『決戦はバスルーム。』



昼休み。
少年速水厚志は、ある決意を胸に自分の隣の席で昼食を取っている ポニーテイルの少女を見つめた。

『うろたえるな。ひと言、そう、ひと言でいいんじゃないか』

ドキドキと脈打つ心臓を押さえながら、速水は努めてさり気ない風を 装って、彼女の前に立った。
目の前に人の気配を感じた舞は、何事かと顔を上げる。
「速水…どうした?」
「話があるんだけど、いいかな?」
まるで今にもジャ○ーズに入れるんじゃないかとい笑顔を貼りつかせながら、 速水は話題を切り出した。
「手短に言え」
あくまでも芝村的な態度の舞に、速水は一瞬ひるんだが、それでも笑顔だけ は崩さずに再び口を開く。
「今度の日曜なんだけど…遊びに行かない?」

「───その日は用事がある。すまぬが又にしてくれ」


一大決心の提案は、あっさりと却下されてしまった。
視線を弁当箱に戻して昼食を口に運ぶ舞を、速水は呆然と見下ろす。
『……お、おい。誰かフォローしてやれよ』
『イヤっすよ。俺』
『芝村さんも、勿体無いなぁ。ウチやったら喜んでついてくのに』
クラスメイトたちの囁きをよそに、舞は昼食を食べ終わると、席を立った。
教室の窓際に佇む来須に声を掛けると、彼の傍まで移動する。
「…日曜日の件だが、大丈夫か?」
「───お前がこの間指定した時刻で構わん」
「すまぬな。では当日は頼んだぞ」

ぴくり。

何気なく交わされたふたりの会話に、速水は思わず耳をそばだてた。
彼と2組の小杉ヨーコが、芝村一族から派遣された舞の守護者である 事は知っている。
とはいっても、舞は彼らを従者扱いはしていない。芝村一族の会合な どで時折どちらかを伴って出掛ける事があっても、普段は他のクラス メイトたちと同じように接していた。
だが、果たして舞と彼はそこまで親しい間柄なのか。
速水の思惑をよそに、来須と舞は何気ない会話を続けていた。


日曜日。
速水は、壁際から校門の様子を窺っていた。
まるで、作者が大好きな某忍者アクションゲームの主人公の如く、壁に 張り付いた『ぽややんな美少年』に、通行人が不審な視線を投げかけて いる。
ところが、いつまで経っても彼らは現れなかった。
俗に言う「待ち合わせのタイムリミット」を過ぎても、待ち人の姿は見 つからない。
「…あれ?」
間抜けな言葉が速水の口からこぼれた。
「おかしいな。確かに今日、約束をしていた筈なのに。デートをするなら、 この場所に……いや、待てよ……」
速水は、先日の舞や来須の会話の内容を思い出してみた。

『その日は用事がある』
『日曜の件だが、大丈夫か?』
『当日は頼んだぞ……』

「ひょっとしたら…舞は待ち合わせじゃなくて……」
自分の考えに思い立つと、速水は踵を返してどぶ川べりの道を駆け出した。


「───面倒臭い」
ごしゅごしゅ、とスポンジでホーローを磨きながら、舞は本日18回目 のぼやきを繰り返した。
「…ちゃんと手も動かせ」
舞と背中合わせの体勢で、やはり来須もスポンジに新たな洗剤を 染み込ませながら、ホーローの汚れを落としている。
無駄にだだっ広い浴室の中で、ふたりは風呂桶の掃除をしていた。

舞は、5121小隊への入隊を機に芝村の実家から学兵用の宿舎へ移り住んだ。 (とは言っても、3LDKと他の学兵たちよりかなり広い部屋なのだが)
当初は、実家から舞の世話をする為に色々と使用人が面倒を見ていたが、 元々何でもひとりで出来る舞(オフィシャルの「舞ちゃん」 はともかく、うちの「芝村さん」は:笑)は、程なくして彼らのすべてを
「不要だ」と言って追い返した。
以来、異様に広いこの部屋で、舞は完全な独り暮らしを満喫している。
ところが。

