合わせていないのも事 実ですが」
こんな時でも、年長者に対する言葉遣いを無意識にしてしまう自分を、少々 疎ましく感じながら、新乃は自分と一緒に銃撃に巻き込まれた仲間を窺う。
「みんな、大丈夫!?」
「わたくしは平気ですが…他の皆様が……」
回復魔法で傷を塞いだのに、様子のおかしいジャックフロストとゾウチョ ウテンに、キクリヒメは不安を隠せない表情で返してきた。
「う…うぅ〜む……」
「目が…目が回るホ〜……」
先程男の銃弾を喰らった時とは、明らかに反応が違うゾウチョウテンと ジャックフロストを見て、新乃は彼らがパニック状態になっている事に 気付いた。
仲魔の異常に眉を顰めている新乃を、男は面白そうに眺めやる。
「どうした、少年?そうやって嘆いてるだけじゃ、何も出来ないぜ?」
「──ええ」
そう答えた新乃が手をかざすと、そこから水のような液体が迸った。
ステータス異常を起こしている2体の頭上に降りかかるや否や、 彼らの様子が元通りになる。
「ヘナチョコには、ヘナチョコなりの備えがあるんですよ。…残念でし たね」
「とんでもねぇ。お楽しみはこれからさ、ボウヤ」

──どうやら、こいつは思った以上の獲物のようだ。

何処までも自分を飽きさせない少年悪魔に、男は、満足そうに舌なめずりをした。



>>後編に続く