「大体、私ひとりしかおらぬのに、この尋常ではない風呂の広さは何なのだ」
浴槽についた泡や汚れをシャワーで流すと、舞は大きく息を吐く。
10畳は優にあろう浴室を、舞は折角だからと一度だけ使用した事がある。
しかし、その後戦闘や何やらでつい学校のシャワーですませるようになって しまい、うっかり浴槽の水をそのまま放置してしまったのだ。
気が付いた彼女が慌てて駆けつけた時には、すでに水垢とカビが、浴室に充満 していた……

「汗を流せれば充分ではないか!便所風呂ひとつで事は足りるわー!」
「───『ユニットバス』と言え」

良家の姫君に似つかわしくなさ過ぎる俗語を訂正しながら、来須はデッキ ブラシを舞に手渡した。
「高い所は俺がやる。お前は低い所をやれ」
「来須……」
ブラシを受け取りながら、舞は来須を見上げる。
「…本当にすまぬな。折角の休日を、私などの為に」
「気にするな」
「後で小杉にも言っておかなくてはな。…でも、いくら守護者とはいえ、 ここまで律儀に付き合わずとも良いのだぞ」
「俺が…」
「ん?」
ヘイゼルの瞳とかち合うと、来須は何故か帽子を被り直す。
「……俺たちが好きでやっている事だ」
舞から背を向けると、来須は壁の高い箇所を磨き始める。
「それなら良いのだが……」
タイルの床に洗剤を撒くと、舞はデッキブラシで擦り始めた。


学兵用宿舎に辿り着いた速水は、はあはあと息を切らせながら舞の部屋 がある窓を見上げた。
本当に、彼女はここにいるのだろうか。
期待と不安を綯い交ぜにしながら、速水が階段を上がりかけた時。
「OH!速水サンじゃないデスカ」
明るいラテン系の女性の声が、速水を呼び止めた。
振り返ると、両手に紙袋を抱えた小杉ヨーコが、微笑みながら彼を見下 ろしていた。
「あ、ヨーコさん。こんにちは」
「ハーイ。速水サンは、何をしているのデスカ?」
長身を僅かに屈めて尋ねてきた小杉に、速水はしどろもどろに言葉を紡 ぎだす。
「えっ…と。折角の休日だから、舞と遊ぼうかと思って。彼女、中にいる のかな?」
精一杯さり気なさを装いながら、速水は人を疑う事の知らない褐色の美 女に問い返した。
「──舞サンデスカ?いるにはいますけど…きっと今は、取り込み中だ と思いマスよ」
紙袋を抱え直すと、小杉は小首を傾げながら答える。
「どうして?」
「今日ハ大変ダーって、朝から大騒ぎデシタから。今頃は、来須クンと ふたりでバスルームにいるのデハないデショウカ?」

「来須とバスルーム?」

あまりの事に、速水は先輩に対する敬称も付け忘れて、言葉を返した。
「そ、それってつまり……」
「本当ニ、気の利かないクリサ…来須クンが相手じゃ、舞サンも大変デシ ョウネ。じゃ、ワタシ急ぎますのデ」

『来須が相手じゃ、舞が大変!?』

「だ…駄目だ来須。ここは某『ひみつのぶもん』ではない(笑)。それ 以上は、表に出せないような展開になってしまうぞ」
「俺にあの『1週間天下』だけで我慢しろというのか?(爆笑)……舞、 口ではそう言いながら、しっかり身体は濡れているぞ」
「当たり前だ。ここは風呂場なのだから…って、そなた何をしている!? ゲスト様の『りくえすと』は心得ているのか!?」
「そんなものは知らん。作者に『書き直せ』と言っておけ (←無茶言うな)

「あの面倒臭がりに、そんな芸当出来る訳なかろう!」

……わざわざ、文字色を変えるほどの内容かどうかは知らないが、速水 の頭の中では、様々な妄想が浮かんでくる。
「舞ーっ!」
「───あ、速水サーン!?」
小杉を突き飛ばさんばかりの勢いで、速水は宿舎の階段を駆け上がる。
「掃除の邪魔しちゃダメデスよー」という小杉の呼び掛けは、空しくも 風に乗って消えた。


「風呂桶に湯を張るのか?」
壁と天井の汚れを落とした来須は、浴槽側の蛇口を捻る舞を見た。
「何だか、掃除をしている内に入りたくなってしまってな。本末転倒か もしれぬが、後で汗を流すとしよう。良かったら、そなたも入っていくが いい」
「いや、俺は…」
何故か言葉に詰まる来須をよそに、舞は蛇口から湯がバスタブを満たし ていくのを確認すると、再びタイルの床を擦りにかかった。
デッキブラシを動かす彼女の肢体が、水や洗剤などで濡れたTシャツ越しに 浮かび上がっていた。室内着用のジーンズを腿まで捲り上げているので、 普段は隠されている膝小僧やふくらはぎが、弥が上にも来須の視界に入 ってしまう。
『目の毒だ』と思いつつも、そこから視線を外せないのは、哀しいかな男 の性か。
「…床磨きを手伝う。ブラシを貸してくれ」
「すまぬな。では、反対側を頼む」
舞からもう一本のデッキブラシを受け取ると、来須は舞とは反対側の床に 液を撒いた。こうして下を向いて掃除に没頭していれば、彼女の姿を見な くてすむ。
そのまま無言で作業を続けていると。

「……?」
不意に誰かに呼ばれたような気がした舞は、つと顔を上げた。
「今、私を呼んだか?」
「俺じゃない」
「…気のせいか」
だが。

「舞ーっ!」

今度ははっきりと自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
続いて、勢い良く浴室の扉が開いたかと思うと、何をそんなに慌てふためいて いるのか、必死の形相をした速水が飛び込んできた。
「───速水?」
「舞、無事なの?何もされてない!?」
「何を訳の判らない事を言っているのだ…って、足元に気をつけろ!」
「……え?わ、わわっ!」
泡だらけのタイルに足を取られた速水は、大きく前方につんのめった。
舞はデッキブラシを放り出すと、駆け寄りながらどうにか彼の身体を受け止める。
しかし、
「あ…」
滑る床の所為で体重を支えきれなかった舞は、腕に抱いた速水ごと後ろに引っく り返りそうになった。その様子に、今度は来須がふたりの身体を止めにかかる。
大柄な来須の体躯に助けられ、ようやく速水と舞の災難が去ったと思った矢先。
デッキブラシを放り出した衝撃で、シャンプーなどを収納していたケースから、 石鹸が床に転がっていた。
ふたりに気を取られていた来須は、迂闊にもそれを思い切り踏んでしまう。

次の瞬間。
ひと組の男女の悲鳴と3人分の水音が、浴室にこだました。


「…ナーニやってるんデスか?」
浴槽に落ちて全身濡れネズミになった3人を、小杉は不思議そうに見 つめた。
「訊きたいのはこちらだ。まったく…血相変えたそなたが来た時は、 何事かと思ったぞ」
「ゴメン……」
速水は面目なさそうに頭を下げる。舞は、すっかり濡れそぼった自分 のTシャツを雑巾のように絞ると、小さく笑った。
「速水に来須。ふたりとも、ちょうど良いから今から風呂に入って 温まるがいい」
「……え?」
「───」
「その間にそなたたちの服を乾かしておく。男同士、裸で語らうとい うのも、中々乙なものだと思うが」
『裸で語らう』といっても、色々あるんだよ……と思ったかどうか は知らないが、にこやかに提案する舞とは裏腹に、来須と速水は、何 故か互いに視線を合わせようとはしなかった。
「ねぇ…出来れば僕、ひとりで入りたいんだけど……」
「後で私も入りたいのだ。なるべくなら、早くして欲しいのだが」
「──ならば、先に入れ。この家の主はお前だ」
「尚更だ。主が、客人を差し置くような真似は出来ぬ」
ここまで言われて、彼女の厚意を無下にする人間はいるだろうか。
しぶしぶといった感じで、ふたりは水分を含んだ衣服に手を掛けた。

広い浴槽に、ふたりは互いに背を向けた状態でぬくもっていた。
「……」
速水はちらり、と顔を動かすと来須を盗み見た。思ったより日に焼 けていない、自分とはまるで対照的な逞しい背中が速水の視界に 入ってくる。
守護者として働いている彼は、舞の絶大な信頼を得ている。
一方の自分は、同じ部署の相棒とはいえ、果たしてそこまで彼女に 信じてもらっているのだろうか。

「……僕は、」

軽く水音を立てながら、速水は来須に向き直った。
帽子を被っていないので、普段はあまり見る事のない青い瞳が、自分を真 っ直ぐに見つめ返していた。
「僕は君みたいに、守護者気取りでただ指をくわえて、舞の傍にいるだけ のような真似はしない」
まるで宣戦布告のように、速水は指を突きつける。
「……確かにはじめは、芝村の権力欲しさに彼女に近付いた。でも、今は 違う。僕は、舞の事が本当に好きになったんだ」
「……」

速水の言葉を聞きながら、来須は以前、彼が舞に告白した事を思い出していた。
結局当の舞に「今の私は、色事にうつつを抜かしていられる立場にはない」と 断られていたが、それでも、面と向かって堂々と想いを告げられる速水を、 不覚にも来須は『羨ましい』と思ってしまった。
守護者という立場も全ての肩書きも建前も捨てて、来須は舞に自分の正直な気 持ちを打ち明けられるか、と問われると、現時点では残念ながら首を縦に振る 事は出来ない。
だが。

「…俺も、いつまでも中途半端でいるつもりはない」
来須の舞に対する想いも、決して速水に負けている訳ではない。
速水の宣戦布告に応えるように、来須は右の拳を左手でパシリと包み込んだ。 ふたりの間に、見えない火花が飛び散る。
───どれくらい、そうしていたのだろうか。
「………上がんないの?」
仄かに顔を赤く染めながら、速水は来須を見る。
「………お前はどうなんだ」
「僕は、もう少しいる」
「安心しろ。お前の尻に蒙古斑が付いていても、俺は笑ったりはしない」
来須の言葉に、速水は音を立てて湯船に引っくり返った。
「そんなもん、とっくに取れてるよっ!子供扱いする気!?」
ムキになって反論する速水に、来須は少しだけ口元を緩める。
「年少者を気遣っただけだ」
「ふーん……」
無機質に返事をしながら、速水は両手を湯の中に沈めた。暫くそのままの姿勢 でいたが、不意に顔を上げると来須を呼ぶ。
「──!?」
反射的に振り向いた来須は、顔面に思わぬ水鉄砲を食らった。
速水が湯の中で、両手を握り締めたのである。
「…何をする」
「先輩と違って、僕は『子供』ですから。それらしく振舞おうと思ったんで すけど?」
白々しい言い訳をする速水は、数秒後に悲鳴を上げた。
洗面器を手にした来須が、速水の白い背中に水を掛けたのである。
「何すんだよっ!?」
「のぼせていたようだからな…目は醒めたか?」
気遣うような口調とは裏腹に、来須は青い瞳を好戦的に光らせている。
速水は不気味なほどニッコリと笑うと、傍らに転がる手桶を掴んだ。


その日。舞の部屋のバスルームからは、激しい水音と人の声が止む 事はなかった。

「男って、いつマデたってもコドモデスねー♪」
「悠長にそんな事を言ってる場合かー!」

バスルームにおける熊本屈指のパイロットと、屈強のスカウトとの不毛な 対決は、業を煮やした芝村の姫君が「釘バット」 を手に携えるまで続いたという。


このSS、当初のタイトルは『決戦!2大怪獣(?)バスルームの攻防』 でした。(マジで)
だけどこれでは、人様に差し上げるものにしてはあんまりにもあんまりなので、今の題に 変更した次第です。(苦笑)
「バスルームの格闘」は、子供の頃の思い出を少し。小さい時、皆さん風呂の残り湯で行水や 『怪獣ごっこ』しませんでしたか?(特に男性の方)
「何処が三角関係なんだ」と突っ込まれそうな出来になってしまいましたが、こんなモノでも一生懸命書い たので、受け取って下さると嬉し……あ、やっぱダメですか?
(いい加減にしないと、その内二度と誰もサイトに来てくれなくなるぞ……)



>>BACK